文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:文学論

初出=「第164回芥川賞受賞作品、宇佐見りん「推し、燃ゆ」を読んで」『マダムNの覚書』。2021年3月29日 (月)20:18、URL: https://elder.tea-nifty.com/blog/cat23116495/index.html

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この作品には、語り手を選択する時点での問題がある。呆れたことに、このことを指摘した選考委員はいない。

発達障害のある若い女性「あかり」が、一人称の語り手として設定されている。ここに無理がありはしないだろうか。

あかりに発達障害があると作中で明記されているわけではないのだが、高校中退に至る経緯や、「働け、働けって。できないんだよ。病院で言われたの、知らないの。あたし普通じゃないんだよ」といった言葉などから、そのように推測できる。

わたしは作者が発達障害の持ち主ではないことを前提として話を進めるが、その場合、発達障害を持つ人物になりきるための困難さが伴う。

それを克服しながら創作を進めたとしても、書く内容にかなりの制限が加わってくることが予測できる。従って、発達障害のある人物を語り手とするには創作技法上のリスクが高いように思われるのだ。

発達障害は人によって症状は様々であり、個人差が大きいようだが、たまたま、娘の前職場での相棒――同僚――が発達障害の持ち主で、対応に苦慮していた娘から彼女の話をよく聞かされたため、わたしは期せずして発達障害の特徴を学習したのであった。

娘が当時、勤務していた病院にわたしは通院しており、その発達障害の若い20代の女性と接したことが何度かあるため、描写することはできる。発達障害を、ではなく、発達障害を抱えた彼女という人を描写することはできる。

これが家族とか友人であれば、当人が気づかない部分を克明に描写することも可能となってくるだろう。

そのような視点で――家族や友人、あるいは作者自らを語り手として――描くほうが主人公あかりを純文学的に深く扱えるのではないだろうか。

あかりに合わせた工夫なのか、雑然とした汚い――といっては語弊があろうが――文章がだらだらと続く中に、作者本来の文章かと思わせるカラーの異なる文章が混じるという違和感も、語り手の選択によってはなくすことが可能である。

純文学小説の持ち味である、文章の冴えを発揮するためにも、語り手の選択には慎重さが要求されるはずだ。

「原級留置」と言われた高校からの帰途で、あかりと母親は「実際には泣かなかったものの、二人とも泣き疲れたような顔をして歩いた」。落胆ぶりが鮮やかに表現されている。このような冴えた表現、彫琢した文章で作品を埋め尽くしてほしいものである。

「作者が発達障害の持ち主でない前提として話を進める」と冒頭で断ったのは、斑のある文章から作者があかりになりきれていないことが感じとれ、作者にはそうした障害はないに違いないと確信したためである。

尤も、作者本来の文章と思った部分に編集者の手が加わっていたとしたら、話は違ってくる。というのも、自身が発達障害であることを公表している小説家もおられるからである。まあ、インタビューからすると、完全な創作であるようだ。

病院勤めとなる以前には書店員だった娘がいうには、発達障害のある人物が登場するライトノベルは多いそうで、一種のブームを形成したという。

あかりは地下アイドルに夢中になっている。ここでも娘に教わった。地下アイドルとは、マイナーなアイドルのことらしい。作中では、友人成美の言葉を借りて、「触れ合えない地上より触れ合える地下」と解説されている。

娘の仕事上の相棒には、ほとんど崇拝といっていいような想いを向けている同性の友人がいた。元々彼女は美しい人が、あたかも美の象徴と捉えているかのように好きであり、美しい人には至極優しく接するという。そこに、同性愛――肉欲的――色彩はおそらくない。

観念的というか、精神至上主義的といえばいいのか、自身の気高い部分を託した存在とでもいうべきか。小学校高学年から精々中学1年くらいまでは、わたしにもそうした部分があった。

そのときとおそらくは同じで部分でわたしは、お亡くなりになった神智学の先生をご存命中と同じく敬愛し、霊感的に察知する萬子媛にもまた同様の想いがあるが、このかたがたは指針であり、理想像ではあるにしても、同じ女性としての経験から理想化もほどほどといった手加減が加わっているのである。

自分がなくしたものを彼女は思い出させてくれる。俗にいうなら、彼女は年齢より幼い印象を抱かせる。

病院の某科受付で彼女に接したとき、彼女のこうした精神傾向を垣間見た気がする。

初めて彼女に接し、娘がお世話になっている旨挨拶したとき、流し目でこちらを窺ってきた。「家政婦は見た!」というドラマを連想させるような、若い華奢な女性から勢い、おばさん臭さ、詮索臭さが匂って、それはそれは強烈な印象だった。

事務処理が済むのを――このときは娘が担当――受付で待っていると、ふと視線を感じた。彼女が離れたところからこちらをまっすぐに見ていた。

澄んだ、意志的なまなざしだった。一点の曇りも交えず、観察されていたに違いない。目が逸らされるまでのほんの一瞬のことだった。崇拝する女友達にはこの鉄壁な守りが花弁のようにほころびるのだろう。

わたしは『詩人の死』という日記体の短編小説を書いたことがある。障害を抱えた人の中にはこのような、ハッとさせられるまなざしを持つ人がいて、わたしが作品の中で詩人と呼んだ女性もそうだった。

健常人にはない類いの凝縮力、集中力、何か透徹した意識の存在が娘の仕事上の相棒と共通している。信頼できる、全身全霊を捧げ得る人を、彼女たちは血眼になって探してきたのだろう。

あかりのアイドルに対する想いには、そこまでのものはなく、もっとずっと俗っぽい感じを受ける。

わたしは娘の仕事上の相棒の内面世界に物書きとしての興味を持った。しかし、彼女は仕事上の相棒を次々と追い出す強者であり、一緒に取り組んだ「傾向と対策」のお陰か、あの病院で娘が彼女と最長期間を過ごした相棒となった。

一日でやめた人があり、「やめてほしい」と彼女に懇願した人があり、体調を崩してやめた人があり、といった具合だったのだ。契約期間が切れるころに転職先が見つかればいいと思っていた娘も結果的に――たまたま正社員の口があったからではあるが――、転職が早まったといえる。

感情の制御が効かないところがあって、そのとき彼女は小さな怪獣のようであるという。受付に気に入らない患者が来たあとは、紙をいつまでも切り刻んでいたり、ボールペンをノートに力任せに突き立てたり、汚い言葉を吐いたり、とめどなく自分のことをしゃべり続けたり………しかし、それは二人きりのときだけで、全く制御が効かないわけではないようだ。

一種の八つ当たりといえるのかもしれない。

受付の向こうでパソコンに向かっている彼女は背中がリラックスしていて、幸福そうに見えた。娘に、彼女は事務仕事が好きではないかと訊くと、得意だという。

一方的なことかもしれないが、受付の近くにいた間、わたしには彼女の感情がインスピレーションとしてよく伝わってきたのである。濁りのない意識、子供のように直情的だが、それこそが障害から来たものなのかもしれない。

前述したように、わたしは娘の仕事上の相棒の内面世界に物書きとしての興味を持ったが、小説「推し、燃ゆ」の語り手あかりには何の興味も持てなかった。

あかりという人物の輪郭がはっきりしない。作者に、それくらいの文章力しかないということである。

地下アイドルが引退するからといって、自分も「推し」(いわゆる、追っかけ)を卒業しなければならないと思うところに、わたしは異議がある。

選考委員の一人、吉田修一氏の「そもそも推しに依存して生きる人生の何がいけないのか、わからない」という言葉に同感である。

あかりにとって、「推し」に値するアイドルは、あくまで、「触れ合えそう」な存在でなければいけないということだろうか。娘の解説では「推し」には、地下アイドルを有名アイドルに育てる期待感も伴うものらしい。

いずれにせよ、あかりが執着した地下アイドルの描写はそれほど多いわけではなく、表現も陳腐で、あかり自身のことが雑な文章で延々と語られる部分が作品の大半を占めるため、読了するのが苦痛だった。

世慣れたおばさんが、趣味で――頭の中の整理がつかないまま――書いた小説のようだ。若い人の作品にしばしば秘められている、年寄りをときめかせるものがここにはなかった。

純文学的発見のないところに、純文学的収穫はなく、当作品を純文学小説と呼べるのか、わたしには甚だ疑問である。芥川賞は完全に村のイベントと化した。
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ブログ「マダムNの覚書」に3月6日、投稿した記事の再掲です。
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飛ばし読みしながらも、初めて夏目漱石の「坊ちゃん」を最後まで読んだ。

この作品は純文学小説ではないが、だからといって大衆小説ともいえず、出来の悪い大衆小説的な作品というほかはない。

平板な表現の毒舌がだらだらと続く文章には耐えられず、飛ばしながらでなくては読めなかった。

その文章自体に、問題があるのではないだろうか。言葉の結びつけ方がおかしいのである(ノートですらないメモだから、ここでは省略するが、評論を書くときに例を出して指摘する)。

坊ちゃんはしきりにレッテル貼りを行う。純文学であれば、逆に、世間で貼られたレッテルをまず剥がす作業を行う。

大衆小説であれば、勧善懲悪の爽快感が得られるのだろうが、そういうストーリー展開でもない。

マドンナの心情に重きを置けば、華のある大衆小説ともなるのだろうが、そうした場面もない。

家柄のよい出でありながら、社会的激変のために女中となった清と坊っちゃんのラブロマンスだろうか?

坊っちゃんが殿で、清に祖母・恋人・召使いの役割を担わせた、夢物語というべきか。

借家とはいえ、坊ちゃんと一緒に暮らすという清の夢を実現させ、離ればなれになっても思いを通わせ続けた男女が、晴れて一軒の家に収まるという、庶民の好みそうなつつましい夢物語となっている。

マドンナがまともな形では出て来ないのも、そのためである。清が紅一点でなければならないから。そのことからも、「坊っちゃん」が変則的恋愛小説であることは間違いない。

若い男と老女が一軒の家に仲むつまじく暮らすエンディング、女のわたしには相当に気持ちの悪い恋愛小説である。

坊っちゃんは、いわゆるおばあちゃんに溺愛されたおばあちゃん子であるのだろうが、清が祖母でないというところが味噌なのであろう。清は疑似祖母であるが、まぎれもなく女なのだ。

坊ちゃんと性関係があってもなくても、ああ気味が悪い。疑似祖母との恋愛物語なんて。

わたしは、年齢差のある恋愛関係が気持ちが悪いといっているわけではない。男の側に都合のよすぎる漱石の女性観が、気持ちが悪いといっているのである。

この女性観、既視感がある。村上春樹の女性観だ。以下の作品(Kindle版)で、わたしはそれを指摘している。

「村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)」 (ASIN:B00BV46D64)

マドンナ(若い女性)に欲情することもなく、清への初恋を貫いたままの幼児心理で成人後も生きる坊っちゃん。したい放題して、事が暴力沙汰に及んでも逮捕されることもなく、学校をやめても、すぐに他の仕事が転がり込む。常に保護される坊っちゃん。

清にも天にも愛でられる坊っちゃん。このことからも、純文学小説には欠かせない、主人公と作者との間に存在すべき距離感のないことがわかる。

そして、老女が亡くなったあとのことは書かない漱石。

ぬるま湯に浸かり続ける坊っちゃんを、作者が限りなく肯定するお話なのである。

まともに読んで、まともな感想が書けますか、こんな小説で。シェークスピア、デフォー、モーパッサン、ゾラ、イプセン、芭蕉、李白まで貶す漱石が書いた小説がこれって……。

かような内容の「坊っちゃん」を読書感想文に推薦……ほほほ……ホント、どうかしてますねえ、この国。書けないでしょう、まともな感想文なんか。

デフォーは読んだことがないけれど、それ以外のどなたを読書感想文に選んでも、それなりに書き応えがあるはずだ。読書感想文には、漱石が貶す作家をオススメする。

この男が真面目づらして「門」なんか書くと、なおのこと罪深い。門なんてタイトル、こけおどしもよいところだ。

お稽古事に1、2度行ってやめる子供がいるけれど、主人公の参禅がそのレベルにすぎないことを思えば。

まだ漱石にかんする研究は序の口だが、早くも飽きてきた。この男が文豪と祭り上げられてさえいなければ、とっくに夏目漱石から離れているだろう。

夏目漱石は本当はあばた面だが、日本では文豪のシンボルとなっているあの有名な写真には、それを消す修正が施されているそうだ。それは漱石の罪ではないだろうが、加工されたあの写真が漱石のイメージアップに利用されてきたことは間違いない。

隠れマザコン(ババコン)で、幼児心理のまま成熟することを拒否、無教養であることを自慢すらし(この世で教養のある人間は漱石先生だけでなければならない)、他人にレッテル貼りをして馬鹿にして、暴力沙汰を好む――そんな生き方を天は愛でると漱石の文学は教えている……(絶句)。

ちょっと、漱石から離れよう。そのつもりなのに、気になってなかなかそうできない。

テレビの国会中継をつけたまま、KindlePaperwhiteで「坊っちゃん」を読んでいるうちに、爆睡。とにかく、漱石を読んでいると眠くなる。

すると、夢を見た。学校に(高校?)、安倍首相が視察にくる。ぞろっと一団になってこちらに来る安倍首相は、わたしたち生徒のほうを見て、「いつからこの国ではいじめが流行るようになったのか、誰かわかる人がいたら教えてください」と声をかける。

わたしはいじめをテーマとした小説を書いたことがあると思い、その小説の載った雑誌を手に、安倍首相を追いかける。

最上階が首相官邸ということになっていて、最上階へと続く階段の踊り場に首相がひとり。わたしが近づくと、ペロペロキャンディーを差し出される。「お一つどうぞ」

この踊り場でペロペロキャンディーをなめる時間だけが、首相の唯一の自由時間らしかった。

わたしは自作の宣伝ととられると困るなと思いながら雑誌を渡して、この小説を書いた時期からいじめが流行り出しました、いじめをテーマとした小説を書かざるをえない社会状況でした、と説明する。

ほお、という表情の首相。

「子供たちにはよい本を読ませなければいけません。でなければ、この国は崩壊してしまいます。よい本がどんな本かの選択が難しいところですが……」と、力説しているところで、目が覚めた。まだ国会中継中で、共産党議員の質疑中だった。

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ブログ「マダムNの覚書」に3月5日、投稿した記事の再掲です。
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前の記事で、夏目漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読みかけていると書いた。
それを何とか読了したものの、昨日一日受けたショックから抜け出せなかった。

お札にまでなった夏目漱石。何て、滅茶苦茶な文学論を展開するのかと呆れ、漱石が国民作家と崇められ続けてきた現実と、そのことでどれだけ日本人の読書環境、情操が損なわれ続けてきたかを思うと……(絶句)。

これほど神格化されることなく、一作家として、実力に応じた遇され方をしたのであれば、それほどの問題はなかったのかもしれない。が、漱石を神格化した勢力が日本には明らかに存在していて(その勢力は、村上春樹を第二の漱石にしようとしたと思われる)、彼らの目的が何なのかをわたしは疑う。

わたしは以下の電子書籍で村上春樹にかんする評論を書いたが、食わず嫌いせず、もっと早い時期に、漱石をちゃんと読むべきだった。まあ無力なわたしがそうしたからといって、それでどうなるというわけでもないのだが。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

ハーヴァード大学のカレン・L・キング教授がイエスにかんする重大な発表を行っても、バチカンが公式にひとこと否定して、それで終わりなのだから、わたしなんかがここや電子書籍で声を限りに叫んでも、南海の孤島からボトルメールを日本に向けて流すのに等しい。

ウィキペディアによると、幸い、漱石は欧米での知名度はあまり高くないという。そりゃそうだろう! 村上春樹を高く評価したジェイ・ルービンが漱石を積極的にプッシュしているようで、苦笑してしまった。

漱石の小品にはすばらしいものがあるから、作品のどこかで引っかかったりしながらも、その引っかかりが問題意識にまで発展するに至らず、追究しようとはしなかった(小品を読む程度で、興味がなかった)。だから、今日になるまで漱石の文学の全貌がわからなかったのだった。最近になって、ようやく読み始めてからは驚きの連続……

「文芸の哲学的基礎」を研究した学者も少なくないだろうに、なぜ、漱石の文学が問題視されないのか、不思議である。問題視した学者、評論家は潰されたのだろうか。

勿論、「文芸の哲学的基礎」がどんな思想家の影響を受けているのか、きちんと調べられているのはさすがに学者の仕事だとありがたい思いでいっぱいになる。

しかし、漱石が影響を受けたとされるウィリアム・ジェイムズにしても、漱石がウィリアム・ジェイムズに本当の意味で影響されたのか、そうではなく、漱石が自分の勝手な都合で断片を拝借し、結果的にウィリアム・ジェイムズの仕事を貶める結果になったのか、そこのところは究明されなくてはならないはずである。それでなくては、研究とはいえない。

当記事のトップに挙げた拙過去記事で、わたしは漱石の因果の法則にかんする解釈に疑問を呈し、「漱石は、キリスト教史観(直線史観)と東洋哲学でいう因果の法則をごちゃ混ぜにして論じているのではないだろうか。ずいぶん滅茶苦茶な内容に思えてしまう」と書いたが、ウィリアム・ジェイムズに因果の法則にかんするものがあるのだろうか。漱石のいう因果の法則とは、東洋哲学でいう因果の法則ではなく、ウィリアム・ジェイムズのいうそれなのだろうか。

西洋哲学由来の因果の法則であるならば、そう説明すべきであろうが、いずれにしてもわたしには漱石のいう因果の法則は東洋哲学でいうそれとしか思えない。

わたしは、まだプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェイムズを読んではいない。

だが、弟のヘンリー・ジェイムズの小説は――まだ読み残しのほうが多いにせよ――愛読している。この二人はよく比較され、両者共に比較に耐える人物であることを思えば、ウィリアム・ジェイムズの哲学も弟の小説と同レベルの高さを持っていると想像するのが自然ではないだろうか。

その想像からすると、漱石の「文芸の哲学的基礎」はあまりといえばあまりの「猫踏んじゃった」ではあるまいか。だから、漱石がウィリアム・ジェイムズの影響を受けたということに、ウィリアム・ジェイムズを読む前から疑問を抱かずにいられない。

「ねじの回転」はよく知られているヘンリー・ジェイムズの小説で、幽霊小説としても、心理小説としても読める名作である。わたしは何度読み返しても、物書きとしての羨望のため息が出る。「マダムNの覚書」の過去記事で、「ねじの回転」に触れている。

  • 2010年8月 6日 (金)
    真夏の夜にジュニア向きホラーは如何?
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/08/post-1bd7.html

     わたしがこれまでの人生で一番ぞっとさせられた文学作品は、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』です。次が泉鏡花の『草迷宮』。
     どちらもこの世の深淵を垣間見せてぞっとさせながら、襞に秘められた魅力……とでもいうべきものを教えてくれました。

もう一編、過去記事でヘンリー・ジェイムズの「ボストンの人々」に触れている。長いので、ライン以下に関係のない部分を除き、折り畳んでおく。

わたしはその記事の中で、「ヘンリー・ジェイムズはボストンのいわば凋落の秋を『ボストンの人々』という作品で描いた。そこは俗物時代が到来し、拝金主義が蔓延る世界だった」と書いたが、そういえば、漱石も頻りにお金のことを恨みがましく書いた男であった。

ヘンリー・ジェイムズのお金と人物の描き方は、漱石とは著しく異なる。漱石が貶すモーパッサンにしても、ゾラにしても、その描き方はそれぞれに個性的だが、それを描くときの作家の透徹したなまざしを感じさせるという点では、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズには共通したものがある。

漱石の小説とは明らかに違う。モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズは社会的視点を感じさせる。お金と人間の関わり方を見通しの利く世界の中で見事に描いてみせたが、漱石の場合は「私」の域を出ていないように思える。

社会的視点が感じられないため、作者の愚痴、よくても世間話のようにしか感じられないのである。むしろ、だから人気があるのかもしれないが、文学作品として評価しようとする場合、貧弱に感じられるのは否めない。

例えば、主人公が騙される話なら、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズの小説では、騙される主人公、騙す人間の人物像だけでなく、そのときの社会状況や経済の動き、人間関係がどのようなものであるかが鮮明に浮かび上がってくる。

漱石の場合は、騙された側の苦境や心理状態はよく描かれているが、そのときの社会状況や経済の動きまではわからない。

明治の初期には、江戸時代の経済の仕組みが崩壊して混乱があったようだし、明治時代を通して激動の時代だったわけだから、そうした時代背景をもっと感じさせていいはずだが、あまりそうした情報を得ることはできない。

林芙美子の小説では、さすがにその辺りはよく描かれている。ちなみに、バルザックの小説は経済学者が引用するほど、経済情報が書き込まれているそうだ。ゾラの金融小説は圧巻である。

また、「文芸の哲学的基礎」では、文芸家の理想として美、真、愛及び道義、荘厳とあるが、具体例があまりに低俗なものばかりなので、どれも同じに思えてしまう。

当記事で挙げた欧米の作家たちの小説には、美、真、愛、荘厳が気高い輝きを放って(漱石のいうそれらとは意味合いもムードも違うものだが、それらの言葉を連想させるだけのものがある)、美も真も愛も荘厳も分かちがたく存在しており、そうした小説を愛読してきたわたしには、漱石の分類の意味がさっぱり呑み込めない。

その分類も、どこからか借りてきて、勝手な使い方をしているのではあるまいか。そう疑いたくなるほどの奇妙さだ。

シェークスピアからは妙な圧迫を受けるだけで不愉快(技巧のあるところはよいそうだ。その点デフォーは駄目だそうで)、イプセンは不愉快な女を書いた、軽薄な落ちを作るモーパッサンも不愉快だそうだ。

ゾラに至っては「ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが……ゾラ君なども寄席へでも出られたら、定めし大入りを取られる事であろうと存じます」と偉そうに講演なさる漱石先生は、批判するゾラの著作のタイトルさえ解説なさらず、ゾラも余席も〈普通の人〉もまとめて馬鹿扱い。ゾラとモーパッサンは、ほとんど探偵と同様に下品でもあるとか。探偵をなさっている方にも失礼な物言いだ。

芭蕉の俳句は消極的、李白の詩は放縦……

ここまで読むと、わたしはもう恥ずかしい。これが日本の文豪だというのだから。頭がおかしいのではないかとすら、疑ってしまう。

以下の「マダムNの覚書」の過去記事で、李白の「月下独酌」を山本和夫訳で紹介し、短い感想を書いている。

  • 2010年9月20日 (月)
    更新のお知らせ。山本和夫編『ジュニア版 世界の文学 35 世界名詩集』(岩崎書店、昭和44年)より。
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/post-baaf.html

    酒仙、李白の詩をジュニアのわたしは、ふん、と思っただけでしたが、今は惚れ惚れします。道士の修行をしただけあって、雄大ですわ。李白の詩からは、芳醇な老荘思想の香りがしますわね(わたしは結婚後はほとんどお酒を呑まなくなったせいか、酒呑みは嫌いです。李白みたいな酒呑みって、いませんもの)。

何だかわたしまで頭がおかしくなった気がするが、気をとり直して、まずは、ウィリアム・ジェイムズの著作を読むことから始めなくてはならない。

それには時間がかかるだろうし、今は他にしたいことがあるので、とりあえず、2本の記事(メモ)をまとめ、ノートとはいえもう少し整理して、「国民作家・夏目漱石の問題点と、神智学協会の会員だった鈴木大拙 ④漱石の異常な文学論 #1」を書いておこう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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ブログ「マダムNの覚書」に3月2日、投稿した記事の再掲です。
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早いとこ、短編小説を書いて初の歴史小説に戻りたいところだが、夏目漱石の評論類を読んでしまいたいと思った。「文学論」「文明論」は手元にない。

講演録「文芸の哲学的基礎」「創作家の態度」は青空文庫版がKindlePaperwhiteに入っている。「創作家の態度」にはウィリアム・モリスが出てくるので、そちらから読みかけたのだが、途中で睡魔に襲われ、寝てしまった。

最近、心臓の調子が悪く、例によっておなかが膨れている(腫れている。せっかく痩せたのに)。そのせいもあるだろう。あとでちゃんと読もうと思い、「文芸の哲学的基礎」から読むことにした。

時間、空間、意識という、それぞれが哲学的一大テーマとなってきた各概念が、いともあっさり、勝手気ままに――と、わたしには思えた――定義され、そうした定義が錯綜する中でなぜか唐突に「因果の法則」がバッサリ否定し尽くされると、特にびっくりしてしまう。

というのも、読み始めてずっとびっくりしていたので。わたしが特にびっくりしたのは、以下に引用する部分。

 それから意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫も変る事がない。するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則と云うものを捏造するのであります。捏造と云うと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない。意識現象に附着しない因果はからの因果であります。因果の法則などと云うものは全くからのもので、やはり便宜上の仮定に過ぎません。これを知らないで天地の大法に支配せられて……などと云ってすましているのは、自分で張子の虎を造ってその前で慄えているようなものであります。いわゆる因果法と云うものはただ今までがこうであったと云う事を一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出て来ないなどと思うのは愚の極であります。それだから、よく分った人は俗人の不思議に思うような事を毫も不思議と思わない。今まで知れた因果以外にいくらでも因果があり得るものだと承知しているからであります。ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。

漱石は、キリスト教史観(直線史観)と東洋哲学でいう因果の法則をごちゃ混ぜにして論じているのではないだろうか。ずいぶん滅茶苦茶な内容に思えてしまう。

東洋哲学あるいは仏教でいう因果の法則というのは、過去記事で紹介した動画の中でお坊様がおっしゃっているようなことだと思う(再度動画をアップ)。
 
 以下に、ウィキペディアから「因中有果(いんちゅううか)」について引用。

因果:Wikipedia

因中有果(いんちゅううか)
正統バラモン教の一派に、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがある。

仏教の世界観を表現したものは曼荼羅、円。神秘主義は螺旋史観。

因果の法則は、漱石のいうようなギャンブルめいた確率の問題とは無関係である。

わたしが漱石の講演に行けば、間違いなく爆睡する……まだ「文芸の哲学的基礎」を最後まで読めない。ノート④を書くはずだったが、時間がかかりそうだ。

ひとまず、書いてしまいたい短篇小説に行こう。そして、初の歴史小説に戻らなくては。漱石ノートは時間がとれたときということにしたい。評論に仕上げるには、相当な時間がかかりそう。

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ブログ「マダムNの覚書」に2月23日、投稿した記事の再掲です。
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鈴木大拙の自国の歴史観、宗教観には伝統の輝きがあり、それを継承せんとする意志が感じられる。

知的な把握なしではできないことで、そうすることで西洋など他国の歴史観、宗教観との比較も可能となる。悪戯に自国や自らを卑下したり、悲観したりといったことの以前に、自国の文化に、また他国の文化に興味を湧かせる生き方である。

一方、漱石の場合は、伝統や風土といったものが鋭い感性と観察眼によって捉えられ、魅力的な造形の一要素となっているものの、伝統や風土を形作る歴史や宗教が知的に捉えられた形跡というのは、あまり見られない。

『門』を例にとると、漱石は主人公に参禅させるが、主人公が禅を知り初めようとする段階で禅との関わりを早々に打ち切り、面倒臭そうに、禅あるいは宗教を否定してしまっている。

地の文に、禅や、当時の宗教界の動きなどに関する解説的、解釈的なものはない。一般の読者はそうした作者の心理や動機を分析したりはしないだろうから、文豪漱石の宗教観に容易に感染するだろう。

そして、主人公に、で引用したような、暗殺された伊藤博文に対して暴言を吐かせているが、地の文で、主人公の口吻に関する解説的、解釈的なものは見られず、読者は当時の日本が置かれた政治状況をこの作品から知ることはできない。

巷間の雰囲気を反映させた言動であるのか、主人公の特殊な言動であるのか、わからない。

主人公の言葉だけとれば、井戸端会議における誹謗中傷と変わりないともいえるわけであるが、それが風俗描写としての役割を持たせたものであるのか、作者の一方的な印象操作に終始した洗脳めいたものであるのかは、よく分析されなければならないところである。

いずれにしても、ここでも読者は、文豪漱石の歴史観に容易に感染してしまうわけである。

漱石の小説は、知的好奇心を陽気に、若々しく刺激してくるバルザックのような書き方とは、対照的な書き方なのだ。

漱石は、神格化されているといってもいいすぎではない。

学校で盛んに読まされ、書店で途切れることなく目にする漱石の諸著は、当然ながら日本人の考える指針、生きる指針となってきたわけだが、前掲のような漱石の作品の傾向からは、よく知り、深く考えようとすることには無精な、考え方や歴史観に偏りのある人間を作り出す畏れがあるばかりか、原因のはっきりしない虚無感を植え付けられてしまう懸念がありはしないだろうか。

このノートは、そのうち非公開にする予定の覚え書きにすぎないので、ここでこうした懸念の裏付けを丹念に行うつもりはない。

漱石には共産主義思想の影響があるようだが、それがどの程度の影響であるのか、それが彼に知的な抑圧として働いていないかを、よく調べる必要があるだろう。

鈴木大拙は小説家ではなく、仏教学者(文学博士)であるが、同じ文化の担い手として、鈴木大拙にあって漱石にないのは、文化の継承者としての責任感と、自国そして東洋の思想の特色や優れたところを海外に伝えると同時に、海外から伝えられたものを理解、了解して、調和的に共存せんとする情熱である。

鈴木大拙は神智学協会の会員だったようだが、折口信夫(釈迢空)も神智学協会の影響を受けているようだ。

鈴木大拙について、ウキペディアから拾ってみる。

鈴木大拙:Wikipedia

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。〔……〕

来歴
石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。
第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より大拙の居士号を受ける(「大巧は拙なるに似たり」)。
1897年に釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。〔……〕

YouTubeに、鈴木大拙の動画があった。講演「最も東洋的なるもの」が1~4に分けて公開されている。

  1. https://www.youtube.com/watch?v=ULx4nJW5cXE&list=PL0184DE05416B2F19

  2. https://www.youtube.com/watch?list=PL0184DE05416B2F19&feature=player_detailpage&v=g8PxChBnTBU

  3. https://www.youtube.com/watch?v=-P419xY06E8&list=PL0184DE05416B2F19

  4. https://www.youtube.com/watch?v=M2QXF7qqzKg&list=PL0184DE05416B2F19


1の明治のころの悠長な日本の話、英語と日本語の違いの話が白い。西洋的な自由と東洋的な自由――の違い――について述べられた4は、圧巻。

鈴木大拙に影響を与えた神智学協会について、また明治期の宗教界の動きについて知る助けとなりそうなオンライン論文に、以下のようなものがあった。

過去記事で紹介した以下の本も、参考になる。

ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会
岩間 浩 (著)
出版社: 学苑社 (2008/08) 

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ブログ「マダムNの覚書」に2月19日、投稿した記事の再掲です。
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1910年3月から6月に朝日新聞に連載され、翌年1月に春陽堂から上梓された『門』で、伊藤博文が暗殺されたことを宗助は運命といい、さらにこういわせている。
「おれみたような腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓へ行って殺される方がいいんだよ」「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ」

宗助は役人である。

ウィキペディアから、この当時のことを拾ってみる。

  • 1909年10月26日 - 伊藤博文が哈爾浜駅で暗殺される(犯人安重根)
  • 1910年8月22日 - 韓国併合: 日韓併合条約調印

こうした御時世に朝日新聞に連載、上梓されたのだから、ずいぶん鷹揚なムードが日本にはあったようだ。

如何にも反日左派を喜ばせそうな宗助のセリフだが、夏目漱石は純文学作家という姿勢でこの場面を書いているのだろうか、大衆作家的姿勢で読者を楽しませることを目的に書いているのだろうか。

この当時は純文学というジャンルはなかったのかもしれないが、フランス文学――特にバルザックに学んだ無頼派などの時代になると、純文学作家(日本式定義によらなくとも、クラシック音楽、ポピュラー音楽の区別と同様の見方で、純文学と大衆文学をジャンル分けできるはずである)としての意識と手法が確立していると思う。

夏目漱石にはこのどちらの意識もなく、前掲の宗助のセリフが無邪気に書かれた――というと語弊があるかもしれないが――ということもありうる。わたしは構想中の評論の中で『門』を採り上げるときに、まず、このあたりから分析してみたい。

非公開にした記事の中で『こころ』を採り上げたとき、宗教に対する夏目漱石の姿勢と教養の度合いに疑問を呈した。この『門』においても、同じ疑問を呈することになるだろう。

水上勉に以下のような文章がある。

  • 水上 勉「一滴の水脈 – 儀山善来 5.参禅して苦しんだ漱石」若洲一滴文庫(最終閲覧日:2015年2月19日)
    http://itteki.jp/ittekisuimyaku/item05/

     これもまた、有名な話でございますけれども、夏目漱石は『吾輩は猫である』『虞美人草』『三四郎』などを朝日新聞に連載して、日本一の文豪であったわけですけれども、その漱石が、たいへん神経を痛めた時期がございました。友人に菅虎雄(すがとらお)という一高の教授がおりました。その人の薦めで鎌倉の円覚寺へ坐禅を組みに行った。まるで頭の中が戦争をしておると、その戦争をとり鎮めたいというふうなことを漱石は菅さんに手紙でいっておりますが、まあ、神経衰弱の強度な兆候だったんでございましょう。
    帰源院という塔頭が今日もございますけれども、そこで宗活という、釈宗演さんの一のお弟子さんでこの方も偉い人ですけれど、この人に案内されて坐禅を組み、円覚寺の隠寮(いんりょう)で宗演老師と会います。老師と居士が会うのを相見(しょうけん)といいますが、その時に釈宗演は漱石さんに、父母未生(ふぼみしょう)以前の本来の面目を見つけてこいという公案を出した。お父さんお母さんの生まれない前のお前さんを見つけてこいと。禅問答というのは難しいもので、私などそういう問題を貰えばいっそうノイローゼになってしまいましょう。きっと漱石さんもお困りになったでしょう。
    帰源院へ帰った漱石は坐禅を組んで七日くらい経ってからでしょうか、考えたことをまた円覚寺の隠寮へ行きまして、宗演さんに答えを申し上げる、宗演さんは側にあった鈴を振って、「そのようなことは少し大学を出て勉強をすればいえる、もう少し本当のところを見つけていらっしやい、チリンチリン」というふうにあしらわれてしまった。自分は門を入る資格はなく、門外に佇んで門を仰ぐに過ぎなかった。喪家の犬の如く円覚寺を去った、と漱石は書いております。『門』という小説ですね、これは。

鈴木大拙は、ここに出てくる釈宗演の弟子であった。サイト「仏教tv.」に、「仏教が西洋へ伝えられた歴史」というエッセーがある。

  • 仏教が西洋へ伝えられた歴史(最終閲覧日:2015年2月19日)
    http://仏教.tv/history.html
     
     仏教が西洋へ伝えられた歴史
     ショーペンハウエルが仏教を紹介
     仏教を重視した神智学協会
     禅仏教が海外でよく知られている要因
     その他の世界での仏教への関心

この中の「禅仏教が海外でよく知られている要因」を読むと、釈宗演と鈴木大拙の関係や、仏教をめぐる当時の動きがわかる。前掲のエッセーから以下に紹介させていただく。1893年、シカゴで世界宗教会議が開かれた。

ここに、日本の臨済宗の禅僧、釈宗演(しゃくそうえん)が
参加しています。

この時の聴衆の一人、偏執者〔ママ〕のポール・ケーラスは、
仏教的な物の見方に感服し、
仏教の基本的文献を英訳して出版したいと思い、
釈宗演に弟子の派遣を要請しました。

この時選ばれたのが、当時23歳の鈴木大拙です。

鈴木は、その後11年間アメリカに留まり、
日本に帰国すると、英語で仏教関連の著作を
数多く著しました。

こうして20世紀に入ると禅という特殊な形で、
1930年代から1960年代にわたり、
アメリカの知識人に仏教が知られてゆくのです。

 
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ブログ「マダムNの覚書」に2月18日、投稿した記事の再掲です。
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評論を書くために、基幹ブログで非公開設定にしたカテゴリー「Notes:夏目漱石」には4本の記事が入っていたが、非公開設定のまま、5本目を入れることになりそうだ。

漱石には胡散臭いところがあると高校時代から思っていたが、やはりわたしの目にはそのように映る。イソップ寓話に「すっぱい葡萄」というお話があるが、あれに出てくるキツネに似ている。

実は、国民作家・漱石に対して怒りを覚えているのだが、なぜそうなのかを、書こうとしている評論に差し支えない程度には次の記事で触れておきたい。少ししたら、この記事も、次の記事も非公開にするかもしれないが。

それにしても、鈴木大拙が神智学協会の会員だったとは知らなかったなあ!

廃仏毀釈前の日本の宗教の本質を、祐徳院(花山院萬子媛)をモデルとした初の歴史小説を通して書こうとしているところだが、もう一つ、廃仏毀釈後のことも漱石にかんする評論を書くことで浮かび上がらせたいと考えている。

再構築された――されようとしていた――日本の宗教とそうした意識の庶民への波及を、文才はあったが、宗教的凡才というだけのこと以上の邪魔立てを、自己を飾ることで行ったと思われる国民作家・夏目漱石の問題点を、浮かび上がらせたいという企てである。

わたしにそんな手腕があるとはとても思えないが……。 

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『直塚万季 幻想短篇集(1)』、『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays 2)』も出たばかり。絶賛発売中(?)です。

直塚万季 幻想短篇集(1) 』(ASIN:B00JBORIOM)に収録した作品は4編。

  • 杜若幻想
    ちょっとコミカルで耽美チックな幽霊譚。ショートストーリーです。
  • 茜の帳
    幼児の頃に母親が自殺したことからくる少女の葛藤を描いています。
    佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社がクライマックスの舞台で、著者はこれから創建者である萬子媛――江戸初期生まれの筋金入りの女僧で、現在もこの世界を見守っていらっしゃる御方なので、祐徳院様とお呼びするべきでしょうが――の人生を執筆します。
  • フーガ
    亡くなったばかりのピアノ教師の視点から描く師弟愛の物語。リリカルなショートストーリーです。
  • 牡丹
    ちゃらんぽらんな生き方をしてきた男の妻が末期癌になります。男の行動はますますタガが外れたものとなり……「杜若幻想」もそうですが、能楽に刺激されて執筆した作品です。神秘主義的美の世界をお楽しみください。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓


気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)はレビュー&文学論です。

 日本の文学界の現状と問題点を鮮明にお伝えします。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1 』(ASIN:B00BV46D64)と抱き合わせで、どうぞ。
 サンプルをダウンロードできます。
           ↓

 できれば、明日の深夜までに歴史エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays 3)』も出していまいたいところです。来月から初の歴史小説に入ると、それにかかりきりになると思うので、今のうちになるべく……。

 表紙は以下。本の登録時には削除します。今回、シンプルですが。追記:別の表紙になりました。
h10blog
 

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『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)の完成がようやく見えてきました。

 細かな脚注の作成がようやく終わり、やれやれといったところです。あとは頭が禿げてきそうな校正が待っていますが、何回も読み直しながらの脚注作成だったので、今度こそ近日公開できると思います。
 追記:販売中です 

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

 と意気込んでいるのは本人だけで、買ってくださる方があろうとはあまり思えません。幸いキンドルストアの棚に並べておいても埃がつくでなし、追い立てられるでもなし、本当に恵まれた状況を享受できるのはアマゾンさまのお陰と感謝しています。

 この本は、内容の多くを(整理しないままですが)ブログで公開しているため、KDPセレクトには登録できず、従って無料でダウンロードして貰うというわけにはいかず、買っていただくことはそれ以上に望めないでしょう。

 わたしが図書館から借りる本は、地下の公開書庫に収められているものが多く、古びているという他は新品状態であったりします。最近ではハンス・カロッサ全集、アントニオ・タブッキの須賀敦子訳のものなども、そのような状態にあったのを借りました。

 自分のキンドル本をそのような貴重な本と比べてどうこういえるわけもありませんが、あのような本ですら地下で眠ることも多いのだと思えば、わたしもがんばろうという気持ちになれるのですね。

 ただ、未熟な自分の本は仕方がないとしても、本は面白ければよいという現在の日本の常識といいますか、風潮は明らかに異常で、そんな「常識」をわたしは中学三年生くらいのときから、感じ始めました。本を読む者は暗い、といわれ出したのです。中学三年生というと、1973年。

 1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までといわれる高度成長期。高度成長期が過ぎようとしている頃からの現象ということになります。

 本を読む者は暗い、本は面白ければいい、という価値観は商業主義やマルキシズムと関係があるとわたしは考えてきました。

 今回出す予定のキンドル本は、400字概算で100枚弱の芥川賞受賞作品のレビュー集ですが、関連する小論も収録しています。Collected Essaysの第2巻ということになりますが、Collected Essaysは日本の文学界を総合的に分析していこうという私的試みです。

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)がそうした試みの始まりの本です。

 わたしは『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)を作成しながら改めて、マルキシズムの唯物論が日本の文学に及ぼした影響の大きさを思わないわけにはいきませんでした。

 新しい試みとしてYouTubeで始めた聴く、文学エッセイシリーズ№1「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状でも、その点をほのめかしています。

 収録した小論の中の「バルザックと神秘主義と現代」は基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開したものですが、キンドル本の公開に先駆けて、再度ここにご紹介しておきたいと思います。

 青字の漢数字は脚注、緑色は引用部分です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆


バルザックと神秘主義と現代

 わたしの大好きなバルザックは五十一歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。

 わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。

 バルザックの『谷間の百合』十七ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。

 数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。

 『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(一七四三 - 一八〇三)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。

 神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。

 バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。

 引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。


        そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。[略]そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。[略]思念からほとばしり出る明るい光は、[略]


 肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。

 学者、透視家であったスヴェーデンボリ(一六七七 - 一七七二)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』十八。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきかを追究している。


        わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。


 さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない「宇宙単一論」が展開され、バルザックは数について考察する。


        貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。


 『絶対の探究』十九には近代錬金術師が登場して、「絶対元素」を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウス『化学概論』全八巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。

 主人公バルタザル・クラースはアルキメディスの言葉「ユーレカ!(わかったぞ!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』二十のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。

 自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。


        「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。[略]あるとき観念は群れをなして生まれる。[略]観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。[略]」


 漸次、こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。

 以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。

 神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは一八五〇年のことであるが、彼が『あら皮』――この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である――を書いた年、一八三一年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、「秘められた叡智」を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(「達成した者」を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している――ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった――が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』二十一と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』二十二の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」といっている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(一八一八 - 一八八三)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。


        従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。


 以上は、昭和三十六年に東京創元社から出された、『バルザック全集』弟三巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和三十六年当時の「現代」を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を「リアリズムの最も偉大な勝利の一つ」と賞賛した。バルザックが自らの「階級的同情」と「政治的偏見」を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。


        神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。二十三


 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。


        言葉の中身よりも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界三月号」、一九九八年)


 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が「無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている」ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。 

一九九八年


十七 
石井晴一訳、新潮社、平成三年

十八 蛯原徳夫訳、角川文庫、一九五四年

十九 水野亮訳「『絶対』の探求」(『バルザック全集 第六巻』水野亮訳、東京創元社、平成七年)

二十 水野亮訳「ルイ・ランベール」(『バルザック全集 第二十一巻』加藤尚弘&水野亮訳、東京創元社、平成六年)

二十一 田中恵美子訳、竜王文庫、平成九年

二十二 『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成八年)

二十三 川口浩、山村房次、佐藤 静夫『講座文学・芸術の基礎理論〈第1巻〉マルクス主義の文学理論』 (汐文社、一九七四年、第二部)

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 初の歴史小説にはあと1~2年かかりそうです。その間、他のことができにくい状況となるので、先の予定が立ちませんが、時間を見つけて今年は、注文のたびにAmazonのプリント・オン・デマンドで印刷されるというオンデマンドにチャレンジしてみたいと考えています。

 Kindle本とはまた違った入稿の仕方が求められるので、まとまった時間が要りそうです。わたしは思い立ってから腰を上げるまでに、だいたい1年くらいかかるのです。

 来年のことをいうと鬼が笑うといいますが(今日は豆まきだぞ~!)、来年は動画配信にチャレンジしてみたいです。

 昨晩、やり方を閲覧してみたら難しいものではなさそうだったので、週に1回、20~30分くらいのペースで、文学に関する私的発信をしてみたいと考えています。

 何しろわたしにはなまりがあるので(ここに引っ越してきてから、佐賀弁と博多弁のなまりがあるといわれました)、視聴に耐えられるような動画が作成できるかどうかはわかりませんが(自分の声を使わない方法もあるでしょう)、文明の利器を最大限に活用して自分にできる精一杯のことを文学のために行わなければ、日本の文学は本当に滅んでしまう――そんな危機感を覚えずにはいられません。

 今回の芥川賞作家の『穴』は未読ですし、『工場』も試し読みしただけですが[以下の基幹ブログの過去記事参照]、その『工場』をゴーゴリ、カフカと褒めちぎった記事を読みました。

 わたしはゴーゴリもカフカも翻訳でしか知りませんが、美しい文章を書く、深淵をすら描く力量のある彼らと同格であるかのような褒め方には、何というか、涙が出てきました。

 芥川賞作家を貶める意図はないのです。誤解しないでください。異常なのは馬鹿褒めする無責任な人々なのです。いくら何でも、子供の悪戯書きを「まるで、ピカソだ!」というような褒め方というわけではありますまいが。

 ゴーゴリは特に好きな作家です。そんな作家が日本にいれば、どんなにいいでしょう! もう人生も後半になっているにも拘わらず、これから本格的に茨の道を歩こうという未熟なわたしのどれほどの励み、助けとなることでしょう。

「肖像画」(『狂人日記 他二篇』所収、ゴーゴリ著、横田瑞穂訳、岩波文庫、1993年)より抜粋。

 彼の前にかかっていたのは、花嫁のように清らかで汚れのない、美しい例の画家の作品であった。その絵はいかにもつつましく、神々[こうごう]しく、あどけなく、天女のように素直に一同の上にかかげられていた。その神々しい画像は大勢の人の目に見つめられるので、恥ずかしそうに美しい睫[まつげ]をふせているように思われた。専門家たちは思わず驚嘆の眼を見はりながら、いままで見たこともない美しい筆触[タッチ]にじっと視線をこらした。そこではすべてのものがいっしょに凝結しているように見えた。ラファエロを研究した跡[あと]は気品の高い構図にあらわれ、コレッジオを学んだ跡[あと]は完璧な筆触[タッチ]にあらわれていた。だが、なによりも力強く見えていたのは、画家自身の魂のなかに、すでにしっかりと根をおろしていた創造力のあらわれだった。絵のなかのどんな微細な点にも画家の魂が浸透していて、どこをとっても法則がつらぬかれ、内的な力がこもっていた。いたるところに自然界に潜んでいる柔らかい曲線がとらえられていたが、これは独創的な画家の目にだけに見えるもので、模写しかできない画家が手がけたら、その曲線を角張った線にしてしまうところである。これはあきらかに、外界から引き出してきたものをぜんぶ、まず自分の魂のなかにとりいれて、それからあらためて一種の調子のととのった荘重な詩[うた]として魂の奥底から歌いあげたのにちがいない。とにかく凡俗の目にさえはっきりしたことは、ほんとうの創作と、たんなる自然の模写とのあいだには測り知れない大きな隔たりがあることであった。

 これがゴーゴリの文章です。ゴーゴリの芸術観です。思いつきで断片をつなげただけの、奇を衒った作品とは対極にあるのがゴーゴリの作品です。

 大手出版社の文学賞や話題作りが、日本の文学を皮相的遊戯へ、日本語を壊すような方向へと誘導しているように思えること、作家も評論家も褒め合ってばかりいること(リップサービスと区別がつかない)、反日勢力に文学作品が巧妙に利用されている節があること……そうしたことが嫌でも感じられ、16歳のときから40年間も文学の世界を傍観してきましたが、このまま行けば日本の文学は確実に駄目になってしまうという怖ろしさを覚えます。

 夫に、文学をテーマとした動画配信を考えている話をしてみました。てっきり、呆れられると思ったのですが、夫は感心したような静かな声で「へえ~」といい、「やってみたらいいんじゃない?」といいました。

 尤も、動画のアップ数は多く、ブログや電子書籍の世界と似たり寄ったりで、視聴して貰うことは難しそうです。まあ、来年腰を上げてスタートがそのまた1年後くらいだとすると、もうその頃には動画のブームが去っていたりすることも考えられますが、一応計画としてあることをご報告しておきますね。

 ゴーゴリの作品は高校生の読書感想文におすすめです。

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