文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:電子書籍

純文学小説『結婚という不可逆的な現象』をキンドルストアで販売中です。

無事にKDPから出版のお知らせが届いてホッとしました。というのも、基幹ブログで報告したようなトラブルが発生したからでした
  • 2016年4月11日 (月)
    新しい電子書籍を作成しましたが……
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/04/post-fc75.html
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以下が新しい本です。


結婚という不可逆的な現象(ASIN: B01E3UAZ3O)

以下は、アマゾンの商品紹介から。実は、同人誌の号のところに消し忘れの漢用数字がありました。後日訂正しておきます。

かけがえのない家庭で起きた予期せぬ出来事。世間ではありふれた出来事の一つにすぎなかったが、薫子にとっては全身全霊で対処する必要に迫られた大事件であった……精緻な心理描写と哲学的な考察で個人の背後に存在するこの国の流儀を浮かび上がらせ、人生のはかない美しさを描き出す。

「侵入者」は平成19年に執筆した短編小説で、同人誌「日田文学」56号(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成20年)に発表。
「侵入者」は「文学界」7月号(文藝春秋、平成20年)・同人雑誌評蘭で今月のベスト5の一編に選ばれた。
「鶏の鳴くころ」は、「侵入者」の続編として平成27年に執筆した短編小説。

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以下は、他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス(ASIN: B00EJ7A5LY)

詩人の死(ASIN: B00C9F6KZI)

台風(ASIN: B00BI55HV8)

直塚万季 幻想短篇集(1)(ASIN: B00JBORIOM)

雪の二小篇(ASIN: B01CLKG4ME)


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純文学短篇小説を二篇収録した『雪の二小篇』をキンドルストアで販売中です。

たまたま提出者が少なかったのか、昨日の夜KDPに提出したばかりでしたが、今朝はもう出版のメールが届いていました。普段は数日かかることが多いのですが。

本のサムネイル画像が大きくなったような……。出版日は審査が行われたアメリカの日付です。本がタイムスリップしたみたい。

雪の二小篇 (純文学) [Kindle版] 
直塚万季 (著)
出版社: ノワ出版; 1版 (2016/3/4)

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キンドルストアで短編児童小説『花の女王』を販売中です。99円の短編児童小説シリーズに新しい本が加わりました。

花の女王 (児童書) [Kindle版] 
直塚万季 (著)
Kindle 価格:  ¥ 99 
ASIN: B01C7QWFHU
出版社: ノワ出版; 1版 (2016/2/24)

以下の内容紹介はAmazonから。

商品の説明

内容紹介

お稽古ごとというものは、子どもも親も頭を悩ます問題です。
この問題には、第一に経済的な問題があり、素質の問題があり、お稽古ごとに通う先の問題に地域の問題や親と子どもの社交性の問題が絡んできたりもして、そうした全てを含んだ環境を司るかに見えるある種の運命的な問題が潜んでいるようでもあります。

バレリーナを夢見ている姉の花音(かのん)とサッカーチームに入りたい弟の陽斗(はると)ですが、きょうだいは健康のためにスイミングスクールに通っています。
ある朝、陽斗は庭の石畳に落ちているミツバチを見つけました。
かれは、新米のだんご職人が花粉だんごを大きく作りすぎて体のバランスをうしない、ツツジの花から落ちたのだ――と推理します……

ファンタスティックなスパイスをふりかけた短編児童小説です。
小学三年以上で習う漢字にルビをふっています。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

■ 以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

子どもも大人も楽しめる、99円の短編児童小説シリーズ!

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

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■ 以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

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■ 以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

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■ 以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開してきた記事の中から、神秘主義者としての体験が映し出された記事をセレクトしたエッセー集の電子出版を計画しています。

このようなエッセー集は他にいくらでもありそうで、案外ないのではないかと思います。

ところで、表紙に使うロゴを作ってみようと思ったまではよかったのですが、GIMPで何気なく使っていたフォントにもライセンスの問題があることを知り、慌ててしまいました。

わたしのお気に入りで、ロゴに使用しようとしたフォントは、どうやら自由に使ってはいけないらしいことがわかりました。他のフォントを使おうとして調べても、よくわからないことが多く……

仕方がないので、商用利用可との確認ができたフリーフォントをGIMP――を構成しているファイルのうち、フォントのファイル――にダウンロードして使うことにしました。

ググってみると、参考になりそうな記事が出てきました。


フォントって、オリジナルを作るのは大変でしょうね。美しいフォントを見ると、感嘆のため息が洩れます。

前掲の記事の最初に紹介されていたのが、サイト「ドットコロン」の「Aileron」というフォントでした。

  • ドットコロン
    http://dotcolon.net/
    ドットコロンのフォントは CC0ライセンスの元、OpenType形式のファイルで公開しています。Webサイトや印刷物、ロゴタイプなどへの使用はもちろん、改変・再配布等も自由に行って頂いてかまいません。商標登録が必要なものに関しても同様です。

と書かれていて、わあ、ありがたいと思いました。さっそく使用させていただき、作ってみました。

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ノワ出版のノワはNOIXです。

フランス語で、胡桃という意味です。わたしは子供のころから自覚のあった神秘主義者でしたが、オーラが見え始めたのはだいたい『枕許からのレポート』の体験後(「マダムNの覚書」サイドバーに記事へのリンクがあります)でした。

枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)


人間が光でできた球体――卵の形そっくりです――のなかに生きているという神秘的な現象は、真善美の実在を感じさせるだけの気品を伴っています。

最初は全体を黄色にしていたのですが、空の色でもあり、霊的な太陽の色でもある――太陽の色は神秘主義的には青色です――青にして、文字を包み込ませました。

Oの中の黄身のように見える黄色が人間です。Oの白色は清らかな意識状態のときに放射される白色のオーラを表しています。Nの菫色はナイーヴで愛を求めずにいられない心を、Iの赤はプラスにもマイナスにも働く情熱や欲求を、茶色のXは煩悩や人間の苦悩、あがきを表しています。

黄身のような、点のような人間はやがて育ち、大きく羽ばたいていくのでしょう。

実は半分以上後付けなのですが、卵型は最初から考えていました。それから、なぜ胡桃が出てきたかというと、胡桃はわたしの好物だからですが、あの外観が何となく脳味噌を連想させるからです。そこから、知性をシンボライズする食べ物に見えるのですね。

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表紙に埋め込むと、こんなにちっちゃくなります。

タイトルなどに使用させていただいたのは、商用利用も可能のフリーフォント「ほのか丸ゴシック」です。


「マダムNの覚書」を始めたのは、2006年4月です。記事数は19日の記事で4,970本になりました。

ブログに記事を公開することで、書く技術を磨き、自身の体験を客観視する姿勢が保たれていると思います。

当ブログは「マダムNの覚書」から主に文学関係の記事をセレクトしたまとめブログですが、ご訪問くださるあなた様には感謝の気持ちでいっぱいです。

今後共、マダムNのサイト、直塚万季の電子書籍をどうかお見守りくださいますよう、お願い申し上げます。
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拙ブログ「マダムNの覚書」に1月11日、投稿した記事の再掲です。

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2014年12月10日(水)放送「クローズアップ現代」の「広がる“読書ゼロ”~日本人に何が~」を視聴してから、書きたいように書いた記事――特に冗談を交えて書いた記事――を一般公開することに不安を覚えるようになりました。冗談が通じないかもしれないという不安です。

番組には「1年くらい読んでない」男性、「3年に1冊読めばいい」という女性が出てきて驚かされましたが、日本人の読書量は相当に減っているようです。

読書ゼロの学生も多いようですが、インターネットは利用しているという特徴があるようです。

わたしは最近、本を読む習慣のある友人と読書ゼロに近い友人とでは、意思疎通の度合いに相当な開きが出てきたような気がしています。

友人と話していて、趣味や生活環境が異なっているというだけでは片付けられない、意思疎通の齟齬を覚えることがあり、それがなぜ起こってくるのかが以前はわかりませんでした。

が、話す頻度は高くないに拘わらず、意思疎通が円滑に行く友人との違いをピックアップして原因を探っていったら、意思疎通に齟齬のある友人には読書する習慣がなく、読書ゼロに近いという点に行き着きました。

で、これはわたしの推測の域を出ませんが、その人が自分とは関係のないことに対してはほとんど想像力が働かないために起こってくる意思疎通の齟齬ではないかと。読書の習慣は、このことに大いに関係していそうです。

中年になると、若いころとはまた異なるテーマで友人とあれこれ話したいことが出てくるのですが、相手が推理小説しか読まなかったとしても、ある新興宗教に偏った読書をしていたとしても、読書ゼロに近い友人とよりは話せるのです。全然違います。

互いに、うまく理解できなかったことは聞き返すし、理解して貰えなかったと思えば、言葉を尽くしてわかって貰おうとします。本好きの人は、そうしたことが嫌いではないことが多いということに気づきました。

本を読んでいるとき、内容がわからなくなれば、前のページに戻って読み直したりしますよね。それと同じ態度といえるのではないでしょうか。相手をわかることは悦びであり、相手に自分をわかって貰うことが幸福感につながるのです。

嫌いになったわけではないのに、何か話そうとするたびに制限がかかっているような感じがして、以前にも増して話せなくなった友人とは、心のふれあいができなかったような欲求不満や、いったことを誤解されたような不安が不安が募っていきます。

その人に嫌われたからこうなるのだろうかと思ってしまった日々がありましたが、どうもそうではなく(その人のほうから連絡してくれるので……)、その人の語彙不足や知識不足からこちらの話すことがうまく理解できない、また自分の話したいことをうまく話せない可能性があるのではないかということに思い当たりました。

わたしたちの学生時代は嫌でも本を読まされたので、そのころは本を読む人と読まない人の差がそれほどでもなかった気がします。

しかし、中年になるまで生きているうちに、本を読まない人のほうは読む人に比べて、語彙が乏しくなり、目先の知識しかなくなっている場合があると思います(まるで文盲病に冒されていくかのよう)。

この点では、職業を持っていても、いなくても、関係ない気がします。職業を持っている人にも、専業主婦にも、同じ傾向の人があるからです。

高齢となった親戚の人のなかには、隠居暮らしとなってから図書館通いしている人が珍しくありません。以前は共通の話題を必死で探さねばならなかったのに、今は相手の態度に柔らかみが増したような感じがして、自然に話せるようになったのも、読書効果かと思えるのです。

それにしても、こうも本が読まれなくなったのであれば、わたしの電子書籍など、売れるほうが不自然なくらいかもしれません。

今年に入って、幸い2冊売れましたが、お買い上げいただいたのはいずれも外国のキンドルストアででした。

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『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)の完成がようやく見えてきました。

 細かな脚注の作成がようやく終わり、やれやれといったところです。あとは頭が禿げてきそうな校正が待っていますが、何回も読み直しながらの脚注作成だったので、今度こそ近日公開できると思います。
 追記:販売中です 

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

 と意気込んでいるのは本人だけで、買ってくださる方があろうとはあまり思えません。幸いキンドルストアの棚に並べておいても埃がつくでなし、追い立てられるでもなし、本当に恵まれた状況を享受できるのはアマゾンさまのお陰と感謝しています。

 この本は、内容の多くを(整理しないままですが)ブログで公開しているため、KDPセレクトには登録できず、従って無料でダウンロードして貰うというわけにはいかず、買っていただくことはそれ以上に望めないでしょう。

 わたしが図書館から借りる本は、地下の公開書庫に収められているものが多く、古びているという他は新品状態であったりします。最近ではハンス・カロッサ全集、アントニオ・タブッキの須賀敦子訳のものなども、そのような状態にあったのを借りました。

 自分のキンドル本をそのような貴重な本と比べてどうこういえるわけもありませんが、あのような本ですら地下で眠ることも多いのだと思えば、わたしもがんばろうという気持ちになれるのですね。

 ただ、未熟な自分の本は仕方がないとしても、本は面白ければよいという現在の日本の常識といいますか、風潮は明らかに異常で、そんな「常識」をわたしは中学三年生くらいのときから、感じ始めました。本を読む者は暗い、といわれ出したのです。中学三年生というと、1973年。

 1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までといわれる高度成長期。高度成長期が過ぎようとしている頃からの現象ということになります。

 本を読む者は暗い、本は面白ければいい、という価値観は商業主義やマルキシズムと関係があるとわたしは考えてきました。

 今回出す予定のキンドル本は、400字概算で100枚弱の芥川賞受賞作品のレビュー集ですが、関連する小論も収録しています。Collected Essaysの第2巻ということになりますが、Collected Essaysは日本の文学界を総合的に分析していこうという私的試みです。

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)がそうした試みの始まりの本です。

 わたしは『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)を作成しながら改めて、マルキシズムの唯物論が日本の文学に及ぼした影響の大きさを思わないわけにはいきませんでした。

 新しい試みとしてYouTubeで始めた聴く、文学エッセイシリーズ№1「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状でも、その点をほのめかしています。

 収録した小論の中の「バルザックと神秘主義と現代」は基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開したものですが、キンドル本の公開に先駆けて、再度ここにご紹介しておきたいと思います。

 青字の漢数字は脚注、緑色は引用部分です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆


バルザックと神秘主義と現代

 わたしの大好きなバルザックは五十一歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。

 わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。

 バルザックの『谷間の百合』十七ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。

 数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。

 『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(一七四三 - 一八〇三)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。

 神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。

 バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。

 引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。


        そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。[略]そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。[略]思念からほとばしり出る明るい光は、[略]


 肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。

 学者、透視家であったスヴェーデンボリ(一六七七 - 一七七二)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』十八。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきかを追究している。


        わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。


 さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない「宇宙単一論」が展開され、バルザックは数について考察する。


        貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。


 『絶対の探究』十九には近代錬金術師が登場して、「絶対元素」を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウス『化学概論』全八巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。

 主人公バルタザル・クラースはアルキメディスの言葉「ユーレカ!(わかったぞ!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』二十のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。

 自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。


        「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。[略]あるとき観念は群れをなして生まれる。[略]観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。[略]」


 漸次、こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。

 以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。

 神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは一八五〇年のことであるが、彼が『あら皮』――この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である――を書いた年、一八三一年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、「秘められた叡智」を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(「達成した者」を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している――ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった――が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』二十一と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』二十二の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」といっている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(一八一八 - 一八八三)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。


        従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。


 以上は、昭和三十六年に東京創元社から出された、『バルザック全集』弟三巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和三十六年当時の「現代」を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を「リアリズムの最も偉大な勝利の一つ」と賞賛した。バルザックが自らの「階級的同情」と「政治的偏見」を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。


        神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。二十三


 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。


        言葉の中身よりも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界三月号」、一九九八年)


 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が「無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている」ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。 

一九九八年


十七 
石井晴一訳、新潮社、平成三年

十八 蛯原徳夫訳、角川文庫、一九五四年

十九 水野亮訳「『絶対』の探求」(『バルザック全集 第六巻』水野亮訳、東京創元社、平成七年)

二十 水野亮訳「ルイ・ランベール」(『バルザック全集 第二十一巻』加藤尚弘&水野亮訳、東京創元社、平成六年)

二十一 田中恵美子訳、竜王文庫、平成九年

二十二 『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成八年)

二十三 川口浩、山村房次、佐藤 静夫『講座文学・芸術の基礎理論〈第1巻〉マルクス主義の文学理論』 (汐文社、一九七四年、第二部)

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 アマゾンのキンドルストアで販売中の電子書籍『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』の表紙を作り直しました。

 表紙がごちゃごちゃしている感じがして気になっていたのでした。

 商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」で写真素材をお借りし、フリーで使える高機能なグラフィックソフト「GIMP」で何か面白い加工ができないかとあれこれやっていたら、「フィルター→下塗り(R)→パターン→ジグソーパズル」でジグソーパズルのように加工できることがわかり、やってみました。1ピース背景色に塗り、出来上がり。

 夫に見せると、前の表紙画像よりこちらのほうがタイトルに合うといってくれたので、こちらに決めました。宣伝文句を入れなかったぶん、すっきりとなりました。またそのうち、作り直したくなるかもしれませんが。

 前に「足成」からお借りしていた写真素材もそうですが、どの写真にも物語が秘められているようで、閲覧するだけで楽しくなります。稚拙な技術力なのにお借りするのは申し訳ない気がします。写真素材を提供してくださっている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 内容は同じです。

 この作品は当ブログで一部を公開してしまっているので、KDPセレクトに登録できず、無料キャンペーンができません。

 で、表紙を新しくしたこの機会に、既に過去記事で紹介済みではありますが、「はじめに」「あとがき」「第二版のあとがき」を以下に紹介しておきます。

 これらを書いた時期は異なっています(早い日付順)。

 これらに加えて、基幹ブログ「マダムNの覚書」で予告した新しい本『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』の「はじめに」を合わせて読んでいただければ、34年のあいだに著者――直塚万季――が村上春樹に関する情報をどう更新していったかが、おわかりいただけるかと思います。わが国の状況、文学界がどう変わっていったかも、大まかなところは。

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓


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「はじめに」


 本書のもととなった作品は、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれ、村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだった二〇〇九年に執筆したものでした。文芸同人雑誌『日田文学 57号』(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、二〇〇九年五月)に掲載していただいたもので、本書ではそれに加筆・訂正を行っています。

 作品の冒頭で、わたしはブログ「マダムNの覚書」に公開中の小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」の二〇〇六年から二〇〇九年まで続いているヒットに驚いているのですが、この「はじめに」を書いている時点――二〇一二年四月――でも依然として、「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」は異常なアクセス数を誇っています。ただこれには、名もない、あまり宣伝もしていない個人のブログにしては……という但し書きをつけなくてはなりませんが。

 ところで、わたしは比較的最近になって、児童文学に関する研究を行うようになりました。その中で、心理学者、元文化庁長官であった河合隼雄の村上春樹に対する影響を考えないわけにはいかなくなりました。河合の影響は、村上春樹、小川洋子、吉本ばなな、梨木香歩といった作家たちに強く及んでいるばかりか、精神医療、教育、児童文学――ファンタジー――への影響の大きさ、また雇用の創出力という点においても、河合には一専門家とか一文化人という言葉では括ることのできない桁外れなところがあると感じさせられました。
 河合のことを調べていて特に注意を惹かれたのは、教育界への影響として「心のノート」問題、精神医学界への影響として「臨床心理士」資格問題でした。調べれば調べるほど、河合隼雄には疑問点が出てくるのですが、それにもかかわらず――いや、それだからこそ、というべきでしょうか――河合が日本人の精神をある時期、意のままにした怪物的存在であったことは間違いありません。
 河合隼雄についても、いつか書かなければならないと考えています。

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「あとがき」                 

「はじめに」を書いたときから、さらに一年近い時が流れました。その間に、アマゾン キンドルの日本進出があり、わたしのようなアマチュア・ライターにも、セルフ・パブリッシングの機会が訪れました。
 作品を同人雑誌に発表したときからすると、四年もの歳月が流れたことになりますが、内容的にはまだ有効と思われましたので、この度の電子出版と相成ったわけでした。
 アマゾン キンドル、無料で写真素材を提供してくださっているサイト「足成」、ブログ「マダムNの覚書」を開設させてくださったココログ、そして二〇〇六年四月十二日の開設の頃からブログをご訪問くださっている方々に、深く感謝を申し上げます。

  二〇一三年三月十五日

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「第二版のあとがき」


 第二版では、誤字脱字の修正、表紙画像とフォントサイズの変更、奥付の作成などを行いました。「あとがき」を書いたときから半年が過ぎ、その間また一つ、村上春樹に関して意識に上ってきた事柄がありました。
 本文で書いているように、村上春樹の人気には色々と引っかかるところがあったのですが、もう一つ、わたしの中で解けない謎があったのです。アメリカで売れているというのもわたしには意外ではあったのですが、言論統制が行われている中国、韓国で大ヒットしている理由となると、もっとわかりませんでした。韓国では軍隊でも大層人気があるようですし、またロシアでも人気があるようです。
 アメリカ、中国、韓国、ロシア。
 その謎が、最近の緊迫した中国、韓国との関係や、それと関係のある慰安婦問題、南京事件について調べる中で、いくらか解けました。言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずです。その国々の人々が無邪気に楽しむだけであろうと、国家の戦略的視点は別なのです。
『海辺のカフカ』には第二次大戦中に心的障害を負ったナカタという人物、『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件が出てきたはずだと思い、再読してみました。以前読んだときは戦争がエンターテイメント的に利用された軽い小説だと考えたのですが、いやいや思いのほか著者の政治思想が読みとれる二作品ではありませんか。
 戦争がエンターテイメント的に利用されているというよりは、著者の思想の正当性を裏付けるために、南京事件やノモンハン事件が利用されていると感じられました。村上春樹の小説は心地よい、ムーディーな一面を持っていますが、その本質は存外に硬質で、イデオロギー色の濃い社会主義思想なのではないでしょうか。
 作家としての村上春樹の問題点は、一九三八年に発表された石川達三の『生きている兵隊』などと比較してみた場合によりはっきりしてきます。
『生きている兵隊』は南京事件に関与したとされる第十六師団三十三連隊に取材して書かれたものですが、フィクションとはいえ、全てが歴史的事実であったのかと思わされるくらい、よく調べて書かれています。戦争の諸相が暗いトーンで描かれており、残酷な場面も数々出てくるのですが、全体から石川のバランス感覚が読みとれ、各場面の隅々まで、著者の神経の行き渡っているのが感じられます。
 しかし、村上春樹の『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニカル』では全体にどこか抽象的で、主人公と著者との間に距離感がなく、他の登場人物は狂言廻し的です。悪や暴力を描くためにノモンハン事件や南京事件が利用されたという印象を拭えません。それも無造作にです。春樹には、色々な本からお気に入りの断片を拾ってきてアクセサリーのように利用する癖があることを、わたしは本文中で指摘しました。そのように気ままに拾われて挿入された断片は、本来の性質をとどめていず、著者自身の断片でしかないのですが、ノモンハン事件であろうと、南京事件であろうと、同じやり方で利用されたのです。
 村上春樹は作中の主人公となって、架空の敵と戦っています。その架空の敵とは、旧日本軍であり、天皇制であり、大東亜共栄圏という思想であり、戦争そのものであり、端的に暴力であり、究極の悪なのです。これらは皆一緒くたとされてしまっています。
 これでは子供のチャンバラごっこと何ら変わりないのですが、当の著者、ファンたち、評論家でさえ、そのことに気づいていないらしいことに戦慄を覚えざるをえません。日本人作家自らが得々として自虐史観を散りばめた小説……中国、韓国、ロシア、またアメリカにも、村上春樹を歓迎する理由がありましょう。
 こうして見ていくと、村上春樹の小説には、戦後日本人の精神的な歩みがまるごと刻まれているといっても過言ではありません。当然ながらその歩みは、世界的な思想の潮流と無関係ではありません。
「はじめに」で書いた河合隼雄との関係をファンタジーへの影響という観点から探っていくと、河合隼雄独特の恣意的なユング解釈が第一の問題点として目につきますが、河合を名誉会長とした「絵本・児童文学研究センター」理事長兼所長をつとめる工藤左千夫の重要視するシュタイナーの影響なども――ニューエイジ・ムーヴメントの分析と併せ――第二の問題点として調査する必要が出てきます。まあ、このあたりになりますと、わたしの専門領域となります。

 不安定な健康状態と何とか折り合いをつけながら続編を書きあげたいと思っていますが、相当に時間がかかりそうなので、以上続編でアプローチしたい事柄をざっと挙げてみました。

  二〇一三年九月二十九日
                                                                        直塚万季

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました

typhoon_blog

 アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『台風』の無料キャンペーン、題して備えあればキャンペーンを実施します。

 無料キャンペーン期間は、太平洋標準時11月14日~18日(日本時間11月14日午後5時ごろ~19日午後5時ごろ)の5日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。

 日本列島が台風に見舞われていた時期には、かえって『台風』の無料キャンペーンが気持ち的にできませんでした。

 気候変動で、日本にいても、海外にいても、台風に遭遇することが以前より多くなりました。小説を通して台風のことを知っていただければと思います。

 台風被害に遭った実体験をもとに執筆した小説で、これを読んでいただければ、風雨が強まってから避難することの困難さがおわかりいただけるかと思います。

 といっても、この小説は台風自体がテーマというわけではなく、台風に遭遇した一家族の物語です。第22回織田作之助賞最終候補になった作品です〔選考委員は川上弘美、杉山平一、辻村登の各氏。結果発表誌は「文学界」5月号(文藝春秋、平成18年)〕。

 この『台風』でアマゾン キンドルの新しい販促ツールKindle Countdown Dealsを試したいと思い、登録を済ませてホッとしたあとで、そういえば、これ、アメリカとイギリスのアマゾンでしか使えなかったのではなかったかしら……と思い出し、確認したところ、やはりそうでした。

 思い出さなければ、カウントダウン・キャンペーンがいつまでも始まらないことに、不安を募らせたことでしょうね(アメリカとイギリスのアマゾンでは始まったでしょうが)。

 早く日本でも使えるようになればいいのに、と思いながら、Kindle Countdown Dealsの登録を削除し、新しく、いつもの無料キャンペーンを登録しました。

『台風』では過去に5月、7月と無料キャンペーンを実施していて、今回は11月と間が空きましたが、今後も無料キャンペーンを行うかどうかはわからないので、読んでみたいという方には、この機会にダウンロードなさることをおすすめします。

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有料ですが、サンプルをダウンロードできます。

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 忌川さんのブログはキンドル情報サイトで、キンドルに関するあれこれ、キンドル作家、キンドル本のことなどが紹介されています。

 以下のリストは凄いですね。

 カタログなんてのもあって……

 わたしのキンドル本のカタログもありました。

 以下は、アマゾン キンドルストアに出ている忌川さんの『ひとりぼっちのグルメ』。無料で読む方法もあるようです。詳しくは忌川さんのブログのこのページ

 飄々とした、不思議な味わいのある物語。読んでいると、おなかが空いてきますよ。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました


アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』の無料キャンペーン、題して「秋空をペガサスに乗って」キャンペーンを実施します。

太平洋標準時10月25日、日本時間10月25日午後5時ごろ~26日午後5時の1日限りです。

スフレチーズケーキのように、ふんわり豊かな読後感……大人も子供も楽しめる物語です。ペガサスは、7月以来、3ヶ月ぶりのキャンペーンです。

無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』が「つんどく速報」で紹介されました

  • 「数百年を生きる魔女にしてロリ幼女」「ボイジャー探査機の画像まとめ」熱いコメントが寄せられた作品を一挙ご紹介!(10月9日号)
    http://bookdi.gger.jp/archives/33736945.html

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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 キンドルで販売中のわたしの評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に内容面の変更はないのですが、いろいろと気になるところが出てきたので、第二版を出しました。以下は第二版のあとがきです。

「第二版のあとがき」

 第二版では、誤字脱字の修正、表紙画像とフォントサイズの変更、奥付の作成などを行いました。「あとがき」を書いたときから半年が過ぎ、その間また一つ、村上春樹に関して意識に上ってきた事柄がありました。
 本文で書いているように、村上春樹の人気には色々と引っかかるところがあったのですが、もう一つ、わたしの中で解けない謎があったのです。アメリカで売れているというのもわたしには意外ではあったのですが、言論統制が行われている中国、韓国で大ヒットしている理由となると、もっとわかりませんでした。韓国では軍隊でも大層人気があるようですし、またロシアでも人気があるようです。
 アメリカ、中国、韓国、ロシア。
 その謎が、最近の緊迫した中国、韓国との関係や、それと関係のある慰安婦問題、南京事件について調べる中で、いくらか解けました。言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずです。その国々の人々が無邪気に楽しむだけであろうと、国家の戦略的視点は別なのです。
『海辺のカフカ』には第二次大戦中に心的障害を負ったナカタという人物、『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件が出てきたはずだと思い、再読してみました。以前読んだときは戦争がエンターテイメント的に利用された軽い小説だと考えたのですが、いやいや思いのほか著者の政治思想が読みとれる二作品ではありませんか。
 戦争がエンターテイメント的に利用されているというよりは、著者の思想の正当性を裏付けるために、南京事件やノモンハン事件が利用されていると感じられました。村上春樹の小説は心地よい、ムーディーな一面を持っていますが、その本質は存外に硬質で、イデオロギー色の濃い社会主義思想なのではないでしょうか。
 作家としての村上春樹の問題点は、一九三八年に発表された石川達三の『生きている兵隊』などと比較してみた場合によりはっきりしてきます。
『生きている兵隊』は南京事件に関与したとされる第十六師団三十三連隊に取材して書かれたものですが、フィクションとはいえ、全てが歴史的事実であったのかと思わされるくらい、よく調べて書かれています。戦争の諸相が暗いトーンで描かれており、残酷な場面も数々出てくるのですが、全体から石川のバランス感覚が読みとれ、各場面の隅々まで、著者の神経の行き渡っているのが感じられます。
 しかし、村上春樹の『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニカル』では全体にどこか抽象的で、主人公と著者との間に距離感がなく、他の登場人物は狂言廻し的です。悪や暴力を描くためにノモンハン事件や南京事件が利用されたという印象を拭えません。それも無造作にです。春樹には、色々な本からお気に入りの断片を拾ってきてアクセサリーのように利用する癖があることを、わたしは本文中で指摘しました。そのように気ままに拾われて挿入された断片は、本来の性質をとどめていず、著者自身の断片でしかないのですが、ノモンハン事件であろうと、南京事件であろうと、同じやり方で利用されたのです。
 村上春樹は作中の主人公となって、架空の敵と戦っています。その架空の敵とは、旧日本軍であり、天皇制であり、大東亜共栄圏という思想であり、戦争そのものであり、端的に暴力であり、究極の悪なのです。これらは皆一緒くたとされてしまっています。
 これでは子供のチャンバラごっこと何ら変わりないのですが、当の著者、ファンたち、評論家でさえ、そのことに気づいていないらしいことに戦慄を覚えざるをえません。日本人作家自らが得々として自虐史観を散りばめた小説……中国、韓国、ロシア、またアメリカにも、村上春樹を歓迎する理由がありましょう。
 こうして見ていくと、村上春樹の小説には、戦後日本人の精神的な歩みがまるごと刻まれているといっても過言ではありません。当然ながらその歩みは、世界的な思想の潮流と無関係ではありません。
「はじめに」で書いた河合隼雄との関係をファンタジーへの影響という観点から探っていくと、河合隼雄独特の恣意的なユング解釈が第一の問題点として目につきますが、河合を名誉会長とした「絵本・児童文学研究センター」理事長兼所長をつとめる工藤左千夫の重要視するシュタイナーの影響なども――ニューエイジ・ムーヴメントの分析と併せ――第二の問題点として調査する必要が出てきます。まあ、このあたりになりますと、わたしの専門領域となります。

 不安定な健康状態と何とか折り合いをつけながら続編を書きあげたいと思っていますが、相当に時間がかかりそうなので、以上続編でアプローチしたい事柄をざっと挙げてみました。

  二〇一三年九月二十九日
                                                                        直塚万季

 第一版のあとがきを書いてからわずか半年間で、村上春樹に対するわたしの認識がまた変化――深まったというべきでしょうか――したので、まだ続編を出すには時間がかかりそうですが、そのことに「第二版のあとがき」で触れておきたかったということがありました。

 ちなみに「はじめに」は以下。

 本書のもととなった作品は、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれ、村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだった二〇〇九年に執筆したものでした。文芸同人雑誌『日田文学 57号』(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、二〇〇九年五月)に掲載していただいたもので、本書ではそれに加筆・訂正を行っています。

 作品の冒頭で、わたしはブログ「マダムNの覚書」に公開中の小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」の二〇〇六年から二〇〇九年まで続いているヒットに驚いているのですが、この「はじめに」を書いている時点――二〇一二年四月――でも依然として、「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」は異常なアクセス数を誇っています。ただこれには、名もない、あまり宣伝もしていない個人のブログにしては……という但し書きをつけなくてはなりませんが。

 ところで、わたしは比較的最近になって、児童文学に関する研究を行うようになりました。その中で、心理学者、元文化庁長官であった河合隼雄の村上春樹に対する影響を考えないわけにはいかなくなりました。河合の影響は、村上春樹、小川洋子、吉本ばなな、梨木香歩といった作家たちに強く及んでいるばかりか、精神医療、教育、児童文学――ファンタジー――への影響の大きさ、また雇用の創出力という点においても、河合には一専門家とか一文化人という言葉では括ることのできない桁外れなところがあると感じさせられました。河合のことを調べていて特に注意を惹かれたのは、教育界への影響として「心のノート」問題、精神医学界への影響として「臨床心理士」資格問題でした。調べれば調べるほど、河合隼雄には疑問点が出てくるのですが、それにもかかわらず――いや、それだからこそ、というべきでしょうか――河合が日本人の精神をある時期、意のままにした怪物的存在であったことは間違いありません。
 河合隼雄についても、いつか書かなければならないと考えています。

 この作品は当ブログで一部を公開してしまっているので、KDPセレクトに登録できず、無料キャンペーンができません。400円は電子書籍の価格から考えると高いようにも思え、安くすることも考えましたが、評論としては短い作品ではありませんし、心血注いだ作品ですので、これくらいの価値はあるかなと思いました。既にお買い上げいただいた方々とのバランスということもありますから。


 アマゾンのKindleストアで販売中の児童小説『すみれ色の帽子』の無料キャンペーン、題して読書の秋・第1楽章」キャンペーンを実施中です。
後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました 

無料キャンペーン期間は、昨日から6日午後5時までの4日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 と表示されます。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
「静かな時間に」無料キャンペーンのご報告です。

茜の帳:初回キャンペーン「静かな時間に」
太平洋標準時9月3日~5日(日本時間9月3日午後5時~6日午後5時)完了

  • Amazon.jp(日本) 224
  • Amazon.de(ドイツ) 1
  • Amazon.co.ca(カナダ) 1
  • Amazon.co.br(ブラジル) 1

昼下がりのカタルシス 初回キャンペーン「静かな時間に」
太平洋標準時9月3日~5日(日本時間9月3日午後5時~6日午後5時)完了

  • Amazon.jp(日本) 283
  • Amazon.de(ドイツ) 2

 Kindle作家応援サイトでキャンペーン情報を流していただいたことが、これまでにないダウンロード数につながったと思います。大変ありがたかったです。

 次回からはこれまでのペースに戻ると思いますが、コツコツやっていきたいと考えています。

 それから、このキャンペーン期間中に児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』を1冊お買い上げいただきました。ありがとうございます!

 有料でお買い上げいただいたのは6冊目でした。キャンペーンでダウンロードしていただいた分と合わせると、50冊ダウンロードしていただいたことになります。

 サンプルをダウンロードできます。
   ↓

 KDPでの自己出版は増えているのでしょうか、減っているのでしょうか。出版社モノが増え、自己出版モノからは何となく、以前の活気が失せたような感じを受けるのですが。

 KDPでの自己出版がどんなものかがわかり、イベント的に盛り上がっていた物書きたちの興奮が波が引くように冷めてしまったということでしょうか。

 今後、素人の物書きにも拓けたこの場がどう変わっていくのかわかりませんが、出したいと思う本をただで出せるありがたみを噛みしめつつ、マイペースでやっていきたいと思っています

 今後共、管理人のサイト及び電子書籍をお見守りくださいますよう、よろしくお願い致します。

 お知らせですが、誤字を訂正し、若干の加筆を行い、(画像がぼやけた感じだった)表紙をリニューアルした『茜の帳』3版を出しました。

 現在はいずれも有料ですが、サンプルをダウンロードできます。
  ↓


 台風の季節に如何ですか。サンプルをダウンロードできます。
  ↓

 99円シリーズ。サンプルをダウンロードできます。
  ↓

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『茜の帳』(幻想短編小説、萬子媛に関するエッセー、俳句)、『昼下がりのカタルシス』(神秘主義小説)の無料キャンペーン、題して静かな時間にキャンペーンを実施します。

無料キャンペーン期間は、日本時間9月3日午後5時~6日午後5時ごろの3日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。


 


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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました

眠れぬ夜にキャンペーン……実施中
純文学小説「台風
日本時間7月12日午後5時ごろ~15日午後5時ごろ
アマゾンのKindleストア、直塚万季「台風」のページ
 

出遅れましたがキャンペーン……実施中
純文学小説(日記体)「詩人の死
日本時間7月13日午後5時ごろ~16日午後5時ごろ
アマゾンのKindleストア、直塚万季「詩人の死」のページ
 

真夏の空へキャンペーン……予定
児童小説「田中さんちにやってきたペガサス
日本時間7月14日午後5時ごろ~16日午後5時ごろ
アマゾンのKindleストア、直塚万季「田中さんちにやってきたペガサス」のページ

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
台風の季節に、台風体験をもとにした純文学小説『台風』は如何でしょう? 

アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『台風』(純文学小説)の無料キャンペーン、題して「眠れぬ夜に キャンペーン」を実施中です

無料キャンペーン期間は、日本時間7月12日午後5時~15日午後5時ごろの3日間となります。無料期間中はダウンロード画面で ¥0 と表示されます。

※無料になるのは、ダウンロード画面で ¥0 と表示されている間だけです。くれぐれもお間違えのなきようお願いいたします。



 まことに申し訳ありませんが、同時にキャンペーン予定だった『詩人の死』(純文学小説)は設定ミスにより、実施が1日延びます

統合失調症という難病を抱えながら詩人として生きた女性の最期の日々を友人の日記で綴った『詩人の死』……。

こちらは、日本時間7月13日午後5時~16日午後5時ごろの3日間となります。
題して「出遅れましたが キャンペーン」です
無料期間中はダウンロード画面で ¥0 と表示されます。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
 以前は電子書籍の無料キャンペーン、また有料本をお買い上げいただいたときも、すぐに感謝とご報告の記事を書いていましたが、現在は1週間くらいの時間を置いて書くようにしています。

 すると、どうしてもご報告を忘れがちになります。昨日ご報告するはずでしたが、日付が変わって思い出しました。

 児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』のKDPセレクトによる2回目の無料キャンペーン「光よ風よキャンペーン」は日本時間6月13日午後5時~15日午後5時に完了し、Amazon.jp(日本)で10冊ダウンロードしていただきました。

 2回目となると、閑古鳥が鳴くだろうと予測していましたが、10冊もダウンロードしていただけて嬉しく思いました。

 1回目の「最初の羽ばたきキャンペーン」では日本で24冊、アメリカ(インドを含む)、イギリス、ドイツで1冊ずつ、計27冊ダウンロードしていただきました。

 これに有料でお買い上げいただいた3冊を加えると、40冊。ペガサスは40方向にはばたいたことになります。

 2月上旬から4月上旬にかけて8冊の電子書籍をKDPで自己出版しましたが、その後、すっかり中だるみしてしまいました。ようやくエンジンがかかり、作成中です。

 作成中の『茜の帳』は三部構成で、第一部が小説『茜の帳』、〔付録〕エッセー『萬子姫抄』。第二部が俳句(祐徳稲荷神社にて三句)、第三部がブログ「マダムNの覚書」からセレクトした記事です。

 萬子媛への捧げ物にふさわしい本になるよう、気を引き締めて完成させなければと思っています。

 以下は、なるべく早く電子書籍にしたいと思っている作品です。

  • ハンサムな画家が主人公の神秘主義短編小説『露草
  • 日本舞踊の美人師匠を女主人公にして周囲に人気があった中編小説『銀の潮
  • 故三枝和子先生が評価してくださった中編小説『救われなかった男の物語
  • 社会&心理分析に重きを置いた中編小説『地味な人
  • 死者と生者の思想的対決を描いた、神秘主義短編小説『昼下がりのカタルシス
  • 歴史エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察
  • バルザックと神秘主義と現代』ほかバルザックに関するエッセー集
  • 当ブログからセレクトしたエッセー集のまずは第1巻
  • 芥川賞受賞作品を対象とした評論集のまずは第1巻

 パブーで販売中の以下の本も作り直して、Kindleストアで販売したいと思っています。

  • 日記体児童小説『すみれ色の帽子
  • 幻想短編集『杜若幻想・フーガ・牡丹

 電子書籍の作成と創作意欲は連動する傾向にあるので、創作に入りたくなってきましたが、それまでに3冊は仕上げたいと考えています。


 現在は有料ですが、サンプルをダウンロードできます。
     ↓

以下の本は一部を公開中なので、KDPセレクトに登録できず、無料キャンペーンできませんが、ぼちぼち売れています。当ブログで公開中の「村上春樹現象の深層」と合わせてお読みください(これもいずれ電子書籍化の予定です)。
特に、村上春樹の作品に違和感を覚えていらっしゃる学校の先生にお読みいただければと思います。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』(児童小説)の二回目の無料キャンペーン、題して「光よ風よ キャンペーン」を実施します。


無料キャンペーン期間は、日本時間6月13日午後5時~15日午後5時ごろの2日間となります。無料期間中はダウンロード画面で ¥0 と表示されます。

無料になるのは、ダウンロード画面で ¥0 と表示されている間だけです。くれぐれもお間違えのなきようお願いいたします。 

 一回目のキャンペーン時に、まるく堂様がレビューを書いてくださいました。

まるく堂の電子書籍やろうぜ!
http://marukudo.hatenablog.com/

 2013-04-21
 恐れながらのレビュー(二回目)、「田中さんちにやってきたペガサス」
 http://marukudo.hatenablog.com/entry/2013/04/21/014042 

以下のブログパーツはダウンロード画面・ショッピングカート画面へのリンクにすぎません。プログパーツの価格表示にはタイムラグがありますので、ご注意ください。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
「純文学はいかが?」無料キャンペーンの予告です♪

アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『台風』『詩人の死』の無料キャンペーン、題して「純文学はいかが? キャンペーン」を実施します。

無料キャンペーン期間は、日本時間5月12日午後5時ごろ~14日午後5時ごろの2日間となります。無料期間中はダウンロード画面で ¥0 と表示されます。

純文学小説がお好きな方、また普段は純文学に馴染みがないという方も、無料キャンペーンを利用してダウンロードしてみられてはいかがでしょうか。
2冊同時にキャンペーンを行いますが、勿論、どちらか一方だけのダウンロードも可能です。

 ※無料になるのは、ダウンロード画面で ¥0 と表示されている間だけです。くれぐれもお間違えのなきようお願いいたします。プログパーツの表示にはタイムラグがありますので、ご注意ください。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
 KDPセレクトの無料キャンペーン、題して「最初の羽ばたきキャンペーン」を日本時間4月20日午後5時ごろ~21日午後5時ごろに実施しました。遅くなりましたが、この記事はそのご報告です。

 まず、ダウンロードくださった皆様、どうもありがとうございました。

 リポートを見ますと、以下のようになっていました。


無料配布数(キャンペーン)

• Amazon.co.jp(日本のアマゾン)=24冊
• Amazon.com(アメリカのアマゾン、インドを含む)=1冊
• Amazon.co.uk(イギリスのアマゾン)=1冊
• Amazon de(ドイツのアマゾン)=1冊

 キャンペーン前、『田中さんちにやってきたペガサス』は2冊お買い上げいただいただけでした。なるべく多くの人に読んでいただくためにはKDPセレクトに登録して無料キャンペーンを活用するのがいいかもしれないと思い、実行に移したのでした。

 予想以上にダウンロードしていただき、望外の悦びでした。また、海外で1冊だけ『マドレーヌとわたし』をお買い上げいただいたことはありましたが、それからは梨のつぶてでしたので、アメリカ、イギリス、ドイツでもダウンロードしていただけるとは意外でした。

 以下の画像は、Amazon de(ドイツのアマゾン)のわたしのページの一部です。

amazon_de_blog

 海外でも無料キャンペーン期間中は、ちゃんと無料表示されていました。

 以下の画像は拡大図。

amazon_de_blog2



 プログパーツにはタイムログがあります。

 息子の女友達が『田中さんちにやってきたペガサス』の英訳にチャレンジしてくださっており、完訳に至るかどうかわかりませんが、もし完訳となれば、『田中さんちにやってきたペガサス』の英訳版を海外で販売することにも期待できそうな気がしてきます。

 最終的な目標は、海外の出版社から『田中さんちにやってくるペガサス』を商業出版することです。勿論、日本の出版社からそうできたら一番いいのですが、現在のわが国の児童文学界を見ていると、それは望み薄かと悲観せざるをえません。

 KDPセレクトで無料キャンペーンを行うには、「同じ本を他のサイト(ご自身のウェブサイトやブログなどを含む)でデジタル版として配布することはできません。ただし、印刷版の本またはデジタル版以外の形式の本を配布することは引き続き可能です」という制限があります。

 ですから、現時点では、当ブログで公開中の『枕許からのレポート』、一部を公開している『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は対象外となります。またパブーで販売中の『すみれ色の帽子』『幻想短編集 - 1 杜若幻想・フーガ・牡丹』もそうで、この2冊は楽天koboでも販売中なのです。この2冊、近いうちにKDPから出版予定なのですが、今のままですとKDPセレクトには登録できません……。

 koboでは他に『病院で』『マドレーヌとわたし』を無料配信していますが、ワープロソフト一太郎を購入する前に作成したものなので、仕上がりにいささか不満です。この2冊をkoboから外したいのですが、うーん。どうすれば外せるのか、わかりません。

 現在、新しくKDPセレクトに登録する本を検討中です。

『田中さんちにやってきたペガサス』はキャンペーン後は本来の価格に戻っておりますが、引き続きKindleストアでご購入いただけます。

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓

 以下は、無料ではありませんが、99円で購入できる短編児童小説です。『卵の正体』が売れています。

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
 アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』(中編児童小説)の無料キャンペーン、題して「最初の羽ばたきキャンペーン」の実施中です。

 無料キャンペーン期間は、日本時間4月20日午後5時ごろ~21日午後5時ごろとなります。

 電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』を無料購入(無料入手)なさりたい方は、以下のブログパーツ画像をクリックして、アマゾンのKindleストアへ行かれてみてください。
 

 
 そちらでは、以下の画像のように、Kindle価格 ¥0  と表示されています。


Pegasus0_blog

 無料キャンペーン「最初の羽ばたきキャンペーン」期間の終了後は、本来の価格表示に戻り、有料476円となります。

 この機会に、大人も子供も楽しめる『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードしてみませんか。あなた様のもとへ幸運のペガサスが羽ばたいていってくれることでしょう。

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました
 アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』(中編児童小説)の無料キャンペーン、題して最初の羽ばたきキャンペーンを実施します。

 無料キャンペーン期間は、日本時間4月20日午後5時ごろ~21日午後5時ごろとなります。期間中はそのように表示されると思います。

 この機会に、大人も子供も楽しめる『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードしてみませんか。あなた様のもとへ幸運のペガサスが羽ばたいていってくれることでしょう。

 これは、KDPセレクトの企画です。KDPセレクトに本を登録すると、キャンペーン用ツールを利用できるので、『田中さん……』を登録してみたのです。キャンペーンは90日ごとに最長で5日間無料で行うことができます。あと4日残っていますので、今後3ヶ月間のどこかで、また無料キャンペーンを実施する予定です。

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 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をKindleストアで販売中です

 昨日の夜、Kindleダイレクト・パブリッシングに本を提出し、数時間後にはレビュー(審査)が終わって、出版完了のメールが届きました。

 ホッとしました。

 この評論を電子書籍にしておく必要性を覚えながらも、億劫で仕方がありませんでした。辛口のこの評論をその存在だけで快く思わない人々も少なくはないだろうと想像できるからです。

 が、基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開していたとき(評論の核となったブログ生まれの小論は、これまで通り「マダムNの覚書」で公開中です)、反論を多くいただきましたが、それと同じくらいの共感、感謝のメールもいただきました。

 村上春樹に関しては、今の日本で書かれている評論のほとんどが護教的なものです。内輪で楽しむためのものです。まともな批評は書けない、ということも耳にしたことがあります。わたしは幸か不幸かプロではなかったために、こうした作品が書けたのかもしれません。

 わたしが学生の頃までは(30年以上も前の話になりますが)、評論の分野は今よりずっと活発だった……というより、今の日本では現在活躍中の作家に対する評論というものがまともに機能していないのではないかとさえ思えます。宣伝の手段になってしまっています。それ以外の作家の研究、評論に関しては、この限りではないのでしょうが。

 言論の自由がありそうで、ない現実。時折、戦慄を覚えてきたのは、わたしだけだったのでしょうか。

 誕生日に息子が贈ってくれた沢山の百合を見ながら、電子化作業を進めましたが、KDP に本の提出を終えてホッし、ふと百合を見ると、最後まで咲いていた百合が散っていました。百合が見守ってくれていたような気がしました。

 サンプルをダウンロードできます
         ↓

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 Kindleダイレクト・パブリッシングに本を登録するときに選択するカテゴリと、Kindleストアで表示されるジャンルとは同じではなく、ずれを感じることがある。

 カテゴリは二つまで選択できる。

 純文学小説『台風』はフィクションであり、そのうちの文学作品という大きな括りの中で、自然災害に遭遇した家族の物語というものであるので、それにふさわしいカテゴリを探すと、自然災害、その中でも台風をモチーフとしたものであるという点にリンクするカテゴリをどうしても見つけられなかった。

 一つは、フィクション>文学 を選んだ。

 でも、台風を描いたものだという点をどうしてもカテゴリに反映させたかったので、フィクションという大きな括りを離れて、自然災害を選んだ。すると、本の出版後、Kindleストアでは「文学・評論」「科学・テクノロジー」に並んだ。

 「文学・評論」はいいが、「科学・テクノロジー」となると、これは冷や汗ものだ。『台風』を登録するあたりまでは、カテゴリのずれをあまり意識しなかったが、とりあえずは本を完全に「文学・評論」の分野に戻さねばならないと思い、カテゴリの選択をし直した。

 自然災害物という拘りを棄て、

 フィクション>家庭生活

 を選んだ。しかし、この新しいカテゴリの選択がKindleストアでの『台風』のカテゴリに反映するかどうかはわからない。
「文学・評論」には、以下のジャンルがある。

・小説・文芸
・歴史・時代小説
・経済・社会小説
・ミステリー・サスペンス・ハードボイルド
・SF・ホラー・ファンタジー
・ロマンス
・エッセー・随筆
・詩歌
・戯曲・シナリオ


「小説・文芸」「経済・社会小説」あたりに並んでくれたらと思う。

 カテゴリのアメリカ様式には偏りを感じないではない。日本様式のジャンルには感覚的には馴染む。ただ、そこに並んでいる本にはアダルト、エンター系小説の類が何て多いのだろうと驚かされてしまう。

「哲学・思想」というジャンルにまでエロティックなタイトルが当たり前のようにのさばって上位を占めるこの国の人間は、もう脳が冒されているとしか思えない。

  以下は、人文・思想>哲学・思想カテゴリにおける過去30日、人気度で検索した結果(2013年3月2日23時41分)。
02 わたしの著作はアダルト系サンドウィッチの具材になっている。

 ちなみに、このページのトップは113件中97件目で、「ニーチェ[超]入門 生きるための哲学」。

 わたしは今、児童文学に一番関心があるので、ライン以下に、本の登録時に並んでいるカテゴリの中から「青少年向けフィクション」に含まれるカテゴリを抜粋、紹介しておきたい。

 そこに並ぶ豊富なカテゴリを見(これは全て青少年向けのフィクションに含まれるものなのだ)、その中の一カテゴリにすぎない「ファンタジー、魔法」に現代日本のフィクション系児童文学作品の大半が収まってしまう現実を考えるとき、日本社会のおかしさを痛感せざるをえない。

 それも日本のファンタジー、魔法物の多くが、古代形成された神話や過去に書かれたファンタジックな物語などから、好みのものを、背景の理解もなしにあちこちから盗ってきて作品に利用するという節操のない手法で書かれた、いわば、何でもありの作風のものが多い。

 アメリカ様式のカテゴリを見ていて思うのは、こまやかに、正確に青少年を見つめ、深く理解し、また薫育したいという意図なしで、これほど多くのカテゴリが存在するとは考えにくいということである。

 そこでは、たとえ空想物であれ、折り目正しさ、学識と教養、大人としての責任が求められている気がする。日本に溢れているのは、空想物というより、妄想物というべきものが多い。

 わたしの400字詰換算20枚程度の童話『マドレーヌとわたし』のカテゴリを選ぶ際、一つは「ベッドタイム・夢」を選択した。「ベッドタイム・夢」がもう一つ、「キリスト教徒」という括りの中にも存在する。

 ここで種明かしをするのもナンだが、以前からわたしのブログに来てくださっている方々は、わたしがマグダラのマリア、フランスの呼びかたで、マリー・マドレーヌのリサーチを続けていることをご存知だと思う。

『マドレーヌとわたし』は、キリスト教徒という括りには入らないが、神秘主義者という括りに入る「ベッドタイム・夢」だった。作者としてわたしはマドレーヌに、黒い聖母像の象徴性を持たせたかった。

 そして、主人公のかすみは、自覚はないが、子供でありながら、その象徴性を感じとれるだけの感性の持ち主であり、一個の神秘主義者なのだ。子供時代のわたしがそうであったように。尤も、わたしは前世修行者として死んだというと自覚があり、瞑想の習慣があったくらいだから、自覚があったといえるが……。

 一方では、マドレーヌか主人公かのどちらかが死んでしまった、あるいは不具になってしまった困惑と悲しみ、それでもなお消え去らない何かを表現しようとしたものだった。詩人と呼んでいた女友達をマドレーヌに重ねていた。

 勿論それが読者にそっくり伝わるはずもないが(そもそも、そんな書きかたをしていない)、ムードとして、ほのかにでも伝わらないだろうか――という期待も、無造作なジャンル分けの前には(今の日本ではそれで事足りるのだ)、四散してしまうものがある。

 本の登録時点では、わたしはあの作品に籠めた神秘主義的な意味合いに拘るとするなら、「青少年向けフィクション」から離れて「神秘主義」か「グノーシス主義」、あるいは「神知学」、「マリア論」なんかを選んでもよかった。少なくとも、それに応えるだけのカテゴリが用意されている。

 が、それが日本式に変換されれば、結局のところ、「絵本・児童書」の中の「読み物」に日本式ファンタジーと一緒に振りわけられるだけのことなのだ。

 ライン以下に、「青少年向けフィクション」に含まれるカテゴリ一覧を抜粋。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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直塚万季のページ

気が向いたら、遊びに来てくださいね
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 童話『マドレーヌとわたし』をkindleストアで販売中です。これで、Kindle本は4冊になりました。

 昨日心臓の発作が起きてから、あまり体調がよくないので、もう1冊続けて出したいと思っていた純文学小説『台風』は、ゆっくりやることにしました。

 校正ができていたのはここまでで、これ以降の電子出版には1冊ごとに時間がかかりそうです。

 自著宣伝のためには、その前に著者セントラル(著者紹介ページ)を作成すべきかもしれませんが、どこまで紹介すればいいのか、頭を悩ませているところです。ずっとご無沙汰していたサイト「作品発表広場」に行ってみました。どうプロフィールを書いたっけ?と思い……。

 現時点で、「作品発表広場」に発表されている作品数は1331点です。1月の作品販売数は27点。絵画、イラスト、彫刻、工芸など制作なさっているかたで、自由に売りたいという方々にとっては、一つのよい場ではないでしょうか。

「文芸の作品」は現在41で、書道作品が主になっている様子です。

 わたしのページはずっと風に吹かれていて、作家登録を取り消すべきかどうか、迷っていますが、賞狙いでおかしくなりかけていたときにお誘いが来たときは、嬉しかったことを思い出します。

 賞を経て出版社を通すというスタンダードな道とは別の――作家活動をできる新しい――道が拓けるかもしれない、とまではさすがに思えませんでしたが、別の視点を与えられたという点で意義がありました。

 AmazonのKindleストアでアマチュアが本を、それも無料で出すことができるようになるなどとは、その当時は想像すらできませんでした。

 大手出版社のブランド力には大きなものがありますが、文学に関する限り、大手出版社は過去の遺産の恩恵を受けているだけで、新しいよい書き手の発掘ができていないと思います。

 その原因の一端が下記の出来事に表れているような気がします。

 ある大手出版社の文芸雑誌の定期購読をしていたとき、住所変更の件だったか何だったか忘れましたが、連絡の必要があり、電話をしたのですが、担当の人がお休みだったようで、編集部につながりました。

 若い男性の編集者が電話に出られたのですが、その口調の冷たかったこと。見下したような、意地の悪さがありました。おそらく作家志望者と見られたためでしょうが、わたしはそのとき、単に一購読者、つまり客として接していたのです。

 流通業で働いた経験からすれば、ああも無意味に傲慢な店員の存在など考えられないことで、もしいたとしたら、苦情が殺到することは間違いないでしょう。それに、作家の卵をあまり甘く見ないほうがいいと思いますがね。

 わたしは、その出版社の文芸誌の何代目かの編集長の名刺を持っていました。青春の記念にとっておくつもりでしたが、どこかへ行ってしまいました。

 サンプルをダウンロードできます。
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 短編児童小説『病院で』をkindleストアで販売中です。

 本を登録するときに、本の詳細の項目でタイトル、フリガナ、ローマ字を入力するようになっているのですが、ここで入力したローマ字タイトルがそのまま、海外のKindleストアでタイトルとして表示されていました。

 ならば、いっそ英語タイトルを入力したほうがいいのかどうか。

 わたしは一時日本語版に英語タイトルの併記を考えたりしていましたが、息子と息子の女友達が、わたしが今日本語版として出している作品を英訳してくれる可能性が出てきました(あくまで可能性があるという程度の話です)。

 そうなると、わたしがテキトーにタイトルを英訳してローマ字登録した場合、将来出す可能性のある英語版のタイトルと違ってくるかもしれず、それはまずい気がします。

 ナンにしても、これまではタイトルをローマ字で入力するとき、無造作に入力していました。今後は、単語間に空白を設けるなどの読みやすい工夫をしなければと反省したところです。

 イタリアのKindleストアでもわたしの本はちゃんと出ていましたが、例えば娘が文通しているフィレンツェの書店主さんは日本語をローマ字で読み書きなさいます。少しずつ平仮名も勉強なさっているようですが、日本語の初心者でローマ字でなら読めるという人々もいるということを考えなければと思った次第。

 そうした人々が日本語が上達した暁には、買ってくださるかもしれないではありませんか。電子書籍に関しては長期的なスパンで見ていきたいと思います。ただで長く置いておけるのですから、今すぐに売れなくてもいいのです

『マドレーヌとわたし』の次に出版を予定している純文学小説『台風』については、海外在住の日本人だけではなく、日本語ができない人々にも台風について書いてある小説ということだけでもわかるように、タイトル自体に英語タイトルを組み込んで『台風(TYPHOON)』というタイトルにしようかな。

 いやー、色々と改善すべき点が出てきます。現在Kindleストアに出ているわたしの本はどれも第1版。よりよいものにしたいときは著者が自由に版を重ねることができるわけで、この自由度の高さはありがたい!

 とはいえ、あとで不備を直せるからといった気持ちの緩みにつながってはいけませんから、自戒が必要かと。

 iPhone、Android、iPadで読書できるKindle無料アプリを、Kindleストアでダウンロードできますよ。
 サンプルのダウンロードができます
   ↓

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 Kindleストアで現在2作品を販売しています  本を登録するときに、下記のような販売地域の選択項目があります。


電子書籍を出版する権利を保有している販売地域を選択してください

〇全世界の権利―すべての地域
〇特定の販売地域―地域を選択してください



 わたしは「全世界の権利―すべての地域」を選択しました で、海外のKindleストアでも販売されているかどうか、確認をとってみました。

 海外のKindle拠点は、アメリカ、カナダ、ブラジル、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、中国に置かれています。

 このうち、中国だけが、出てきませんでした。他のKindleストアでは、検索窓に「NAOTSUKA MAKI」と打ち込めば、きちんと表示されます。

 漢字で打ち込んでみても、反応なし。検閲に時間がかかっているのか、端から撥ねつけられているのか……

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 短編児童小説『卵の正体』をKindleストアで販売中です。一番に登録した『田中さんちにやってきたペガサス』より、出版完了までの時間が短かったような気がします。

 Amazonからのメールに、今回も著者セントラル利用のおすすめがありました。無料で利用できます。自著の宣伝にはありがたいページであるようなので、早く書かなければと思いつつ、つい後回しになっています。

 著者セントラルというのは、amazonで表示できる著者ページのことで、略歴、イベント情報、写真、ビデオ、Twitterを追加することができ、著者書籍一覧が表示されます。

 カテゴリー「絵本・児童書」は登録数が少ないほうだと思います。この記事を書いている時点では、399。この中には、パブリックである青空文庫のKindle本も含まれています。「すべての小説・文芸」は16,110で、このうち「日本の小説・文芸」は14,327。

 子どもは電子書籍リーダーで読むことは少ないでしょうし、特に絵本などは紙の本で読むほうがいいだろうなという気はします。

 校正に時間がかかりそうなので、今のところ放置状態の拙評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』はカテゴリー「文学・評論」に登録することになると思いますが、このカテゴリーの登録数は28,153。埋もれてしまいそうです。

「ノンフィクション」の登録数は1,636と意外に少ないので、拙手記『枕許からのレポート』を先に電子書籍化するのもいいかもしれません。

 このカテゴリーに一般人の自分史が溢れていないことは意外ですが、自分史の執筆をするほとんどが中年・高齢者でしょうから、電子書籍化は面倒と感じさせるのかもしれません。

 ちなみにコミックスのサンプルをダウンロードしてKindle Paperwhiteで読んでみると、色付きのページは白黒になってしまうのでしょうが、思ったより読めました。

 研究のために、目についたKindle本はサンプルをダウンロードしています。芥川賞受賞作品『abさんご』もサンプルをダウンロードして読んでみましたが、やはりわたしの印象としては趣味の文芸。宣伝がなければ、素人の作品と思ったかもしれません(ファンのかたにはすみません)。

 Paperwhiteで読むと、書店に並んでいるプロ作家の作品は本の装丁、広告の助けを相当に得ているということがわかりますわ。加えて素人の作品はどうしても校正不足が目立つので、そこのところをしっかりとやることで、素人のKindle作家の地位向上(?)に貢献することができると考えます。

 サンプルをダウンロードできます。
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