文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:バルザック

ブログ「マダムNの覚書」に3月17日、投稿した記事の再掲です。
woman-246237_640

漱石研究のために、プラグマティズムにかんする本を2冊借り、代表作『プラグマティズム』は岩波文庫で出ていたので購入した。

プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ
出版社: 作品社 (2014/9/30)

明治プラグマティズムとジョン=デューイ (史学叢書〈3〉)
山田英世 (著) 
出版社: 教育出版センター (1983/06)

プラグマティズム 
W. ジェイムズ (著), 桝田啓三郎 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1957/5/25)

哲学というものは、それを唱えた人の数だけあると思える。哲学は、哲学の本ををあまり読まない人によって一般に勘違いされているほど、理路整然としたものではなく、本来は単純に区別し、分類できるものではない。

哲学者とその哲学理論は、作曲家とその曲と同じで、ある哲学者の作品を読んだ別の人物がその影響を受けて、新しい作品を書いたりする。よく読めば違うが、似た感じのする哲学理論は同じグループの一員と見なされることがある。

ウイリアム・ジェームズは哲学者・心理学者であったが、代表作『プラグマティズム』を読む限り(まだ読んでいる途中のメモだが)、彼は哲学者というよりは、よりよき哲学書の読み方・影響の受け方を模索し、提唱した哲学評論家であったのではないだろうか。

プラグマティズムとは「ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の『実際(プラクティス)』および『実際的(プラクティカル)』という語と派生を同じくする」(p.52)という

プラグマティズムという語を哲学に導入したのはチャールズ・サンダース・パースで、その影響を受けたのがジェームズ、デューイといわれている。

ただ、パースはプラグマティズムを科学的論理学の一方法として提唱したのであって、「専門学者たちの主張するように、ジェイムズのプラグマティズムは彼がパースの哲学を誤解したところに成り立っており、それゆえに論理実証主義の方向に発展しているこんにちのプラグマティズムとはほとんど関係がないと認められるにしても、それにもかかわらず、プラグマティズムとして知られる哲学上の運動は、疑いもなくジェイムズのこの講演によって強力に押し出されたのであって、アメリカの哲学は、このジェイムズから、ヨーロッパの哲学とは独立な歩みをはじめたと言えるのである」(解説p.319)

ウィリアム・ジェームズはアメリカ哲学の創始者とされているという。恥ずかしながら、わたしはウィリアム・ジェームズがそうした位置づけにあるとは知らなかった。

なるほど、ウィリアム・ジェームズの講義録『プラグマティズム』には、古き良きアメリカのえもいわれぬ芳香がある。

哲学理論というには、最初のほうで出てくる哲学者を二タイプに分類し、一方を「軟らかい心の人――合理論的(「原理」に拠るもの)、主知主義的、観念論的、楽観的、宗教的、自由意志論的、一元論的、独断的」、他方を「硬い心の人――経験論的(「事実」に拠るもの、感覚論的、唯物論的、悲観論的、非宗教的、宿命論的、多元論的、懐疑的)という風に対照させた、そのやりかたからしていささか乱暴で、アメリカ的アバウトさを感じさせるし、また『プラグマティズム』を読むときに強い印象として湧き上がってくる真剣そのもの、純な感じもまたアメリカ的だ。

『プラグマティズム』が、1906年ボストンのロウエル学会、1907年ニューヨークのコロンビア大学で講述されたものであることに、ちょっと注目しておきたい。

弟のヘンリー・ジェームズは「ボストンの人々」(『世界の文学 26 ヘンリー・ジェイムズ』谷口睦男訳、中央公論社、昭和41年)で、ボストンの凋落を描いた。#10で、それについて触れた。

黄金時代のボストン市がどんなところだったかを、解説から引用してみよう。

十九世紀中葉には、エマソン等の文人や理想主義的社会運動家も加わって黄金時代を現出することになった。そして、ボストン市は「アメリカのアテネ」と呼ばれ、ボストンといえば、アメリカ的な知性、教養、上品さ、批判精神などをただちに連想させ、ほとんど他の地域の住人を畏怖させるほどだった。(解説p524.)

ジェームズ兄弟は、こうしたアメリカ的知性、教養、上品さ、批判精神を感じさせる。

神智学協会を創設したH・P・ブラヴァツキー(1831 - 1891)を支え、神智学運動の拡大に貢献した人々の中に、こうしたアメリカのアテネ的知性を湛えた人々が多数存在したことは間違いない。

ブラヴァツキーの相棒で、第一代神智学協会会長になったH・S・オルコット(1832 - 1901)は弁護士、新聞記者をしていた1873年、ブラヴァツキーと出会った。ブラヴァツキーがニューヨーク新聞のオルコットの記事を読んだことが、出会いのきっかけとなった。

『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年3版)の巻末に付録されていた『議事録』がKindle版で出ている。

シークレット・ドクトリンの議事録 [Kindle版] 
H・P・ブラヴァツキー(著)
出版社: 宇宙パブリッシング; 1版 (2013/9/29)

シークレット・ドクトリンの議事録

ロンドンのブラヴァツキー・ロッジで、ブラヴァツキーを中心として、『シークレット・ドクトリン』一巻の『ジヤーンの書』のスタンザと註釈について、毎週、質疑応答がなされた。その議事録だが、これを読むと、当時の西洋の知識人のレベルの高さには呆れるばかりだ。

漱石はウィリアム・ジェームズの影響を受けたといわれるが、二者は雰囲気が違いすぎるし、漱石はジェームズの方法論の影響を受けるには哲学、宗教にかんする知識や体験があまりに乏しいように思われる。まだ『プラグマティズム』を読んでいる段階なので、何ともいえないが。

弟ヘンリー・ジェイムズの以下の本も図書館から借りた。

ヘンリー・ジェイムズ自伝―ある少年の思い出
ヘンリー・ジェイムズ (著),舟阪洋子(翻訳),市川美香子(翻訳),水野尚之(翻訳)
出版社: 臨川書店 (1994/07)

ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆
出版社: 国書刊行会 (1984/01)
 

分厚い『ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆』の中の「バルザックの教訓」をまず読んだところだ。わたしがバルザックについて日ごろ思っていることが高尚に、的確に書かれていて、感激のひとこと。

ジョルジュ・サンド、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、シェイクスピア、スコット、サッカレー、ディケンズ、ジョージ・メレディス、エミール・ゾラなどにも、対照するために軽く触れられており、結構辛口だったりもするが、人を馬鹿にしたような漱石の口吻とは似たところがない。

漱石の悪口からは、悪口をいわれた作家がどんな作品をどのように書いたのか、さっぱりわからないが、ヘンリー・ジェームズの文章からは作家や作品の特徴がよく伝わってくる。漱石が貶したギ・ド・モーパッサン、エミール・ゾラについては独立した評論が収録されているので、読むのが楽しみだ。

無頼派をはじめとする大正から昭和にかけて活躍した主立った作家たちが、漱石を師とするより、バルザックを師としたのは正解であった。漱石は日本をおらが村に変えてしまう。

以下は、「バルザックの教訓」から。

とにかくわたしは皆さまの文学への関心が充分に強いものと考えて、一時間ばかりわたしたち全員の巨匠バルザックの足下にわたしと共に集まるようお願いした次第です。わたしたちの多くの者は道に迷うかも知れませんが、彼は不動です。その重量感によって安定しているからです。そう聞いて、したり顔などなさらないで下さい。わたしから聞かなくとも、彼が重いことは知っていたのだから、わたしの話の中味がそういうことのみなら、今日の講演は聞く必要がなかったなどとおっしゃらないで下さい。確かに彼は動かすには重すぎる存在です。わたしたちの中の多数の者は先程言いましたように、さまよい散らばります――何しろ軽量なのですから、バルザックのようにぐるぐる廻れないというようなことはないのです。しかし、ぐるぐる廻っても移動しないという場合も、妙な話ですけれど、あるのでして、わたしどもも移動しているのかどうか不確かです。とにかくわたしどもはどう動いても彼から離れられません。彼が前方にいないという困った場合でも、背後にはいるのです。わたしたちが田舎のどこかのよく知らぬ道を進んで行くとした場合、道に迷わぬようにするのには木立や林を通して彼の姿を見失わぬようにするのが一番よい方法だと思います。わたしたちが動いているとすれば、それは彼を中心として移動するのです。すべての道は結局彼のもとに戻って来ます。わたしたちの動きとは無関係な地点で彼はどっしりと腰を下ろしていて、道しるべとなってくれます。ですから彼を「重い」と言えるとしても、それは財産の重みが加わっているからなのです。(p.384)

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)の完成がようやく見えてきました。

 細かな脚注の作成がようやく終わり、やれやれといったところです。あとは頭が禿げてきそうな校正が待っていますが、何回も読み直しながらの脚注作成だったので、今度こそ近日公開できると思います。
 追記:販売中です 

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

 と意気込んでいるのは本人だけで、買ってくださる方があろうとはあまり思えません。幸いキンドルストアの棚に並べておいても埃がつくでなし、追い立てられるでもなし、本当に恵まれた状況を享受できるのはアマゾンさまのお陰と感謝しています。

 この本は、内容の多くを(整理しないままですが)ブログで公開しているため、KDPセレクトには登録できず、従って無料でダウンロードして貰うというわけにはいかず、買っていただくことはそれ以上に望めないでしょう。

 わたしが図書館から借りる本は、地下の公開書庫に収められているものが多く、古びているという他は新品状態であったりします。最近ではハンス・カロッサ全集、アントニオ・タブッキの須賀敦子訳のものなども、そのような状態にあったのを借りました。

 自分のキンドル本をそのような貴重な本と比べてどうこういえるわけもありませんが、あのような本ですら地下で眠ることも多いのだと思えば、わたしもがんばろうという気持ちになれるのですね。

 ただ、未熟な自分の本は仕方がないとしても、本は面白ければよいという現在の日本の常識といいますか、風潮は明らかに異常で、そんな「常識」をわたしは中学三年生くらいのときから、感じ始めました。本を読む者は暗い、といわれ出したのです。中学三年生というと、1973年。

 1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までといわれる高度成長期。高度成長期が過ぎようとしている頃からの現象ということになります。

 本を読む者は暗い、本は面白ければいい、という価値観は商業主義やマルキシズムと関係があるとわたしは考えてきました。

 今回出す予定のキンドル本は、400字概算で100枚弱の芥川賞受賞作品のレビュー集ですが、関連する小論も収録しています。Collected Essaysの第2巻ということになりますが、Collected Essaysは日本の文学界を総合的に分析していこうという私的試みです。

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)がそうした試みの始まりの本です。

 わたしは『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)を作成しながら改めて、マルキシズムの唯物論が日本の文学に及ぼした影響の大きさを思わないわけにはいきませんでした。

 新しい試みとしてYouTubeで始めた聴く、文学エッセイシリーズ№1「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状でも、その点をほのめかしています。

 収録した小論の中の「バルザックと神秘主義と現代」は基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開したものですが、キンドル本の公開に先駆けて、再度ここにご紹介しておきたいと思います。

 青字の漢数字は脚注、緑色は引用部分です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆


バルザックと神秘主義と現代

 わたしの大好きなバルザックは五十一歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。

 わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。

 バルザックの『谷間の百合』十七ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。

 数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。

 『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(一七四三 - 一八〇三)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。

 神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。

 バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。

 引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。


        そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。[略]そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。[略]思念からほとばしり出る明るい光は、[略]


 肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。

 学者、透視家であったスヴェーデンボリ(一六七七 - 一七七二)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』十八。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきかを追究している。


        わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。


 さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない「宇宙単一論」が展開され、バルザックは数について考察する。


        貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。


 『絶対の探究』十九には近代錬金術師が登場して、「絶対元素」を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウス『化学概論』全八巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。

 主人公バルタザル・クラースはアルキメディスの言葉「ユーレカ!(わかったぞ!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』二十のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。

 自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。


        「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。[略]あるとき観念は群れをなして生まれる。[略]観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。[略]」


 漸次、こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。

 以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。

 神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは一八五〇年のことであるが、彼が『あら皮』――この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である――を書いた年、一八三一年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、「秘められた叡智」を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(「達成した者」を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している――ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった――が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』二十一と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』二十二の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」といっている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(一八一八 - 一八八三)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。


        従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。


 以上は、昭和三十六年に東京創元社から出された、『バルザック全集』弟三巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和三十六年当時の「現代」を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を「リアリズムの最も偉大な勝利の一つ」と賞賛した。バルザックが自らの「階級的同情」と「政治的偏見」を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。


        神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。二十三


 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。


        言葉の中身よりも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界三月号」、一九九八年)


 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が「無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている」ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。 

一九九八年


十七 
石井晴一訳、新潮社、平成三年

十八 蛯原徳夫訳、角川文庫、一九五四年

十九 水野亮訳「『絶対』の探求」(『バルザック全集 第六巻』水野亮訳、東京創元社、平成七年)

二十 水野亮訳「ルイ・ランベール」(『バルザック全集 第二十一巻』加藤尚弘&水野亮訳、東京創元社、平成六年)

二十一 田中恵美子訳、竜王文庫、平成九年

二十二 『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成八年)

二十三 川口浩、山村房次、佐藤 静夫『講座文学・芸術の基礎理論〈第1巻〉マルクス主義の文学理論』 (汐文社、一九七四年、第二部)

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 村上春樹の人気には色々と引っかかるところがあったのだが、もう一つ、解けない謎があった。アメリカで売れている というのもわたしには意外ではあったが、言論統制が行われている中国、韓国で大ヒットしている理由となると、もっとわからなかった。ソ連時代のようなタイプの言論統制はないだろうが、ロシアでも人気があるようだ。

 以下の過去記事を読んでいただければ、村上春樹の小説がアメリカでどのように売られていたかがわかる。

 アメリカ、中国、韓国、ロシア。

 その謎が、最近の緊迫した中国、韓国との関係や、それと関係のある慰安婦問題、南京事件について調べる中で、解けた。

 言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずである。

 わたしのブログ(基幹ブログ「マダムNの覚書」 )は素人が気まぐれに更新している、ささやかな発信基地にすぎないので、当然ながら海外からのアクセスは――世界の色々なところからあるにしても――数的には少ない。AccessAnalyzer.comのアクセス解析を参考にすることが多い。

 以前はそのうち、アメリカを除けば、中国が目立った。韓国からも多かった。それが、言論統制の関係からとしか思えないが、一時期は皆無だった。最近は言論統制をくぐり抜けてくるのか、ゆるくなったのか、だいたい毎日、中国からはある。

 そして、以前も今も、彼らがアクセスしてくるのは、ほとんどが村上春樹に関する記事なのだ。韓国では、軍隊でも大層人気があるらしい。

『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』はざっと読んでいたが、確か『海辺のカフカ』には第二次大戦中に心的障害を負ったナカタという人物、『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件が出てきたはずだと思い、再読してみた。

 フィクションとはいえ、『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン事件がもろに出て来るし、南京事件に触れた場面もあるので、巻末には当然、参考文献が少なくとも30冊くらいは挙げられているだろうと思い、見たら(新潮文庫版平成20年29刷)、参考文献は挙げられていたが、2冊だけ。1冊は洋書だった。

 尤も、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫、平成11年)には、「いろいろなノモンハン関係の資料を読んでいて」とあるので、いろいろと読みはしたのかとも思うが、『ねじまき鳥クロニクル』の内容からすると、春樹がノモンハン事件を分析するために読んだとは思えない。小説での利用を目的とした、盗るための読書だったのではないだろうか。

 純文学の一タイプに、私小説と呼ばれる、自身の体験を素材とした小説がある。村上春樹は私小説が嫌いなようだが、あれは自画像に似たところがあり、自己を客観視しないと、書けないものである。優れた青春文学は日本のものでも、海外のものでも、大抵私小説的技法が用いられている。

 純文学には、人間の理想像を追求する、人間学とでも呼びうるような学究的側面がある。だからこそ、自身を含めて人間を見つめる目はシビアで、人間のうちに潜む、例え理想とはかけ離れた要素であっても見逃さず、白日の下に晒そうとする。

 そのシビアさは反面、人間を誤って断罪しないための温かさでもあって、作家は背景を細かく描き出し、登場人物の心理と行動を丹念に追う。

 以下の過去記事で引用した石川達三の1938年に発表された『生きている兵隊』は、南京事件に関与したとされる第16師団33連隊に取材して書かれたものだが、フィクションとはいえ、全てが歴史的事実であったのかと思わされるくらい、よく調べて書かれている。

 ちなみにバルザックの小説は、現代の経済学者が参考にするほど、正確だという。

『生きている兵隊』では、戦争の諸相が暗いトーンで描かれており、残酷な場面も数々出てくるが、全体からバランス感覚が読みとれ、各場面の隅々まで、石川達三の神経が行き渡っているのが感じられる。
 しかし、村上春樹の『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニカル』では全体にどこか抽象的で、主人公と作家との間に距離感がなく、他の登場人物は狂言回し的である。村上春樹が悪や暴力を描くためにノモンハン事件や南京事件が利用されたという印象を拭えない。それも無造作にである。 春樹には、色々な本からお気に入りの断片を拾ってきて、アクセサリーのように利用する癖がある。わたしはそのことを、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』で指摘した。

 そのように気ままに拾われて挿入された断片は、本来の性質をとどめていず、春樹自身の断片でしかないのだが、ノモンハン事件であろうと、南京事件であろうと、同じやり方で利用されたのである。

 わたしはざっと読んだとき、そう思ったので、内容を細かに調べはしなかったのだ。

 今回再読して驚いた。

 そして、色々と調べるうちに、日本がいつのまにか新旧の陣営に分かれてしまっていることに気づいたのだった。

 第二次大戦前からの日本を本来の日本として引き継ごうとする旧陣営と、日本を外国や左翼思想の利害のためのいわば植民地として存続させようとする新陣営とである。

 だから旧陣営は、日の丸や国歌を大事にし、その由来を教え、日本の歴史を現在まで一貫したものと考える。戦争の動機と敗戦に至った経緯を丹念に研究する。戦前からの文化、伝統を尊ぶ。

 新陣営は、敗戦後の日本に依拠しているので、日の丸も国歌も日本の歴史も邪魔である。歴史は一応教えるが、それはいわば他国の歴史に対するような感覚で、趣味、あるいはノスタルジーとして教えるだけであり、戦争に関しては、先勝国や左翼など、日本を有効活用したいと思っている勢力の視点で教える(この点に関して彼らの利害は一致する)。

 日本は第二次大戦でアジアが白人の植民地政策から解放されるきっかけをつくったというのに、敗戦によって、植民地に似たものとなり、下手をすれば、敗戦まで続いた日本とは全く別の国になってしまうだろう。

 中国や韓国によく似た国となり(かなり、そうなってしまっている)、ナンのために生きているのかわからない一般国民と搾取する人々で構成された、アジアの最劣等国となってしまうだろう。

 日教組は、左翼思想と反日勢力の拠点ともいうべきものとなってしまっているようだが、わたしは何かおかしいと感じながらもそこまでは知らなかった。だが、相当に劣化した左翼思想を未だにリードしようとする団塊世代がどんな人々であるかはよく知っている。

 GHQ(連合国最高司令官総司令部。1945年、アメリカ政府によって設置された対日占領政策の実施機関。Wikipedia:GHQ)による言論統制の影響を最も強く受けてしまった人々である。左翼思想を支える人々に在日外国人が多いことは、ほぼ確実である。以下はYouTubeの動画へのリンク。

韓国民団の選挙協力に感謝する、民主党野田佳彦議員

ブチギレしたくなる動画3

ソフトバンク 孫正義 の犯した8つの罪

 勿論、団塊世代にも、左翼思想に与しない人は多いのではないかと思うが(現在、旧陣営で中心的役割を果たしているのも、この世代の人々かもしれない)、無意識的に赤とはいわないまでもピンクがかっている人は、この世代と団塊ジュニアには多いだろう。

 現に、村上春樹関係でいただいたコメントは大抵、団塊か団塊ジュニアの人々なのだ。村上春樹は団塊世代に属する人だが、小説が洒落た風俗でコーティングされているため、春樹が新陣営の広告塔であるとは気づかなかった。

 春樹は作中の主人公となって、架空の敵と戦っている。その架空の敵とは、旧日本軍であり、天皇制であり、大東亜共栄圏という思想であり、戦争そのものであり、端的に暴力であり、究極の悪である。これらは皆一緒くたとされてしまっている。

 これでは子供のチャンバラごっこと変わりないのであるが、当の作家自身も、ファンたちもそのことに気づいていない。第一、平均的な知性と良識があれば、村上春樹の小説を読むのはひどく苦痛に感じるはずである。

 わたしは春樹が引用する断片のほとんどを読んだことがあるだけでなく、詳しく調べたことも多いので、引用されている断片が元の作品の全体の中でどのような位置を占めているかがわかる。春樹の引用が冒涜と感じられるのだ。

 わたしは日教組教育によって洗脳されていながらも、戦争に関する以下のような箇所が資料を基に旧日本軍や天皇を客観的に描写したものとは到底思えず、従って風刺とも考えられず、冒涜としか感じられなかった。

……引用ここから……
「日本の神様と外国の神様は親戚どうしなのか、それとも敵なのか?」
「知らねえよ、そんなこと」
「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのはあくまで融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前には神様だった天皇は、占領司令官ダグラス・マッカーサー将軍から『もう神様であるのはよくなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』って言って、1946年以降は神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのは、それくらい調整のきくものなんだ。安物のパイプをくわえてサングラスをかけたアメリカの軍人にちょいと指示されただけでありかたが変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない」
(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁127-128)
……引用ここまで……

 わたしはこの箇所を読んで、過日観たロック・オペラ『ジーザズ・クライスト=スーパースター』を思い出した。神の子イエスが磔になる場面では、首吊り自殺したユダが天使(堕天使?)群と共に現れて、歌い踊る。

 キリスト教に対する大変な冒涜ともいえるが、この映画が芸術作品としての品格を感じさせるのは、ユダを通して人間らしい虚心の問いかけがなされており、また磔にされるイエスへの愛がユダの高尚な心の痛みを伴って感じられるからである。

 これはわたしの単なる想像にすぎないが、この場面、春樹は『ジーザズ・クライスト=スーパースター』を参考にしたのではないだろうか。全体にバタ臭すぎて、言葉が浮いているからである。

 語られている天皇に、天皇らしさがない。そのためだろう、ここではカーネル・サンダーズが星野青年に一方的に教えを垂れている――星野青年を洗脳している――場面としか感じられない。これはまさに戦後の日教組教育そのものではないだろうか。ついでにいえば、ギリシャ悲劇のモチーフも浮いている。

 ……引用ここから……
女とすんなり別れたきゃ自衛隊に入るのがいちばんだね。石くんもこいつは覚えておくといいぜ。穴掘りと土嚢積みばかりやらされたのはめげたけどね」
(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁441)
……引用ここまで……

 自衛隊員がこんな男ばかりだとしたら、日本のお先は真っ暗である。有事の際、日本人が頼れるのは自衛隊しかないというのに。

……引用ここから……
だいたいきみは自衛隊に入っていたんだろう。国民の税金をつかって鉄砲の撃ち方も教わっただろう。銃剣の研ぎ方だって教わっただろう。兵隊さんじゃないか。殺し方くらい自分の頭で考えろ。
(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁486-487)
……引用ここまで……

 ここで『海辺のカフカ』のレビューを書くつもりはないので、素朴な疑問を書くだけだが、お亡くなりになったナカタさんの口からサナダ虫みたいに出てきた、蛇と山椒魚とお化けのQちゃんを一つにしたみたいな白いものは、悪の素か何かだろうか? 

 それがわかった人はいないようで、レビューをあれこれ読んでみたが、途中からモゴモゴした文章になって「とにかくよかった」で終わっているものが多い。

 白いものはナンと包丁と(象徴性を帯びた超自然的?な)石で自衛隊あがりの星野青年にやっつけられ、めでたし、めでたし。クサイ臭いは素から絶たなきゃ駄目、って宣伝があったわね~! こんな小説、大人が書くのは難しいと思う、いやホント。脳味噌が風邪ひいちゃったわ。

……引用ここから……
 彼らは半世紀近く前に満州と外蒙古との国境地帯で、草もまともに生えていないような一片の荒野をめぐって熾烈な戦闘を繰り広げたのだ。僕は本田さんから聞くまで、ノモンハン戦争のことなんてほとんど何も知らなかった。でも、それは想像を絶した壮絶な戦いだった。彼らはほとんど徒手空拳で優秀なソ連の機械化部隊に挑みかかり、そして押しつぶされたのだ。〔略〕
「もしわしが耳に負傷をせなんだら、たぶんわしは南方の島に送られて死んでいたことだろう。事実ノモンハンで生き残った兵隊たちの多くは、南方にやられて死んだんだ。ノモンハンは帝国陸軍にとっては生き恥を晒したような戦じゃったし、そこで生き残った兵隊はみんな、いちばん激しい戦場に送られることになったからな。まるでそれはあっちに行って死んでこいというようなものじゃった。ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちは、あとになって中央で出世した。奴らのあるものは、戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦ったものたちは、ほとんどみんな圧殺されてしもうた」
「どうしてノモンハンの戦争が陸軍にとってそれほど恥ずかしいものだったんですか」と僕は尋ねてみた。「兵隊はみんな激しく勇敢に戦ったんでしょう。沢山の兵隊が死んでいったんでしょう。何故生き残った人たちがそんなに冷遇されなくてはならなかったんですか?」
 でも僕の質問は彼の耳には届かなかったようだ。
(新潮文庫版『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』頁101-102)
……引用ここまで……

 徒手空拳でソ連の馬鹿デカそうな戦車に戦いを挑むなんて、まあ凄い! もしかしたら、超能力部隊だったのかしら~? わたしは国際的影響力のある春樹の無知のほうが、よほど恥ずかしい。

 ソ連崩壊からロシアの混乱期にかけて、機密文書が流出し、それらによって、これまでとは様相を異にするノモンハン事件像が形成されたようだ。

 Wikipedia:ノモンハン事件によると「ロシア軍のワルターノフ大佐は、従来非公開だったソ連・モンゴル軍全体の損害(死傷者及び行方不明者)について、日本軍よりも多くの損害を出していたことを明らかにした」という。「ノモンハン事件(ハルハ河戦争)の歴史的研究」という論文が読み応えがある。

 春樹は、よしゃいいのに、南京事件についても書いてくれている。そして、春樹の小説に出てくる主人公はセックスするしか能のないような男ばかりなので、捏造だったといわれる従軍慰安婦問題にありもしないはずのリアリティを添えてしまい、火のないところに煙は立つ状況をつくりだしている可能性がある。

……引用ここから……
南京あたりじゃずいぶんひどいことをしましたよ。うちの部隊でもやりました。何十人も井戸に放り込んで、上から手榴弾を何発か投げ込むんです。その他口では言えんようなこともやりました。少尉殿、この戦争には大義もなんにもありゃしませんぜ、こいつはただの殺しあいです。
(新潮文庫版『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』頁261)
……引用ここまで……
 

 南京事件や従軍慰安婦問題は捏造されたものであることが旧陣営やニュートラルな人々の研究で明らかになっているにも拘わらず、それを無視しようとする新陣営の人々を以上のような春樹の小説の断片がどれほど喜ばせたか、想像するに難くない。わたしが前掲の過去記事で引用した石川達三の『生きている兵隊』における南京事件の描写と比較してみてほしい。

 中国、韓国、そしてノモンハン事件を春樹のような解釈で書いて貰ったロシアだって大喜びに違いない。アメリカには勿論、春樹を歓迎する理由があるだろう。 

 その国々の人々が無邪気に楽しむだけであろうと、国家の戦略的視点とは別なのだ。

 村上春樹の小説を愛読する日本人は、気づかないうちに自虐史観を植えつけられ、愚民化教育されている懼れがある。

 で書いたように、存命中の作家で最も多く大学で講義されている作家は村上春樹だという。 

 新陣営に教育されたわたしたちの多くが、玉音放送がどんなものかさえ知らない。戦前・戦中を総合し、戦後の始まりを告げる、日本の象徴及び日本国民統合の象徴たる天皇の貴重な意思表明なのである。この玉音放送をよく知り、真摯に受け止めるだけで、旧陣営はそのまま新陣営となりえたであろうに、それは阻まれた。以下はYouTubeの動画へのリンク。

敗戦の詔勅(玉音放送)

 以下のサイトから、終戦の詔勅(玉音放送の内容)の現代語訳を転載させていただく。

……転載ここから……
<現代語訳文> 

 私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。

 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、私の祖先から行ってきたことであって私もそのように努めてきた。先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしながら、戦闘状態はすでに四年を越え、私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、私の一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦争における状況はよくならず、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、 新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そして人類文明おも破壊することになってしまうだろう。そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができようか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。

 私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、大変なものになる。国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。

 私は、ここにこうして国体を守り、忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、そして、いつもあなた方臣民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、同胞同士がいがみあって、国家を混乱におちいらせて世界から信用を失うようなことを私は強く懸念している。国を挙げて一つの家族のように団結し、子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操を固く持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努めなさい。あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。

 天皇の署名と印璽
 昭和二十年八月十四日
……転載ここまで……

 わたしの世代――他の世代のことはよくわからない――が日教組教育で教わったことから判断すると、玉音放送の中の「先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない」という箇所は、真っ赤な嘘、ということになる。
 しかし、戦争に関する新資料の流出や研究が進む中で、真っ赤な嘘をついていたのがどちらだったのかが明らかになってきている。

 わたしはこれまで、新陣営からの刷り込みは散々受けてきたので、しばらくは旧陣営からの発信に耳を傾けたいと思っている。村上春樹に対する批判は、どちらかの陣営に依拠したものではなく、これまでのように文学観から出たものである。

以下は、このような現状にあるわたしがYouTubeよりセレクトした動画へのリンク
 日本政府がユダヤ人保護を閣議決定していたことは、あまり知られていない。それがあったから、外交官・杉原千畝はユダヤ人にビザを発行できたのだった。

大東亜戦争の真実
人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本

ユダヤ人保護を日本「閣議決定

ハルノート_太平洋戦争

日米開戦のウラ_1/2

日米開戦のウラ_2/2

ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景

日本人が知らなければならない太平洋戦争の真実 【日本人よ目覚めよう】

大東亜戦争の名言集

まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】

海ゆかば The 2nd old Japanese national anthem
世界が語る神風特別攻撃隊―カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか
泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~
航空自衛隊 航空学生の一日 ✈ JASDF Aviation Cadet


※当ブログにおける関連記事

・2013年5月28日
YouTubeよりセレクト - 慰安婦問題、南京事件 (※29日に追記あり)
http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65717069.html
・2013年6月10日
大東亜共栄圏の夢が破れ、日教組の罪な戦後教育
http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65718480.html



サンプルをダウンロードできます。
     ↓

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 わたしの大好きなバルザックは51歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。

 わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。

 バルザックの『谷間の百合』ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。

 数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。

 『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(1743―1803)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。

 神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。

 バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。

 引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。

そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。(略)そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。(略)思念からほとばしり出る明るい光は、(略)〔石井晴一訳〕

 肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。

学者で透視家であったスヴェーデンボリ(1677―1772)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきものかを追究している。

わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。〔蛯原徳夫訳〕

 さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない《宇宙単一論》が展開され、バルザックは数について考察する。

貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。

 『絶対の探究』には近代錬金術師が登場して、《絶対元素》を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウスの『化学概論』全8巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。

 主人公バルタザール・クラースはアルキメデスの言葉「ユリイカ!(わかった!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。

 自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。

「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。(略)あるとき観念は群れをなして生まれる。(略)観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。(略)」〔水野亮訳〕

 漸次、 こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。

 以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。

 神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは1850年のことであるが、彼が『あら皮』(この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である)を書いた年、1831年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、《秘められた叡智》を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(《達成した者》を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している(ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった)が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』の中で、バルザックのことを〈フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)〉(田中恵美子・ジェフ・クラーク訳)と言っている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(1818―83)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

 昭和36年に東京創元社から出された、「バルザック全集」弟3巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和36年当時の《現代》を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を〈リアリズムの最も偉大な勝利の一つ〉と賞賛した。バルザックが自らの《階級的同情》と《政治的偏見》を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。

神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。(山村房次『マルクス主義の文学理論』弟2部)

 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。

言葉の中身りも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界3月号」、1998年)

 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が〈無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている〉ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。〔了〕 1998年執筆 

○●○●○●○●○

 このエッセーは、ホームページでもお読みになれます。こちら

 関連作品:マザコンのバルザック?
        卑弥呼をめぐる私的考察

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ