文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

タグ:アニー・ベザント

ブログ「マダムNの覚書」に9月26日、投稿した記事の再掲です。
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「ネオ神智学」という用語を、無知なわたしは昨日知った。

ブラヴァツキー、オルコットと共に神智学協会を設立したウィリアム・クァン・ジャッジ(1851 - 1896)は、ブラヴァツキーの死後、新たに指導者となったアニー・ベザント及びリードビーターと仲違いした。

ジャッジは1886年、アメリカで新しく神智学協会を立ち上げた。ジャッジの協会のほうがアメリカでは通りがいいという。ジャッジが亡くなった1896年にはアメリカ全土で200以上の支部があったそうだ。

ウィキペディア*を読むと、ジャッジは清廉潔白というイメージだ。そして、アニー・ベザントらの神智学はネオ神智学(Neo-Theosophy)という批判の籠もった用語で呼ばれることもあるという。

*ネオ神智学: ウィキペディア

脚注で挙げられている文献を見ておきたい。タイトルの訳は、文献の大体の傾向を知るための適当な訳である。

  • 新宗教論争
  • 神智学対ネオ神智学
  • G. R. S. ミードとグノーシス主義的探求
  • 天の伝承:エズラ・パウンドの詩編群研究
  • 現代アメリカにおける宗教的及びスピリチュアルなグループ
  • 代替祭壇:アメリカにおける非従来型の東洋的霊性
  • 臨死体験:文化・霊魂・物理的展望の統合
  • アレイスター・クロウリーはなぜまだ問題なのか?

アニー・ベザントが第2代会長を務めた神智学協会をアディヤール派、ジャッジの神智学協会をポイント=ローマ派(現「神智学協会・国際本部〈カリフォルニア州パサディナ〉)と呼ぶらしい。

このことを知るかなり前に、神智学協会ニッポン・ロッジ(アディヤール派ということになるが)からジャッジの著作(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『オカルティズム対話集』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成8年)が出たので、わたしはジャッジの論文集を読んでいた。

序文を読むと優れた内容であるように紹介されているのだが、率直にいってしまうと、わたしにはそうは思えなかった。

あくまで勉強中であるわたしの個人的な感想にすぎないことを断って放言すると、アニー・ベザントがブラヴァツキーの神智学を要約する場合にもう一つだと思うところがあるが、ベザントの志の高さ、美しさは伝わってくるし、リードビーターの著作にはシュタイナーに似たおかしなところ――空想的キリスト教史観とでもいうべきか――があると思うが、さすがだと思える部分もある。

しかし、アディヤール派ニッポン・ロッジでの評価も高いジャッジの著作を読んでわたしはその単調な雰囲気に失望し(挿入されたブラヴァツキーとの対話の断片だけは貴重だと感じられた)、如何にアニー・ベザントとリードビーターに不満があるといっても、ジャッジの著作を読んで受ける印象からすれば、格が違うという気がしてしまったのだった。

手記『枕許からのレポート』 *を執筆したころから、牛歩の歩みながら本格的に神秘主義的に生き始めたとの自覚のあるわたしには、優れた神秘主義の著作は精神修養書であると同時に実用書でもある。

*枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)(Kindle版)

文学、哲学、神智学といった分野の著作を身に刻むようにして読むことがわたしの修行になっているのかどうかはわからないが、別段身体的な修行をしたわけではないのに――物心ついたときには前世やあの世の仄かな記憶があったわたしは、ありふれた子供を装いながらも変わり者ではあったが――次第に透視力や透聴力といった神秘主義的な内的感覚が目覚めてきたのを自覚するようになった。

肉体感覚では捉えられない現象を内的な感覚でキャッチするようになったのである。そのため、その方面の学習が絶対的に必要となった。

それが何であるかを教えてくれる信頼できる参考書は神智学叢書、ヨガ関係書以外ではほとんど見つからない。
わたしはブラヴァツキー、レーリッヒ夫人、また自叙伝で著名なヨガの聖者パラマンサ・ヨガナンダの著作*をよく参考にし、例外的にリードビーターを参考にすることがある。

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パラマンサ・ヨガナンダ

Standard Pose; this image of Paramahansa Yogananda appears in many of his publications. It was very probably taken at approximately the time Yogananda arrived in the USA, in 1920.
From Wikimedia Commons, the free media repository

*パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年第12版。2015年9月28日現在Amazonで見たところでは、『あるヨギの自叙伝』(森北出版、1983年)として出ているようだ。あるヨギの自叙伝

例外的にというのはリードビーターの著作を全面的には信頼していないからだが、彼はオーラや想念形体の解説を著作で豊富に行っており、オーラの解説は参考になるし、またそんなものが見えるはずがないと思っていたタイプの例えば幾何学的形体を備えた想念形体*にしても2度だけだが目撃してなるほどと思ったりしたのだった。

わたしは自著『詩人の死』*という日記体小説で次のように書いた。

*詩人の死(Kindle版)

神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。

こうした神秘主義的な考察をするに当たって、何の参考書もなかったとしたら、対照できる事例がないことからくる孤独感や心細さに苛まれたに違いない。

しかし、有益な参考書があれば、解説に共鳴したり、教えられたり、また逆に疑問を深めたりしながら、神秘主義的な体験はこの世でも役に立つエッセンスへと変容していくのだ。

こうした観点から読んでいると、ジャッジの著作はせっかく目覚めてきた透視力や透聴力を圧殺するかのごとき否定と恐怖心の植え付け、抽象的な忠告、その半面マハートマ*やオカルト能力への好奇心を誘う傾向にあると思われ、それにしてはわたしはジャッジの著作に出てくる「師匠」の言葉から新鮮な自覚を促されることがない。

*マハートマ(Mahātma,梵)
     文字通りには「偉大な魂」のことで、最高位のアデプトをいう。自らの低級本質を克服した高貴な方で、従って肉体に妨げられずに生きておられる。霊的進化で達した段階に比例した智慧と力をお持ちである。パーリ語ではラハットまたはアルハットと言う。
(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年改版、用語解説p.61)

先に述べたように、これはあくまでわたしの場合がそうだというだけの話である。自分の感じかたに自信があるわけではない。

アニー・ベザントとリードビーターはクリシュナムリティをメシアに育て上げようとして会員たちの反発と脱会を招いたが、マハートマ現象への敷居を低くし、結果的にマハートマ通信ブームの火付け役となったのは著作の内容から判断する限りにおいてはジャッジなのではないだろうか。

ブラヴァツキーを別にすれば、レーリッヒ夫人だけは別格で、著作を通じてマハートマという高貴な存在を感じさせてくれるようにわたしには思われる。

わたしはブラヴァツキーを指導したマハートマたちの存在を疑ったことがなく、だからかむしろマハートマへの好奇心がほとんどない。オカルト能力を求めたこともない。

神秘主義的な感受性は先に述べたように、平凡な人間として生きるなかで出合う試練、真摯な読書や創作を通して自然に目覚めてきた。そして、わたしはブラヴァツキーの著作の哲学的な魅力に浴することができるだけで、大満足なのだ。

仮に英語ができたとしても、ジャッジの著作が苦手なので、ポイント=ローマ派に入ろうとは思わなかっただろう。

アディヤール派の神智学協会ニッポン・ロッジで、ジャッジを含む様々な神智学文献の邦訳論文や解説に触れられることに感謝しつつ勉強させていただいている。

ポイント=ローマ派のホームページを訪問したら、ブラヴァツキー及びジャッジの論文が自由配布されていた。

United Lodge of Theosophists
www.ultindia.org

英語が堪能だったとしても、いきなり読めば、神智学用語や学術用語、また内容の難解さに戸惑うかもしれない。

それにしても、ブラヴァツキーの死後、神智学協会はよくもまあ盛大に分裂したものだ。第2次大戦中にはナチスの迫害もあったようだし、内憂外患というべきか。

だが、分裂、結構ではないか。学術団体だと考えれば、学派がいろいろあるほうがむしろ自然だと思う。


〔追記〕

ウィキペディア英語版でヘレナ・レーリッヒを検索し、レーリッヒ夫人*の写真を初めて見た。涙が出た。

*Helena Ivanovna Roerich  (Russian: Елéна Ивáновна Рéрих; February 12, 1879 – October 5, 1955)

なぜなら若い頃のレーリッヒ夫人の写真(肖像画?)が、昔わたしが『枕許からのレポート』を書いてしばらくして塾で見た天使のような人の容貌にそっくりだったから。

正確にいえば、わたしが見た天使のような人をこの世の人間に置き換えれば若い頃のレーリッヒ夫人の容貌そっくりになる。塾での出来事は以下の記事。

レーリッヒ夫人の写真がパブリック・ドメインであった。
Helena_Roerich
Helena Roerich

From Wikimedia Commons, the free media repository

次の写真は後年に撮られたものだろう。
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Helena Ivanovna Roerich. Naggar, India

From Wikimedia Commons, the free media repository

以下はレーリッヒ夫妻によって設立されたアグニ・ヨガ協会のホームページ


ヘレナ レーリッヒ(Helena Roerieh) 1979~1955.
 アグニ ヨガの教えの伝達者。アグニ ヨガの母といわれる。1879年2月16日,ロシアの貴族の家系にエレナ イワノヴナとして生まれる。父は建築家。幼年期,母の妹,プチャチン王女の別荘に過ごす。並外れて感受性が豊かで動物と語らい,又,聖書や哲学の本に親しみ,音楽,絵に対するすばらしい才能もあった。1901年,ニコラス レーリッヒと結婚し,共に考古学の旅をする。その後,ペテルスブルグに定住し,二人の男の子の母となる。この時期に東洋哲学の研究を続ける。1920年代に入って,レーリッヒ夫妻はモリヤ大師から,後にアグニ ヨガの叢書として編集された指示を受け始めた。この指示の多くは,夫妻が,アメリカで自分達のまわりに集めた若い弟子たちに話された。1923年からの中央アジア探検に同道した彼女は沢山な恐ろしい試練に耐えた。“アグニ・ヨガの母の上首尾の結果は,人類の新しい一歩を示すこの教えの伝達を可能にした。探検が終わった1928年,「アグニ ヨガ」という本が出版された。(以下略).(竜王会東京青年部編)『総合ヨガ用語解説集』pp.78-79より抜粋(昭和55年、竜王文庫)

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ブログ「マダムNの覚書」に7月5日、投稿した記事の再掲です。

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。


YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(失敗したようだ)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

追記:

日本グランドロッジ傘下「スクエア&コンパスNo.3ロッジ」のホームページhttp://number-3.net/jp/」を閲覧したところ、入会の手引きに「国やロッジにおいては女性をメンバーとして受け入れている場合はあります」とあるので、現在では女性のフリーメイソン(フリーメイソンリー会員)も存在するようである。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

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 昨夜、娘が帰宅してすぐに差し出してくれた「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(須賀敦子訳、2013年、白水社)。本を、書店員の娘に頼んでいたのだった。

 先に「ユリイカ」を読み、わたしはほとんど窒息しそうになった。

 なぜ窒息しそうになったかというと、タブッキを期待して読み始めたというのに、雑誌の中にはタブッキが髪の毛1本分しか存在しなかったから。

 その代わりに、本は、そこに書いた人々の自己顕示欲、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない部分は徹底して排除(漂白といったほうがよいだろうか)してしまおうという貪欲な意志でいっぱいで、タブッキを求めていたわたしも同じ目に遭うことを感じずにはいられなかったからだった。

 アントニオ・タブッキが自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、マルキストたちは彼を自分の側に力尽くで引き寄せようとしているかのように思える(自分がマルキストであるという自覚さえない者もあるかもしれない)。

 また、「インド夜想曲」を訳した須賀敦子の思想が何なのかは知らないが、彼女の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセーを読むと、わたしは苛々してくる。

 登場人物や彼女の正体を知りたくてずいぶん読んだが、読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう彼女について知ることなどどうでもよくなり、遂には読むのをやめた過去があった。

 夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀敦子の作品群はそれとは如何にも対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

 最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が彼女の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

 彼女がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らないが、作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像する他はない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

 神智学者――神秘主義者――は何者になることも可能なので、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語っている。

 わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読み取れるかどうかが問題なのだ。

 訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品が神智学でいっぱいなのに、解説に神智学のシの字も出てこないとは何だろうと不審感を覚えてしまったのだった。

 いずれきちんとした評論に仕上げたいと思っているが、タブッキの世界は神智学の世界以外の何ものでもないのだ。

 ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては大事な人物だったようだが、そのペソアのことが「インド夜想曲」の中でちらりと出てくる。そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。

 アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。

 この記述からすると、ペソアを通して主人公は神智学を知ったことになるが、そのペソアは薔薇十字だったそうだ。

 ちなみに、過去記事にも書いたことだが、バルザックが薔薇十字だったことは確かだと思う。バルザックの父親はフリーメイソンだった。西洋では珍しいことではない。

 薔薇十字、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。キリスト教や、第二次大戦後はマルキシズムに抑圧されてきた。

 日本で『オカルト』、『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者である無知無教養なコリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、日本における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいる他はない。

 と、コリン・ウィルソンについて放言してしまったが、今本棚にウィルソンの本が見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――についてもいずれ書きたいと考えている。

「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかについて、もったいぶって紹介され、タブッキの作品について――神智学を避けて――周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれているが、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸しているといってもよい哲学、思想に切り込むしかなく、その哲学とはどう作品を読んでもやはり神智学であり、神秘主義であるとわたしは思う。

「ユリイカ」201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけ(見逃しがあるかもしれないが)。以下に抜粋しておく。



『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。

〔略〕
 タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

 マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあたなは私に打ち明けました〔古賀弘人訳〕。

 あまりにささやかな記述ではないだろうか。それで、あなた方研究者は神智学協会について簡単な説明もしないままで済ませるの?と不思議な気持ちになる。

 ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

 もしタブッキが神智学や薔薇十字の影響を受けた本物の神秘主義者であるとするなら、彼は思い出すように影響を受けたはずである。

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