文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:ノーベル文学賞

マダムNの覚書」 に 2017年10月12日 (木) 20:14 投稿した記事の再掲です。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。
63 心霊主義に傾斜したメーテルリンクの神智学批判と、風評の原因
  http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/09/15/161504
わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

「あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

「人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。
さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)
ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。
医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)
娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。
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「マダムNの覚書」 に 2016年10月14日 (金) 06:03 投稿した記事の再掲です。
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ノーベル賞に、レコード大賞ができたのかと思ってしまった。

が、そうではなく、シンガーソングライターのボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのだという。

もうだめだろう、この賞は。ノーベル賞全体では権威を保っているのかもしれないが、ノーベル文学賞はハルキが騒がれ出したときから――大江健三郎がとったときから、といってもいい――おかしいとは思っていた。

ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、別物になった。

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。

これがとるんなら、デヴィッド・ボウイがとったって。あ、死んじゃってたか。それにしても、ボブ・ディランも年とった。皺いっぱい。締めはジャニス・ジョプリンで……。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。

ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。なるほどね。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』(安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981)所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

原詩を読んだことはないが、邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの「パン」を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993)

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。

  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)

(『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢ745頁,Ⅵ746頁)

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえ、わからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。

もうノーベル賞は理系に限定したほうがいい。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。

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ブログ「マダムNの覚書」に8月28日、投稿した記事の再掲です。

過去記事で断片的にガブリエラ・ミストラルという女性詩人について書いてきましたが、神秘主義的エッセーを集めたKindle本に収録し、新ブログで公開するために、、2007年10月31日に書いた記事を中心として1編のエッセーにまとめました。あとで改稿すると思いますが。

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最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル――その豊潤な詩また神智学との関わりについてマダムNの覚書、2007年10月31日 (水) 04:56
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抽象的な事柄を血肉化し、生きた事例として見せてくれる教科書として、世界の名作といわれるような文学作品に勝るものはない。

ただ巷で人間を眺めているだけでは、その人生まではなかなか見えてこないものだ。それを知るには、先人たちが心の中までつぶさに開示してくれ、渾身の力をこめて人生について語ってくれた薫り高い文学作品を読むのが一番なのではないだろうか。

子供はそのような文学作品の中で様々な人生模様を見、恋愛の仕方を学び、理想的な生きかたを模索する。

命の尊さ――などといわれても、ぴんとこなくて当たり前なのだ。よき文学作品を読めば、そのことが叩き込まれる。生きた水となって土壌に滲み込む。逆のいいかたをすれば、そのような文学作品がよき文学作品ということなのだろう。

詩に目覚めたわたしが自分のお小遣いで買った詩集は、角川書店から出た (深尾須磨子編)『世界の詩集 12 世界女流名詩集』(角川書店、昭和45年再版)だった。

中学1年生のときのことで、その本は大人の女性の世界を開示してくれていた。その中でも、わたしの印象に最も残ったのは、ガブリエラ・ミストラルの「雲に寄す」であった。

 雲に寄す

                    ミストラル

 軽やかな雲よ、
絹のような雲よ、
わたしの魂を
青空かけて運べ。

 わたしの苦しみをまのあたりにみている、
この家から遠く。
わたしの死ぬのをみている、
これらの壁からはるかに!

 通りすがりの雲よ、
わたしを海に運べ、
そこで満潮の唄をきき、
波の花輪のまにまに
うたおう。

 雲よ、花よ、面影よ、
不実な時の間を
消えてゆくかのひとの面影を
描き出しておくれ、
かのひとの面影なくては
わたしの魂は切れ切れに引き裂かれる。

 過ぎゆく雲よ、
わたしの胸の上に
さわやかな恵みを止めよ。
わたしの唇は渇きに
開かれている!

                  (野々山ミチコ 訳)

(深尾編、昭和45再版)『世界の詩集 12 世界女流名詩集』(野々山ミチコ訳)「雲に寄す」pp.162-163

中学1年生のわたしは、格別な大人の女性の薫りに陶然とさせられた。

私的な、内面的な――おそらくは恋愛の――苦悩をテーマとしながらも、その詩は内向的に萎縮し閉じていくのではなく、青海原へと開かれたスケールの大きさを持ち、高潔さ、清々しさを感じさせた。

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Gabriela Mistral

ガブリエラ・ミストラル(本名はルシラ・ゴドイ・アルヤガ。1889年4月7日 - 1957年1月10日)。
ガブリエラ・ミストラルは1945年にラテンアメリカに初めてノーベル文学賞をもたらしたチリの国民的詩人で、教育者、外交官としても知られ、「ラテンアメリカの母」といわれた。 
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Gabriela Mistral
『世界の詩集 12 世界女流名詩集』は「女に生まれて」「恋愛と結婚」「あこがれ・孤独・別離」「自然――四季おりおりの詩」「時と永遠」「世界の苦悩――平和への祈り」というカテゴリーに分けられているが、ミストラルの詩は1編にその全てのカテゴリーを網羅しているような詩である。
ミストラルの詩は前掲の詩「雲に寄す」の他に、「ゆりかごを押す」「ひとりぼっちの子」「小さな手」「ばらあど」「死のソネット」 の5編が収録されている。

ミストラルの詩は彼女の知る土地の香りを発散しているが、その香りには土地に限定されない、広大な宇宙の香りが混じっている気がした。

その詩の核には、高度に洗練された哲学があるような感じを受けた。

ミストラルは教育者、外交官であったが、そのスケールの大きさの秘密は職業的なことからだけでは解けない気がしていた。

大学生になって神智学を知るようになったわたしは、ミストラルの詩から神智学の芳香を嗅いだ気のすることがしばしばあった。

その後、さらにミストラルを知ることのできる本として、次の2冊にめぐり合った。

  • 芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』JICC出版局、1989年
  • (田村さと子訳)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』小沢書店、1993年

ミストラルの詩の数々を愛読し、神智学とミストラルの関係が気になっていたにも拘わらず、その点がもう一つはっきりしなかった。

ところで、 このところ、わたしは婦人科的なトラブルと思われるものを抱えて、検査を受けていた。そんな中で、脳裏をよぎったのは、ミストラルの詩であったり、古典文学に造詣の深い円地文子の小説であったりした。

彼女たちが、女性ならではの苦悩を深く考察し、それを作品化した人々だったからだろう。彼女たちには人類の歴史がよく見えているように思われた。

そして今日、(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集』の中から選んだ詩をブログで紹介しようと思った。それがいつ書かれたのかを確かめようと、巻末の年譜を見た。

そのとき偶然わたしの目がとまったのは、次の一文だった。

1912年 23歳 神智学の会〈デステージョス〉に入会する。
 
(田村さと子訳)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』「ガブリエラ・ミストラル年譜」p.209、小沢書店、1993年

稲妻に打たれたような衝撃、次いで感動が走った。何て、馬鹿だったのだろう! この貴重な一文を見落としていたなんて。ああ恥ずかしい! やはり、ガブリエラ・ミストラルは神智学の影響を受けていたのだと思った。

実は、何という神さまの悪戯か、その「神智学」という印字が薄くなっていて、文字が拾いにくくなっていた。

それに、わたしがこの詩集を開くのは詩を読むためで、ミストラルの生涯を知るにはもっぱら芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』(JICC出版局、1989年)に頼っていた。詩集の年譜は大雑把にしか見ていなかったに違いない。

ノーベル文学賞詩人ガブリエラ・ミストラルは、間違いない、近代神智学というブラヴァツキーによって確立された神秘主義思想の影響を受けていた! わたしの直観は正しかった! ――と興奮してしまった。

前掲の伝記(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』では、ミストラルと「見神論」との関わりが「見神論――宗教観の深まり」という見出しの下に7頁に渡って書かれている。※

(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』「見神論――宗教観の深まり」pp.68-75 

その文章からすると、どう読んでもこれはブラヴァツキーの神智学だなと思ったが、見神論という訳語にしても、神智学という訳語にしても、ドイツの神秘主義者ヤーコブ・ベーメ(1575 - 1624)の思想を意味する言葉でもあるのだ。

つまり、神智学と訳されていてもベーメの思想を意味することもあるから情況は同じともいえるが、特に見神論と訳された場合にはヤーコブ・ベーメの教義を意味することが多いため、確信を得ることができなかったのだった。

だが、もう間違いないだろうと思う。ミストラルはブラヴァツキーの神智学の影響を受けているに違いない。何より、彼女の詩からそれは薫ってくるものだ。
(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』によると、独身で通したミストラルは、37歳の頃、異母弟の子とも実子ともいわれるファン・ミゲル・ゴドイ・メンドーサを引きとり、共に暮らした。

ミストラルはファン・ミゲルを「ジンジン」(ヒンドゥー語で「忠実」を意味するという)と呼んで可愛がり、ファン・ミゲルはミストラルを「ブッダ」と呼んで慕った。

その最愛のジンジンに、ミストラルは自殺されてしまう。ブラジルにいたときで、ジンジンは17歳だった。

ジンジンの死因と自殺の動機について、(芳田、1989)『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』p.228に次のように書かれている。

 死因は麻薬あるいは砒素の服用といわれている。そしてその動機は通っていた学校のナチ親衛隊のグループとのいざこざとも、恋のもつれが真因ともいろいろに推測それている。いずれにせよ、ブラジル社会および学校集団での軋轢、情緒の不安定に加えた思春期特有の疎外感といったものがからみあって、この繊細な少年を押し潰してしまったのだろう。

ミストラルは20歳のときに、かつての恋人ロメリオ・ウレタにも自殺されている。苦悩は如何ばかりだったろう。

ここで、(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』から抜粋だが[母たちのうた]「母たちのうた」〈よろこび〉p.42、「いちばん悲しい母のうた」pp.46-47を紹介しておきたい。

 母たちのうた

〈よろこび〉
 ねむりについた吾子を抱いて わたしの歩みはしめやかだ。神秘を抱いてから わたしの心は敬虔だ。

 愛の音を低くして、わたしの声はひそかになる、おまえを起こすまいとして。

 いま この両眼[め]でいくつもの顔の中から心底の痛みを探しだす、なぜこんなに青ざめた瞼をしているかを わかってもらいたくて。

 鶉[うずら]たちが巣をかけている草の中を 親鳥の思いを気づかいながらゆく。音をたてずにゆっくりと野を歩く、木々やものものには眠っている赤ん坊がいるから、身をかがませて気づかっているものの傍に。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

 いちばん悲しい母たちのうた

〈家を追われて〉
 父は わたしを追い出すといい、 今夜すぐにわたしをほうり出してしまうように と母にどなった。

 夜はなまあたたかい。星あかりをたよりに、わたしは隣の村まで歩いてゆかれるだろうけど、もし、こんな時間に生まれたら どうしよう? わたしの嗚咽が、呼び起こしてしまったのだろう たぶん、たぶん わたしの顔が見たくなって出てくるのだろう。そして むごい風のもとで震えるだろう、わたしがぼうやを包みこんだとしても。

〈どうして 生まれてきたの?〉
 どうして生まれてきたの? おまえはこんなにかわいいのに だれもおまえを愛してくれはしないのに。ほかの赤ん坊たちのように、わたしのいちばんちいさな弟のように おまえが愛嬌たっぷりに笑ったとしても おまえにくちづけしてくれるのはわたしひとりだけなの。おもちゃがほしくてそのちっちゃな両掌をゆりうごかしても おまえの慰めはこの乳房と わたしのつきない涙だけなの。

 どうして 生まれてきたの、おまえを選んできたあの人は この腹部におまえを感じとるとおまえをうとんじたのに?

 そうじゃないのよね。わたしのために生まれてきてくれたのね。あの人の両腕[かいな]で抱きしめられていたときでさえ、ひとりぼっちだったわたしのために、ねえ、ぼうや!

わたしは大学時代、第2外国語でスペイン語を選択していた。囓った程度のスペイン語の断片が記憶にこびりついているにすぎないのだが、スペイン語は学習しやすい明快さを持った言語であること、歯切れのよい、シックな言語という印象がある。

そうした言葉で、ミストラルの詩は書かれたのだ。
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Gabriela Mistral 
晩年の詩集『ラガール』の中の「別れ」という詩には、さよなら、ありがとう、という言葉が印象的に登場する。

さようならはアディオス、ありがとうはグラシアスなのだということくらいはわかり、陰に籠もった依頼心の強い日本的情緒とは無縁の感じを持つ詩を想像している。

「別れ」を(田村訳、1993)『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』〔ラガール〕「別れ」pp.147-148から紹介しておく。

 別れ

いま 突風に
吹き寄せられ 散らされてゆく
おおくのさよなら、
このようなものだ、どんな幸せも。
もし 神が望むなら いつの日か
ふたたび ふり返るだろう、
わたしの求める面差しが
ないならば わたしはもう帰らない。

そう わたしたちは椰子の葉をふるわせているようなもの、
喜びが葉っぱたちを束ねたかと思うと
すぐにみだれ散ってゆく。

パン、塩、そして
孔雀サボテン、
ハッカのにおう寝床、
“語りあった”夜よ ありがとう。
苦しみが刻みこまれた
喉もとに もうことばはなく、
涙にくれる両眼〔め〕に
扉は見えない。

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ノーベル文学賞が9日、発表になった。

受賞したのはフランスの作家パトリック・モディアノ氏。

いつだったか、娘と書店の海外コーナーで、『失われた時のカフェで』を手に取り、面白そうねえと話した本の著者だ。

結局話しただけで忘れていた。そのうち図書館から借りて読んでみたい。

失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ   (著),    平中 悠一 (翻訳)
出版社: 作品社 (2011/5/2)

暗いブティック通り
パトリック・モディアノ   (著),    平岡 篤頼 (翻訳)
出版社: 白水社 (2005/5/25)

ノーベル賞受賞作家について、もっと知りたい読書家だって少なくないのではなかろうか? NHKで、モディアノ氏の特集を組んでほしいと思う

人類が文学でどれだけのことをなしうるのか――そんな視点で紹介されるだけで、日本の雰囲気が少しは変わる気がしてしまう。

ノーベル文学賞と村上春樹を安直に結びつけた馬鹿騒ぎには、もう、うんざり。ノーベル賞を、よい作家を知るための情報源の一つとして見ることしか、わたしにはできないから

ノーベル文学賞が純文学作家から選ばれる理由……他の分野を見れば自ずとわかるが、文学には人間に関する――また、人間が惹き起こす現象に関する――研究の一分野としての側面があるからではないだろうか。

ノーベル文学賞作家が、単に楽しく読める作品を書く、売り上げが凄いといった観点から選ばれていないことは確かだろう。ノーベル文学賞には政治的偏りがあることをいわれたりもするが。

ノーベル賞がまずは推薦から始まり、それがどのような形式でなのかを、わたしは憲法9条騒ぎで知った。日本での馬鹿騒ぎに、損得勘定が凄く働いている気がしていたが、それは推薦者たちの稟性の問題だったわけだ。

憲法9条騒ぎというのは、ノーベル平和賞に、ある人々が憲法9条を保持する日本国民を推薦した出来事である

その出来事に対して、安倍首相と石破氏は、警戒しつつも自らを抑えた、上品な対応だったようだ。以下、Yahoo!ニュースより一部引用。

Yahoo!ニュース:時事通信 10月10日(金)11時57分配信

石破氏が隣席の首相に「9条が受賞したら誰がもらうのか。政治的ですよね」と水を向けると、首相も「結構、政治的ですよね」と応じた。

文学賞をお祭り騒ぎやギャンブルに貶める人々には、「物欲的ですよね」で済むが、村上春樹騒ぎには左派の思惑が絡んでいて、これも「結構、政治的ですよね」といえる現象であることは明らか。
何にしても、ノーベル賞の候補者や選考過程については、50年間の守秘義務があるそうだから、下馬評で騒いでいるだけのことなのだ。 

サンプルをダウンロードできます。
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ノーベル文学賞の発表が明日(9日)に迫ったが、6日のYahoo!ニュース(時事通信 18時35分配信)によると、英国ブックメーカー(賭け屋)ラドブロークスの予想では、今年も賭け率5倍で、村上春樹がトップ

ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏も同率で、他にベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏やシリアの詩人アドニス氏らが上位に入っているとか。

では、村上春樹人気は健在なのだろうか? 

なぜ、人気を疑うかといえば、朝日新聞の慰安婦問題謝罪のころから、基幹ブログ「マダムNの覚書」における村上春樹関係の記事へのアクセス数が激減したからだ

ノーベル文学賞の結果がどうであれ、この時期にこの少ないアクセス数というのは、昨年までを考えれば、ちょっと考えられない。訪問者が減るのは淋しいが、そのぶん、他のブログの他の作家へのアクセスが増えると思えば、嬉しい

朝日新聞、村上春樹と並べると、2012年9月28日付で朝日新聞・朝刊に寄稿された村上春樹のエッセー「魂の行き来する道筋」を思い出す。

拙ブログ固有の現象にすぎないことを春樹人気と結びつけ、春樹人気の陰りと独断するわけにもいかないが、朝日新聞の偏向報道が明らかになったことが、村上春樹ブランドに疵をつけたということはありうると思う。

村上春樹人気とは無関係だと思うが、7月21日、92歳になった瀬戸内寂聴の体力的負担が理由で、法話の庵「寂庵 ナルト・サンガ」(徳島県鳴門市。京都市の寂庵の別院)が閉鎖されると報道されたころから、大手出版社が何かおとなしい気がしている。わたしの気のせいだろうか

村上春樹に戻ると、10月4日にOMIURI ONLINEで、ドイツ紙「ウェルト」が今年の「ウェルト文学賞」を村上春樹に授与すると発表したとのニュースを目にした。これについても、これまでほどには騒がれなかった気がする。

YOMIURI ONLINE(2014年10月04日21時20分)のニュースによると、ウィルト紙は、

一連の作品について「魔法のように多彩なリアリズム」「様々なジャンルを飛び越えている」などと評した。

とのこと。

この評、1982年にノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケスが「魔術的リアリズムの旗手」といわれていることを連想して笑ってしまったが、マルケスの小説はどう読んでも純文学で、村上春樹の小説のように様々なジャンルを飛び越えてはいない。

そういえば、今日(8日)のYahoo!ニュース(TBS系(JNN)、1時15分配信のニュース)で、イスラム国の戦闘に参加しようとして警察庁公安部の家宅捜索を受けた北大生がフリージャナリストの取材に応じ、その中で以下のように語っているところがあった。

「社会的地位とかに価値を感じなくなった。ただそれだけ。日本の中で流通しているフィクションにすごく嫌な感情を抱いていて、別個のフィクションの中に行けば、違った発見があると思った。それくらい」(事情聴取を受けた大学生)

日本で流通しているフィクションというのが何を指しているのかは漠然としているが、わが国におけるフィクションのあり方、特に日本独特のファンタジー――村上春樹の作品もその中に含まれる――のおかしさについて考察を重ねてきたわたしには、気になる言葉である。

イスラム国が突きつけてくる、非情な生々しい現実を、「別個のフィクション」とは。まるで、粗悪なフィクション漬けになったために脳が冒された若者のサンプルのようだ

大学生に取材したフリージャナリストの常岡浩介氏は、大学生には破滅願望があり、シリアは破滅的な場所というイメージがあるだけなのかなと受け取った、と語っていた。

日本国内のイスラム教徒はインタビューで、イスラム国のやっていることはイスラムの教えではないといっていた。大学生の行動に疑問を示していた。

それにしても、大学に行きたくても行けない若者が増えてきた日本で……大学生も大学生だが、学生の渡航を仲介していたとして同志社大学元教授が家宅捜索を受けただなんて、言葉をなくす

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 過日、村上春樹のイベントがあり、例によって当ブログの訪問者が増えたが、わたしはそれ以降、やる気の出ない日々が続いている。いつものこととはいえ、受ける影響の大きさに我ながら驚いている。

 どうしてこんなにやる気が出ないのだろう?

 村上春樹以外では、ハリー・ポッター騒ぎがうるさかった。その前はエンデかな。そういえば、ハリー・ポッターは世界中であんなに売れたのに、なぜノーベル文学賞騒ぎが起きないのだろう? 児童文学作家が受賞しないわけではない。現に、リンドグレーンが受賞しないことで話題になっていたぐらいだ。

 マスメディアは村上春樹があたかもノーベル文学賞候補であるような騒ぎ方をするが、そもそもノーベル文学賞の場合、候補は発表にならないはずだ。以下の抜粋の下線部分はわたしが引いたものだが、そこを注目していただきたい。


Wikipedia:ノーベル文学賞 「選考」より抜粋

第1回の選考の際にはトルストイが存命で、有力候補とされていたがフランスのアカデミーが推薦した詩人シュリ・プリュドムが選ばれた。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、翌年以降も選ばれることは無かった。

1913年には、インドのタゴールがヨーロッパ以外の地域から初めて選ばれた。タゴールはベンガル語で詩を作り、『夕べの歌』の出版以来、高い評価を得ていた。子供の頃から英語を学び、イギリス留学の経験もあるため英語に通じていたタゴールが自分自身で詩を英語に訳したところ、アイルランドの詩人イェイツなどの協力によって英語で出版され、ヨーロッパでも好評を得た。

1914年の選考ではカール・シュピッテラーが候補になっていたが、第一次世界大戦の勃発により授賞は中止された。1916年の11月に、1915年のロマン・ロランと1916年のヴェルネル・フォン・ハイデンスタムの二人への授賞が発表された。式典自体は戦争が終結する1918年まで実施されなかった。

1925年に選ばれた劇作家、バーナード・ショーは当初受賞を拒否していたが、説得により賞を受け、賞金はイギリスにおけるスウェーデン文学の為の財団設立に投じられた。

第二次世界大戦が始まると4年の間、ノーベル文学賞は中止された。1945年に1944年の受賞者ヨハネス・イェンセンと1945年の受賞者ガブリエラ・ミストラルが同時に発表された。1945年の選考ではフランスのポール・ヴァレリーに決まりつつあったが、正式決定前の7月にヴァレリーが死亡した為、ミストラルの南米初の受賞が決まった。

1958年のソ連のボリス・パステルナークは政府からの圧力により、辞退を強要された。パステルナークは1960年に死亡し、1988年に息子がメダルを受け取っている。

サルトルは1964年に選ばれたが、辞退した。サルトルは公的な栄誉を否定しており、過去にもフランス政府による勲章等を辞退していた。公式な声明ではノーベル賞の辞退は個人的な理由としているが、この賞が西側中心のものであることへのサルトルの批判として受け止められた。

日本人では川端康成と大江健三郎の2人が受賞している。このほか、賀川豊彦が1947・1948年の2度候補に挙がっている。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1950年までの候補者が公表されている。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が候補となっていたことが確認された。さらに、谷崎と西脇は1960 - 1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになっている。これ以外に古くは1926年に内田魯庵が野口米次郎を「日本の文芸家からノーベル賞の候補に挙がる最初の人物」と評したのをはじめ、戦後は三島由紀夫、芹沢光治良、井伏鱒二、井上靖、遠藤周作、安部公房、村上春樹らが「候補者」として報道されたことがあるが、いずれも下馬評や過去の受賞者が獲得していた他の文学賞との関連などに基づく類推の域を出るものではなく、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

 マスメディアは下馬評にすぎないものを、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表であるがごとく、騒ぐのだ。

 マスメディアが頼りにするのは世界最大規模のブックメーカー(賭け屋)、英ラドブロークスであるが、それがどんなものか、ググってみていただきたい。およそ、文学とは縁もゆかりもなさそうなサイトに招き寄せられてしまうことだろう。

 そんな賭け屋の予想にすぎないものをマスメディアは、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表と一般人に勘違いさせるような情報操作を行い、文豪だの世界的作家だのと喚き立てる。

 ノーベル賞の他の分野では、こんな騒ぎが起きない。それも変ではないだろうか。

 それに、ノーベル文学賞作家である大江健三郎は健在であるはずだが、下馬評くらいで文豪扱いするのであれば、大江健三郎には大がいくつ付く文豪になるのだろう? 大大大文豪くらいかしら。

 そんな大大大文豪をまだ生きていらっしゃるというのに、ほったらかし気味でいいの? 

 マスメディアは民主を持ち上げ、自民を貶めるのが好きだが、マスメディアがこうも熱愛する村上春樹……これは単純な商業主義ではないのではないか。

 文化庁長官だった――わたしには似非ユング学者だったとしか思えない〔※基幹ブログ「マダムNの覚書」カテゴリー『瀕死の児童文学界』参照〕――河合隼雄との結びつきが村上春樹の権威づけに一役も二役も買っていることは間違いないだろうが、それだけではない……何かもっと大きな、組織ぐるみの勢力が裏で働いている嫌な予感が付き纏う。

 村上春樹現象は韓流ブームに似ている。

 わが国のテレビメディアは韓流の発信基地かとすら思えた一時期があったが、村上春樹に関しては、マスメディアが春樹に媚態を尽くし、村上春樹現象をつくり出す主因となっている。

 かくもマスメディアを操りうるのは誰なのか。一人のドンなのか、組織なのか、と疑問がわくのだ。(2013年5月11日)

 サンプルをダウンロードできます。
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 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をKindleストアで販売中です

 昨日の夜、Kindleダイレクト・パブリッシングに本を提出し、数時間後にはレビュー(審査)が終わって、出版完了のメールが届きました。

 ホッとしました。

 この評論を電子書籍にしておく必要性を覚えながらも、億劫で仕方がありませんでした。辛口のこの評論をその存在だけで快く思わない人々も少なくはないだろうと想像できるからです。

 が、基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開していたとき(評論の核となったブログ生まれの小論は、これまで通り「マダムNの覚書」で公開中です)、反論を多くいただきましたが、それと同じくらいの共感、感謝のメールもいただきました。

 村上春樹に関しては、今の日本で書かれている評論のほとんどが護教的なものです。内輪で楽しむためのものです。まともな批評は書けない、ということも耳にしたことがあります。わたしは幸か不幸かプロではなかったために、こうした作品が書けたのかもしれません。

 わたしが学生の頃までは(30年以上も前の話になりますが)、評論の分野は今よりずっと活発だった……というより、今の日本では現在活躍中の作家に対する評論というものがまともに機能していないのではないかとさえ思えます。宣伝の手段になってしまっています。それ以外の作家の研究、評論に関しては、この限りではないのでしょうが。

 言論の自由がありそうで、ない現実。時折、戦慄を覚えてきたのは、わたしだけだったのでしょうか。

 誕生日に息子が贈ってくれた沢山の百合を見ながら、電子化作業を進めましたが、KDP に本の提出を終えてホッし、ふと百合を見ると、最後まで咲いていた百合が散っていました。百合が見守ってくれていたような気がしました。

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 ノーベル文学賞が近づくと、今年もまた春樹コールが高まった日本だったが(下馬評1位だからといって、そんなに騒ぐのが恥ずかしい。そもそも文学の真価は世俗の価値観を超えたところにあるというのに)、中国、韓国とは政治的に極めて微妙な関係にあるときなので、春樹なんかがとって、またまた絶句させられるスピーチをやらかさないかという心配があった。

 違ってホッとした。春樹の政治意識に根本的な欠陥があることは――現在、電子書籍化のため非公開にしてしまっているが――拙評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』で指摘した。

 莫言氏の作品は未読で、88年にベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した映画「紅いコーリャン」というタイトルを聴いた記憶があるだけだった。

 ネットニュースに見る莫言氏は、文革にもめげなかった作家であるようだ。文革によって知性、品性の多いに削がれた中国であるので、莫言氏の今後の活躍を期待したいところだ。それにしてもペンネームが「言う莫(な)かれ」とは……莫言氏の執筆環境の厳しさを物語っているかのようなペンネームではないか。

 ライン以下の「続き」に、ネットニュースからクリップ。


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 昨日ニュースでノーベル文学賞に決定したと伝えられた、トーマス・トランストロンメルの訳詩集『悲しみのゴンドラ』を図書館から借りてきて読んでいる。

 神話、伝説、歴史、時事問題などから拾われた言葉と日常的なありきたりの言葉が同じ強度で並び、どれもが象徴的に響く。選びぬかれた石ばかりをはめこまれた石畳を歩いているような感じがする。その石たちは、石であるにも拘らず(言葉であるにも拘らず)、重責を担っているように感じられる。

 言葉たちは宇宙を志向しているかのようにイメージをひろげるが、自律していて、節度を持っている。その節度が甘美である。だいたい優れた詩というものは皆そうだが。

 分野は異なるが、比較的最近ノーベル文学賞を受賞した作家クレジオとパムクを連想した。純度の高さという点ではクレジオを(しかし透明な印象のクレジオに対し、トランストロンメルは密な印象である)、絵画的で万華鏡のようなという点では「わたしの名は紅」のパムクを連想した(パムクの「紅」はテーマ的集約に欠け、中途半端な印象に終わったところが惜しかったと思う。どこか嗜好的で、もう一つ芸術作品にはなりきれないところがパムクの作品にはある)。

 引用してこまかく見ていきたいところだが、思潮社のホームページを閲覧したところでは現在重版中であるようなので、やめておく。


管理人の関連記事

2009年6月 6日 (土)
評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-40a4.html

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トーマス トランストロンメル
思潮社
発売日:1999-03

 ノーベル文学賞に、スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏が選ばれたとのこと。日本時間、6日午後8時過ぎの発表。

 トーマス・トランストロンメル氏は、1931年にスウェーデンのストックホルムで生まれた。心理学者、作曲家としても知られ、これまで40か国以上で翻訳されて、ヨーロッパ各国で高い評価を受けているという。

 日本でも、「群像」「ユリイカ」が採り上げ、詩集「悲しみのゴンドラ」とその後に書かれた作品を収録した訳詩集「悲しみのゴンドラ」が出版されているらしい。


当ブログにおける関連記事

2011年10月07日
ノーベル文学賞に輝いたトーマス・トランストロンメルの『悲しみのゴンドラ』
http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65614074.html
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村上春樹『ノルウェイの森』原作の映画が封切られる前に、基幹ブログ「マダムNの覚書」への訪問者は多い日で2,000人を超えた(ココログのアクセス解析では1,863人)。

普段は、1日に150人からせいぜい200人くらいの利用者がいる小さな図書館を想像していただきたい。

その多くがマナーのよい人々で、わたしがごくささやかな純文学継承の草の根運動の一環として行ってきた、現在ではなかなか読めなくなった山崎栄治訳のリルケの詩『薔薇』はじめ、かつて講談社から出ていた児童文学全集のリスト紹介、東京創元社から出ているバルザック全集に関する記事などには毎日のように閲覧者があり、わたしを悦ばせる。

カーリル・ジブランの本は現在も数種類が入手可能と思われるので、自分のお気に入りしか紹介していないが、閲覧者が多い。卑弥呼関連、ユイスマンス、シモーヌ・ヴェイユ、Notes:不思議な接着剤で触れているカタリ派・グノーシス・原始キリスト教・ユダヤ教に関する記事、コミックスでは『テレプシコーラ』、映画ではベルイマンの諸作品とか最近の『インセプション』『アリス・イン・ワンダーランド』、この時期には年賀状。料理の記事には毎日閲覧者が多い。芸術関係の記事の閲覧者も多く、フジ子・ヘミングに関する記事では男性からの心温まるメールと貴重なリポートをいただいた。

村上春樹の記事には公開以来、毎日多くの閲覧者があるが、普段は比較的マナーのよい閲覧者が多くて、いただくメールもわたしの考えに共感を示す女性からのものが多い。

しかし、何かイベントがあるたびに(前回は1Q84、今回は映画の封切り)、普段は静かな図書館に、大勢の人々がどやどやと押しかけて、ゴミを散らすわ、あちこち漁り回るわ、本は汚すわで、迷惑を蒙っている。

誇大広告のため、イベント前にハルキ現象は最高潮に達し、イベント後は潮が引くように沈静化するのが常だ。封切り後は、訪問者は600人から800人に減った。

福袋と同じと思われる。文学の広告があれでいいのだろうか?

日本を代表する世界的作家の歴史的偉業……風の赤面するような誇大広告を真に受けて、『海辺のカフカ』『1Q84』を子供(小学生、中学生)に与えた後に読んでみて後悔したというような記事を複数閲覧したときは(与える前に読んでほしいものだが)、憤りの念を禁じ得なかった。

今回の映画『ノルウェイの森』でも、これはPG-12に指定されており、「12歳未満のお客様は、なるべく保護者同伴でご覧ください。」となっているが、対象年齢をもっと上げるべきというレビューを閲覧し、商業主義の一番の犠牲者は子供だと胸が痛む。

ところで、このイベントのたびに膨れ上がる現象について、わたしは商業主義の凄まじさに呆れてきたが、今回初めてこの現象に深い疑問を持った。

このハルキ現象の責任者は誰かということを考えてしまったのだった。

村上春樹は芸能人ではない。今やとめどもなく膨れ上がるかに見えるハルキ現象も、火元は作品の誇大広告にあり、その責任者はいうまでもなく村上春樹だろうと想像した。

わたしは本を出したことすらない素人だからわからないことだけれど、誇大広告というものは勝手につけられてしまうのだろうか。

それに対して著者は何もできないのだろうか。

何もなすすべがないのだとすれば、著者の責任は問えないが、もし何かしら手を打てるのだとすれば、この現象の責任者は村上春樹当人ということになる。

ここまで考えてしまうのは、あまりにハルキ現象が文学的なムードとはかけ離れた異質なものだからだ。

新興宗教か芸能人に伴う現象に酷似している。

映画『ノルウェイの森』についてのわたしの感想を聞きたいという人もいるが、原稿料が貰えるわけでもないのに、そこまではしたくない。2回観た『インセプション』の記事さえ、完成させる時間がないというのに……。『ポッター』の記事もまだ書けていない。

ところで、村上春樹は世界中でよく売れているという話だが、どのような層の人々によく読まれているのか、調査の必要があると思う。

純文学などというものはない、といわれ始めたのと、村上春樹の作品が売れ出したのは同じような時期だったと記憶している。

しかしまた、純文学の社会的栄冠ともいうべきノーベル文学賞に(ハーレクインロマンスにノーベル文学賞が授与されたという話は聴かないから、あれはやはり純文学作品が対象と思われる)、村上春樹の売り手とファンほど期待をかけている人々はいないように見える。

純文学の愛読者は普通、そのような世俗的出来事と作家を結びつけて一喜一憂したりはしないものだと思う。

どんな作品にも訴えかけてくる部分があり、長所短所がある。わたしは記事で書いたが、直子の描写は優れていると認める。そして、その時点で彼はどちらの方向へも行けたと書いた。

熱狂的ファンの中には、わたしの記事や評論をよく読みもしないで攻撃してくる人がいるけれど、わたしほどムーディーな習作『ノルウェイの森』をよく読み(名作と呼ぶには文学作品としての体裁が整っていず、作者の姿勢に疑問があることを評論中で指摘した)、才能を的確にチェックしようと真摯に試みた人間は少ないと思う。

このようなことは本来ならプロの評論家がやるべき仕事で、わたしのような一主婦がすることではないはずだ。そう想うと、虚しさがこみ上げる。

村上春樹の作品を読んでいるときは心地よいが、読後に倦怠感、嫌悪感に襲われて、その原因がわからなかったところ、わたしの記事、評論を読んで医師に患部を指摘して貰ったような気がした……という感謝のメールをいただかなかったら、とっくに村上春樹に関する記事は非公開にしてしまっていたと思う。

2010年12月19日

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