文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

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純文学小説『結婚という不可逆的な現象』をキンドルストアで販売中です。

無事にKDPから出版のお知らせが届いてホッとしました。というのも、基幹ブログで報告したようなトラブルが発生したからでした
  • 2016年4月11日 (月)
    新しい電子書籍を作成しましたが……
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/04/post-fc75.html
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以下が新しい本です。


結婚という不可逆的な現象(ASIN: B01E3UAZ3O)

以下は、アマゾンの商品紹介から。実は、同人誌の号のところに消し忘れの漢用数字がありました。後日訂正しておきます。

かけがえのない家庭で起きた予期せぬ出来事。世間ではありふれた出来事の一つにすぎなかったが、薫子にとっては全身全霊で対処する必要に迫られた大事件であった……精緻な心理描写と哲学的な考察で個人の背後に存在するこの国の流儀を浮かび上がらせ、人生のはかない美しさを描き出す。

「侵入者」は平成19年に執筆した短編小説で、同人誌「日田文学」56号(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成20年)に発表。
「侵入者」は「文学界」7月号(文藝春秋、平成20年)・同人雑誌評蘭で今月のベスト5の一編に選ばれた。
「鶏の鳴くころ」は、「侵入者」の続編として平成27年に執筆した短編小説。

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以下は、他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス(ASIN: B00EJ7A5LY)

詩人の死(ASIN: B00C9F6KZI)

台風(ASIN: B00BI55HV8)

直塚万季 幻想短篇集(1)(ASIN: B00JBORIOM)

雪の二小篇(ASIN: B01CLKG4ME)


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 56歳のわたしの進行の太陽のサビアンシンボル(西洋占星術)は、松村潔『決定版!! サビアン占星術』(学習研究社、2004年)を参考にすると、「天球の合唱隊が歌っている」。

 進行天体がこの位置にあるとき、精神的には非常に充実した時期とあるので、初の歴史小説に取り組むにはよい時期ではないかと思います。

 ちなみに55歳の進行の太陽のサビアンシンボルは「落胆させられた大聴衆」。本の解説には、「この牡羊座のシンボルは一見否定的ですが、『聴衆の期待には乗らない演奏者は、自分の音楽を力強く演奏する』とも読めます。著者はこのシンボルを読む時、ストラヴィンスキーがしばしば聴衆のブーイングを浴びていたことを思い出します」とあります。

 大衆受けしない内容のキンドル本をせっせと出した55歳のわたしを表現するには、的を射たシンボルです。

 Amazonでどんな本がよく売れているかを1年間見てきて、わが国の大衆は読解力、情操共にひどく劣化しているとわたしは感じました。
 それを裏付けるような日刊SPA!の記事に「図書館司書がこっそり教える 女性が借りる人気本BEST10」というのがあって、それによると、「図書館によく来る30代、40代の女性が最近よく借りていくのはボーイズラブ系のライトノベル。たとえば、漫画化もされている『茅島氏の優雅な生活』シリーズは、返却されてもすぐ貸し出されていきますね。好きな人はBL系だけを10冊、20冊とまとめて借りますよ。常連さんは堂々と借りて行きますが、たまに、子供に借りさせてるお母さんも。子供がBL読むわけないのに(笑)。あと、子育てに関する本もよく借りていかれますね。頭のいい子の育て方とか、稼げる男に育てるにはとか、そっち方面の“育てる本”は大人気」だとか。

 日本はどうなってしまうのだろうと背筋が寒くなります

 自分も大衆の一人だと思ってきましたが、わたしは大衆の一人ではなくなってきたのかもしれません。mamamaさんとの一件からも、大衆に自分を合わせようとすることは身を滅ぼすことだとつくづく悟りました。

 作品をキンドル本にしようと思ったのは、第一に作品の保管のためでした。初心にかえり、売れようと売れまいと、今後は本を出すことだけ考えます。従って、無料キャンペーンを行うこともないでしょう


 サビアンシンボルって、本当によく当たりますよ。

 そういえば、ストラヴィンスキーも、舞台デザインを手がけたニコラス・レーリヒ(ニコライ・リョーリフ)も神智学とは縁の深い人々です。

 ニコライ・リョーリフ:Wikipedia

 ちなみに、以下は神智学協会の創設者ブラヴァツキー。
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 如何にもロシアの貴族出身という感じの写真ですね。キリッとした表情。寄らば斬るぞ。ブラヴァツキーはキリスト教や心霊主義を批判したために、ひどい目に遭いましたからね。

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 わたしはこの写真が好きです。

 以下ははてなキイワードの「神智学」より。



神智学(Theosophy)とは、神々が持っているような神聖な智慧を意味している。その名称はアレクサンドリア哲学者中、真理愛好家といわれているフィラレーテイアン派(Philaletheian)から来ており、フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理。

3世紀にアンモニオス・サッカス学派から始まった思想的潮流で、新プラトン派のプロティノスからヤコブ・ベーメに至るまで、多くの優れた哲学者、神秘家を輩出した。

神智学は、汎神論、アレゴリー的解釈法、折衷主義、直接の体験によって真理を知ろうとする神秘主義といった特徴を持つ。

 ――以上、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年)を参照。

1831年、帝政ロシア時代のウクライナ、エカテリノスラーフ(現ドニプロペトローウシク)に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、若い頃からインドの大師との深い結びつきがあり、西洋における「神聖な智慧」の伝統と東洋の秘教思想から、すべての宗教のエッセンスを抽出しようと試みた。様々な宗教体系はもともとそこから湧き出て、あらゆる秘儀、教義が成長し、具体化したのだという。1875年、神智学協会を創立して、近代における神秘主義復活運動を興す。1891年、ロンドンに没するまで、多くの著作を世に送り出した。代表作は『シークレット・ドクトリン』。

 プラトンとプロティノスには大学時代に夢中になりました。流れを辿って行くと、キリスト教に迫害されたために、神秘主義は地下に潜らざるをえなかったとわかりました(尤も、キリスト教は神秘主義の影響を受けているのですが)。そして、何とかブラヴァツキーの神智学に辿り着きました。

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 ヤコブ・ペーメも持っていますが、これはわたしにはわかりづらいものでした。今読んだら違うかもしれませんが。

 ところで、Amazon著者ページのプロフィールを、誕生日の記念に(?)更新しました。以下。

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キンドル本の出版、ブログの管理(http://elder.tea-nifty.com/blog/)、動画作成(MAKI NAOTSUKA - YouTube)を通して文学活動を行っています。

神秘主義者でもあるので、作品に神秘主義的インスピレーション、イマジネーションの反映するのがわたしの作品の特徴といえるでしょう。
神智学(Theosophy)協会の会員で、ブラヴァツキー派。

プラトン、紫式部、世阿弥、バルザック、リルケ、ジョージ・マクドナルド、リンドグレーンのファンです。
著作に神智学の影響が認められるアントニオ・タブッキ、カロッサ、ガブリエラ・ミストラル、オルダス・ハクスリーに関する研究を行っています。

佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した女性をモデルとした歴史小説にチャレンジしているところです。優秀な郷土史家から貴重な資料を沢山提供していただいたので、それを生かせなければ物書きとして情けないことと思い、奮闘中です。
この初の歴史小説に集中するため、マグダラのマリアに関する歴史ミステリーを絡めた長編児童小説『不思議な接着剤』は導入部の120枚(400字概算)で中断しています。

直塚万季は筆名。
〔2014年2月21日更新〕

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 初の歴史小説に没頭するために、基幹ブログ「マダムNの覚書」(連動的に当ブログも)の休止を考えたりもしています。でも、基幹ブログを書かなくなったら健康の記録や日々の記録がおざなりになるでしょうね。で、迷っているところなのですよ。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『茜の帳』(幻想短編小説、萬子媛に関するエッセー、俳句)、『昼下がりのカタルシス』(神秘主義小説)の無料キャンペーン、題して静かな時間にキャンペーンを実施します。

無料キャンペーン期間は、日本時間9月3日午後5時~6日午後5時ごろの3日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。


 


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 青空文庫の無料Kindle本を買うために初めて登録した3,000円のギフト券。

 そこから、初めて以下のKindle本を購入した。サンプルをダウンロードできるので、冒頭部分を読んでみてほしい。これこそ、わたしが知りたかった舞台裏である。そして、冒頭部分で既に、わたしの感じていたことのいくつかが裏付けられた。

 読了後の感想は、書くかどうかわからないが(印象が強すぎて書けない場合もあれば、読んでいる途中でつまらなくなって書く気が失せる場合もある)、目次機能を使ってざっと見たところでは、読み応えはありそう。

 電子書籍とアマゾン・プリント・オン・デマンドのみで発売されている異例の作品だそうだ。

  著者名が、本では赤羽建美になっている。案内では、赤羽達美。本にしるされているほうが正しいのだろう。

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 Kindleダイレクト・パブリッシングに本を登録するときに選択するカテゴリと、Kindleストアで表示されるジャンルとは同じではなく、ずれを感じることがある。

 カテゴリは二つまで選択できる。

 純文学小説『台風』はフィクションであり、そのうちの文学作品という大きな括りの中で、自然災害に遭遇した家族の物語というものであるので、それにふさわしいカテゴリを探すと、自然災害、その中でも台風をモチーフとしたものであるという点にリンクするカテゴリをどうしても見つけられなかった。

 一つは、フィクション>文学 を選んだ。

 でも、台風を描いたものだという点をどうしてもカテゴリに反映させたかったので、フィクションという大きな括りを離れて、自然災害を選んだ。すると、本の出版後、Kindleストアでは「文学・評論」「科学・テクノロジー」に並んだ。

 「文学・評論」はいいが、「科学・テクノロジー」となると、これは冷や汗ものだ。『台風』を登録するあたりまでは、カテゴリのずれをあまり意識しなかったが、とりあえずは本を完全に「文学・評論」の分野に戻さねばならないと思い、カテゴリの選択をし直した。

 自然災害物という拘りを棄て、

 フィクション>家庭生活

 を選んだ。しかし、この新しいカテゴリの選択がKindleストアでの『台風』のカテゴリに反映するかどうかはわからない。
「文学・評論」には、以下のジャンルがある。

・小説・文芸
・歴史・時代小説
・経済・社会小説
・ミステリー・サスペンス・ハードボイルド
・SF・ホラー・ファンタジー
・ロマンス
・エッセー・随筆
・詩歌
・戯曲・シナリオ


「小説・文芸」「経済・社会小説」あたりに並んでくれたらと思う。

 カテゴリのアメリカ様式には偏りを感じないではない。日本様式のジャンルには感覚的には馴染む。ただ、そこに並んでいる本にはアダルト、エンター系小説の類が何て多いのだろうと驚かされてしまう。

「哲学・思想」というジャンルにまでエロティックなタイトルが当たり前のようにのさばって上位を占めるこの国の人間は、もう脳が冒されているとしか思えない。

  以下は、人文・思想>哲学・思想カテゴリにおける過去30日、人気度で検索した結果(2013年3月2日23時41分)。
02 わたしの著作はアダルト系サンドウィッチの具材になっている。

 ちなみに、このページのトップは113件中97件目で、「ニーチェ[超]入門 生きるための哲学」。

 わたしは今、児童文学に一番関心があるので、ライン以下に、本の登録時に並んでいるカテゴリの中から「青少年向けフィクション」に含まれるカテゴリを抜粋、紹介しておきたい。

 そこに並ぶ豊富なカテゴリを見(これは全て青少年向けのフィクションに含まれるものなのだ)、その中の一カテゴリにすぎない「ファンタジー、魔法」に現代日本のフィクション系児童文学作品の大半が収まってしまう現実を考えるとき、日本社会のおかしさを痛感せざるをえない。

 それも日本のファンタジー、魔法物の多くが、古代形成された神話や過去に書かれたファンタジックな物語などから、好みのものを、背景の理解もなしにあちこちから盗ってきて作品に利用するという節操のない手法で書かれた、いわば、何でもありの作風のものが多い。

 アメリカ様式のカテゴリを見ていて思うのは、こまやかに、正確に青少年を見つめ、深く理解し、また薫育したいという意図なしで、これほど多くのカテゴリが存在するとは考えにくいということである。

 そこでは、たとえ空想物であれ、折り目正しさ、学識と教養、大人としての責任が求められている気がする。日本に溢れているのは、空想物というより、妄想物というべきものが多い。

 わたしの400字詰換算20枚程度の童話『マドレーヌとわたし』のカテゴリを選ぶ際、一つは「ベッドタイム・夢」を選択した。「ベッドタイム・夢」がもう一つ、「キリスト教徒」という括りの中にも存在する。

 ここで種明かしをするのもナンだが、以前からわたしのブログに来てくださっている方々は、わたしがマグダラのマリア、フランスの呼びかたで、マリー・マドレーヌのリサーチを続けていることをご存知だと思う。

『マドレーヌとわたし』は、キリスト教徒という括りには入らないが、神秘主義者という括りに入る「ベッドタイム・夢」だった。作者としてわたしはマドレーヌに、黒い聖母像の象徴性を持たせたかった。

 そして、主人公のかすみは、自覚はないが、子供でありながら、その象徴性を感じとれるだけの感性の持ち主であり、一個の神秘主義者なのだ。子供時代のわたしがそうであったように。尤も、わたしは前世修行者として死んだというと自覚があり、瞑想の習慣があったくらいだから、自覚があったといえるが……。

 一方では、マドレーヌか主人公かのどちらかが死んでしまった、あるいは不具になってしまった困惑と悲しみ、それでもなお消え去らない何かを表現しようとしたものだった。詩人と呼んでいた女友達をマドレーヌに重ねていた。

 勿論それが読者にそっくり伝わるはずもないが(そもそも、そんな書きかたをしていない)、ムードとして、ほのかにでも伝わらないだろうか――という期待も、無造作なジャンル分けの前には(今の日本ではそれで事足りるのだ)、四散してしまうものがある。

 本の登録時点では、わたしはあの作品に籠めた神秘主義的な意味合いに拘るとするなら、「青少年向けフィクション」から離れて「神秘主義」か「グノーシス主義」、あるいは「神知学」、「マリア論」なんかを選んでもよかった。少なくとも、それに応えるだけのカテゴリが用意されている。

 が、それが日本式に変換されれば、結局のところ、「絵本・児童書」の中の「読み物」に日本式ファンタジーと一緒に振りわけられるだけのことなのだ。

 ライン以下に、「青少年向けフィクション」に含まれるカテゴリ一覧を抜粋。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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