文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:ISIL

ブログ「マダムNの覚書」に2月20日、投稿した記事の再掲です。
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民主党の辻本清美氏の低次元の質疑に、安倍首相はあざやかな答弁を行いました。これは、一聴の価値ありです。首相の危機管理意識がどんなものかがよくわかります。

さっそくYouTubeに動画がアップされていました。以下の動画は2/2です。首相のISILへの対応について。この動画の後半のやりとりがなかなかです。

https://www.youtube.com/watch?v=Lm8c86-N1nc

ホームページ「衆議院TVインターネット審議中継」で、国会審議テレビ中継で収録された音声と映像が、ビデオライブラリとしてそのまま提供されています。

「テロの危険が高まっているわけですから、公邸に泊まって下さい」と、しきりに首相を公邸に留めようとする辻本氏。どう考えても、怪しい提案に思えます。

それに、首相が電話で指示していたのかどうかを、しきりに知りたがっていましたが、ISIL(アイシル)がこの国会中継を視聴している可能性を考えると、どんな目的でこんな質問をするのか、大いに疑問です。

辻本氏、今日は化粧が濃いですね。勝負化粧?

以下は、安倍首相の答弁の一部です。

勿論、電話等々というのはしますよ。ただ総理大臣として、こうしたときの案件についてはですね、大きな方針を決めるということではわたしは指示しますよ。でも、わたしは中心的なオペレーターではありませんから、当たり前ですが。
そのために危機管理監というのがいるんですから。危機管理監が基本的にですね、対応というのはやりますし、また情報官もいます。その上においては、官房長官がいるわけでありますから。
わたしが判断するのは大きな方針。そして、判断が、例えば選択肢が出てきたときには、どちらにするという判断はします。そういう、すべき判断はしています。
ただ、例えばですね、身代金を払わない、という基本方針を決めるのはわたしです。そういう対応が必要になったときには、そういう判断はわたしはきっちりとしています。そういう判断を、総理大臣はするんですよ。その判断を間違えてはいけない、これが大切なんですよ。
日々どうするか、オペレーションそのものにですね、わたしが口を出すということを、こんなことをしていたらですね、官邸はまさに、かつてそんなことがあったかもしれませんが、こんなことは絶対にやっちゃあいけないことなんですよ。それがまず、常識だということを申し上げておきたいと思うわけであります。
基本的にですね、大切なことは、総理大臣というのは、そういう判断をするわけであります。

そしてですね、先ほど、確かに二人の人質の例もありますよ。でも、全国ではいろんな事件が起こっているんですから。子供の命が危険に晒される、そういう出来事が沢山起こっているじゃないですか。
でも、それは例えば警察がやる、県警本部がやる、報告は全部あがりますよ。でも、それは、そういう人たちがちゃんとやっていくんですよ。
そういう人たちだってみな、大切な命がかかっているじゃないですか。わたしたちはそういう全体に、わたしは責任を持っているんですよ。ですから、そういうものについて、まさにわたしは責任を持っている。ですから、そういう対応をちゃんとそれぞれの司、司に間違いなくやるように、そういう指示をしているということであります。

いやはや、これが民主政権だったら、いくらでも身代金を悪者に渡しちゃうのかなあ。血税を湯水みたいに使って。お手軽な人類愛で結構なことですが、つくづく自民党の安倍政権であるありがたみを再認識した次第でした。

わたしはよく国会中継を視聴していますが、安倍首相ほど居眠りしない政治家は珍しいと思います。

長時間にわたる審議中、ついウトウトしてしまうことがあってもおかしくない気もしますが、安倍首相の居眠り姿を見たことは、わたしが視聴した中では一度もありません。

常に真摯で、誠実な答弁に、だんだん惹きつけられるようになりました。よく熟睡していた小泉元首相と対照的ですね。

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ブログ「マダムNの覚書」に2月18日、投稿した記事の再掲です。
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ISILが15日、リビアの海岸でキリスト教の一派であるコプト教徒のエジプト人21人を殺害したとする動画を公開した。

コプト教は原始キリスト教(最初期のキリスト教)の流れを汲むキリスト教である。アフリカには、古くからキリスト教があるのだ。

コプト正教会:Wikipedia

伝承では1世紀(42年頃)にマルコがエジプト(アレクサンドリア)に立てた教会(アレクサンドリア教会)である。451年のカルケドン公会議の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。

ナグ・ハマディ文書などの初期キリスト教文書についての本を読んでいると、よくコプト語というのが出てくる。ギリシア語からコプト語に翻訳されたと考えられているものが多いようだ。

ナグ・ハマディ文書ではないが、初期キリスト教文書の中に『マリア福音書』と呼ばれる文書がある。ここでのマリアはマグダラのマリアで、マリアを愛弟子として薫育するイエスのありし日の面影や、ペトロとの衝撃的なやりとりを伝える文書で、コプト語版とギリシア語断片が知られている。

考え方が違うからといって、無造作に相手を殺せるような宗教がこの世にあるとは信じたくない。それが宗教の名に値するとは思えない。わたしは昔コーランをざっと読んだにすぎないが、砂漠の民にふさわしい格調高い宗教書であると思った。

要するに、どんな名著、名言でも、解釈を間違えば、とんでもないことになるという例証ではないだろうか。全てが国語力、読解力にかかっているとさえ、思えてくる。

アフリカといえば、わたしは映画を観て原作者に興味が湧き、カーレン・ブリクセン『アフリカ農場』(渡辺洋美、筑摩叢書、1992年)を図書館から借りて読んでいた。ペンネームのイサク・ディーネセンで出ている『バベットの晩餐会』(桝田啓介訳、ちくま文庫、1992年)も借りている。

初の歴史小説のための資料読みも、気分転換に書き始めた短編も、後回しにして。

英領東アフリカ(現在のケニア)で、ブリクセンは夫と共に農場を経営するが、コーヒー園事業と結婚が破綻してのちも、そこでの荘園風の生き方を続けることを望んで、経営の立て直しに奮闘。結局のところ、うまくいかず、帰国するに至った。

ブリクセンは離婚した夫から梅毒をうつされていたのだが、「梅毒をもらってでも、〈男爵夫人〉になるだけの価値はある」といった彼女は、古色を帯びた封建的な、ある種の理想世界をアフリカの一角に形成しようとしたのだった。

わたしは以下の記事で、書いた。

  • 2015年2月15日 (日)
    シネマ『バベットの晩餐会』を観て 追記:文学の話へと脱線「マッチ売りの少女」とリンドグレーンの2編
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/02/post-cdaf.html

    晩餐会が終わったあと、台所で1人コーヒーを飲むバベットの凜々しく、美しい、どこか勝利を収めた将軍のような安堵の表情を見ると、彼女はパリの居場所をとり上げられた代わりに、デンマークの寒村をまるごと贈られたのではないかと思えてくる。彼女は見事にそれを料理したのではないだろうか。

まだ映画の原作となった『バベットの晩餐会』は読んでいないが、農場を荘園に見立てて、その土地を掌握しようとしたブリクセンを『アフリカ農場』で知ると、わたしの映画解釈が間違ってはいなかったのだと思える。

ブリクセンの描写はくっきりとした、わかりやすいもので、状況がよく掴め、光景が頭の中に自然に浮かんでくる。

過酷な生活環境だが、内面世界との境界がなくなっているかのような幻想的でもあるアフリカでの日々の記録は、圧巻である。

それにしても、白人の女性の矜持と胆力は凄いなあと思う。

原住民の二人の子供が銃を玩具にして、発砲事故を起こしたときの凄惨な光景。子供の一人は死亡し、もう一人は顎を撃ち砕かれるが、何とか元気になった。

牛に襲いかかった二頭の雄のライオンを、夜間、ブリクセンがぶるぶると震える手で懐中電灯を持ち、照らす中で、恋人デニスが撃ち殺す場面があった(デニスは自家用機の事故で亡くなる)。

あれはBBCの番組だったか、ライオンの群れの観察記録を観ていたので、そのときのライオンたちの事情がわたしには呑み込めた。それで痛ましく感じたが、一つ間違えば、ブリクセンたちが餌食になることもありえたのだった。

ライオンは、一頭あるいは複数の雄ライオンを中心に雌と子供のライオンたちが集う、ハーレムのようなグループを作って暮らすと番組ではいっていた。雄の子供ライオンは、成長すると群れを追い出される。

雄が警備を司り、雌が育児と狩りを行う。雄を王様に迎えるときは、見立てのベテランである数頭の雌が、何ヶ月もの時間をかけてじっくりと決めていた。迎えられて王となった雄は、自分で苦手な狩りをする必要がなくなる。

雌たちは連係プレーで狩りを行い、獲物は一番に王様に行く。その代わり、雄が群れを守る役割を果たせなければ、追い出されるのだ。

二頭の雄が農場の牛を襲ったのは、なかなか王様になれない、狩り慣れのしない二頭(兄弟かもしれない)が空腹を我慢できなかったからだろう。動物の世界は厳しい。その厳しさと魅力をブリクセンは克明に描いている。

イグアナを撃つ場面も忘れがたい。なぜ、彼女がそうしたかといえば、イグアナの皮でいろいろな綺麗なものを作りたいと思ったからだという。美へのあこがれと執着には強烈なものがあったようだ。

『アフリカ農場』には、最後の方に訳者のブリクセン小伝がある。ブリクセンの外観について「アメリカに招かれたとき、数多くの視聴者を驚かせた異様できらびやかな風貌と言動」とあり、その記述を物語るかのような写真も付されている。

彫りの深い、どこか謎めいた深みのあるまなざしが印象的だ。ブリクセンが過剰なまでにお洒落であることや、際立って知的であるだろうことは、その写真を見ればわかる。

イグアナのことを書いた場面を食い入るように見た、否読んだのは、以前ペットショップで大型の檻に入れられたイグアナのあざやかな色彩を思い出したからだった。

目に染むようなグリーンだった。ペンキ塗り立て。触れば、手にグリーンがつきそうな。そのような色をした生物がいるということが、ちょっと信じられないくらいだった。独特な風貌で木に寄り添ったまま、わたしがお店にいた間、イグアナは化石のように動かなかった。

アフリカの強い光を浴び、イグアナはえもいわれぬ色彩を放っていたのだろう。「山と積んだ宝石、あるいは古い教会のステンドグラスの一隅のように燦然と輝いている。人が近づいてさっと逃げたあと、イグアナのいた石の上を空色、緑、真紅の光線が流れて、一瞬、色のスペクトル全部が彗星のように宙に漂って見える」(p.262)

イグアナがまるで鱗粉でも放ったかのような描写だが、そんなイグアナが死ぬと一気に灰色になってしまうとは……。蝗の大群に農場が襲われたときの描写も凄い。

そういえば、いくらか前に、象に襲われる危険に晒されながら、長時間かけて学校に通う兄妹の出てくるドキュメンタリー番組を観た。あれは、確かケニアだった。ググってみよう。

NHK番組『世界の果ての通学路』だった。「世界には、何時間もかけて道なき道を学校に通う子どもたちがいる。なぜ彼らはそこまでして学校に通うのだろう?4か国の子どもたちの通学に密着したドキュメンタリー映画」と、番組内容が紹介されている。

ところで、娘がアリステア・マクラウドの『冬の犬』を注文したという。わたしの話を聴いて、読みたくなったのだそうだ(娘は図書館の本に手を触れない)。娘から借りて、いつでも再読できると思えば、嬉しい。

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ブログ「マダムNの覚書」に2月4日、投稿した記事の再掲です。

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前の記事の続きを書こうとしてニュースを見たら、ヨルダン空軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉は1月3日の時点で焼殺されていたとする時事通信、1時48分配信の記事が出ていました。

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『ルーミー語録』を最初に読んだのは大学時代でしたが、これまでの年月が掻き消えたように、女子寮の一室で読んでいる自分なのか、今の自分なのかがわからなくなるほど、当時の自分と一体化していました。

『ルーミー語録』を読んでいると、極上のワインに酔ったようになります。

これを書いている今も、胸の奥から汲めども尽きぬ泉の水のように出てきた純白のオーラで部屋の中がいっぱいです。

ルーミーは13世紀にホラーサーン地方のバルフ(現アフガニスタン)に生まれ、シリアの首都ダマスカスなどで学び、トルコの都市コンヤに歿した、ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人です。

神秘主義的な本は、どれもそっくりなので、どれを読んでいるのか、わからなくなってくるほどです。

『ルーミー語録』には、『コーラン』の言葉が散りばめられています。コーランは大学のときにざっと読んだきりなので、あまり覚えていませんが、旧約聖書がよく出てきて、イエスやマリアがキリスト教とは違った雰囲気で出てきたような記憶があります。

コーランがルーミーにとって、美と慈愛と叡智の源泉であったことを感じさせます。そのルーミーがかつて学び、逍遙した地が現在、ISILによって地獄の様相を呈しています。嘆かわしいことです。どうコーランを読めば、あんなことができるのでしょうか。

では、『ルーミー語録』(井筒俊彦訳、岩波書店、1978年)から断片を紹介します。

 本当に奇蹟と言えるのは、人が卑〔ひく〕い段階から高い段階に昇らされるということだ。あんなところから出発して、こんなところまで辿り着いた、それが奇蹟なのだ。もともとわけも分からなかったものが理性的に考えるようになり、無生物が生命体となったことだ。考えてみれば、そなたも元来は土塊〔つちくれ〕であり無機物だった。それが植物の世界に連れてこられた。植物界から旅を続けて血塊となり肉片となり、血塊と肉片の状態から動物界に出、動物界から遂に人間界に出てきた。これこそ奇蹟というものではなかろうか。
 神はこの長い旅をそなたが無事終えるように取り計らって下さった。途中でいろいろな宿に泊まり、いろいろな道を取りながら、はるばるここまでやってきた。が、その間、そなたは自分でここへ来たいと思ったこともなかった。自分でどの道を選ぼうとか、どうやって辿り着こうとか考えたことも想像したこともなかった。ただ、ひとりでにここまで連れてこられてしまったのだ。だが、自分がここまで来たのだということは、まごうかたない事実としてそなたにもわかっている。同じように、これとは違った種々様々な世界がまだまだ幾つもあって、やがて、そこにも連れてゆかれるのだ。疑心を抱いてはならぬ。このようなことを言って聞かせる人があったら、素直に信じることだ。〔p.207〕

古代インドの哲学書「ウパニシャッド(秘教的教義)」に「神は鉱物の中で眠り、植物の中で目覚め、動物の中で歩き、人間の中で思惟する」とあり、またユダヤ教神秘思想カバラに「石は植物となり、植物は動物、動物は人間、人間は霊、霊は神となる」という格言がありますが、わたしはこれらを連想しました。

 アブラハムの立処で参詣者が二回跪拝する。それは結構だ。だが本当は、立ってはこの世にあって祈り、跪拝してはかの世にあって祈るというような礼拝であってほしい。メッカの神殿とは預言者や聖者がたの心の秘処、神の啓示の下る場所であって、建物としてのメッカの神殿はこの(心の中の)神殿の影にすぎない。内面的精神がなければ、メッカの神殿が何になろう。〔p.288〕

ルカの福音書に「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」とありますね。インドの聖者ラーマクリシュナは「神についての正しい知識を得た人にとっては、この世もあの世もないんだよ。どこも同じさ、あの世があると思っている人には、この世もあるんだ」(マヘンドラ・グプタ『不滅の言葉』奈良毅&田中嫺玉訳、三学出版、昭和55年)といいました。

 わしが好んで語るものは、すべて象徴であって、ただ似たものを例として出すのではない。象徴は、ただ似たものというのとは違う。神がその光を灯火に譬えておられるのは、あれは象徴だ。聖者の身体を玻璃に譬えられるのも象徴だ。もともと神の光は場所や空間に容れられるようなものではない。それがどうして玻璃や灯火の中に入ろうか。宇宙に偏在する神の光が誰の心の中に入ろうか。だが、それを探すとなると、心の中に見つかるのだから妙である。といっても、心が何か容器のような役をして、神の光がその中に入っているわけではない。心の深みから湧出してくるのが見えるのだ。鏡をのぞくと、そこに自分の姿が映って見える。別に鏡の中に姿形が本当に存在しているわけではない。それなのに鏡をのぞきこんでみると、ちゃんとそこに自分がいるのだ。〔p.289〕

わたしは拙著『卑弥呼をめぐる私的考察』(Kindle版、ASIN:B00JFHMV38)の中で、『老子』第十章は鏡を連想させると書きましたが、ここにはもろに鏡が出てきます。

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ブログ「マダムNの覚書」に2月3日、投稿した記事の再掲です。
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後藤さんを英雄視する動きがありますが、政府から渡航中止要請が3回も出ていたとなると、残念ながら後藤さんは英雄どころか、思慮なきジャーナリズムは国家をも危険にさらす……と、思わされます。

尤も、今回後藤さんは湯川さんを探しに行ったともいわれており、そうであれば、尚更、後藤さんをジャーナリストとして祭り上げようとする騒動は的外れもいいところです。

後藤さんに渡航中止要請=昨年9月から3回―政府
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150203-00000008-jij-pol
時事通信 2月3日(火)2時32分配信

 政府が過激組織「イスラム国」によって殺害されたとみられる後藤健二さんに対し、昨年9~10月に3回にわたってシリアへの渡航を見合わせるよう直接要請していたことが2日分かった。関係者によると、外務省職員が昨年9月下旬と同10月上旬に電話で、同月中旬には面会して渡航中止を求めたが、翻意させるには至らなかったという。
 外務省は2011年4月にシリア全土に「退避勧告」を発出している。後藤さんの渡航計画を把握した同省は昨年9月26日に渡航中止を要請。10月3日に後藤さんの入国を知って即時退避を求めた。帰国後の同月14日には職員が面会して再び渡航しないよう注意喚起した。だが、11月1日に後藤さんの家族から、連絡が取れなくなったと通報があった。
 後藤さんは昨年10月末にシリア北部で行方不明になり、先月20日に殺害予告の動画がインターネット上に公開されたのに続き、1日には殺害されたとみられる映像が公開された。先に殺害されたとみられる湯川遥菜さんの入国については、外務省は事前に把握していなかった。
 事件を受けて安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、「内外の日本人の安全確保に万全を期したい」と改めて強調。自民党が2日開いた対策本部では、退避勧告に強制力を持たせるべきだとの意見が出た。しかし、憲法22条が保障する「居住、移転の自由」との兼ね合いで、渡航を禁止するのは困難なのが実情だ。

軍隊もない、情報機関もない、国民が海外で事件に巻き込まれても思うように動けない国家であるからこそ、政府は再三、渡航中止を要請したのでしょう。

政府が事前にこれだけのことをしたのであれば、これ以上の何が望めましょう? まさに「親の心子知らず」で、この場合の親は政府、子は後藤さんです。

残念な結果になったとはいえ、今回のこのことで、国はどれだけのお金(血税)を使ったのでしょうか? ぜひ公開してほしいものです。

以下の記事にも、注目しました。

ところで、ISILには自治区を違法出国したウィグル族が参加していると伝えられますが、中国は自治区のウィグル族に対して、ISILと同じ残虐行為を繰り返しているとか。

今回の事件をだしに安倍首相叩きに余念がない左派ですが、そんな暇があれば、ウィグル、チベットに対する中国の非道な行いに声をあげたらどうですか。

このところ、ISIL関係のひどいニュースにばかり接してきたので、心が渇き、中東の古典を求めました。
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深遠なイスラム神秘主義の著書『ルーミー語録(イスラーム古典叢書)』(井筒俊彦訳、岩波書店、1978年)から断片を紹介したいとます。

以下はウィキペディアより抜粋。

ジャラール・ウッディーン・ルーミー:Wikipedia 

ジャラール・ウッディーン・ルーミー(1207年9月30日 - 1273年12月17日)はペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。

作風
簡潔かつ平易であるが抒情性に富む文体が特徴で、詩を読む者に深い感銘を与える。詩には独特のリズムがあり、名手が吟じたルーミーの詩を聴いた人間は陶酔感に浸ると言われている。また、詩の内容にはイスラム教だけでなく新プラトン主義、キリスト教神秘主義からの影響も見て取れる。著作はモロッコから中国、インドネシアにわたる広範なイスラム世界で読まれ、様々な解釈がされてきた。

ウィキペデアと本の解説によると、ルーミーはホラーサーン地方のバルフ(現アフガニスタン)に生まれたとされます。

バルフは当時、「イスラーム文化の一大中心地。知的に、学問的に、宗教的に、全イスラーム世界において主導的役割を果たしていた」そうです。

10年以上も放浪して、あちこちに行っており、ダマスカスに留学しています。ダマスカスはシリアの首都ですね。

次の記事で、『ルーミー語録』から断片を紹介します。

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ブログ「マダムNの覚書」に2月1日、投稿した記事の再掲です。
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「日本時間の1日午前5時すぎ、イスラム過激派組織「ISIL(イスラム国)」とみられる組織に拘束された後藤健二さんを殺害したとする動画がインターネット上に投稿されました」
と、NHKニュースで報じられました。

湯川さんに続いて後藤さんも殺害されたとなると、虚脱感を覚えますが、IRIB(イランラジオ)が31日に「ヨルダン政府が、テロ組織ISISがヨルダン人パイロットを殺害するなら、収監しているISISのメンバーを処刑すると主張しました」と報じ、米海軍特殊部隊「シールズ」の投入が急浮上とも報じられていたので、メンバーを処刑されては困るだろうISILは、シールズに来られても困るでしょうから、こういう結論を下すことは考えられました。

いつ殺害されたのかは、不明であるようですが。動画が投稿された時間、あちらは深夜で、動画の時間帯は昼間であるようです。

日本政府に対するISILのメッセージはここに引用する気もしなくなるくらい、柄の悪いものです。

安倍首相は、記者会見で、テロには屈しないことを改めて強調しました。

この首相の毅然とした姿勢は、ヤクザ並みのいじめが蔓延るようになってしまった教育現場でも、貴重な意味を持つようになるのではないでしょうか。

それにしても、ISILが「アベ」を強調するところが変ですね。遠い中東のISILにとっては、単に日本だろうが、日本政府だろうが、あまり関係ないでしょうから、「アベ」と強調するところが、安倍首相に反感を持つ日本人の協力者がいそうな嫌な予感を覚えます。

ああ、お母様の石堂さんが映りました。憔悴しきった表情で。お顔が土気色です。そっとしておいてほしい。
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ブログ「マダムNの覚書」に1月31日、投稿した記事の再掲です。
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ISIL(イスラム国改めアイシル)に拘束されているジャーナリスト・後藤健二さんの奥様がロイター通信を通じて29日、英語で、音声による声明動画を公開しました。

東洋経済オンラインで、その動画と文章(英文・邦文)を閲覧できます。

何でも、この奥様は東大卒で、独立行政法人・JICA職員(日本国際協力機構)の職員だそうですが、国際的、政治的な面では専門的であるはずの人物が配偶者でありながら、なぜ後藤さんが今回のような事件に巻き込まれることになったのか、不可解です。

また、奥様の声明には――後藤さんのお母様の会見もかなり奇妙なものでしたが――疑問を抱かされるものがあります。思慮を欠いた夫の行動のせいで大変なことになった、という自覚に甚だ欠けているように思える文面です。

夫の生命が危険に晒されている緊迫した状況下、被害者意識があるのは自然なことなのかもしれませんが、「私の夫は善良で、正直な人間です。苦しむ人びとの困窮した様子を報じるためにシリアへ向かいました」といわれると、そうした面がおありなことが感じられ、また生かすために、そのようなアピールが必要だろうと感じられても、聴く側としては白けますし、「私は彼の解放のため、舞台裏で休むことなく働き続けてきました」「私は、彼の命を救おうと戦ったのです」という自画自賛めいた言葉には、違和感と懸念とを同時に覚えてしまいます。

この奥様が水面下でどんな動きをしてきたのか、気になるところです。

「ヨルダン政府と日本政府の手中に、二人の運命が委ねられていることを考えて欲しいと思います」という言葉からは、反日左翼の人々と同じ思考法が感じられます。

この事件は、何らかの終息を見たあとも、尾を引く問題です。日本やヨルダンの今後すら左右しかねない危険性を孕む事件です。テロ組織との取引に応じるには、将来的に出る犠牲と引き換えることだとの覚悟が必要です。

仮に日本とヨルダンが後藤さん夫妻の希望通りに動かなかったとしても(動けなかったとしても)、その責任は日本とヨルダンにあるのではありません。その自覚が少しでもあれば、このような言葉が出てくるはずがないと思えますが、脅迫されていわざるをえなかったのでしょうね。

「私にはヨルダンとヨルダンの人々に対して、特別な感情を持っており、多くの思い出があります」という言葉は、自分たちになるべく親近感を持って貰いたいがためのアピールなのかもしれませんが、ヨルダンの人々に日本人はこの度の人質事件で多大な迷惑をかけているわけです。あって当然のはずのお詫びの言葉がありません。これも、脅迫されて、削らざるをえなかったのでしょうか。

ところで、上の記事に、
「29日朝に公表された画像は、朝9時ごろから日本政府が動き出すというタイムスケジュールを意識している。プロデューサーが視聴者の反応を見てドラマを作っているという感じで、日本の事情をよく知っている人間がイスラム国に協力している」
という元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏の言葉が引用されています。

また、上のジャーナリスト・加賀孝英氏の記事には、
「イスラム国は当初、安倍首相の中東歴訪を重要視していなかった。日本国内などの協力者が、歴訪に合わせて『世界が注目するチャンスだ』と入れ知恵した可能性が高い。この人物を絞り込みつつある」とあります。

後藤さんのことで馬鹿に盛り上がる反日左翼連中といい、奥様の一見まともそうでありながら疑問を抱かせる声明といい、ISILによる日本人人質事件は謎を孕んだ奇怪な展開となってきました。

テレビのニュースが反日左翼色を帯びているので、バランスをとるためにYouTubeへ行くことがあるのですが、視聴した中から2本の動画を紹介しておきます。

以下は、「くにまるジャパン」1月30日放送分から動画に作成されたものです。出演は前出の佐藤優氏。
https://www.youtube.com/watch?v=f_ajv8cTu6U

以下は、SakuraSoTV、「ニュースの読み方」より。戦前・戦中の日本人が如何にイスラム理解に優れていたかが、大川周明氏の著書を通して解説されています。

https://www.youtube.com/watch?v=B-y8OXvx_b4

北大生と関わった、近視眼的印象を与える元大学教授とは、教養という点で大分違うようです。

大川周明:Wikipedia

〔……〕大学卒業後、インドの独立運動を支援。ラース・ビハーリー・ボースやヘーラムバ・グプタを一時期自宅に匿うなど、インド独立運動に関わり、『印度に於ける國民的運動の現状及び其の由来』(1916年)を執筆。日本が日英同盟を重視して、イギリス側に立つことを批判し、インドの現状を日本人に伝えるべく尽力した。また、イスラム教に関心を示すなど、亜細亜主義の立場に立ち、研究や人的交流、人材育成につとめ、また、亜細亜の各地域に於ける独立運動や欧米列強の動向に関して『復興亜細亜の諸問題』(1922年)で欧米からのアジアの解放とともに、「日本改造」を訴えたり、アブドゥルアズィーズ・イブン=サウード、ケマル・アタチュルク、レザー・パフラヴィーらの評伝集である『亜細亜建設者』(1941年)を執筆した。ルドルフ・シュタイナーの社会三層化論を日本に紹介もしている(「三重国家論」として翻訳)〔……〕

ルドルフ・シュタイナーはブラヴァツキーの神智学の影響を受けた人ですが、シュタイナーまで読んでいたとは。昔の知識人って、今の知識人とは読書量にしても、スケールにしても、全く違いますね。

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