文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:神智学

拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で連載していた、「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程」が完結しました。
そのうち当ブログに転載したいと思っていますが、とりあえず、リンクを張っておきます。
目次 

    ① 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面(80
    ② ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ(81
    ③ 18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想(82
    ④ フリーメーソンとなったピエールがイルミナティに染まる過程(83
    ⑤ イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(104
    ⑥ テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界(105
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マダムNの覚書」 に 2017年10月12日 (木) 20:14 投稿した記事の再掲です。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。
63 心霊主義に傾斜したメーテルリンクの神智学批判と、風評の原因
  http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/09/15/161504
わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

「あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

「人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。
さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)
ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。
医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)
娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。
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マダムNの覚書」に 2016年7月 7日 (木) 16:02 投稿した記事の再掲です。
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月一回、家族でカルディコーヒーファームへコーヒー豆を買いに行くことが恒例の行事となっている。そのときに観たい映画があれば、観ることにしている。

夫に比べたらあまり観たい映画がないわたしと娘は商業施設内をブラついたり、お茶を飲んだりすることのほうが多いが、今回はあった。『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』。
『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』は『アリス・イン・ワンダーランド』の続編である。

2本の映画はうまい具合につながっていた。続編となる本作は、ルイス・キャロルの原作からはますます遠ざかっていたけれど、楽しめた。上映方式は2Dと3D。3Dで観たかったが、映画代のことを考え、2Dで我慢した。

映画については少し触れるだけにしておこうと思うが、ネタバレあり
アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅 

原題……Alice Through the Looking
監督……ジェームズ・ボビン
脚本
……リンダ・ウールヴァートン
原案
……ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
製作総指揮
……ティム・バートン
出演者
……ミア・ワシコウスカ,ジョニー・デップ,ヘレナ・ボナム=カーター,アン・ハサウェイ,サシャ・バロン・コーエン
音楽
……ダニー・エルフマン
主題歌
……『ジャスト・ライク・ファイア』 - P!nk
撮影
……スチュアート・ドライバーグ
編集
……アンドリュー・ワイスブラム
製作年
……2016年
製作国
……アメリカ
配給
……ディズニー
上映時間
……113分
上映方式
……2D/3D

マッドハッターと家族の再会、女王姉妹の絆の回復のためにアリスが時間を超えて働く……手短にいえば、そのようなお話。

前編では結婚を拒否したアリス。本作のアリスは未亡人となった母親が切実な思いから娘に押し付ける世間体及び女性らしい安定した生き方を冒険後に受け入れかけるが、土壇場で母親のほうがそれらを蹴飛ばす。

母娘で意気揚々と、手放さなかった船に乗り込む結末は清々しい。嵐が来たらひとたまりもないかもしれないリスクを恐れない強さがあって。続々編も観たいものだ。

前編を観たとき、赤の女王の頭の形はなぜハート形に膨張しているのかと不思議に思っていた。その謎が本作で解ける。

前編ではアン・ハサウェイ演ずる白の女王の存在感が際立っていた。本作ではオーストラリア出身の女優ミア・ワシコウスカ演ずる主人公アリス・キングスレーが存在感を増していた。

わたしは帽子職人マッドハッター演ずるジョニー・デップが好きで、デップ独特の物柔らかに訴えかけるかのような人懐こい表情にはほろりとさせられるのだが、今回もその表情を見せてくれて安心した。

サシャ・バロン・コーエン演ずるタイムもなかなか魅力的で、目が離せなかった。ヘレナ・ボナム=カーター演ずる赤の女王は今回も弾けた、味のある演技をしていた。

子役達が素晴らしい演技をしていた。前編と本作がよくつながっていたように、子役と大人の役者もよくつながっているように見えた。それにしても、日本の子役のようなわざとらしさが全くないのはどういう工夫によるのだろう?

映像が美しくて、夢のようだった。海賊とやり合う航海シーンや遊園地のような楽しいシーンがあったので、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『チャーリーとチョコレート工場』を連想した。

嫌な事件がよく起きる昨今、こういう映画を観るとホッとする。以下にディズニー公式YouTubeチャンネルの予告編を貼っておく。

そういえば、原作者のルイス・キャロルに関することだが、神智学の影響を受けた人々を探している中でルイス・キャロルが神智学に関心を持っていたことがわかった。

神智学ウィキによると、彼は心霊現象研究協会の会員で、神智学に何らかの関心を持っていた(A・P・シネットのEsoteric Buddhism(『エソテリック ブディズム』)のコピーを所有していたといわれている)。→Lewis Carroll,http://www.theosophy.wiki/en/Lewis_Carroll(2016/7/7アクセス)

心霊現象研究協会(SPR)は神智学協会の会員だったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースが友人達とつくった会だった。

心霊現象研究協会の会員によって公開されたホジソン・リポートはブラヴァツキーが誹謗中傷される原因を作ったが、ホジソン・リポートの虚偽性は1977年に心霊現象研究協会の別の会員ヴァーノン・ハリソンによって暴かれた。

ブラヴァツキーが生きていたそのころ、神智学協会はロンドンの社交界の流行になり、指導的な知識人や科学者、文学者達が訪れていた。→ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981、p.265)参照。

サロンのようなオープンな雰囲気があったようだから、様々な人々が神智学協会に興味を持ち、訪れたようである。ルイス・キャロルもその中の一人だったのだろうか。あるいは、神智学協会との接触のある心霊現象研究協会の会員を通じて神智学論文のコピーを入手したのかもしれない。

ホジソン・リポートを根拠に、心霊現象研究協会を神智学協会の上位に位置付けて対立構造を煽るような書かれかたをされることも多いが、実際には心霊現象研究協会は神智学協会の知的で自由な、開かれた雰囲気のなかから生まれた会であった。

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拙ブログ「マダムNの覚書」に2016年6月5日、公開した記事の再掲です。

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レスリー・プライスによって1985年に設立された「Theosophical History(神智学史)」という神智学組織には無所属の、神智学のすべての側面に専念独立した学術雑誌の記事を、たまたま閲覧した。

アムステルダム大学の Marco Pasi によって書かれた、ジョスリン・ゴドウィン英訳 Theosophy and Anthroposophy in Italy during the First Half of the Twentieth Century (二十世紀前半のイタリアにおける神智学と人智学)という論文であった。

掲載された学術雑誌の編集方針からして、どちらかというと批判的な傾向があるのではないかと思ったが、閲覧した論文は格調が高く、優れた論文だと思った。

あちこち閲覧しているうちにTheosophical History Vol XVII/4 (October 2014)に吉永進一という名を発見して驚いた。基幹ブログ「マダムNの覚書」の過去記事で出した名を連想したからだった。リンダ・ハリスという人が2014年国際神智学史会議での吉永氏のプレゼンテーションを紹介しているらしい。

Marco Pasi 氏の学術的な芳香漂う論文とゴシップみたいな論文とは対照的で、月とスッポン……いやいや、わたしの勘違いで同姓同名に違いない、とすら思う。

そのあと、togetterの「神智学協会が日本に与えた影響」に出くわした。

  • 神智学協会が日本に与えた影響
    togetter.com/li/268593

そこには笠井潔というこれも「マダムNの覚書」の過去記事で書いた覚えのある名を発見した。

  • 「マダムNの覚書」2009年11月23日 (月)
    Notes:不思議な接着剤 #30/カタリ派について#3
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/11/otes30-fedf.html

    昨夜、カタリ派信仰を持つ女性がヒロインで、そのモデルはかの実存主義系フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユというミステリー、笠井潔著『サマー・アポカリプス』(創元推理文庫、1996)を読んだ……とはいえないお粗末な読みかたで、20分くらいで拾い読みしただけだが、全体のあらましは掴めたと思う。
    かのシモーヌ・ヴェイユにはトンデモ役が二重に振られていて、ミステリーとはいえ、驚いてしまった! ヴェイユは美形だから、人気があるようだが、こんな使われかたをしていたとは。カタリ派に触れたヴェイユの論文まで引用されていた。作品のムード、事件の追跡の仕方はダ・ヴィンチ・コードなどの系統だろう が、歴史の謎解きを絡める主要な線では残念ながら不成功で、どちらかというと単なる人殺しに終わっていた。ここから、ヴェイユの思想、異端カタリ派、グ ノーシス、原始キリスト教などに入れば、一興かもしれないが……。

以下は、ウィキペディアからの引用であるが、注意して読んでいただきたい箇所を赤字にした。純文学崩壊の元凶はこの男だったのかと思った。そういえば当時、文芸雑誌でそんな記事を読んだ気がする。

笠井潔(1948 -)
小説家、推理作家、SF作家、文芸評論家。
小説家としての仕事と平行して思想家・哲学者としての仕事も旺盛に展開する。 『テロルの現象学』でマルクス主義と完全に決別し、以後「マルクスに依拠しない左翼思想」を模索しつづけ、思想史には「マルクス葬送派」(小阪修平、長崎浩)と呼ばれる思潮に属する。この思潮を発展させ、1995年の『国家民営化論』では、反資本主義ではなく、逆に
資本主義を徹底化させて国家を解体させるというアナルコ・キャピタリズムの思想を明確に打ち出した。 また、1990年代から「純文学の終焉」を唱え、これに反対する立場の笙野頼子からの反発を招いた。
ウィキペディアの執筆者. “笠井潔”. ウィキペディア日本語版. 2016-03-29. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AC%A0%E4%BA%95%E6%BD%94&oldid=59140394, (参照 2016-06-05).

何年も執拗な純文学バッシングとエンター系作家が持ち上げられる現象が続いた。デビューできたはずの純文学作家がどれだけ闇に葬られたことだろうか。
日本では純文学作家が世に出られない仕組みが児童文学含めて完全に出来上がってしまった。かつての純文学系商業誌の新人賞は流通業界における新商品を生み出すようなアイディア戦――ひねりを入れた軽薄なものであればあるほど絶賛される――となり、芥川賞受賞作品からは人間性の追究や求道性が完全に失われ、純文学系ともエンター系ともいえない――どちらのよさも見い出せない――、概ね日本語に欠陥のある奇怪な代物と成り果てた。

そしてtogetter にはYOSHINAGA Shin'ichi という名も発見したが、ウィキペディア「吉永進一」の外部リンクの項目に「YOSHINAGA Shin'ichi - 本人のサイト」とあったので、吉永進一氏と同一人物と思われる。

明治期に神智学がどう影響したかがやり取りされていた。博識に驚かされるとともに、研究対象をまるでゲームのアイテムのように扱っている印象を受け、愕然とした。「神智学の好きなクマ」という方の書き込みに唯一ホッとさせられた。引用させていただく。

神智学の好きなクマ    2014-08-26 08:13:52

神智学を偏見なく見るには、批評家の書いたものではなく、神智学の本そのものを見たほうが良いです。決しておかしいことは言っていないことがわかるでしょう。その目指すところも、決してオカルトめいた変な方向ではないんですね。
人間は物質界だけで生きるものではないと、精妙な世界のことを教えたのが神智学でした。唯物主義のコチコチに凝り固まった人々に現象を見せた時期もあったのですが、それは物質以外の世界もある、と示す目的があったからですね。当時の西洋において。

そもそも、神智学がどんなものであるかを知らずに、神智学に関係した研究ができるのだろうか。三浦関造について論じた吉永氏の文章を閲覧したとき、この人は神秘主義というものがどんなものであるのかまるで知らないとしか思えなかった。

吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」
『宗教研究』84 巻2 輯(2010年)
ci.nii.ac.jp/naid/110007701175  (2015/12/27 アクセス)
神智学は神秘主義思想なので、内的体験を通さなければ理解できない。オーラが見えなければ、オーラに関するブラヴァツキーの解説は仮説として置いておくほかはない。

資料を沢山集めて博識ではあるのだろうが、理解を伴っていない。だから、吉永氏の描く三浦関造にしても、ブラヴァツキーにしても、その人らしさが形作られていない。

昔の話になるが、わたしは三浦先生の講演テープを聴いたことがあった。その闊達な溌剌とした滋味のあるお声は、わたしのヴィジョンに現れた先生の印象に符合するものであった。吉永氏の描く三浦関造は、吉永氏でしかない。

いずれにせよ、吉永氏はせめて博識でないとおかしい。ウィキペディアの外部リンクに「吉永進一 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース」があり、吉永氏が一員となっている――代表となっている場合もある――種目の研究グループに配分されている助成金の額を見ると、貧乏物書きの――プロですらない――わたしはのけぞってしまうからである。

文系への助成金としてはそれが普通なのかもしれないし、多いのかむしろ少ないのか、どうであろうか。いずれにせよ、当然ながら出来上がった論文との釣り合いから妥当な配分かどうかがわかるだろう。

オープンアクセスできる論文には日数を費やしても当たってみたいと考えている。どういう論文に助成金がどのように配分されているのか、国民の一人として興味があるし、日本国の将来の学術のために知る権利と義務がある。

これまでの内容と無関係とは思えない話であるが、togetterに広告が掲載されていて、ブラヴァツキーがゲームのキャラに登場したことを知り……(絶句)。

  • FGO参戦によってにわかに注目を集める(?)ブラヴァツキー夫人
    togetter.com/li/957750

神智学協会が魔術協会の下部組織……霊媒アイドルブラヴァツキーちゃん……アカシックレコードオリコン入り……などというおしゃべりを閲覧。

ゲームがきっかけで神智学の本を読んでみようという気になっていただけたら、神智学協会にとってはいい宣伝になるのかもしれないが、これまでにも神秘主義はゲームで散々玩具にされただけのように思える。

海外の神智学関係者の方々に申し訳なく、日本人として情けない。だが、面白ければ何をしてもいい、否こんなことが面白いと感じる国民性は本来の日本人のものとも思えない。

低俗・低レベルな文系研究者にも不適切な助成がなされてきたことと、心の拠り所と品性を見事なまでに喪失した日本人の今日のあり様とが無関係なはずがない。さらにいえば、「資本主義を徹底化させて国家を解体させるというアナルコ・キャピタリズムの思想を明確に打ち出した」ような危険思想の持主がぬくぬくと儲け、泳ぎ回れるような甘い日本でいいのだろうか。

明治期における神智学の影響については明治政府の廃仏毀釈という文化破壊とあわせて、わたしもいずれ研究してみたいと考えている。時間はかかっても、神智学協会ニッポンロッジ、竜王会の機関誌に投稿できるくらいのレベルには持っていきたい。

いやできるなら、海外の神智学関係者、前掲の海外の雑誌「Theosophical History」の編集者にも日本の特殊な事情を知っていただけるレベルのものに完成させたい。そのレベルのものに仕上がったらの話だが、幸い、神智学協会ニッポンロッジ、竜王会には英語の堪能な方々がおられるので、英訳をお願いすることも可能ではないかと思う。



基幹ブログ「マダムNの覚書」における関連記事:

おすすめしたい旬の本。余命プロジェクトチームの本は3冊出ているが、以下の本から入ると理解しやすい。

余命三年時事日記ハンドブック  単行本(ソフトカバー),Kindle版
余命プロジェクトチーム (著)
出版社: 青林堂 (2016/3/17)
ISBN-10: 479260544X
ISBN-13: 978-4792605445


以下はKindle版拙著。当記事と合わせて読んでいただければと思う。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に10月6日、公開したエッセーの再掲です。
August_Macke_-_Three_girls_in_yellow_straw_hats_I
August Macke アウグスト・マッケ (1887–1914) 
Three girls in yellow straw hats I,1913年,キャンバス 油絵.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

わたしはエッセー28(「マダムNの神秘主義的エッセー」)で自身の未熟な、いわゆるテレパシー体験について、日記体小説『詩人の死』で書いた断片を引用した。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。
*

*直塚万季『詩人の死』Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI

一般に想像されているテレパシー現象とは違うと思うところがあるので、それを書いておきたい。

これはエッセー29のオーラについて書いたことから想像して貰えるといいのだが、わたしのそうした能力は次第に拓けていったので、自然にコントロールされているということだ。これは、いずれは誰にでも拓ける性質のものであるようだ(そうでなければ、わたしは自分の体験を書こうとは思わないだろう)。

大師とか聖者とかいわれるような方々なら話は別だろうが、平凡で卑小なわたしが自分から――つまりは世俗的な動機で――神秘主義的な能力を駆使して何かを知りたいと思えば、そのとたんに受信能力は低下し、自分で自分の雑念を受信するのがオチである。賞狙いのときにそれを実感して恐ろしかった。

もし自然にコントロールされていなければ、刺激過多、情報過多でおかしくなってしまうだろう。

だから、世俗的な要求に応じられるような能力はまず霊媒能力だろうとわたしは思う。

スピリチュアル・ブームで、催眠術による前世探求や超能力開発が流行っているようだが、霊媒になったり、狂ったりしたくなければ、やめたほうがいいと警告したい。

催眠術は神秘主義では黒魔術である。お金を使って拓けるような神秘主義的能力などない。

だが、スピリチュアル・ブームの責任をブラヴァツキーになすりつけるのは誤りである。ブラヴァツキーが生きていたころも、彼女が有名になる以前から既にスピリチュアル・ブームはあった。

彼女の著作を読むと、古代からそうした危険なブームがあったことがわかる。

ブラヴァツキーは心霊現象を詳細に調べ、分析して、心霊主義の誤りと危険性を警告したというのに、彼女の代表作さえ読んでいない――か読む能力を欠いた――ウィリアム・ジェームズ、コリン・ウィルソン、ルネ・ゲノンといった人々やその信奉者たちに好き勝手に誹謗中傷され、彼女の貴重な警告は搔き消されてきた。

彼らの論拠となってきたのが、あとで述べるSPRの「ホジソン報告」である。

テレパシーについて、ウィキペディアでは次のように解説されている。

テレパシー (Telepathy) は、ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されることで、 超感覚的知覚 (ESP) の一種で、超能力の一種。 mental telepathy の短縮形。漢字表記では「精神感応」とも。
「テレパシー」という言葉は、1882年にケンブリッジ大学のフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース教授によって提案された。この言葉ができる以前は、思考転写 (thought-transference) と呼ばれていた 。
 *

*ウィキペディアの執筆者. “テレパシー”. ウィキペディア日本語版. 2015-01-04. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC&oldid=53999724, (参照 2015-10-05).

1882年に心霊現象研究会(Society for Psychical Research、略称 SPR)が設立されたが、フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースは設立者の一人であった。
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F. W. H. Myers
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SPRは「ホジソン報告」でブラヴァツキーに汚名を着せ、神智学協会の社会的信用を失墜させた。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』の解説で、高橋巌は次のように書いている。

一九八六年になって、SPR(ロンドンの心霊研究協会)は、HPBの欺瞞性を暴露したといわれた「ホジソン報告」(一八八四年)について亡き夫人に謝罪し、百年来の論争に終止符を打った、とのことである。 *

*H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年、「解説 魂の遍歴」p.501

だが、SPRの「ホジソン報告」の影響は現在にまで及んでいる。

SPRは現在も活動しており、ホームページを閲覧してみたが、ざっと見たところでは、そこに過去の出来事としての「ホジソン報告」やブラヴァツキーに対する謝罪の言葉などはない。

Society for Psychical Research
http://www.spr.ac.uk/

彼らの目的は、次のようなものだという。

Our aim is to learn more about events and abilities commonly described as "psychic" or "paranormal" by supporting research, sharing information and encouraging debate. *

*参照 2015-10-05

スピリチュアル・ブームの源泉は、心霊主義に警鐘を鳴らしたブラヴァツキーであるはずがない。

源泉は、ブラヴァツキーの神智学の影響を――どの程度か――受けながらも、考え方が違うために神智学協会と袂を分かった人々の中にいると思われる。今も活動を続けているこのSPRも、そうといえるのではないだろうか。

というのも、ブラヴァツキーの伝記『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を再読して気づいたのだが、マイヤースは神智学協会の会員だったようである。

 マイヤーズは詩人であり、傑出した古典文学者で、長い間、F・T・Sといわれている神智学協会の会員でした。「セオソフィスト」誌のコラムはこの人の為の長い答で賑わっており、この答を書くのはHPBの悩みの種でした。
 マイヤーズは神智学協会に関係のある超常現象に特別な興味をもっていました。彼もその友人達も皆、博学な人達でしたが、最近、自分達の特別な協会をつくり、このような現象の研究をはじめました。この新しい組織はサイキック研究会(S・P・R)と呼ばれ、その会員達は、科学者が軽べつして避けている――サー クルックスのような例外も、二、三人いましたが――捕らえどころのないサイキック領域に、近代科学の具体的技術を適用したいと思いました。
*

*ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年、p.265

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』の用語解説には、次のようにあった。

心霊研究会(Society for Psychical Research)
 心霊現象を調べるために1882年2月にロンドンで創立された学会。その創立者の中に神智学協会のメンバーが何人もいたので、初めのころは協会と協力的な態度をとっていたが、1884年にブラヴァツキー夫人の現象を調べるためにリチャード・ホジソンをインドに派遣し、翌年の『報告書』で夫人を『詐欺師』や『ロシアのスパイ』と非難した。『報告書』の偏った扱い方のために、神智学協会は却って同情を得て、会員は三倍ほど増えた。
*

*H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年、用語解説pp.14-15

Society for Psychical Researchのホームページには「我々の目的は学術調査を支援し、情報を共有し合い、討論を奨励することによって、一般的に『サイキック』あるいは『超常現象』といわれるような出来事からもっと学ぶことにあります」と謳われているが、彼らのいう学術調査そのものが、危険性を伴うことに未だに気づいていないのだろうか。

psychic(サイキック)について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』の用語解説には、「サイキ(psyche、ギリシア語の「プシュケ」)即ち魂と関係のあるという意。魂とは、高級マナスを意味することもあるが、「サイキック」の場合は、低級マナス以下の本質を指すことが多い」(ブラヴァツキー、田中&クラーク訳、平成7年、用語解説p.11)とあるが、ここでは心霊作用や超能力に関連して使われているようだ。

いわゆる超能力者といわれる人々には、霊媒と、自然に神秘主義的な能力を目覚めさせた者とが含まれるはずである。

霊媒を実験するのは、被験者である霊媒、実験者のいずれにとっても危険性を伴うものであるようだし、自然に神秘主義的な能力を目覚めさせた者の能力は、わたしは自らの体験から、世俗的な――学術的であろうと同じである――実験では測ることができない性質のものだと思うからである。

子供の火遊びになってしまうことが、1世紀経ってもわからないようだ。なぜ危険かはブラヴァツキーの著作をきちんと読めば、わかるはずのことなのだ。

ブラヴァツキーは様々な実験を行い、それらの実験は彼女の論文に生かされたが、彼女は並みの人ではなく、また大師方の見守りがあってできたことだった。

それが本当かどうかは、ブラヴァツキーの著作が知っている。ブラヴァツキーを今なお誹謗中傷する人々は、なぜ、その最も確かな証人である論文をこそ「学術調査」しないのか。

誹謗中傷する暇があるなら、心霊主義に対する彼女の警告を正しく伝えてほしいものである。

ところで、テレパシー現象について、インドの聖者パラマンサ・ヨガナンダが自叙伝で的確に解説している。その部分を引用しておきたい。

 直観と言うものは霊に導かれるもので、心が平静な時には自然に現われるものである。人は他しも、何故か理由は分からぬが虫の知らせか正しかったという経験や、自分の心を人にうまく感応させたという経験を持っているであろう。
 人間の心というものは不安定な状態から解放されている時には、その本能のアンテナを通して複雑なラジオ機構のもつあらゆる働きをするものである。つまり想念を発信したり受信したり、また好まぬ想念はダイヤルを廻してこれを遮断してしまうことも出来るのである。ラジオの性能が各々その使用する電流に依って異なるように、人間ラジオのはたらきもその個人の所有する意志によって異なるのである。
 宇宙にはあらゆる想念が不断に振動している。大師は強烈な精神集中によって死者、生者を問わずいかなる人間の思想をも探知することができる。想念の根源は個人的なものではなく、普遍的なものである。真理は創造されるものではなくて、ただ知覚されるものである。ヨガ科学の目的は宇宙に充満する神の幻を歪みなく心に映すことができるように、精神を鎮静させることである。
*

*パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』(関書院新社、昭和54年改訂第12版(初版35年)、p.134

※ SPRについては、基幹ブログ「マダムNの覚書」のカテゴリー「Notes: 夏目漱石」も参照されたい。

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ブログ「マダムNの覚書」に9月26日、投稿した記事の再掲です。
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「ネオ神智学」という用語を、無知なわたしは昨日知った。

ブラヴァツキー、オルコットと共に神智学協会を設立したウィリアム・クァン・ジャッジ(1851 - 1896)は、ブラヴァツキーの死後、新たに指導者となったアニー・ベザント及びリードビーターと仲違いした。

ジャッジは1886年、アメリカで新しく神智学協会を立ち上げた。ジャッジの協会のほうがアメリカでは通りがいいという。ジャッジが亡くなった1896年にはアメリカ全土で200以上の支部があったそうだ。

ウィキペディア*を読むと、ジャッジは清廉潔白というイメージだ。そして、アニー・ベザントらの神智学はネオ神智学(Neo-Theosophy)という批判の籠もった用語で呼ばれることもあるという。

*ネオ神智学: ウィキペディア

脚注で挙げられている文献を見ておきたい。タイトルの訳は、文献の大体の傾向を知るための適当な訳である。

  • 新宗教論争
  • 神智学対ネオ神智学
  • G. R. S. ミードとグノーシス主義的探求
  • 天の伝承:エズラ・パウンドの詩編群研究
  • 現代アメリカにおける宗教的及びスピリチュアルなグループ
  • 代替祭壇:アメリカにおける非従来型の東洋的霊性
  • 臨死体験:文化・霊魂・物理的展望の統合
  • アレイスター・クロウリーはなぜまだ問題なのか?

アニー・ベザントが第2代会長を務めた神智学協会をアディヤール派、ジャッジの神智学協会をポイント=ローマ派(現「神智学協会・国際本部〈カリフォルニア州パサディナ〉)と呼ぶらしい。

このことを知るかなり前に、神智学協会ニッポン・ロッジ(アディヤール派ということになるが)からジャッジの著作(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『オカルティズム対話集』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成8年)が出たので、わたしはジャッジの論文集を読んでいた。

序文を読むと優れた内容であるように紹介されているのだが、率直にいってしまうと、わたしにはそうは思えなかった。

あくまで勉強中であるわたしの個人的な感想にすぎないことを断って放言すると、アニー・ベザントがブラヴァツキーの神智学を要約する場合にもう一つだと思うところがあるが、ベザントの志の高さ、美しさは伝わってくるし、リードビーターの著作にはシュタイナーに似たおかしなところ――空想的キリスト教史観とでもいうべきか――があると思うが、さすがだと思える部分もある。

しかし、アディヤール派ニッポン・ロッジでの評価も高いジャッジの著作を読んでわたしはその単調な雰囲気に失望し(挿入されたブラヴァツキーとの対話の断片だけは貴重だと感じられた)、如何にアニー・ベザントとリードビーターに不満があるといっても、ジャッジの著作を読んで受ける印象からすれば、格が違うという気がしてしまったのだった。

手記『枕許からのレポート』 *を執筆したころから、牛歩の歩みながら本格的に神秘主義的に生き始めたとの自覚のあるわたしには、優れた神秘主義の著作は精神修養書であると同時に実用書でもある。

*枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)(Kindle版)

文学、哲学、神智学といった分野の著作を身に刻むようにして読むことがわたしの修行になっているのかどうかはわからないが、別段身体的な修行をしたわけではないのに――物心ついたときには前世やあの世の仄かな記憶があったわたしは、ありふれた子供を装いながらも変わり者ではあったが――次第に透視力や透聴力といった神秘主義的な内的感覚が目覚めてきたのを自覚するようになった。

肉体感覚では捉えられない現象を内的な感覚でキャッチするようになったのである。そのため、その方面の学習が絶対的に必要となった。

それが何であるかを教えてくれる信頼できる参考書は神智学叢書、ヨガ関係書以外ではほとんど見つからない。
わたしはブラヴァツキー、レーリッヒ夫人、また自叙伝で著名なヨガの聖者パラマンサ・ヨガナンダの著作*をよく参考にし、例外的にリードビーターを参考にすることがある。

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パラマンサ・ヨガナンダ

Standard Pose; this image of Paramahansa Yogananda appears in many of his publications. It was very probably taken at approximately the time Yogananda arrived in the USA, in 1920.
From Wikimedia Commons, the free media repository

*パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年第12版。2015年9月28日現在Amazonで見たところでは、『あるヨギの自叙伝』(森北出版、1983年)として出ているようだ。あるヨギの自叙伝

例外的にというのはリードビーターの著作を全面的には信頼していないからだが、彼はオーラや想念形体の解説を著作で豊富に行っており、オーラの解説は参考になるし、またそんなものが見えるはずがないと思っていたタイプの例えば幾何学的形体を備えた想念形体*にしても2度だけだが目撃してなるほどと思ったりしたのだった。

わたしは自著『詩人の死』*という日記体小説で次のように書いた。

*詩人の死(Kindle版)

神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。

こうした神秘主義的な考察をするに当たって、何の参考書もなかったとしたら、対照できる事例がないことからくる孤独感や心細さに苛まれたに違いない。

しかし、有益な参考書があれば、解説に共鳴したり、教えられたり、また逆に疑問を深めたりしながら、神秘主義的な体験はこの世でも役に立つエッセンスへと変容していくのだ。

こうした観点から読んでいると、ジャッジの著作はせっかく目覚めてきた透視力や透聴力を圧殺するかのごとき否定と恐怖心の植え付け、抽象的な忠告、その半面マハートマ*やオカルト能力への好奇心を誘う傾向にあると思われ、それにしてはわたしはジャッジの著作に出てくる「師匠」の言葉から新鮮な自覚を促されることがない。

*マハートマ(Mahātma,梵)
     文字通りには「偉大な魂」のことで、最高位のアデプトをいう。自らの低級本質を克服した高貴な方で、従って肉体に妨げられずに生きておられる。霊的進化で達した段階に比例した智慧と力をお持ちである。パーリ語ではラハットまたはアルハットと言う。
(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年改版、用語解説p.61)

先に述べたように、これはあくまでわたしの場合がそうだというだけの話である。自分の感じかたに自信があるわけではない。

アニー・ベザントとリードビーターはクリシュナムリティをメシアに育て上げようとして会員たちの反発と脱会を招いたが、マハートマ現象への敷居を低くし、結果的にマハートマ通信ブームの火付け役となったのは著作の内容から判断する限りにおいてはジャッジなのではないだろうか。

ブラヴァツキーを別にすれば、レーリッヒ夫人だけは別格で、著作を通じてマハートマという高貴な存在を感じさせてくれるようにわたしには思われる。

わたしはブラヴァツキーを指導したマハートマたちの存在を疑ったことがなく、だからかむしろマハートマへの好奇心がほとんどない。オカルト能力を求めたこともない。

神秘主義的な感受性は先に述べたように、平凡な人間として生きるなかで出合う試練、真摯な読書や創作を通して自然に目覚めてきた。そして、わたしはブラヴァツキーの著作の哲学的な魅力に浴することができるだけで、大満足なのだ。

仮に英語ができたとしても、ジャッジの著作が苦手なので、ポイント=ローマ派に入ろうとは思わなかっただろう。

アディヤール派の神智学協会ニッポン・ロッジで、ジャッジを含む様々な神智学文献の邦訳論文や解説に触れられることに感謝しつつ勉強させていただいている。

ポイント=ローマ派のホームページを訪問したら、ブラヴァツキー及びジャッジの論文が自由配布されていた。

United Lodge of Theosophists
www.ultindia.org

英語が堪能だったとしても、いきなり読めば、神智学用語や学術用語、また内容の難解さに戸惑うかもしれない。

それにしても、ブラヴァツキーの死後、神智学協会はよくもまあ盛大に分裂したものだ。第2次大戦中にはナチスの迫害もあったようだし、内憂外患というべきか。

だが、分裂、結構ではないか。学術団体だと考えれば、学派がいろいろあるほうがむしろ自然だと思う。


〔追記〕

ウィキペディア英語版でヘレナ・レーリッヒを検索し、レーリッヒ夫人*の写真を初めて見た。涙が出た。

*Helena Ivanovna Roerich  (Russian: Елéна Ивáновна Рéрих; February 12, 1879 – October 5, 1955)

なぜなら若い頃のレーリッヒ夫人の写真(肖像画?)が、昔わたしが『枕許からのレポート』を書いてしばらくして塾で見た天使のような人の容貌にそっくりだったから。

正確にいえば、わたしが見た天使のような人をこの世の人間に置き換えれば若い頃のレーリッヒ夫人の容貌そっくりになる。塾での出来事は以下の記事。

レーリッヒ夫人の写真がパブリック・ドメインであった。
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Helena Roerich

From Wikimedia Commons, the free media repository

次の写真は後年に撮られたものだろう。
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Helena Ivanovna Roerich. Naggar, India

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以下はレーリッヒ夫妻によって設立されたアグニ・ヨガ協会のホームページ


ヘレナ レーリッヒ(Helena Roerieh) 1979~1955.
 アグニ ヨガの教えの伝達者。アグニ ヨガの母といわれる。1879年2月16日,ロシアの貴族の家系にエレナ イワノヴナとして生まれる。父は建築家。幼年期,母の妹,プチャチン王女の別荘に過ごす。並外れて感受性が豊かで動物と語らい,又,聖書や哲学の本に親しみ,音楽,絵に対するすばらしい才能もあった。1901年,ニコラス レーリッヒと結婚し,共に考古学の旅をする。その後,ペテルスブルグに定住し,二人の男の子の母となる。この時期に東洋哲学の研究を続ける。1920年代に入って,レーリッヒ夫妻はモリヤ大師から,後にアグニ ヨガの叢書として編集された指示を受け始めた。この指示の多くは,夫妻が,アメリカで自分達のまわりに集めた若い弟子たちに話された。1923年からの中央アジア探検に同道した彼女は沢山な恐ろしい試練に耐えた。“アグニ・ヨガの母の上首尾の結果は,人類の新しい一歩を示すこの教えの伝達を可能にした。探検が終わった1928年,「アグニ ヨガ」という本が出版された。(以下略).(竜王会東京青年部編)『総合ヨガ用語解説集』pp.78-79より抜粋(昭和55年、竜王文庫)

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ブログ「マダムNの覚書」に9月10日、投稿した記事の再掲です。
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新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にエッセー「22 グレイ 著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ 』を読了後に」を公開したあとも、ずっとシモーヌのことが頭を離れなかった。

東洋思想に関心がありながら、なぜあのような考えになるのだろうと思えるところがあり、また死に方についても、戦争中の過酷な状況、拒食症、あるいはカタリ派に対する関心など原因を探ってみても、どうも納得いかないものがあった。

シモーヌ・ヴェイユはブラヴァツキーの神智学には近づかなかったのだろうか、気づくこともなかったのか。

このことについては今後も考えていくことになると思うが、(橋本一明ほか訳)『シモーヌ・ヴェーユ著作集 Ⅱ ある文明の苦悶―後期評論集―』(春秋社、1968年) を再読していたとき、「解説2」の156頁に、シモーヌがルネ・ドーマルを通してインド思想に触れたことが書かれている箇所に目がとまった。

ウィキペディアでルネ・ドーマルを閲覧すると、「3人の友人たちとシュルレアリスムやダダイスムに対抗して文芸雑誌「Le Grand Jeu」を設立した」「ドーマルは独学でサンスクリットを学び、仏教の三蔵をフランス語に翻訳した。また、日本の禅学者、鈴木大拙の本も訳している」とある。

鈴木大拙は神智学協会の会員だったので、ルネ・ドーマルもそうだったのだろうか、と思って調べていると、ルネ・ドーマルはルネ・ゲノンの影響を受けているらしいことがわかった。

ルネ・ゲノンについてウィキペディアを閲覧すると、いろいろと気になることが書かれていた(ウィキペディアをよく利用するが、ブラヴァツキーについてはどなたがお書きになったのか、あれはひどい。Jさんのような神智学に詳しい人が書いてくださらないものだろうか)。

ルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日)

1886年にブロワに生まれる。若い頃に「グノーシス教会」などの数々のオカルティズムのグループと交流を持っていたが、後にオカルティズムを断罪した。1916年、ソルボンヌで哲学修士号を得た後、教職に就いていたが、職を離れて、1921年に最初の著作『ヒンドゥー教義研究のための一般的序説』を発表した。その後、ブラヴァツキーらの神智学や心霊術について批判的な著作を発表した(『神智主義:ある疑似宗教の歴史』『心霊術の誤り』)。ゲノンはこれらの運動を物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義であるとみなしていた

ゲノンは今日に至るまで形而上学・エゾテリスム研究の分野で大きな影響を及ぼし続けており、「伝統主義学派」と呼ばれる一群の思想家・知識人達の代表者と見なされている

宗教学の泰斗ミルチャ・エリアーデは著作において何度かルネ・ゲノンに言及しているが、彼の学問的アイデアの多くはゲノンからの影響を受けていたことが近年の複数の研究によって指摘されている

シモーヌ・ヴェイユは、学友ルネ・ドーマルとともにゲノンの著作の愛読者であった

特に気になる箇所に下線を引かせて貰った。

プラグマティズムのウィリアム・ジェームズ(William James, 1842年 - 1910年)だけではなかったか……ジェームズのあとにゲノンが現れてブラヴァツキー糾弾の急先鋒に立った?

ルネ・ゲノンの写真がパブリック・ドメインであった。
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シモーヌがルネ・ドーマルと共にブラヴァツキーの神智学について知っていた可能性はあると思う。だが、彼女は神智学には深入りしなかったのだろう。シモーヌには、過去記事で書いたような一面があるとわたしは見ているからである。

  • 2013年2月 7日 (木)
    ミクロス・ヴェトー『シモーヌ・ヴェイユの哲学―その形而上学的転回』を読書中
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/02/post-3751.html
     キリスト教というブランドが絶対的な価値と殺傷力を持つ世界では、表立って証言することが許されなかったので、古代からプラトニズムを継承し、プラトニズムに徹底して生きてきた西洋の神秘主義者は、地下に潜るしかなかったのだ。
     そして、表立って証言する勇気を持ち得たブラヴァツキーのような人物は、著作を読む能力すら持ち合わせない人々の不当な攻撃に晒され、辱められてきた。
     シモーヌ・ヴェイユは、おそらく母親の偏愛――シモーヌ・ヴェイユが理想とする愛とはあまりにもかけ離れたものを含む現象――を感じ、その呪縛性を知りつつも、それをそっとしておき、恭順の意さえ示している。キリスト教に対する態度も同じだったように思える。
     彼女はキリスト教というブランドを非難しつつも、それに屈し、媚びてさえいる。その恭順の姿勢ゆえに、シモーヌ・ヴェイユという優等生は西洋キリスト教社会では一種聖女扱いされてきたということがいえると思う。

ゲノンは日本での影響もあるようなので、慎重に調べる必要があるが、検索したところ、図書館には『世界の終末』があった。それしかない。

ミルチャ・エリアーデの影響を受けたと自ら語った平野啓一郎は『日蝕』で神学僧の神秘体験を描いて芥川賞を受賞したが、あの小説は神秘主義についての悪意をこめた戯画化――というより内容の程度の低さから悪ふざけ――だとわたしは思ったのだが、真面目に書かれたものなのだろうか。

何にしてもエリア―デもゲノンの影響を受けたらしい。あれほど心霊主義の危険性を警告したブラヴァツキーの神智学が、心霊主義の同義語のような扱いを受けることをおかしな現象だと思ってきたのだが、その原因にはジェームズやマルクス主義だけではなく、ゲノン、この人も含まれるのだろうか。

ブラヴァツキーが登場するのは以下の著作だろうか。

Le Théosophisme, histoire d'une pseudo-religion, Paris, Nouvelle Librairie Nationale, 1921.
(「神智主義:ある疑似宗教の歴史」)

しかし、この著作が書かれたのは、ゲノンの諸宗教研究の出発点に近い地点ではないか。最初の著作が書かれた1921年と同年に発表されているのだから。

著作を読んでみなければあれこれいえないが、ウィキペディアにはゲノンがブラヴァツキーの神智学や心霊術を批判した理由として「これらの運動を物質主義的な観点から出てき た擬似的な精神主義であるとみなしていた」とある。

ブラヴァツキーが心霊主義の解明と解説のために、心霊的な実験を行ったことは確かだが、おそらくインドの大師の指導のもとに『シークレット・ドクトリン』などの執筆を行ったことまで一緒くたにされているに違いない。

あれを独りで書いたと見做す人々はブラヴァツキーが剽窃しただの内容が出鱈目だのといい、そうでない人々は霊媒だという。ブラヴァツキーの論文に対して、高飛車で見下した見方をするのが名誉だとでも思っているかのような異様な雰囲気がある。

そして、彼らの偉そうな様子にも拘わらず、『シークレット・ドクトリン』そのものを曲解せずにきちんと批判できた人はいないという事実がある。

「物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義」とは何だろう?

『シークレット・ドクトリン』において、物質に関する説明は単純ではない。邦訳版「宇宙発生論」の上巻の索引には「物質  Matter」の項目に39頁示されていて、注として「質料」「プラクリティ」「プロタイル」の項も参照とあるのだ。ちなみに「質料 Substance,Matter」は60頁示されている。「プラクリティ Prakriti」は10頁。「プロタイル(均質の質料)  Protyle,Homogeneneus matter」は2頁。

1頁に当たるだけでも時間がかかり、わたしの脳味噌では理解に難儀する。ゲノンは脳味噌の上半分が欠けていそうに見える頭の格好だが、きちんと理解した上で批判しているのだろうか。

以下の過去記事で、ブラヴァツキーと同じモリヤ大師の指導を受けたといわれるレーリヒ夫人の『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説から「唯物論」「物質」について引用した。

  • 2015年4月12日 (日)
    #15 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ④心霊現象研究協会(SPR)と神智学協会
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/04/15spr-491a.html

    唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」pp.275-276)

    物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない。(日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」p.275)

ルネ・ゲノンの影響力は大きいようだから、著作に触れたあとでまた書くつもりだが、歴史小説もすすめなければならないので、少しあとになるかもしれない。

国立情報学研究所のサービスCiNiiに、ルネ・ゲノンに関する以下の論文がある。

  • ルネ・ゲノンと現代世界の危機
    http://ci.nii.ac.jp/naid/110009459735
    田中 義廣
    収録刊行物
    フランス文学論集   [巻号一覧]
    フランス文学論集 (21), 34-46, 1986-11-29  [この号の目次]
    日本フランス語フランス文学会
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ブログ「マダムNの覚書」に8月28日、投稿した記事の再掲です。

過去記事で断片的にガブリエラ・ミストラルという女性詩人について書いてきましたが、神秘主義的エッセーを集めたKindle本に収録し、新ブログで公開するために、、2007年10月31日に書いた記事を中心として1編のエッセーにまとめました。あとで改稿すると思いますが。

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最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル――その豊潤な詩また神智学との関わりについてマダムNの覚書、2007年10月31日 (水) 04:56
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抽象的な事柄を血肉化し、生きた事例として見せてくれる教科書として、世界の名作といわれるような文学作品に勝るものはない。

ただ巷で人間を眺めているだけでは、その人生まではなかなか見えてこないものだ。それを知るには、先人たちが心の中までつぶさに開示してくれ、渾身の力をこめて人生について語ってくれた薫り高い文学作品を読むのが一番なのではないだろうか。

子供はそのような文学作品の中で様々な人生模様を見、恋愛の仕方を学び、理想的な生きかたを模索する。

命の尊さ――などといわれても、ぴんとこなくて当たり前なのだ。よき文学作品を読めば、そのことが叩き込まれる。生きた水となって土壌に滲み込む。逆のいいかたをすれば、そのような文学作品がよき文学作品ということなのだろう。

詩に目覚めたわたしが自分のお小遣いで買った詩集は、角川書店から出た (深尾須磨子編)『世界の詩集 12 世界女流名詩集』(角川書店、昭和45年再版)だった。

中学1年生のときのことで、その本は大人の女性の世界を開示してくれていた。その中でも、わたしの印象に最も残ったのは、ガブリエラ・ミストラルの「雲に寄す」であった。

 雲に寄す

                    ミストラル

 軽やかな雲よ、
絹のような雲よ、
わたしの魂を
青空かけて運べ。

 わたしの苦しみをまのあたりにみている、
この家から遠く。
わたしの死ぬのをみている、
これらの壁からはるかに!

 通りすがりの雲よ、
わたしを海に運べ、
そこで満潮の唄をきき、
波の花輪のまにまに
うたおう。

 雲よ、花よ、面影よ、
不実な時の間を
消えてゆくかのひとの面影を
描き出しておくれ、
かのひとの面影なくては
わたしの魂は切れ切れに引き裂かれる。

 過ぎゆく雲よ、
わたしの胸の上に
さわやかな恵みを止めよ。
わたしの唇は渇きに
開かれている!

                  (野々山ミチコ 訳)

(深尾編、昭和45再版)『世界の詩集 12 世界女流名詩集』(野々山ミチコ訳)「雲に寄す」pp.162-163

中学1年生のわたしは、格別な大人の女性の薫りに陶然とさせられた。

私的な、内面的な――おそらくは恋愛の――苦悩をテーマとしながらも、その詩は内向的に萎縮し閉じていくのではなく、青海原へと開かれたスケールの大きさを持ち、高潔さ、清々しさを感じさせた。

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Gabriela Mistral

ガブリエラ・ミストラル(本名はルシラ・ゴドイ・アルヤガ。1889年4月7日 - 1957年1月10日)。
ガブリエラ・ミストラルは1945年にラテンアメリカに初めてノーベル文学賞をもたらしたチリの国民的詩人で、教育者、外交官としても知られ、「ラテンアメリカの母」といわれた。 
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Gabriela Mistral
『世界の詩集 12 世界女流名詩集』は「女に生まれて」「恋愛と結婚」「あこがれ・孤独・別離」「自然――四季おりおりの詩」「時と永遠」「世界の苦悩――平和への祈り」というカテゴリーに分けられているが、ミストラルの詩は1編にその全てのカテゴリーを網羅しているような詩である。
ミストラルの詩は前掲の詩「雲に寄す」の他に、「ゆりかごを押す」「ひとりぼっちの子」「小さな手」「ばらあど」「死のソネット」 の5編が収録されている。

ミストラルの詩は彼女の知る土地の香りを発散しているが、その香りには土地に限定されない、広大な宇宙の香りが混じっている気がした。

その詩の核には、高度に洗練された哲学があるような感じを受けた。

ミストラルは教育者、外交官であったが、そのスケールの大きさの秘密は職業的なことからだけでは解けない気がしていた。

大学生になって神智学を知るようになったわたしは、ミストラルの詩から神智学の芳香を嗅いだ気のすることがしばしばあった。

その後、さらにミストラルを知ることのできる本として、次の2冊にめぐり合った。

  • 芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』JICC出版局、1989年
  • (田村さと子訳)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』小沢書店、1993年

ミストラルの詩の数々を愛読し、神智学とミストラルの関係が気になっていたにも拘わらず、その点がもう一つはっきりしなかった。

ところで、 このところ、わたしは婦人科的なトラブルと思われるものを抱えて、検査を受けていた。そんな中で、脳裏をよぎったのは、ミストラルの詩であったり、古典文学に造詣の深い円地文子の小説であったりした。

彼女たちが、女性ならではの苦悩を深く考察し、それを作品化した人々だったからだろう。彼女たちには人類の歴史がよく見えているように思われた。

そして今日、(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集』の中から選んだ詩をブログで紹介しようと思った。それがいつ書かれたのかを確かめようと、巻末の年譜を見た。

そのとき偶然わたしの目がとまったのは、次の一文だった。

1912年 23歳 神智学の会〈デステージョス〉に入会する。
 
(田村さと子訳)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』「ガブリエラ・ミストラル年譜」p.209、小沢書店、1993年

稲妻に打たれたような衝撃、次いで感動が走った。何て、馬鹿だったのだろう! この貴重な一文を見落としていたなんて。ああ恥ずかしい! やはり、ガブリエラ・ミストラルは神智学の影響を受けていたのだと思った。

実は、何という神さまの悪戯か、その「神智学」という印字が薄くなっていて、文字が拾いにくくなっていた。

それに、わたしがこの詩集を開くのは詩を読むためで、ミストラルの生涯を知るにはもっぱら芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』(JICC出版局、1989年)に頼っていた。詩集の年譜は大雑把にしか見ていなかったに違いない。

ノーベル文学賞詩人ガブリエラ・ミストラルは、間違いない、近代神智学というブラヴァツキーによって確立された神秘主義思想の影響を受けていた! わたしの直観は正しかった! ――と興奮してしまった。

前掲の伝記(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』では、ミストラルと「見神論」との関わりが「見神論――宗教観の深まり」という見出しの下に7頁に渡って書かれている。※

(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』「見神論――宗教観の深まり」pp.68-75 

その文章からすると、どう読んでもこれはブラヴァツキーの神智学だなと思ったが、見神論という訳語にしても、神智学という訳語にしても、ドイツの神秘主義者ヤーコブ・ベーメ(1575 - 1624)の思想を意味する言葉でもあるのだ。

つまり、神智学と訳されていてもベーメの思想を意味することもあるから情況は同じともいえるが、特に見神論と訳された場合にはヤーコブ・ベーメの教義を意味することが多いため、確信を得ることができなかったのだった。

だが、もう間違いないだろうと思う。ミストラルはブラヴァツキーの神智学の影響を受けているに違いない。何より、彼女の詩からそれは薫ってくるものだ。
(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』によると、独身で通したミストラルは、37歳の頃、異母弟の子とも実子ともいわれるファン・ミゲル・ゴドイ・メンドーサを引きとり、共に暮らした。

ミストラルはファン・ミゲルを「ジンジン」(ヒンドゥー語で「忠実」を意味するという)と呼んで可愛がり、ファン・ミゲルはミストラルを「ブッダ」と呼んで慕った。

その最愛のジンジンに、ミストラルは自殺されてしまう。ブラジルにいたときで、ジンジンは17歳だった。

ジンジンの死因と自殺の動機について、(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』p.228に次のように書かれている。

 死因は麻薬あるいは砒素の服用といわれている。そしてその動機は通っていた学校のナチ親衛隊のグループとのいざこざとも、恋のもつれが真因ともいろいろに推測それている。いずれにせよ、ブラジル社会および学校集団での軋轢、情緒の不安定に加えた思春期特有の疎外感といったものがからみあって、この繊細な少年を押し潰してしまったのだろう。

ミストラルは20歳のときに、かつての恋人ロメリオ・ウレタにも自殺されている。苦悩は如何ばかりだったろう。

ここで、(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』から抜粋だが[母たちのうた]「母たちのうた」〈よろこび〉p.42、「いちばん悲しい母のうた」pp.46-47を紹介しておきたい。

 母たちのうた

〈よろこび〉
 ねむりについた吾子を抱いて わたしの歩みはしめやかだ。神秘を抱いてから わたしの心は敬虔だ。

 愛の音を低くして、わたしの声はひそかになる、おまえを起こすまいとして。

 いま この両眼[め]でいくつもの顔の中から心底の痛みを探しだす、なぜこんなに青ざめた瞼をしているかを わかってもらいたくて。

 鶉[うずら]たちが巣をかけている草の中を 親鳥の思いを気づかいながらゆく。音をたてずにゆっくりと野を歩く、木々やものものには眠っている赤ん坊がいるから、身をかがませて気づかっているものの傍に。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

 いちばん悲しい母たちのうた

〈家を追われて〉
 父は わたしを追い出すといい、 今夜すぐにわたしをほうり出してしまうように と母にどなった。

 夜はなまあたたかい。星あかりをたよりに、わたしは隣の村まで歩いてゆかれるだろうけど、もし、こんな時間に生まれたら どうしよう? わたしの嗚咽が、呼び起こしてしまったのだろう たぶん、たぶん わたしの顔が見たくなって出てくるのだろう。そして むごい風のもとで震えるだろう、わたしがぼうやを包みこんだとしても。

〈どうして 生まれてきたの?〉
 どうして生まれてきたの? おまえはこんなにかわいいのに だれもおまえを愛してくれはしないのに。ほかの赤ん坊たちのように、わたしのいちばんちいさな弟のように おまえが愛嬌たっぷりに笑ったとしても おまえにくちづけしてくれるのはわたしひとりだけなの。おもちゃがほしくてそのちっちゃな両掌をゆりうごかしても おまえの慰めはこの乳房と わたしのつきない涙だけなの。

 どうして 生まれてきたの、おまえを選んできたあの人は この腹部におまえを感じとるとおまえをうとんじたのに?

 そうじゃないのよね。わたしのために生まれてきてくれたのね。あの人の両腕[かいな]で抱きしめられていたときでさえ、ひとりぼっちだったわたしのために、ねえ、ぼうや!

わたしは大学時代、第2外国語でスペイン語を選択していた。囓った程度のスペイン語の断片が記憶にこびりついているにすぎないのだが、スペイン語は学習しやすい明快さを持った言語であること、歯切れのよい、シックな言語という印象がある。

そうした言葉で、ミストラルの詩は書かれたのだ。
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Gabriela Mistral 
晩年の詩集『ラガール』の中の「別れ」という詩には、さよなら、ありがとう、という言葉が印象的に登場する。

さようならはアディオス、ありがとうはグラシアスなのだということくらいはわかり、陰に籠もった依頼心の強い日本的情緒とは無縁の感じを持つ詩を想像している。

「別れ」を(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』〔ラガール〕「別れ」pp.147-148から紹介しておく。

 別れ

いま 突風に
吹き寄せられ 散らされてゆく
おおくのさよなら、
このようなものだ、どんな幸せも。
もし 神が望むなら いつの日か
ふたたび ふり返るだろう、
わたしの求める面差しが
ないならば わたしはもう帰らない。

そう わたしたちは椰子の葉をふるわせているようなもの、
喜びが葉っぱたちを束ねたかと思うと
すぐにみだれ散ってゆく。

パン、塩、そして
孔雀サボテン、
ハッカのにおう寝床、
“語りあった”夜よ ありがとう。
苦しみが刻みこまれた
喉もとに もうことばはなく、
涙にくれる両眼〔め〕に
扉は見えない。

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神秘主義者としての観点から執筆したエッセーを集めて電子書籍化(Amazon Kindle Direct Publishing)する計画を進めていると過去記事で書きましたが、やはりというべきか、まだ当分かかりそうです。
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タイトルも『神秘主義者のカフェテラス』から『神秘主義者として生き延びて(Collected Essays, Volume 5)』に変更するかも。まだ決定してはいず、別のタイトルにするかもしれません。

で、はてなブログで新しいブログを開設し、時間のあるときに電子書籍に収録予定のエッセーを番号順にアップしていくことにしました。

ぼちぼちの更新になりそうですが、予定している電子書籍と同じ内容のエッセーを、(一応)校正済みの状態でお読みいただけます(Kindle本と同じ内容をブログで公開することになるため、KDPセレクトには登録できなくなりますが)。

これに伴い、ライブドアブログで開設した「マダムNの神秘主義的備忘録」は――しばらくは閲覧できます――近々閉鎖することにしました。

以下は、新ブログの案内になります。

ようやく2007年に入ったところまでしかアップできていませんが、12番目のエッセーのタイトルは「恩師の命日に」というものです。

ここでいう恩師というのは神秘主義の道をどう歩いてよいかわからなかったときに出会い、神智学を教えてくださった方です。

先生に出会えなければ、果たして神秘主義者として生き延びることができたかどうか、甚だ疑問です。先生は、安全な道とはどんな道をいうのかを魂に叩き込んでくださいました。

先生との出会いがなければ、神秘主義的エッセーを集めたKindle本の計画も、それと同じ内容のブログも存在しえなかったでしょう。

先生への感謝の思いをこめて、「恩師の命日に」を以下に再掲させていただきます。タイトルは当ブログでは「恩師の命日」となっており、内容も若干改稿しています。エッセーの内容は、あくまでわたしの個人的な物の見方、考えにすぎないことをお断りしておきます。

当然、エッセー全体がそうなのですね。これらを妄想とお思いになろうが、真実の断片が潜んでいるとお思いになろうが、お読みになる方々の自由です。

  恩師の命日に  2007年4月11日


窓を開けていると、気持ちのよい風が室内に入ってくる。

4月9日は、亡き神智学の先生のお誕生日で、11日の今日は命日である。先生のお棺はマーガレットでいっぱいだった。

今日は大好きだった先生のことばかり考えている。もっとも、そうでなくても毎日のように、先生の知的でチャーミングな雰囲気、美しかったオーラの色合いを、思い出さずにいられない。亡くなったのは1995年だったから、もう12年にもなるのに。

先生という人は、わたしにとって、気高いものへのあこがれをそそってくれる貴重な存在であると同時に、オーラや想念形体を見る自身の能力に信頼感をもたらしてくれるあかしのような、欺瞞とは無縁の確かな存在でもある。

神秘主義的自身の生きかたに、ゆらぐことのない新しい感覚をもたらしていただいたような気がしている。先生の希望と確信に満ちた美しいまなざしは、まさに燈台の光だった。

先生の死後も、段階的変化を伴って、先生との内面的絆は保たれているという実感がある。相手が亡くなったからといって、神秘主義者にとっては大した違いはないともいえる。

肉体を持った存在としての相手を見る喜びがなくなった物足りなさは否めないが、その代わりに今では別の楽しさがある。違う世界に生きる者として思いを伝え合う楽しさというものは、格別なものなのだ。

49歳ともなると、亡くなった知り合いも増えた。しかし、そんなことが可能なのは、わたしの場合は先生とだけだ。

相手の死後、初七日までの間に限れば、内的に交流できた人がもう1人だけ別にいた。その人のことも、そのうち書くことがあるかもしれない。

先生は、この世から遠ざかって長くなるごとに尻尾を出さなくなってしまわれ、先生の油断から出た予知的情報をわたしがキャッチすることはなくなった。

あの世からはこの世で起きることが、先のことまで見えやすいのだろう。そして、人間は死んだからといって、そう簡単に変るものではないようである。また、あの世には、この世のことには軽々しく干渉すべきではないという鉄則があるようにわたしは感じられる。

先生が亡くなって年月が浅い頃は、先生の現実的な気遣いが頻繁に感じられた。

ある鋭い警告の言葉が感じられたり(耳に音声として聴こえるのではない。相手の心の中のつぶやきを共有し合うといった感じの伝わりかただ)、相手の微笑や戸惑いが雰囲気としてダイレクトに伝わってくることもあった。

今では、そんな生々しい感じを覚えることはなくなったが、空間に見える光の点のうち、これは先生からの通信に違いないと感じられることは依然としてある。

空間は、わたしのようなごく未熟な神秘主義者にとっても、掲示板のような一面があるのだ。

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ブログ「マダムNの覚書」に7月5日、投稿した記事の再掲です。

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。


YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(失敗したようだ)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

追記:

日本グランドロッジ傘下「スクエア&コンパスNo.3ロッジ」のホームページhttp://number-3.net/jp/」を閲覧したところ、入会の手引きに「国やロッジにおいては女性をメンバーとして受け入れている場合はあります」とあるので、現在では女性のフリーメイソン(フリーメイソンリー会員)も存在するようである。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

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ブログ「マダムNの覚書」に4月12日、投稿した記事の再掲です。

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アメリカ哲学の創始者といわれ、その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされるウィリアム・ジェームズ。

こうした評判の高い人物とブラヴァツキーを苦しめた心霊現象研究協会(SPR)とがわたしの中で結びつかず、歴史小説執筆のために漱石研究を棚上げしようとしたまさにそのとき、気づいた。

そして、夏目漱石の研究からウイリアム・ジェームズの哲学プラグマティズム、さらにSPRに辿り着いたことで、SPRが異様なまでに権威を帯びた団体であったことを知った。

心霊現象研究会:Wikipedia

心霊現象研究協会(しんれいげんしょうけんきゅうきょうかい、英: The Society for Psychical Research)は、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって設立された非営利団体である。この組織は頭文字をとって SPR と略称される。
「心霊研究協会」と訳されることも少なくないが、本来科学的研究を意味する Psychical Research(心霊現象研究)と、元はその訳語でありながら日本独自に心霊主義的に発展した「心霊研究」とは異なる。

概要
初代会長は哲学・倫理学者でもあったヘンリー・シジウィック教授である。一般に、これをもって超心理学元年と目されている。
協会の目的は、心霊現象や超常現象の真相を究明するための科学的研究を促進することであった。当初、研究は6つの領野に向けられていた。すなわち、テレパシー、催眠術とそれに類似の現象、霊媒、幽霊、降霊術に関係した心霊現象、そしてこれら全ての現象の歴史である。
1885年にはアメリカ合衆国でもウィリアム・ジェームズらによって米国心霊現象研究協会(英語版) (ASPR) が設立されて、1890年には元祖 SPR の支部になった。有名な支持者には、アルフレッド・テニスン、マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、J・B・ライン、アーサー・コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなどである。
協会は、1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴き(後にこれは協会手続上の瑕疵により、協会としての行動ではなかったと表明)で名をあげ、設立後30年間とりわけ活動的だったが、霊媒のトリックを次々に暴いたりしたため、アーサー・コナン・ドイルなど心霊派の人々が大挙して脱退したこともあった。

主な歴代会長のリスト
1882-1884 ヘンリー・シジウィック、哲学者
1892-1894 A・J・バルフォア、イギリスの首相、バルフォア宣言で有名
1894-1895 ウィリアム・ジェイムズ、心理学者、哲学者
1896-1897 ウィリアム・クルックス卿、物理学者、化学者
1900 F・W・H・マイヤース、古典学者、哲学者
1901-1903 オリバー・ロッジ卿、物理学者
1904 ウィリアム・フレッチャー・バレット、物理学者
1905 シャルル・リシェ、ノーベル賞受賞生理学者
1906-1907 ジェラルド・バルフォア、政治家
1908-1909 エレノア・シジウィック、超心理学者
1913 アンリ・ベルクソン、哲学者、1927年にノーベル文学賞受賞
1915-1916 ギルバート・マリー、古典文学者
1919 レイリー公、物理学者、1904年にノーベル賞受賞
1923 カミーユ・フラマリオン、天文学者
1926-1927 ハンス・ドリーシュ、ドイツの生物学者、哲学者
1935-1936 C・D・ブロード、哲学者
1939-1941 H・H・プライス、哲学者
1965-1969 アリスター・ハーディ卿、動物学者
1980 J・B・ライン、超心理学者
1999-2004 バーナード・カー、ロンドン大学の数学、天文学の教授

歴代会長のリストを見ると、錚々たる顔ぶれだ。イギリスの首相に、ノーベル賞受賞者が3人もいる。こんな仰々しい連中をブラヴァツキーは相手にしていたわけである! 

病身に鞭打って、寸暇を惜しみ執筆していた無抵抗なブラヴァツキーをSPRは猫が鼠を狙うように狙い、追い詰めた。さすがは植民地大帝国を築いだけのことはある、執拗さ、残酷さで。

ウィリアム・ジェームズはブラヴァツキーが1891年に亡くなったあとの1894年から1895年にかけて会長を務めている。

偏見抜きでW・ジェームズの代表作『プラグマティズム』を読むことができて、幸いだった。SPRとブラヴァツキーの間で起きたいざこざを、わたしは心情的にどうしてもブラヴァツキーの側から見てしまうからである。

そして、プラグマティズムに興味を持つこともないまま、ブラヴァツキーがどんな人々と、どんな風潮と闘っていたかを把握できず、またそうする必要性にも気づかなかっただろう。

欧米諸国や日本が経済的物質主義に染まってしまう前に、SPRとブラヴァツキーの一騎打ちがあった。それはブラヴァツキーからすれば、相手側の陣中に引き摺り込まれた不利、不当な戦いだった。

それは、SPRの一方的な勝利宣言に終わり、やがてSPRに象徴されるような唯物論の潮流は、一気に神秘主義の砦ともいえた――「霊的な意味での唯物論」*1を展開する――神智学協会を押し流した。

 *1 『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説「唯物論」(pp.275-276)を参照。

 唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(pp.275-276)

 物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない。(p.275)

尤も、SPR事件を境として神智学協会が衰退したわけではなかった。実際には、ブラヴァツキーの死後も1920年代までは、神智学協会の強い影響力は洋の東西を問わず及んだ*2

*2 以下のオンライン論文を参照。
2010 杉本良男「比較による真理の追求―マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」出口顯・三尾稔(編)『人類学的比較再考』(国立民族学博物館調査報告90): 173-226
URL:http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4459/1/SER90_009.pdf(最終確認日:2015年4月12日)

神智学協会第2代会長アニー・ベザントの死後、協会から活気が失せたのには協会内部の問題もあったのだろうが、第二次世界大戦やマルクシズムの影響など、外部的な要因も無視できないのではないだろうか。

前掲の杉本論文(2010)に、参考資料として「神智協会の目的 Objects の変遷[Ransom 1938: 545‒553]」が挙げられ、三つの目的のうち、2番目の英文の邦語訳について注意が促されている。

2 .比較科学[ママ],比較哲学,比較科学の研究を促進すること。(比較宗教,哲学,科学の研究を促進すること)。
  To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.

 邦語訳については現行の「神智学協会ニッポン・ロッジ」の邦語訳をかかげるが,訳自体2種類あるので,タイトル・ページにかかげられている訳を初めにあげ,括弧内に入会案内のページでの訳をかかげておいた。個人的には後者の方がこなれた訳のように思う。それはともかく,第2項の「比較omparative」が,この訳のように哲学,科学までかかるのか,宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には,1896年時点で比較哲学,比較科学という概念はありえないようであるが,協会自体も明確ではないようである。(……)[杉本 2010]

翻訳技術上の問題もあるだろうが、まずは内容から「比較omparative」が哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのか、ブラヴァツキーの主要著作『The Secret Doctrine シークレット・ドクトリン』『Isis Unveiled ベールをとったイシス』ぐらいはざっとでも読んで、判断してみようとするのが常識ではないのかと学術的慣わしに無知なわたしなどは思ってしまう。

英語が堪能で羨ましいが、その英語力を駆使しながら肝心のものを読まないという姿勢がよくわからない。

ブラヴァツキーの代表作を読まずしてブラヴァツキーを語ろうとする人々による、ブラヴァツキー批判の無責任な孫引きが執拗に繰り返されて、彼女の畢生の大作は泥だらけにされたのだ。

内容からすれば、比較宗教、比較哲学、比較科学でいいんじゃないかと個人的に考える。

オカルトブームやニューエイジムーブメントの先駆者としてブラヴァツキーの名が挙がることはよくあるが、そこには概ね、蔑視的、批判的な意味合いが籠められている。

そして、その根拠としてSPR事件がよく使われるのである。

具体的にどのようなことが起きたかというと、SPRは、神智学協会の結成とブラヴァツキーの執筆がアデプト*3と呼ばれる――マハトマ、マスターと呼ばれることもある――方々の直接的な指導下で行われたという評判やブラヴァツキーが大衆向きに披露したサイキックな実験などについて調査し、否定的な報告書を作成して、それを公表したのだった。

 *3 H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説(用語解説p.14)を参照。

 アデプト(Adept:Adepts,羅) オカルティズムでいうアデプトは、イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す。(用語解説p.14)

ブラヴァツキーを詐欺師に仕立てて、神智学協会の評判を失墜させたSPRは、1986年になって、その原因をつくったホジソン・リポートはSPRの正式な手続きに基づくものではないことを表明したそうだ(ヘレナ・P・ブラヴァツキー:Wikipedia)。

SPRによってブラヴァツキーの名誉回復が図られたともいえるが、あまりに遅すぎた。

『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)を再読し、神智学協会の創立者たちは純真で、お人好しすぎた、との印象が残った。一般に形成されてしまったイメージとは対照的である。

神智学協会にサイキック調査の希望を申し出たSPRに対するブラヴァツキーの協力者たちは、次に引用するような反応を示した。

 一般にインド人達は、秘伝をうけた僅かな人達だけに、秘教的知識を限定した方がよいと思っていましたが、モヒニは創立者達が望んでいた通りにしようとしました。シネットは神智学というものは大衆のためのものではなく、知性的な人達の学ぶものと考えていましたので、サイキック研究会(S・P・R)の学者や科学者と協力するのを大変、幸福だと思いました。心の広いアメリカ人の大佐はいつも自分の発見したよいものを誰とでも頒ち合おうとしていました。事実、彼はその研究をすばらしい万全の機会だと思いました。S・P・Rは「学者の団体」という高い基準を維持することを目ざしていました。もしもこの団体が研究の末、神智学現象の真正さを公言できたなら――その筈だと大佐は考えていました――西洋の物質的思考形式に完全な革命をもたらすことでしょう。大佐は一生懸命、協力しました。(p.266)

SPRの申し出を拒絶するどころか、期待さえ寄せる協力者たちに対して、さすがにブラヴァツキーには懸念があった。

 HPBの考えでは、大佐は熱心なあまり、研究員達の懐疑的な慎重な心に、自分の奇跡的な体験をあまりに押しつけすぎていました。彼女はこの研究全体に懸念をいだいていました。S・P・Rの高慢な英国の知識人達は現象の背後にある人間についての深いヴェーダの考え方については何も知りませんし、自分の徳性の全傾向を変える放棄のヨガや自己放棄については何も知りませんでした。彼等にとっては、推理的な心が最高の神でした。彼等の心は非常に訓練されていたかもしれませんが、制限されており彼等がつかもうとしている超メンタル界にはとても及ばぬものでした。――間違った角度から本質的な謙虚さもなくとらえようとしていたのです。(pp..266-267)

SPRを疑っているように見られたくなかったブラヴァツキーは拒絶できなかった。それが1883年のことだった。そして、1885年12月31日の大晦日に、最悪の打撃がブラヴァツキーにふりかかった。

 伯爵夫人は次のように書いています。「一言の警告もなしに、サイキック調査に関する協会の報告の写しを、HPBは速達便で受け取りました。その日のことも、彼女が私を見た、生気のない石のような絶望のまなざしも、私は決して忘れることは出来ません。私が居間にはいると、彼女は手に開いた本を持っていました。『私はこの時代の最大の詐欺師で、おまけにロシアのスパイだと言われてしまいました。これでは誰が私の言うことを聞き、シークレット ドクトリンを読んでくれるでしょう?』と彼女は嘆きました」(p.312)

よりによって大晦日に、何て礼儀知らずな連中だろう! 一体、どんな権利があって、そんなことができたのかと呆れる。まるで、魔女裁判のようではないか。 自分たちは恵まれた環境で、ぬくぬくと新年を迎えたに違いないと想像する。

わたしはつい自分の身に置き換えて、頭がおかしくなった父夫婦の訴えにより、地裁から訴状が届いた日の衝撃を連想してしまった。

訴状には、認めるか争うしか選択肢がないとあった。答弁書を提出せず、かつ、定められた期日に法廷に出てこられないときは、訴状に記載されていることをこちらが認めたものとして、即日、原告の請求通りの判決がされることがあるとあった。さらに、地裁では、弁護士以外の者を代理人とすることはできないとあった。

無視する手段もあったことをあとで知ったが、訴状の内容に何の覚えもなかったわたしにとって、その訴状はまさに青天の霹靂であり、ひどいダメージを受けた。

弁護士をつける金銭的な余裕などなく、大学は法学部だったといっても、答弁書を作成しようにももう法律的なことなど何も覚えていず、そもそもそのような実際的なことは学んだ覚えがなかった。

再婚したときから少し異常を感じさせた奥さんの影響があったとはいえ、父があそこまでおかしくなったのには加齢もあるだろうが、何より長年の飲酒癖にあった気がしている。外国航路の船員だった父の飲酒は豪快そのもので、吸っていた煙草も缶ピースだった。

日中は常に完全にしらふだったから、アルコール中毒を疑ったことはなかったけれど、脳に悪影響がなかったはずはない。それより、わたしは父が霊媒体質になってしまっているのではないかと疑っており、その原因がわからなかったが、それも飲酒の影響である可能性が大きいように今は思う。

父夫婦を案じてはいても、わたしにはどうしてあげることもできない。時々入ってくる情報によると、相変わらずのようだが、この先どうなるのかと思えば、心配で胸が痛くなってくる。

ブラヴァツキーの協力者たちの多くは神秘主義的能力の持ち主で、彼ら特有の世界を形作っていたといえるのかもしれない。それが当たり前の人間にとっては、ブラヴァツキーがそうした能力を最高度に発揮するのを目撃したからといって、特殊なことだとは思わないだろう。

心が綺麗でないと神秘主義的な、高級な能力は目覚めないから、ある意味で彼らは赤ん坊のように騙されやすい一面を持っている。自分を騙そうとしている相手の奥底にも美を透かし見てしまうから、その美の印象深さのためについ信じたくなり、結果的に騙されてしまう。

全てにおいてスケールの大きなブラヴァツキーは、騙され方や傷つき方も、半端ではなかったのだ。

ブラヴァツキーの伝記を読むと、若いころからアデプトと接触がありながら、試行錯誤し、実験を試み、幾度も試練に遭い、そうした体験の中で彼女が訓練され、磨かれ、霊的に開花していったことがわかる。それこそ、ブラヴァツキーが霊媒でなかった証拠である。

もちろん、霊媒になってしまう危険性はあっただろう。それは霊的に目覚めている人間にも、そうでない人間にも、どんな人間にも起こりうることである。

自分たちは霊媒性質とは無関係だと思っている、霊媒の定義すらブラヴァツキーの本で学んでいない人々は、霊媒、霊媒とブラヴァツキーを馬鹿にしてうるさいが、わたしが見る限り、世間は霊媒だらけで、彼らの吐く息で大気汚染がひどく、とかくに人の世は住みにくい(いけない、これ漱石の小説に出てくる言葉だった)。

父のことで前述したように、アルコール好きは自分で霊媒体質を作り出しているといえる。アルコールは脳や肝臓に悪いだけではないのだ。まともな宗教の教えに、飲酒をすすめるものなどない。

ブラヴァツキーの卓抜な神秘主義的な能力は前世までに得られたものであったに違いないが、生まれ変わる度に、その能力は再獲得されなければならない。それは本当につらい体験を伴う。

わたしにもいくらかは前世までに獲得した神秘主義的能力があって、それを今生で目覚めさせるのはそれなりに大変だった。今も試行錯誤や実験の最中であり、これはとりあえず死ぬまで続くのだろう。こうした能力は、どんな人間にもいつかは目覚める能力であるはずだ。

自分より遙かに進んでいるように思えるブラヴァツキーがわたしには霊媒、詐欺師に見えるどころか、輝かしく見えることは当然である。素晴らしい大先輩だと思う。この道をもっと進めばあんな試練が待っているのかと思うと、戦慄を禁じ得ないが……

ブラヴァツキーとSPR との間に起きた詳細は『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年第3版)中、「『シークレット・ドクトリン』の沿革」に書かれている。

『シークレット・ドクトリン』の執筆中、ブラヴァツキーと共に住んだコンスタンス・ワクトマイスターによると、『シークレット・ドクトリン』執筆に際し、ブラヴァツキーはかなりな透視力を用いていたように見受けられたという。
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神秘主義的能力の持ち主だったワクトマイスターは、アデプトが精妙体で出現するのを度々見、言葉を聴くこともあったという。

このように『シークレット・ドクトリン』が複数のアデプトとの共作だったからこそ、ブラヴァツキーははしがきで、「今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである」と、率直に書いたのだ。

ウィリアム・ジェームズは超常現象にかんして、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言し、コリン・ウィルソンはこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけたそうだ(ウィリアム・ジェームズ:Wikipedia)。

このウィリアム・ジェームズの法則、わたしには意味がわからない。

信じるとか信じないといったことが、事の真偽に何の関係があるのだろう? W・ジェームズのこの言葉は、おそらく正しくは次のような意味である。「盲信したい人には盲信するに足る材料を与えてくれるけれど、(……)」

端から超常現象を馬鹿にしている言葉ではないか。この男はいつもこんな風だ。まず先入観ありきなのだ。神秘主義者のわたしは、この世界の物質レベルを超えた現象をこの世界の物質レベルの装置を使って証明したり、この世界の物質レベルの能力しか持たない人間にわからせることは不可能ではないかと思うだけだ。

そして、わからないことを端から色眼鏡で見たり、否定したりする態度が科学的だとはわたしには思えない。わかるときまで、仮説として、置いておけばいいことではないか。

ブラヴァツキーを誹謗中傷する人々はコリン・ウィルソンの著作の影響を受けたり、引用していることが多い。

わたしが怪訝に思うのは、ウィリアム・ジェームズのような哲学者を会員として持ちながら、なぜSPRはブラヴァツキーの著作について学術的な論文を書かなかったのかということである。

尤も、『ブラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波書店[岩波文庫]、2010年改版)で「プラトン、ロック、スピノザ、ミル、ケアード、ヘーゲル――もっと身近な人々の名前をあげることは遠慮する――これらの名前は、わが聴講者諸君の多くには、それだけの数の奇妙なそれぞれのやりそこない方を憶[おも]い出させるに過ぎないと私は確信する。もしそういう宇宙の解釈がほんとうに真理であるとしたら、それこそ明らかな不条理であろう」(p.45-46)と、大哲学者たちをまず否定してかかることを何とも思わないW・ジェームズが、ちゃんと読む以前にブラヴァツキーの著作を否定したことは充分考えられる。

聴衆や読者に先入観を植え付けるような態度が哲学的な態度でないことは、いうまでもない。

また、神秘主義者によって拓かれた心理学の分野*4がウィリアム・ジェームズのような唯物主義的、実利的な人物の影響を受けたことと、現在の精神医療が薬物過剰となっていることとは当然、無関係とはいえまい。

 *4 上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社、1998年)参照。

ところで、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)に、次のように書かれている。

 科学が原子は分割出来るということを確認した時より三年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の真正な息によって生気を吹きこまれるものである。(p.405)

わたしは昔、物理学においてクォークを物質の最小単位とする説をわかりやすく紹介した本を読んだとき*5、神秘主義の理論に立てば、クォークが物質の最小単位だなんて、そんなはずはなく、それより小さな粒子が見つかるだろうと思った。

ブラヴァツキーの言葉は、神秘主義の理論を明快に要約したものだ。

 *5 そのとき読んだ本は、南部陽一郎『クォーク―素粒子物理の最前線』(講談社、1981年)だったと思う。『クォーク―素粒子物理の最前線』の第2版に当たる『クォーク第2版: 素粒子物理はどこまで進んできたか』が1998年に上梓されている。

「『標準模型の"基本的な"粒子のいくつか、あるいはすべては、実はさらに分割できるのではないか』と考える理論もある」(基本粒子:Wikipedia)そうだが、『クォーク―素粒子物理の最前線』では、そのようなことも示唆されていたような気がする。

物理学には全く無知ながら、ブレーン宇宙論(ブレーンワールド:Wikipedia)にも興味がある。『シークレット・ドクトリン』の中の記述を連想させるからだが、そのうち息子にブレーン宇宙論について講義して貰おう。畑違いかもしれない。

これは有名な話だが、アインシュタインは『シークレット・ドクトリン』を愛読していたそうだ。

ところで、わたしは神智学の影響を受けた作家、詩人にかんする研究に着手したが、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』の再読で、ブラヴァツキーの時代に影響を受けた詩人にロバート・ブラウニング、作家にイェーツがいたことを再確認した。

前掲の杉本論文にも、1920年ごろまで協会の影響を受けた欧米の知識人の例が引用されていて、参考になる。ウィリアム・ジェームズの名のあるのが解せないけれど。

ラビンドラナート・タゴールと神智学の関係については、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて - 新教育連盟と神智学協会 - 』(学苑社、2008年)第4章「インド新教育運動の源流―R・タゴールの教育思想と事業を中心に」に詳しい。

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ブログ「マダムNの覚書」に3月29日、投稿した記事の再掲です。
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タブッキのファンで、わたしにタブッキのことを教えてくれた娘が炬燵テーブルのわたしの場所に、何気なくその本を置いていた。

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イザベルに: ある曼荼羅

勿論、娘は自分のためにその本を買ったのだが、わたしと喜びを共にしたいのだ。

娘に教えられてタブッキを読むようになり、魅了されるまでに時間はかからなかった。

それだけではなく、タブッキの作風に、神智学徒として神智学の影響を感じないわけにはいかないので、その方面から研究したいと思うようになった(わたしの家族は神智学にも神智学協会にも関心がないが、わたしが毎年神智学協会の会費を払って――年会費が4,500円から5,000円に上がった――インドのアディヤールにある神智学協会国際本部の会員名簿に登録された自分の名前が抹消されないよう、更新していることは知っている)。

文学関係では他に待っていることが山ほどあるので、とりあえず当ブログにノートだけでもと思い、カテゴリー「Notes:アントニオ・タブッキ」を設置したのだった。

そして、図書館からこれまでに邦訳・上梓されたタブッキの本は全部借りて、だいたいの傾向は掴んだものの、ノートのほうはあまり進んでいない。

最近では夏目漱石の作品にふと疑問を覚え、深入りする気のないままに調べているうち、漱石との関連で出てきた鈴木大拙が神智学協会の会員だったことを知り、『神秘主義』『日本的霊性』を読んだら、これまたカテゴリー「Notes:夏目漱石」を設置せざるをえなくなった。

漱石や彼と対照的な生きかたをした鈴木大拙の作品を読み、調べるのも、まだまだこれからだが、大拙の『神秘主義』『日本的霊性』を読む限り、それらには神智学徒ならではの視野の広さや偏見を排した厳密さがあって、神智学協会の目的(以下に引用)を連想させられるところがある。

神智学協会の目的
1)人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類愛の中核となること。
2)比較宗教、比較哲学、比較科学の研究を促進すること。
3)未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を調査研究すること。

アントニオ・タブッキの新刊『イザベルに:ある曼荼羅』の原題は Per Isabel: Un mandala と解説にあり、邦題は原題そのままであることがわかる。

うっとりするくらい、綺麗な本……

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目次からして魅力的だ。「第一円 モニカ リスボン 想起」と始まって、これが第九円まである。目次の最後は「『レクイエム』から『イザベルに』へ 夢うつつのはざまで」だが、これは訳者による解説となっている。

この作品は『レクイエム』に重なるところがあるらしいので、図書館から再度借りた。傾向を見るために借りただけで、読了していなかったから。
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 ウィキペディアに「イタリアは1985年までカトリックが国教だったが、廃止によって信者が激減している」とあるが、『インド夜想曲』は1984年に発表されているから、その時点ではイタリアはまだカトリックを国教としていたということだ。

『レクイエム Requiem』の発表は1992年。そして、この『イザベルに ある曼荼羅』という本の誕生に関して註に、以下のような興味深いエピソードが紹介されている。

 この書物についてアントニオ・タブッキの〈出版許可〉は存在しない。それゆえ作家の作品としては歿後に出版される未刊の遺作第一号ということになる。(……)作品全体は一九九六年、ヴェッキアーノで口述された。(……)ほかの作品の執筆に取り掛かっているうちに、方向もいろいろ変わっていった。旅を重ね、国境を越えていくなかで、この作品をある親友の女性に預けることにしたのだ。ようやく預けた作品を、読み直したいから返してほしいと言ったときには、おそらく出版する意志が固まっていたのだろう。だが、それは二〇一一年のことだった。そしてその秋には病を得ていた。(pp.177-178)

曼荼羅を知らない日本人は少ないと思うが、1996年当時、イタリアで曼荼羅はポピュラーなものだったのだろうか?

過去記事で書いたが、フィレンツェの書店主さんとメール交換している娘によると、書店主さんは邦訳版の源氏物語をお読みになるくらいの読書家なのだが、タブッキはお読みになったことがない。

自国の作家ではルイージ・ピランデッロ、ディーノ・ブッツァーティ、イタロ・カルヴィーノがお好きだそうだ。最近、娘は書店主さんの文学や演劇の話についていけなくなり、中断中。短期間だけ、やはり娘のメル友だったイタリアの地震学者はタブッキがお好きとのことだった。

娘は目下、イタリア語講座の家族的雰囲気に満足していて、そこでイタリアへのあこがれがかなり満たされている様子。年輩の人が多いが、とっても楽しそう(わたしも娘につき合って体験学習した)。それで、メール交換のほうがなおざりになっているようだ。

話が横道に逸れてしまった。

『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水社、1996年)を何気なく開いた頁に、スピノザが出てきた。

実は漱石ノートに追記を書くつもりだったが、それがアリストテレスとスピノザのことだった。

娘がカルヴィーノのタロット・カードをテーマにした作品を話題に出したので(河出文庫版『宿命の交わる城』)、本棚を漁っていたら、なくなったと思っていたアリストテレスの本『形而上学』と、「世界の名著」シリーズに入っていた1冊しか持っていないと思い込んでいたスピノザの文庫版が何冊も出てきた。

それらを読み返して書き留めたくなったことが出てきたため、今日はそれについて書くはずが、なぜか今、タブッキについて書いている。鈴木大拙にしても、タブッキにしても、作品に触れると、「この神智学徒め!」と歓喜の声をあげたくなる。

わたしの好きな本、関心を持った本がよく出てくるし、何しろ内容に共鳴できて、心地よいからだ。

神智学徒という呼びかたは不用意にすぎるかもしれない。タブッキに関しては、神智学協会と関わりがあったかどうかは知らない。「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ④」で書いたように、その作風から神智学の徒といったにすぎない。

タブッキに覚えたのと同じ親しみを期待して、ペソアの本を繙いたのだった。ところが、ペソアの本は見知らぬ思索者の本として存在していた。

流派の違いをはっきりと感じ、改めてアントニオ・タブッキが神智学という思想、思考法と如何に関係の深い人であるかがわかった気がした。タブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないが、彼の諸作品は神智学の芳香を放っている。

『白水Uブックス 99 インド夜想曲』(須賀敦子訳、白水社、1993年)に次のようなくだりがある。

「おねがいだから」僕は言った。「思い出してよ。協会っていったいなんの協会なの」
「わかりません。学問の集まりじゃないかしら。たぶん。でも、わかりません」(……)なにか思い出したようだった。「神智学協会です」そう言って、彼女は初めてにっこりした。
(p.22)

「彼が神智学協会の会員だったかどうか、僕は知りたいのですが」僕は言った。
会長はじっと僕を見つめ、「メンバーではありませんでした」と小さく否定した。
「でも、あなたと文通をしていたでしょう?」僕は言った。
「そうでしたかな」彼は言った。「たとえそうだとしても、個人的な文通でしたら、内容を申しあげるわけにはいきません
(pp.70-71)

「でも、どうしてゴアに行ったんだろう。もし、なにかごぞんじでしたら、おっしゃってください」
 彼はひざのうえで手を組みあわせ、おだやかに言った。「存じません。あなたのお友だちが具体的にどんな生活をしておられたか、私は知らないのです。お手伝いはできません。残念ですが。いろいろな偶然がうまく噛み合わなかったか、それともご自分の選択でそうされたのか。他人の仮の姿にあまり干渉するのはよくありません」(
pp.79)

インドで失踪した友人を探して神智学協会を訪ねた主人公に、協会の会長は主人公をじらすような、意味深な態度をとるが、確かに協会には誰が会員であるとかないとかといったことを穿鑿したり、アピールしたりする習慣がない。

よく宗教団体にあるような、有名人を広告塔にする習慣でもあれば、神智学の影響を受けた作家について調べ始めたわたしのような人間には好都合なのだが――。

このようなことをプライベートなこととして干渉しないのは、最初の引用で女性がいうように、神智学協会が宗教の集まりではなく、学問の集まりだからだろう。

ところで、『レクイエム』の訳者あとがきで、主人公が会おうとする相手は「詩人」「食事相手」としか呼ばせていないが、ペソアであると名前を明かしてある。

タブッキがペソアに強く惹きつけられたのも、心情的によくわかる。ペソアは神秘主義者ではない。形而上学徒だと思う。

神智学徒には神秘主義者が多いと思うが、神秘主義者は形而上学徒に惹かれる傾向があるのかもしれない。

偶然にも、わたしには「詩人」と呼んだ女友達がかつていて、追悼短編小説まで書いたのだが、彼女は形而上学徒だった(当人にその自覚はなかっただろう)。

詩人の死

ウィキペディアによると、曼荼羅はサンスクリット語の言葉を漢字によって音訳したもので、マンダラには丸いという意味があり、円には完全・円満などの意味があることから、これが語源だろうという。

神秘主義は丸く、形而上学は直線だから、違いは一目瞭然なのだ。

違いがわかっていても(わかっているからこそというべきか)、何しろこちらは丸いので、包容せずにいられないというわけである。

W・Q・ジャッジ『オカルティズム対話集』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年)に以下のような問答がある。

学徒 オカルティズムとは何ですか?
師匠 卵の形で宇宙を現そうとする知識の分野です。(pp.44-45)

たぶん『レクイエム』『イザベルに ある曼荼羅』は近いうちに読了すると思うが、タブッキノートを更新できるかどうかはわからない。

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 アントニオ・タブッキ『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(和田忠彦訳、青土社、1997年)を読んでいた。

 タブッキは、実在した詩人ペソアの最後の三日間をモチーフに描いている。ペソアの作品要素を巧みに採り入れたペソア解釈ともなっているようだ。とすると、『夢のなかの夢』と似た構成になっている。

 しかし、わたしが読みながら驚いたのは、この本が純良100%の神智学の本だということである。ごく普通の幻想小説としても読めるところが――一般人ならそのような読み方だろうし、勿論それで構わないのだろう――この作品の優れたところだ。

 本をちょっと開いてみただけでも目につく、というより全部だ。神秘主義は単なる知識ではなく、思想を呼吸することだから、当然とはいえ……月並みな表現だが、すばらしいの一言に尽きる。

 今は解説をするゆとりがないが、いずれタブッキについてはまとまった長さの――150枚くらいは――評論を書きたいと思っている。娘につき合って観ているイタリア語講座は、いずれ書くそのときのためにも……。

 以下はタブッキをご存知ない方のために、ウィキペディア「アントニオ・タブッキ」ページへのリンク。

アントニオ・タブッキ:Wikipedia

 しかし、この解説にはタブッキの作品に特徴的な神智学に関する情報が欠けている。邦訳書の解説全てもそう。

 タブッキの心酔したペソアが薔薇十字だったという情報もない。邦訳書の解説全てもまたそう。

 前にも書いたことだが、よくここまで無視できるものだと呆れるほかない。

 神秘主義を長い間、否定、蔑視、無視、抹殺、抑圧してきたリベラル(中道左派)系人々が意識的に行っていることなのか、無意識的に、あるものもないことにしてしまうのかはわからない。

 リベラルといえば恰好よく聴こえるが、要するに本質は幼稚な唯物論ということだ。幼稚というのは、神秘主義もまたその本質は唯物論であることからなされた、神秘主義側からの区別である(参照)。

 

以下の引用は、神智学協会を設立したブラヴァツキーの思想の正統な継承者と目されてきたレーリッヒ夫妻のうち妻エレナ・レーリッヒの著書『新時代の共同体』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説より。

唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して、古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定無視するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。

物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考えが無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面を私たちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」(『手紙Ⅰ』373頁)

 バランス感覚から出たと思えるタブッキの政治的行動と日本のリベラル――進歩的文化人というべきか。今や退歩的文化人といったほうがいいかもしれないが――との違い。

 豊かな内面性を保持したまま行動するタブッキと、群れる以外は大して有益な政治活動を行うわけでもないのに、イデオロギーに染まって内面性の干からびた人々。

 尤も、日本人が昔からこうだったわけではない。大正から昭和にかけて活躍した文化人が書き残したものを読むと、戦後の文化人の知的、精神的な衰退ぶりがよくわかる。

 反日勢力と見分けがつかなかったり、既得権益に群がっているようにしか見えなかったりする。大正から昭和にかけて活躍した文化人は独自の哲学を持ち、精神的に屹立していた。誇らしげな日本人であって、何かにコントロールされている風ではなかった。

 美しい訳でタブッキの作品が読めることは本当にありがたい。

 それでも、作品を専門的に見ていくとなると、タブッキ、ペソアを神秘主義との関係性の中で読み解く必要があることは、タブッキの「インド夜想曲」からも明らかだ。

 以下は、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(須賀敦子訳、白水社、2013年)からの引用。彼、というのは作品の中ではマドラス(現チェンナイ)にある神智学協会の会長という設定。



P76
 彼は目をあけ、悪意、でなければ皮肉をこめて、僕を見た。「あなたの好奇心はどの辺りまでですか」

「スウェーデンボルク」僕は言った。「シェリング、アニー・ベザント。すべて少々かじっただけです」彼が興味を示したのをみて、僕はつづけた。「でも、間接的に知った人もあります。たとえば、アニー・ベザントがそうです。フェルナンド・ペソアが彼女の書いたものを訳したからです。ペソアはポルトガルの大詩人で、一九三五年に、無名のまま死にました」
「ペソア」彼が言った。「そうね」
「ご存じですか」僕はたずねた。
「ちょっとだけ」会長は言った。「あなたがかじったとおっしゃったぐらいです」
「ペソアは自分がグノーシス神秘主義者だと公言していました」僕は言った。「薔薇十字だったんです。Passos da Cruz[十字架の道]という秘教的な詩集の著者です」

 小説の中の「僕」は、フェルナンド・ペソアの訳したアニー・ベザント(神智学協会第二代会長)の著書を通してベザントを知った。ペソアはグノーシス神秘主義者と公言していた薔薇十字だった。

 近代以降の西洋における神秘主義御三家は、薔薇十字、フリーメイソン、神智学で、これらは姉妹関係にあるといってもよく、共有している知識は多いだろうから、薔薇十字であるペソアが神智学の著書を訳したとしても、何の不思議もない。

 わたしは薔薇十字であったらしいバルザックの著書を読んでいると、作品に散りばめられた神秘主義的な言葉やムードのため、なつかしい気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、小説に登場する神智学協会の会長は何とも思わせぶりでありながら、そっけない。

「インド夜想曲」をまだ充分に読んでいないせいか、この会長はいささか癇に障る、妙な人物としてわたしの記憶に留まっている。「インド夜想曲」はあとで改めて採り上げたい。

 神智学色の濃い、目についた文章を以下にメモしておこう。

 図書館から借りているというのが少々辛い。手に入れたくても、中古しかない。文庫版がどこからか出ないかしら。



P60-61
アントニオ・モーラは狂人、少なくとも公には狂人です。しかし頭脳明晰な狂人で、異教とキリスト教について多くの考察をしました。
〔……〕
わたしに多くのことを語りました。まず初めに、神々が戻ってくるだろうということ、なぜなら唯一の魂、唯一の神といういうこの物語は歴史の周期の中で終わりかけているかりそめのものだから、と話しました。そして神々が戻ってくるとき、われわれは魂のこの唯一性を失い、われわれの魂は自然の望むままに再び複数になるだろうと。

P87
わたしたちが人生と名付けているイメージのこの舞台を後にする時間です。わたしが心の眼鏡を通して見たことをあなたに分かってもらえたなら。
〔……〕
そして、わたしは男、女、老人、少女でした、西洋のいくつもの首都の大通りの群衆であり、わたしたちがその落ち着きと思慮深さをうらやむ東洋の平静なブッダでした。わたしは自分自身であり、また他人、わたしがなり得たすべての他人でした。

P88
わたしの人生を生きるということは、千もの人生を生きることでした。わたしは疲れています。わたしのろうそくは尽き果てました。お願いします、わたしの眼鏡をとってください。

「わたしの眼鏡をとってください」から作品は終曲に入るのだが、この終曲がまた圧巻。古代アレクサンドリアの神智学派(フィラレーテイアン派)の香気さえ漂う――。



P88-89
 アントニオ・モーラはチュニックを正した。かれの中ではプロメテウスが急き立てていた。ああ、と叫んだ。神なる天空よ、軽快な疾風よ、河川の源よ、海の波頭の数知れぬ微笑みよ、大地よ、宇宙の母よ、あなたがたをわれは呼び出そう、そしてすべてを見ている太陽球よ、われが耐えているものをご覧あれ。
 ペソアはため息をついた。アントニオ・モーラはナイトテーブルから眼鏡をとってかれの顔にのせてやった。ペソアは目を見開き、その手はシーツの上で動きを止めた。ちょうど二十時三十分だった。

 キリスト教作家とはよくいわれるが、神智学作家とはわたしが初めて使うのではないだろうか。タブッキはまぎれもない神智学作家だが、そのような分類は一笑に付されるだろうか。しかし、タブッキを深く理解したい、研究したいと思えば、必要なことではないかと思う。

 神秘主義の世界に布教されて入ることなどまずありえず、思い出すようにして、なつかしさから入ってしまうほかないが、その神秘主義世界の原理原則、言葉、イメージを、タブッキは万華鏡のように作品に散りばめている。

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 電子書籍『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012(Collected Essays 2)』の巻末につける広告を作成したついでに(?)、基幹ブログ「マダムNの覚書」の電子書籍一覧を更新した。

 あとは目次をつけて、校正に念を入れればKDPに提出できるが、この本の作成はまるで鬼門に当たるみたいに気が重く、この本の作業に入ってから、電子書籍の出版が滞った。

 初の歴史小説に取り組んでいることも一因ではあるだろうが、わたしはこの本を作成するために改めて当ブログに書いた芥川賞受賞作品のレビューや文学界に関するエッセーを読み直した。

 その過程で、日本の文学界の未来像を想い描くことが全くできなくなった。

 そして、三島由紀夫や江藤淳の自殺の意味が生々しく迫ってくるようにすらなった。彼らは国家に殉じたのだ。それは確かだ。彼らの死は風化していってしまうのだろうか。

 また、最近、以下の記事を書くために、レビューや知恵袋などを閲覧した。

 サリンジャーの作品が難しいと訴える、若いと想像される人々の文章を読み、これも結構衝撃だった。

 サリンジャーの作品には求道的な深刻さがあるが、大学(福岡大学文芸部)時代、わたしも仲間も半分は娯楽気分で読んだように思う。

 しかし、改めて考えると、サリンジャーの本を読むには西洋思想、東洋思想(ヨガなど)の知識がある程度は必要で、そのあたりが欠落していると、読んでいてもぴんと来ないだろうし、読み終わっても、まるで読まなかったようなおかしな気分に襲われてしまうこともありえると思う。

 日本人の読解力が低下し、歴史、思想、文学などの教養に乏しくなったことは芥川賞受賞作品を読んでもわかるのだが、その自覚が彼らにあるのか、どうか。

 インターネットの普及で断片的な知識をあれこれ持っている人は多いのだろうが、重厚な思想書や文学書をまるごと読む人はわずかになったのではないだろうか。

 江藤淳についてはいつか評論を書いて、『三田文学新人賞』に出したいと考えているが、編集長の交替でカラーも変わるだろう。その変わり方によっては、その気がなくなるかもしれない。そういえば、まだ会費を送っていなかった!

 神智学協会ニッポン・ロッジからも会長選挙の選挙用紙が送られてきているのだが(ありがたいことに、ニッポン・ロッジで翻訳がつけられていた)、まだ送っていない。うーん、どちらの候補者がいいのだろう?

 お一人はフリーメーソンの会員でもあるそうな。フリーメイソンについて、日本ではまことしやかに色々なことがいわれているけれど、バッカみたい。

 キリスト教の教義には古色蒼然、荒唐無稽なところがあり、科学精神やキリスト教以前の文明を否定するので、いくら西洋人といっても、まともな知性の持ち主にはとてもやっていられないに違いない。

 一方、神秘主義には伝統が息づいており、神秘主義の辞書に「神秘」という言葉はなく、科学的であることが基本姿勢なので、神秘主義に逃げ出す人が多くても、何の不思議もない

 わたしは若い頃、キリスト教に接近して逃げ出した。イエスの言葉がどう読んでもすばらしいだけでなく、イエスには伝統の薫りがあるとわたしは感じたので、別の経路でイエスに、というよりイエスから薫る伝統的な思想に接近することも可能だと当時のわたしは考えたのだった。

 わたしも昔の西洋に生まれていたとしたら、迫害や誹謗中傷される危険があったとしても、地下に潜ってでも神秘主義の本を読んだり、研究をしたりしたに違いない。

 今の西洋で神秘主義御三家は、薔薇十字、フリーメイソン、神智学で、これらは姉妹関係にあるといってもよい。同じ原理原則、知識を共有しているから。そして西洋の神秘主義は東洋思想に似ている。

 これら西洋の神秘主義はピュタゴラス抜きでは語れない。

 サモス島(ギリシアの島)で生まれ、イタリアのクロトンで学派(教団)を形成したピュタゴラス(古代ギリシアの数学者、哲学者として有名)は、輪廻転生を説いた。

 ピュタゴラス学派に影響を与えたといわれるオルペウス教だが、オルペウスは北方シャーマニズムの文化からギリシア世界に入ったものと考えられている(参照:イアンブリコス『ピュタゴラス伝』、ポルピュリオス『ピュタゴラス伝』)。

 あれこれ検索していたら、神智学関係の動画が海外から結構アップされていた。

 何にしても早く電子書籍を出して、次へ進まなくては。この本は、とにかくわたしには鬼門だ。

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 昨夜、娘が帰宅してすぐに差し出してくれた「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(須賀敦子訳、2013年、白水社)。本を、書店員の娘に頼んでいたのだった。

 先に「ユリイカ」を読み、わたしはほとんど窒息しそうになった。

 なぜ窒息しそうになったかというと、タブッキを期待して読み始めたというのに、雑誌の中にはタブッキが髪の毛1本分しか存在しなかったから。

 その代わりに、本は、そこに書いた人々の自己顕示欲、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない部分は徹底して排除(漂白といったほうがよいだろうか)してしまおうという貪欲な意志でいっぱいで、タブッキを求めていたわたしも同じ目に遭うことを感じずにはいられなかったからだった。

 アントニオ・タブッキが自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、マルキストたちは彼を自分の側に力尽くで引き寄せようとしているかのように思える(自分がマルキストであるという自覚さえない者もあるかもしれない)。

 また、「インド夜想曲」を訳した須賀敦子の思想が何なのかは知らないが、彼女の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセーを読むと、わたしは苛々してくる。

 登場人物や彼女の正体を知りたくてずいぶん読んだが、読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう彼女について知ることなどどうでもよくなり、遂には読むのをやめた過去があった。

 夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀敦子の作品群はそれとは如何にも対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

 最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が彼女の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

 彼女がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らないが、作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像する他はない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

 神智学者――神秘主義者――は何者になることも可能なので、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語っている。

 わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読み取れるかどうかが問題なのだ。

 訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品が神智学でいっぱいなのに、解説に神智学のシの字も出てこないとは何だろうと不審感を覚えてしまったのだった。

 いずれきちんとした評論に仕上げたいと思っているが、タブッキの世界は神智学の世界以外の何ものでもないのだ。

 ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては大事な人物だったようだが、そのペソアのことが「インド夜想曲」の中でちらりと出てくる。そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。

 アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。

 この記述からすると、ペソアを通して主人公は神智学を知ったことになるが、そのペソアは薔薇十字だったそうだ。

 ちなみに、過去記事にも書いたことだが、バルザックが薔薇十字だったことは確かだと思う。バルザックの父親はフリーメイソンだった。西洋では珍しいことではない。

 薔薇十字、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。キリスト教や、第二次大戦後はマルキシズムに抑圧されてきた。

 日本で『オカルト』、『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者である無知無教養なコリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、日本における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいる他はない。

 と、コリン・ウィルソンについて放言してしまったが、今本棚にウィルソンの本が見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――についてもいずれ書きたいと考えている。

「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかについて、もったいぶって紹介され、タブッキの作品について――神智学を避けて――周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれているが、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸しているといってもよい哲学、思想に切り込むしかなく、その哲学とはどう作品を読んでもやはり神智学であり、神秘主義であるとわたしは思う。

「ユリイカ」201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけ(見逃しがあるかもしれないが)。以下に抜粋しておく。



『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。

〔略〕
 タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

 マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあたなは私に打ち明けました〔古賀弘人訳〕。

 あまりにささやかな記述ではないだろうか。それで、あなた方研究者は神智学協会について簡単な説明もしないままで済ませるの?と不思議な気持ちになる。

 ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

 もしタブッキが神智学や薔薇十字の影響を受けた本物の神秘主義者であるとするなら、彼は思い出すように影響を受けたはずである。

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 56歳のわたしの進行の太陽のサビアンシンボル(西洋占星術)は、松村潔『決定版!! サビアン占星術』(学習研究社、2004年)を参考にすると、「天球の合唱隊が歌っている」。

 進行天体がこの位置にあるとき、精神的には非常に充実した時期とあるので、初の歴史小説に取り組むにはよい時期ではないかと思います。

 ちなみに55歳の進行の太陽のサビアンシンボルは「落胆させられた大聴衆」。本の解説には、「この牡羊座のシンボルは一見否定的ですが、『聴衆の期待には乗らない演奏者は、自分の音楽を力強く演奏する』とも読めます。著者はこのシンボルを読む時、ストラヴィンスキーがしばしば聴衆のブーイングを浴びていたことを思い出します」とあります。

 大衆受けしない内容のキンドル本をせっせと出した55歳のわたしを表現するには、的を射たシンボルです。

 Amazonでどんな本がよく売れているかを1年間見てきて、わが国の大衆は読解力、情操共にひどく劣化しているとわたしは感じました。
 それを裏付けるような日刊SPA!の記事に「図書館司書がこっそり教える 女性が借りる人気本BEST10」というのがあって、それによると、「図書館によく来る30代、40代の女性が最近よく借りていくのはボーイズラブ系のライトノベル。たとえば、漫画化もされている『茅島氏の優雅な生活』シリーズは、返却されてもすぐ貸し出されていきますね。好きな人はBL系だけを10冊、20冊とまとめて借りますよ。常連さんは堂々と借りて行きますが、たまに、子供に借りさせてるお母さんも。子供がBL読むわけないのに(笑)。あと、子育てに関する本もよく借りていかれますね。頭のいい子の育て方とか、稼げる男に育てるにはとか、そっち方面の“育てる本”は大人気」だとか。

 日本はどうなってしまうのだろうと背筋が寒くなります

 自分も大衆の一人だと思ってきましたが、わたしは大衆の一人ではなくなってきたのかもしれません。mamamaさんとの一件からも、大衆に自分を合わせようとすることは身を滅ぼすことだとつくづく悟りました。

 作品をキンドル本にしようと思ったのは、第一に作品の保管のためでした。初心にかえり、売れようと売れまいと、今後は本を出すことだけ考えます。従って、無料キャンペーンを行うこともないでしょう


 サビアンシンボルって、本当によく当たりますよ。

 そういえば、ストラヴィンスキーも、舞台デザインを手がけたニコラス・レーリヒ(ニコライ・リョーリフ)も神智学とは縁の深い人々です。

 ニコライ・リョーリフ:Wikipedia

 ちなみに、以下は神智学協会の創設者ブラヴァツキー。
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 如何にもロシアの貴族出身という感じの写真ですね。キリッとした表情。寄らば斬るぞ。ブラヴァツキーはキリスト教や心霊主義を批判したために、ひどい目に遭いましたからね。

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 わたしはこの写真が好きです。

 以下ははてなキイワードの「神智学」より。



神智学(Theosophy)とは、神々が持っているような神聖な智慧を意味している。その名称はアレクサンドリア哲学者中、真理愛好家といわれているフィラレーテイアン派(Philaletheian)から来ており、フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理。

3世紀にアンモニオス・サッカス学派から始まった思想的潮流で、新プラトン派のプロティノスからヤコブ・ベーメに至るまで、多くの優れた哲学者、神秘家を輩出した。

神智学は、汎神論、アレゴリー的解釈法、折衷主義、直接の体験によって真理を知ろうとする神秘主義といった特徴を持つ。

 ――以上、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年)を参照。

1831年、帝政ロシア時代のウクライナ、エカテリノスラーフ(現ドニプロペトローウシク)に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、若い頃からインドの大師との深い結びつきがあり、西洋における「神聖な智慧」の伝統と東洋の秘教思想から、すべての宗教のエッセンスを抽出しようと試みた。様々な宗教体系はもともとそこから湧き出て、あらゆる秘儀、教義が成長し、具体化したのだという。1875年、神智学協会を創立して、近代における神秘主義復活運動を興す。1891年、ロンドンに没するまで、多くの著作を世に送り出した。代表作は『シークレット・ドクトリン』。

 プラトンとプロティノスには大学時代に夢中になりました。流れを辿って行くと、キリスト教に迫害されたために、神秘主義は地下に潜らざるをえなかったとわかりました(尤も、キリスト教は神秘主義の影響を受けているのですが)。そして、何とかブラヴァツキーの神智学に辿り着きました。

20140221212336
 ヤコブ・ペーメも持っていますが、これはわたしにはわかりづらいものでした。今読んだら違うかもしれませんが。

 ところで、Amazon著者ページのプロフィールを、誕生日の記念に(?)更新しました。以下。

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キンドル本の出版、ブログの管理(http://elder.tea-nifty.com/blog/)、動画作成(MAKI NAOTSUKA - YouTube)を通して文学活動を行っています。

神秘主義者でもあるので、作品に神秘主義的インスピレーション、イマジネーションの反映するのがわたしの作品の特徴といえるでしょう。
神智学(Theosophy)協会の会員で、ブラヴァツキー派。

プラトン、紫式部、世阿弥、バルザック、リルケ、ジョージ・マクドナルド、リンドグレーンのファンです。
著作に神智学の影響が認められるアントニオ・タブッキ、カロッサ、ガブリエラ・ミストラル、オルダス・ハクスリーに関する研究を行っています。

佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した女性をモデルとした歴史小説にチャレンジしているところです。優秀な郷土史家から貴重な資料を沢山提供していただいたので、それを生かせなければ物書きとして情けないことと思い、奮闘中です。
この初の歴史小説に集中するため、マグダラのマリアに関する歴史ミステリーを絡めた長編児童小説『不思議な接着剤』は導入部の120枚(400字概算)で中断しています。

直塚万季は筆名。
〔2014年2月21日更新〕

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 初の歴史小説に没頭するために、基幹ブログ「マダムNの覚書」(連動的に当ブログも)の休止を考えたりもしています。でも、基幹ブログを書かなくなったら健康の記録や日々の記録がおざなりになるでしょうね。で、迷っているところなのですよ。

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 オーラが見え始めたのは大学生の頃からだった。

 わたしのいうオーラとは、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年改版)の「用語解説」にある、「人間、動物、その他の体から発散される精妙で目に見えないエッセンスまたは流体」を意味する。「人間、動物、その他の体を取り巻く磁場」と説明されることもある。

 人間が不死の部分と死すべき部分からできているということを知らなければ、オーラが何であるのかを理解することはできないと思う。このことをもっと詳しく、人間が七つの構成要素からなるということをわたしはH・P・ブラヴァツキーの神智学の論文を通して教わった。

 すなわち、人間が不死の三つ組みと死すべき四つ組からなることを。七つの構成要素のそれぞれについて学ぶことはわたしには悦びだったが、一般の方々を相手にした当ブログでこれ以上のことを書くのは控えたい。

 わたしにとって、オーラの美しさに匹敵するものはこの世になく――否、汚れた、不穏で、不快な色彩に見えるオーラも見ないわけではないが――、オーラの美しさを連想させるものといえばオーロラくらいなので、ときどきしかオーラが見えないのはつまらないことに思っていた。

 最近までずっとそう思っていたので、神智学徒だった高齢の女性のオーラがありありと見えた20年も前のことを毎日のように回想し、あのように美しい光にいつも浴していられればどんなに幸福なことだろうと思っていた。 しかし最近になって、オーラはたまに見えるくらいが丁度よいと思えるようになった。

 尤も、強く意識し目を懲らせば、オーラというものは低い層のものなら容易く見ることができる。

 物体の輪郭――例えば開いた手の輪郭に目を懲らしていると、指の輪郭を強調する、ぼんやりとした弱い光が、夕日の残照のように射して見える色彩やきらめきなどが見えてくる。さらに目を懲らしていると、光はいよいよ豊富に見え出す。

 だが、そんな風に意図的にオーラを見ようとする試みは疲労を誘うし、その水準のオーラを見ても、つまらないのである。自然に任せているのに、オーラが断片的に見えることはちょくちょくあるが、そのオーラがありありと見えることはわたしの場合はまれなのだ。

 ただ、創作中は自身から放射される白い光に自ら心地よく浴していることが普通の状態で、創作が生き甲斐となっているのもそれが理由なのかもしれない。

 生者のオーラに関していえば、それが見えるとき、肉体から放射される光のように見えていて、肉体はその光が作り出す影のような見え方だ。観察する側の認知的感受性が高まれば高まるほど、その影は意識されなくなっていき、遂には光だけが意識されるようになる。

 わたしはいつもオーラを見ているわけではなく、その見え方もそのときによるので、死者が訪れ、近くに死者がいたときも[基幹ブログ「マダムNの覚書」における過去記事参照]、輪郭をなぞる点描のようなものとして見えた以外は、ほとんど何も見えなかった。いわゆる幽霊が見えたことは一度もないのだ。

 それなのに、存在は感じられた。そして、たまたま死者の訪問時に死者のオーラが見えたこともあったが、そのとき、おそらくわたしは生者のオーラを見るときと同じように死者のオーラを見ていたのだと思う。

 死者の肉体が存在しないせいか、光だけが見えた。

  たぶん、わたしの認知的感受性がこの方向へ日常的に高まれば、物体は圧倒的な光の中に縮んだ、おぼろげな影のようにしか見えなくなるだろう。オーラは人間にも動物にも植物にも物にすらあるので、留まっている光や行き交っている光のみ意識するようになるに違いない。世界は光の遊技場のように映ずることと思う。

 そのとき、わたしはこの世にいながら、もうあの世の視点でこの世を見ることしかできなくなっているわけで、それはある意味で盲目に等しく、この世で生きて行くには不便極まりないに違いない。

 以下の断章は過去記事で紹介したもので、前掲の神智学徒だった高齢の女性のオーラを描写したものだ。

頭を、いくらか暗い趣のあるブルーが円形に包み込んでいた。その色合いはわたしには意外で、先生の苦悩ないしは欠点を連想させた。全身から、美麗な白色の光が力強く楕円形に放射されていて、その白い楕円の周りをなぞるように、金色のリボンが、まるで舞踏のステップを踏むように軽やかにとり巻いていた。金色の優美さ、シックさ、朗らかさ。あのような美しい白色も、生き生きとした金色も、肉眼で見える世界には決してない。

 そのときわたしはあの世の視点で他者のオーラを見ていたわけで、そのときのオーラは物質よりも遙かに存在感が勝っており、こういういい方は奇妙だが、光の方が物質よりも物質的に思えるほど重厚感があった。反面、女性の肉体は存在感のない影だった。

 圧倒的な白色を、まるで保護するように取り巻いていた金色のリボンは何かの役割を帯びた組織なのだろうが、その組織の性質が作り出す形状は装飾的といってもよいぐらいだった。

 ここで、わたしはフィレンツェの画僧フラ・アンジェリコの描く、あまりにも物質的な形状の天使の翼や後光を連想するのである。

 フラ・アンジェリコは天使のような修道僧という意味だという。本名グイード・ディ・ピエトロは15世紀前半のフィレンツェを代表する画家で、ベアト・アンジェリコ(福者アンジェリコ)、同時代人からはフラ・ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレとも呼ばれた。

 以下の画像は画集から無造作に携帯で撮った雑なもので、どんな形状のものであるかをざっと示すためだけにアップロードする。

「聖母戴冠」の一部。
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「最後の審判」の一部。
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「聖母戴冠」の天使たち。「最後の審判」の絵の中で、手をつないでいる天使たちと聖者たち。後光や天使の翼の装飾的なことといったら、笑止千万なほどだ。

 後光に注目すると、天使を前から見ても後ろから見ても後ろに張り付いている可笑しさ。頭を載せる黄金の皿のようだ。金色のシャンプーハットをつけているようにも見える。

 ムリーリョ「アランフエスの無原罪のお宿り」のマリアの頭部から放射されている光は後光としては自然な描き方で、オーラの見え始めには頭部から出ている光がこのように見え出す。
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 ただ、神智学徒だった高齢の女性のオーラがありありと見えたとき、体の周囲に卵形に拡がるオーラを縁取った金色のリボンが高級な工芸品のようにすら見えたことを思い出せば、わたしの視点が完全にあの世的な視点となったら、一種の逆転現象が起きて、光の世界こそ、物質的な様相を呈するかもしれない――などと思ったりもする。

 多くの宗教画家は天上的光を地上世界に投げかけるが、フラ・アンジェリコの工芸的な徹底ぶりは、彼が完全に天上の側に入り込んでしまっていることを意味しているのかもしれない。

 草花の描き方なども印象的で、存在感が際立っている。幻想性を帯びて見えるほどだ。装飾写本画家からスタートしたフラ・アンジェリコならではの描き方といえるのかもしれない。

『NHKフィレンツェ・ルネサンス 3 百花繚乱の画家たち』(佐々木英也監修、日本放送出版協会、1991年)によると、フラ・アンジェリコの真筆とされている僧坊壁画は「メリメ・タンゲレ(我に触れるな)」(第一僧坊)、「死せるキリストへの哀悼」(第二僧坊)「受胎告知」(第三僧坊)、「キリストの変容」(第六僧坊)、「嘲弄されるキリスト」(第七僧坊)、「聖母戴冠」(第九僧坊)、「キリストの神殿奉献」(第九僧坊)など6~7点で、他は彼の下絵に基づく助手や協力者の作品と見なされているという。

 前掲書の森田義之「天使の翼」というエッセーから、以下に一部引用させていただく。

キリスト教の教義では、天使は、三つの階級と九つの種類――(上級)熾天使、智天使、座天使、(中級)主天使、力天使、能天使、(下級)権天使、大天使、一般的な天使――に分けられるが、フラ・アンジェリコの絵画に登場するのは、「受胎告知」の主役の大天使ガブリエルか、一般的な天使たちがほとんどである。
[略]
 フラ・アンジェリコの美しい天使たちのイメージ・ソースはどこにあったのだろうか。
 ひとつは、イタリアの現実の子供たちの文字通り天使的な美しさである。

[略]
 もうひとつは、当時の宗教劇の華麗なコスチュームである。

[略]
 フラ・アンジェリコの天使たち――それは現実のフィレンツェの子供たちと、宗教劇の舞台的華麗さと、芸術的想像力が幸福に結びあって生み出された、永遠の美のイメージなのである。 

 船員時代に北欧に行った父は昔、一昨年オランダに出張した息子も、ヨーロッパの子供たちの天使のような美しさについては言葉を尽くして絶賛していた。

 ところで、図書館からアントニオ・タブッキの本を2冊、『供述によるとペレイラは……』(須賀敦子訳、白水社、1993年)と『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(古賀弘人訳、 青土社、1996年)を借りたのだが、ずいぶん以前のこととはいえ、『インド夜想曲』を読んだことがありながら、タブッキが神智学と関係があるということを忘れてしまっていた。

 タブッキと神智学協会の関係については何も知らないのだが、例えば「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という作品で「マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました」などと出てくるところからも、作風からも、関係がないはずはないので、そのことにも少し触れたいのだが、準備不足である。

 神智学とガブリエラ・ミストラルやカロッサとの関係についても書こうと思いながら、少し書いただけで放置している[いずれも基幹ブログ「マダムNの覚書」における過去記事]

 放置状態にせよ、メモだけでも残しておけば、神智学と関係のあった人々がわかるから、そのうちまとめて何か書けるかもしれない。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』の表題作で、タブッキはベアト・アンジェリコ、すなわちフラ・アンジェリコを登場させている。

 ここでの主題は、天使のような――と形容されるフラ・アンジェリコがどのような霊感をどのように受けて天使を描いたかということであろう。

 その結論が、サン・マルコ修道院の野菜畑に墜ちてきた三羽の翼あるものということになるのだろう。

 この作品は自然美とフラ・アンジェリコの純朴さを描いた逸品であろうが、どうだろう、キリスト教的主題として読むと、ひどく違和感を覚えるのはわたしだけだろうか?

 少なくとも、キリスト教的とはいえないのではあるまいか。ここに描かれたフラ・アンジェリコの世界は異教的であるに留まらず、解釈次第では冒涜的とすら感じさせる甚だ挑戦的な側面もあるということになるのかもしれない。

 ここで、わたしは過去記事で紹介し、当記事の上の方で触れた人間の七つの構成要素について改めて紹介しておかないと、話が進まなくなってしまった。

 H・P・ブラブゥツキー著『実践的オカルティズム』(田中恵美子、ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、1995年)の用語解説より、その七本質を紹介しておく。

神智学の教えによると、人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも〈七本質〉という七つの要素からなっている。人間の七本質は、(1)アストラル体(2)プラーナ(3)カーマ(4)低級マナス(5)高級マナス(6)ブッディ(7)オーリック・エッグ

 アストラル体はサンスクリット語でいうリンガ・シャリーラで、肉体は本質というよりは媒体であり、アストラル体の濃密な面にすぎないといわれる。カーマ、マナス、ブッディはサンスクリット語で、それぞれ、動物魂、心、霊的魂の意。ブッディは高級自我ともいわれ、人間の輪廻する本質を指す。ブッディは全く非物質な本質で、サンスクリット語でマハットと呼ばれる神聖な観念構成(普遍的知性魂)の媒体といわれる。

 ブッディはマナスと結びつかなければ、人間の本質として働くことができない。マナスはブッディと合一すると神聖な意識となる。高級マナスはブッディにつながっており、低級マナスは動物魂即ち欲望につながっている。低級マナスには、意志などの高級マナスのあらゆる属性が与えられておりながら、カーマに惹かれる下向きのエネルギーも持っているので、人間の課題は、低級マナスの下向きになりやすいエネルギーを上向きの清浄なエネルギーに置き換えることだといえる。

 人間は、高級マナスを通してはじめて認識に達するといわれている。

 神智学では、霊感は完全に清められた心を通して高級自我からやってくるのである。画僧フラ・アンジェリコが受けた宗教的、芸術的霊感にせよ、「受胎告知」という形式をとったマリアが受けた霊感にせよ、それが本当の意味の霊感であれば、同じ過程をとるはずである。以下の過去記事を参照されたい[基幹ブログ「マダムNの覚書」における過去記事]

 また、神智学徒は妖精好きで知られることがあるが、それは神智学徒には万物が内に秘めている生命は同じ根源から来たすばらしいものだという認識があるためで、動物も植物も鉱物も、そして神智学徒には知られているエレメンタル(地・水・火・風という四つの自然界または四大元素の中で進化したもの)のうちのいわゆる妖精のような存在も皆、兄弟姉妹と感じられるからなのだ。

 神智学徒は「神は鉱物にて眠り、植物にて夢見、動物にて目覚め、人間にておのが姿を現さんとす」という昔の諺を愛する。

 タブッキの『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』に出てくる三羽の翼あるものはどう読んでも天使ではなく、妖精で、画僧フラ・アンジェリコはその三羽の妖精たちから着想を得て絵画制作したという、キリスト教小説からはほど遠いファンタジーになっている。

 三羽の妖精たちはいずれも弱く、可憐で、フラ・アンジェリコの思いを映し出したりもする。妖精の一羽がネリーナという画僧の思い出にある女の子の顔立ちをしているのは、そのためだ。

 この小説はキリスト教的世界観によってではなく、神智学的(神秘主義的)世界観によって描かれているようにわたしには思われる。

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 メモ程度の短い記事にするつもりだったが、カロッサの『指導と信徒』に出てくる神智学、人知学について触れるためには、ブラヴァツキーの神智学についてざっとでも触れないわけにはいかなくなり、今日のところはカロッサにまで行き着かずに終わりそうなので、記事を分けることにした。

 でも、分けてしまうと、わたしは後が続かないことがある。『ハムスター列伝』然り、『最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル - その豊潤な詩また神智学との関りについて』然り。

 西洋の知識人にブラヴァツキーの影響は広く、深く及んでいるにも拘わらず、調査が進んでいない。誰のせいだろう? わたしも神智学協会の会員である以上は、その責任がある。

 といっても、頭の悪い、お金もない、普通の主婦には大したことができないので、せめて、文学書に目についた神智学の文字には注目して、記事にしておきたいと思った次第。

 以下はウィキペディアより、冒頭を引用。

Wikipedia:へレナ・P・ブラヴァツキー

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)、1831年8月12日 – 1891年5月8日) は、神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者。

著書の訳書はH・P・ブラヴァツキーかヘレナ・P・ブラヴァツキーとして出ている。通称ブラヴァツキー夫人。ブラバッキーと誤記されることもある。ドイツ/ロシア系で、ロシア語でのフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya) である(ブラヴァーツカヤはブラヴァーツキーの女性形)。旧姓フォン・ハーン (von Hahn)。

神智学はキリスト教・仏教・ヒンドゥー教・古代エジプトの宗教をはじめ、さまざまな宗教や神秘主義思想を折衷したものである。この神智学は、多くの芸術家たちにインスピレーションを与えたことが知られている。例えば、ロシアの作曲家スクリャービンも傾倒したし、イェイツやカンディンスキーにも影響を与えた。

ロシア首相を務めたセルゲイ・ヴィッテ伯爵は従弟である。2人の共通の祖母が、名門ドルゴルーコフ家の公女にして博物学者のエレナ・パヴロヴナ・ドルゴルーコヴァである。

 これ以降、特に在印期について書かれた思想的な部分は、ケチをつけるようで悪いけれど、わたしには執筆者がブラヴァツキーの主要著作さえ読んでいないのではないかと思わざるをえない。

 ウィキペディアには以下のように書かれている。

インドの地において神智学にはより多くのインド思想が導入されてゆくことになった。インド人の神智学協会会員のダモダールやスッバ・ロウなどが協力し、ヒンドゥー教や仏教から様々な教えがとりこまれた。ただし、理解や導入に限界はあり、西洋の神秘学との折衷的な手法が採用された。理解できたり、利用できる思想は取り込むものの、それができない部分はカバラーや新プラトン主義などの考え方で補完する、ということをしたのである。

 これでは折衷というより、ただの寄せ集めにすぎない。ブラヴァツキーがそんな甘い姿勢で協会の設立や執筆に取り組んだのではないことが『神智学の鍵』の序文や『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』のはしがきを読んだだけでわかるのだが……。

 折しも、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(訳者:田中恵美子 、ジェフ・クラーク )が上梓されたそうだ。1989年に出版された『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論[上]』の改訂版で、「シークレット・ドクトリンの沿革」と「議事録」の章を抜いて再編集してあるとか。

 以下の出版社「宇宙パブリッシング」のホームページからメール注文により、送料無料で購入できるという(近いうちにAmazonからも購入できるようになるそうだ)。

 最初の20ページを、PDFファイルのダウンロードで読むことができる。この部分だけでも、ブラヴァツキーの神智学の薫りが伝わってくる。

 近代神秘主義、オカルティズムはブラヴァツキーのこの著作抜きでは語れないので(それなのに、彼女の著作を読みもしないで、やたらと語る人が多いのはどういうわけか)、480頁の重厚な内容で、4,000円(税別)はお得だと思う。

「シークレット・ドクトリンの沿革」と「議事録」の章が抜かれているため、安くなっているようだ。わたしが購入した初版、第3版は10,000円(税別)だった。紛失を畏れたのと、書き込みで汚くなってはいけないので、高価な本を2冊求めた。原書も一応持っている。

 日田市で台風被害に遭った夜、わたしはブラヴァツキーのこの邦訳版と、わたしにはサファイアのようなオーラが放射されて見える原書、それにバルザックの『幻滅』、着替え、通帳、ハムスターをケージごと持って、ホテルに避難した。

 『シークレット・ドクトリン』のはしがき(この部分はサンプルのダウンロードで読める)に、「この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって」とあり、執筆にアデプト(大師)の助けがあったことをほのめかしているが、こうした部分が攻撃の的となってきたわけだ。

 そんなこと、確かめようのないことで、わたしにはどうだっていい。内容の高貴さは美しいオーラが証明していると思うし、「はしがき」に表れた著者の謙虚さ、志の高さ、ナイーヴさを知るだけで、わたしにとって、この著作はすぐに宝物になったのだった。

 平易な表現でブラヴァツキーの人生を素描したハワード・マーフェット『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、竜王文庫)には、次のような箇所が出てくる。

或る日、伯爵夫人が書斎に入っていくと、床には棄てられた原稿用紙が一ぱい散らかっていました。
「どうしたのですか?」と彼女は聞きました。
「一頁を正確に書こうとして十二回もやって見ました。いつも大師は違っていると言われるのです。何度も書いて、気違いになりそうです。でも成功するまでは休みませんよ。たとえ夜中までかかってもやります。勝手にさせておいてください」
 コンスタンスはコーヒーを持って行き、そのうんざりする仕事をさせておきました。一時間すると、HPBが呼んでいるのが聞こえました。その頁は満足出来るよう、仕上がっていました。

 文中の伯爵夫人というのは、ブラヴァツキーが『シークレット・ドクトリン』を執筆していたとき、協力者として生活を共にしたコンスタンス・ワクトマイスターという名のスウェーデンの伯爵夫人である。

 この如何にも貴婦人らしい気品に満ちた写真の残っているワクトマイスター夫人は、透視力が優れていて、大師が精妙体で現れるのを度々見たり、時には話しているのを聞くことさえできたという。

 わたしも、いわゆる透視力や透聴力といわれる能力が徐々に発達してきたせいで、子供の頃には前世修行者だったという霊的記憶と瞑想の習慣くらいしかなかったのが、大人になってから、いろいろな体験をするようになった。だから、伝記に書かれたようなブラヴァツキーの周囲で起きる様々な現象も、大して珍しいとも思わない。

 わたしにはなぜ、問題の本質――著作の性質――をそっちのけにして、今なお、ブラヴァツキーが霊媒だのペテン師だのと、それ以外のことばかり問題とされるのかがわからない。

 著作がすべてを語るのではないだろうか。「はしがき」で、ブラヴァツキーは著作の目的を次のように書く。

万物の存在は偶発的なものではなく、必然の結果であると証明すること、宇宙体系においての人間の正しい位置を明らかにすること、さらに、あらゆる宗教の基礎である太古の真理を忘却から救い、その基本的統一性を発見すること、最後に、これまで近代科学が取りあげなかった大自然の側面を示すことである。

 考古学の発見や古文書の解読、また科学の発達によって、当時は荒唐無稽に思われたブラヴァツキーの記述の中に、その正当性が明らかになったことがずいぶんあるのではないかと思う。大学の研究室のような専門機関で、ブラヴァツキーの著作は検証される時期に来ているのではないだろうか。

「はしがき」でブラヴァツキーは明かしている。

これらの真理は断じて、啓示としてもたらされたものではないし、筆者は、世界の歴史の中で今はじめて公けにされた神秘的な伝承の啓示者であると主張もしない。この著作の中にあるものは、アジアの偉大な宗教や太古のヨーロッパの宗教の聖典に表されているが、象形文字や象徴のヴェールにかくされて、これまで気づかれないままに散在していた何千巻にも及ぶものから得ている。今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた一貫した全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。というのは、この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである。ここで述べられている沢山な事実の公表は、的はずれで空想的な推論が行われてきたために必要とされるようになったのである。つまり近年、多くの神智学徒や神秘主義の学徒が、自分に伝えられた僅かな事実をもとにして、自分だけが完全だと思い込む空想的な思想体系をつくり上げようと、夢中になっているからである。

 ブラヴァツキーは「多くの神智学徒や神秘主義の学徒が、自分に伝えられた僅かな事実をもとにして、自分だけが完全だと思い込む空想的な思想体系をつくり上げようと、夢中になっている」と書いているが、結局後継者であったアニー・ベサント、リードビーター、神智学協会ドイツ支部の分裂後アントロポゾフィー協会を設立したシュタイナーにしても、ブラヴァツキーの観点からすれば、彼女の死後も同様の事態が発生したことになる。

 アニー・ベザントも、シュタイナーも、それぞれに巨大な足跡を残した人々ではあったが。

 カロッサの『指導と信徒』には、神智学と人知学が出てくる箇所がある。区別して訳されているから、人知学とはシュタイナーのアントロポゾフィーのことだろう。

『指導と信徒』は1933年に出ている。シュタイナーは1925年に64歳で亡くなっている。カロッサは1878年に生まれ、1956年9月12日に亡くなっているから、シュタイナーが亡くなったとき、カロッサは47歳。カロッサが神智学やシュタイナーの著作を読んだことがあっただけなのか、神智学協会ドイツ支部あるいはアントロポゾフィー協会と関わりを持ったのかどうかは、『指導と信徒』の中の短い記述からはわからない。

 ただ、その記述からすると、仮にそうした場所へ足を運んだことがあったにせよ、それほど深い関わりを持ったようには思えない。だからこそ、当時のドイツにおける知識人たちに神智学やアントロポゾフィーがどんな印象を与え、影響を及ぼしたのか、探れそうな気がする。

 リルケを医者として診察したときの描写、友人づきあい、またリルケに潜む東方的な影響――ヨガの精神――について書かれた箇所は印象的である。リルケについても、改めてリサーチする必要を覚える。

 カロッサ全集の中から書簡集と日記を図書館から借りたので、それらに神智学、アントロポゾフィー、またリルケについて書かれた箇所がないか、探してみたい。

 ②では神智学、人知学が出てくる箇所を抜き書きしておこう。シュタイナーは第一次世界大戦、カロッサは第一次大戦とナチス下の第二次大戦を体験し、生き死に関する問題が重くのしかかったであろう過酷な時代を生きた。

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