文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

カテゴリ:レビュー・文学論 > ノーベル文学賞

マダムNの覚書」 に 2017年10月12日 (木) 20:14 投稿した記事の再掲です。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。
63 心霊主義に傾斜したメーテルリンクの神智学批判と、風評の原因
  http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/09/15/161504
わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

「あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

「人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。
さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)
ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。
医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)
娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。
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「マダムNの覚書」 に 2016年10月14日 (金) 06:03 投稿した記事の再掲です。
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ノーベル賞に、レコード大賞ができたのかと思ってしまった。

が、そうではなく、シンガーソングライターのボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのだという。

もうだめだろう、この賞は。ノーベル賞全体では権威を保っているのかもしれないが、ノーベル文学賞はハルキが騒がれ出したときから――大江健三郎がとったときから、といってもいい――おかしいとは思っていた。

ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、別物になった。

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。

これがとるんなら、デヴィッド・ボウイがとったって。あ、死んじゃってたか。それにしても、ボブ・ディランも年とった。皺いっぱい。締めはジャニス・ジョプリンで……。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。

ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。なるほどね。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』(安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981)所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

原詩を読んだことはないが、邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの「パン」を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993)

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。

  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)

(『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢ745頁,Ⅵ746頁)

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえ、わからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。

もうノーベル賞は理系に限定したほうがいい。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。

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一昨日、ついに村上春樹の検索で基幹ブログ「マダムNの覚書」にお見えになる方がゼロになりました。

村上春樹関係の記事へのアクセスはありましたが、ブログを開始したのが2006年4月。以下の記事を書いたのが5月でした。

村上春樹を検索して基幹ブログにお見えになる方が次第に増えて爆発的になり、それから次第に減っていって、検索してお見えになる方がゼロになるまでに、実に8年5ヶ月かかったということです

わたしがなぜ村上春樹を問題視し、無名ブログからそれを発信しつづけたかは、当ブログ及び基幹ブログにおける関連記事や以下の2冊の拙Kindle本をお読みになれば、わかっていただけるのではないかと思っています。

この先、村上春樹ブームが再来するかどうかはわかりませんが、この時点で村上春樹の悪影響というわたしの危惧はかなり和らいだといえます(まあファンの方々には「悪影響」は許せない言葉でしょうが、8年間記事という形で分析してきた結論です)。

ある意味で村上春樹は日本の現代文学を象徴している人物であり、その人物をわたしなりにずっと追い続けたのは、日本文学の将来に関わることだからでした。

ようやくそのつらい分析(昂揚するような分析ではありませんでした)が終わりつつあると思ったところへ(まだ河合隼雄の分析も残していますが)、春樹を潜在的に用意したとも思えるテーマとして、国民的作家と崇められ、信頼され、お札にまでなっている夏目漱石が出てきてしまいました

祐徳院を書こうと思い、江戸時代から明治時代にかけて調べなければ、出てこなかった視点でした。

ざっと調べたところでは、漱石の作品を、明治時代の神仏分離、廃仏毀釈の観点から分析した論文には見当たりませんでした。

こうした大事な研究を、無名の物書きが孤独に何の報酬もなく、光の当たらないところでやらなければならないというところに、日本の現代文学の荒廃ぶりを目の当たりにしている感じを覚えています。

奮い立ったり、逆に無気力になったりの繰り返しの日々です。

いずれ評論を書きたいと思い、その下準備として基幹ブログのカテゴリー「Notes:夏目漱石」にメモを入れていっているところです(下準備にすぎませんので、そのNotes:夏目漱石の記事へのリンク、引用はご遠慮ください)。

漱石の「こころ」で中断している部分を書き終えたら、ひとまず漱石を離れ(ることは無理かもしれませんが)、初の歴史小説に行きたいと思います。

 サイト「IRORIO(イロリオ)」の以下の記事で紹介されたペーター・ハントケ。作家らしいですよね。

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ノーベル文学賞が9日、発表になった。

受賞したのはフランスの作家パトリック・モディアノ氏。

いつだったか、娘と書店の海外コーナーで、『失われた時のカフェで』を手に取り、面白そうねえと話した本の著者だ。

結局話しただけで忘れていた。そのうち図書館から借りて読んでみたい。

失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ   (著),    平中 悠一 (翻訳)
出版社: 作品社 (2011/5/2)

暗いブティック通り
パトリック・モディアノ   (著),    平岡 篤頼 (翻訳)
出版社: 白水社 (2005/5/25)

ノーベル賞受賞作家について、もっと知りたい読書家だって少なくないのではなかろうか? NHKで、モディアノ氏の特集を組んでほしいと思う

人類が文学でどれだけのことをなしうるのか――そんな視点で紹介されるだけで、日本の雰囲気が少しは変わる気がしてしまう。

ノーベル文学賞と村上春樹を安直に結びつけた馬鹿騒ぎには、もう、うんざり。ノーベル賞を、よい作家を知るための情報源の一つとして見ることしか、わたしにはできないから

ノーベル文学賞が純文学作家から選ばれる理由……他の分野を見れば自ずとわかるが、文学には人間に関する――また、人間が惹き起こす現象に関する――研究の一分野としての側面があるからではないだろうか。

ノーベル文学賞作家が、単に楽しく読める作品を書く、売り上げが凄いといった観点から選ばれていないことは確かだろう。ノーベル文学賞には政治的偏りがあることをいわれたりもするが。

ノーベル賞がまずは推薦から始まり、それがどのような形式でなのかを、わたしは憲法9条騒ぎで知った。日本での馬鹿騒ぎに、損得勘定が凄く働いている気がしていたが、それは推薦者たちの稟性の問題だったわけだ。

憲法9条騒ぎというのは、ノーベル平和賞に、ある人々が憲法9条を保持する日本国民を推薦した出来事である

その出来事に対して、安倍首相と石破氏は、警戒しつつも自らを抑えた、上品な対応だったようだ。以下、Yahoo!ニュースより一部引用。

Yahoo!ニュース:時事通信 10月10日(金)11時57分配信

石破氏が隣席の首相に「9条が受賞したら誰がもらうのか。政治的ですよね」と水を向けると、首相も「結構、政治的ですよね」と応じた。

文学賞をお祭り騒ぎやギャンブルに貶める人々には、「物欲的ですよね」で済むが、村上春樹騒ぎには左派の思惑が絡んでいて、これも「結構、政治的ですよね」といえる現象であることは明らか。
何にしても、ノーベル賞の候補者や選考過程については、50年間の守秘義務があるそうだから、下馬評で騒いでいるだけのことなのだ。 

サンプルをダウンロードできます。
     ↓


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 過日、村上春樹のイベントがあり、例によって当ブログの訪問者が増えたが、わたしはそれ以降、やる気の出ない日々が続いている。いつものこととはいえ、受ける影響の大きさに我ながら驚いている。

 どうしてこんなにやる気が出ないのだろう?

 村上春樹以外では、ハリー・ポッター騒ぎがうるさかった。その前はエンデかな。そういえば、ハリー・ポッターは世界中であんなに売れたのに、なぜノーベル文学賞騒ぎが起きないのだろう? 児童文学作家が受賞しないわけではない。現に、リンドグレーンが受賞しないことで話題になっていたぐらいだ。

 マスメディアは村上春樹があたかもノーベル文学賞候補であるような騒ぎ方をするが、そもそもノーベル文学賞の場合、候補は発表にならないはずだ。以下の抜粋の下線部分はわたしが引いたものだが、そこを注目していただきたい。


Wikipedia:ノーベル文学賞 「選考」より抜粋

第1回の選考の際にはトルストイが存命で、有力候補とされていたがフランスのアカデミーが推薦した詩人シュリ・プリュドムが選ばれた。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、翌年以降も選ばれることは無かった。

1913年には、インドのタゴールがヨーロッパ以外の地域から初めて選ばれた。タゴールはベンガル語で詩を作り、『夕べの歌』の出版以来、高い評価を得ていた。子供の頃から英語を学び、イギリス留学の経験もあるため英語に通じていたタゴールが自分自身で詩を英語に訳したところ、アイルランドの詩人イェイツなどの協力によって英語で出版され、ヨーロッパでも好評を得た。

1914年の選考ではカール・シュピッテラーが候補になっていたが、第一次世界大戦の勃発により授賞は中止された。1916年の11月に、1915年のロマン・ロランと1916年のヴェルネル・フォン・ハイデンスタムの二人への授賞が発表された。式典自体は戦争が終結する1918年まで実施されなかった。

1925年に選ばれた劇作家、バーナード・ショーは当初受賞を拒否していたが、説得により賞を受け、賞金はイギリスにおけるスウェーデン文学の為の財団設立に投じられた。

第二次世界大戦が始まると4年の間、ノーベル文学賞は中止された。1945年に1944年の受賞者ヨハネス・イェンセンと1945年の受賞者ガブリエラ・ミストラルが同時に発表された。1945年の選考ではフランスのポール・ヴァレリーに決まりつつあったが、正式決定前の7月にヴァレリーが死亡した為、ミストラルの南米初の受賞が決まった。

1958年のソ連のボリス・パステルナークは政府からの圧力により、辞退を強要された。パステルナークは1960年に死亡し、1988年に息子がメダルを受け取っている。

サルトルは1964年に選ばれたが、辞退した。サルトルは公的な栄誉を否定しており、過去にもフランス政府による勲章等を辞退していた。公式な声明ではノーベル賞の辞退は個人的な理由としているが、この賞が西側中心のものであることへのサルトルの批判として受け止められた。

日本人では川端康成と大江健三郎の2人が受賞している。このほか、賀川豊彦が1947・1948年の2度候補に挙がっている。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1950年までの候補者が公表されている。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が候補となっていたことが確認された。さらに、谷崎と西脇は1960 - 1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになっている。これ以外に古くは1926年に内田魯庵が野口米次郎を「日本の文芸家からノーベル賞の候補に挙がる最初の人物」と評したのをはじめ、戦後は三島由紀夫、芹沢光治良、井伏鱒二、井上靖、遠藤周作、安部公房、村上春樹らが「候補者」として報道されたことがあるが、いずれも下馬評や過去の受賞者が獲得していた他の文学賞との関連などに基づく類推の域を出るものではなく、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

 マスメディアは下馬評にすぎないものを、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表であるがごとく、騒ぐのだ。

 マスメディアが頼りにするのは世界最大規模のブックメーカー(賭け屋)、英ラドブロークスであるが、それがどんなものか、ググってみていただきたい。およそ、文学とは縁もゆかりもなさそうなサイトに招き寄せられてしまうことだろう。

 そんな賭け屋の予想にすぎないものをマスメディアは、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表と一般人に勘違いさせるような情報操作を行い、文豪だの世界的作家だのと喚き立てる。

 ノーベル賞の他の分野では、こんな騒ぎが起きない。それも変ではないだろうか。

 それに、ノーベル文学賞作家である大江健三郎は健在であるはずだが、下馬評くらいで文豪扱いするのであれば、大江健三郎には大がいくつ付く文豪になるのだろう? 大大大文豪くらいかしら。

 そんな大大大文豪をまだ生きていらっしゃるというのに、ほったらかし気味でいいの? 

 マスメディアは民主を持ち上げ、自民を貶めるのが好きだが、マスメディアがこうも熱愛する村上春樹……これは単純な商業主義ではないのではないか。

 文化庁長官だった――わたしには似非ユング学者だったとしか思えない〔※基幹ブログ「マダムNの覚書」カテゴリー『瀕死の児童文学界』参照〕――河合隼雄との結びつきが村上春樹の権威づけに一役も二役も買っていることは間違いないだろうが、それだけではない……何かもっと大きな、組織ぐるみの勢力が裏で働いている嫌な予感が付き纏う。

 村上春樹現象は韓流ブームに似ている。

 わが国のテレビメディアは韓流の発信基地かとすら思えた一時期があったが、村上春樹に関しては、マスメディアが春樹に媚態を尽くし、村上春樹現象をつくり出す主因となっている。

 かくもマスメディアを操りうるのは誰なのか。一人のドンなのか、組織なのか、と疑問がわくのだ。(2013年5月11日)

 サンプルをダウンロードできます。
    ↓

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 ノーベル文学賞が近づくと、今年もまた春樹コールが高まった日本だったが(下馬評1位だからといって、そんなに騒ぐのが恥ずかしい。そもそも文学の真価は世俗の価値観を超えたところにあるというのに)、中国、韓国とは政治的に極めて微妙な関係にあるときなので、春樹なんかがとって、またまた絶句させられるスピーチをやらかさないかという心配があった。

 違ってホッとした。春樹の政治意識に根本的な欠陥があることは――現在、電子書籍化のため非公開にしてしまっているが――拙評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』で指摘した。

 莫言氏の作品は未読で、88年にベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した映画「紅いコーリャン」というタイトルを聴いた記憶があるだけだった。

 ネットニュースに見る莫言氏は、文革にもめげなかった作家であるようだ。文革によって知性、品性の多いに削がれた中国であるので、莫言氏の今後の活躍を期待したいところだ。それにしてもペンネームが「言う莫(な)かれ」とは……莫言氏の執筆環境の厳しさを物語っているかのようなペンネームではないか。

 ライン以下の「続き」に、ネットニュースからクリップ。


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続きを読む
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 昨日ニュースでノーベル文学賞に決定したと伝えられた、トーマス・トランストロンメルの訳詩集『悲しみのゴンドラ』を図書館から借りてきて読んでいる。

 神話、伝説、歴史、時事問題などから拾われた言葉と日常的なありきたりの言葉が同じ強度で並び、どれもが象徴的に響く。選びぬかれた石ばかりをはめこまれた石畳を歩いているような感じがする。その石たちは、石であるにも拘らず(言葉であるにも拘らず)、重責を担っているように感じられる。

 言葉たちは宇宙を志向しているかのようにイメージをひろげるが、自律していて、節度を持っている。その節度が甘美である。だいたい優れた詩というものは皆そうだが。

 分野は異なるが、比較的最近ノーベル文学賞を受賞した作家クレジオとパムクを連想した。純度の高さという点ではクレジオを(しかし透明な印象のクレジオに対し、トランストロンメルは密な印象である)、絵画的で万華鏡のようなという点では「わたしの名は紅」のパムクを連想した(パムクの「紅」はテーマ的集約に欠け、中途半端な印象に終わったところが惜しかったと思う。どこか嗜好的で、もう一つ芸術作品にはなりきれないところがパムクの作品にはある)。

 引用してこまかく見ていきたいところだが、思潮社のホームページを閲覧したところでは現在重版中であるようなので、やめておく。


管理人の関連記事

2009年6月 6日 (土)
評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-40a4.html

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トーマス トランストロンメル
思潮社
発売日:1999-03

 ノーベル文学賞に、スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏が選ばれたとのこと。日本時間、6日午後8時過ぎの発表。

 トーマス・トランストロンメル氏は、1931年にスウェーデンのストックホルムで生まれた。心理学者、作曲家としても知られ、これまで40か国以上で翻訳されて、ヨーロッパ各国で高い評価を受けているという。

 日本でも、「群像」「ユリイカ」が採り上げ、詩集「悲しみのゴンドラ」とその後に書かれた作品を収録した訳詩集「悲しみのゴンドラ」が出版されているらしい。


当ブログにおける関連記事

2011年10月07日
ノーベル文学賞に輝いたトーマス・トランストロンメルの『悲しみのゴンドラ』
http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65614074.html
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20101007213855

 ニュースによると、スウェーデン・アカデミーは、2010年のノーベル文学賞をペルーの作家マリオ・バルガス・リョサ氏に授与すると発表したそうだ。

 ノーベル文学賞が発表になる前後の時間帯、わたしはジュンク堂書店にいた。そして、たまたま岩波文庫のコーナーで、バルガス・リョサの『緑の家』が目にとまった。ノーベル文学賞関連で意識にのぼったのではなかった。

 ラテンアメリカの現代作家として、バルガス・リョサは、ガルシア=マルケス、フリオ・コルタサルといった作家と共に思い浮かぶ作家だったが、その中で、わたしはバルガス・リョサの作品だけ未読だった。

「そういえばバルガス・リョサの作品、まだ1冊も読んでないなあ。1冊くらい、読んでおくべきよね」とわたしは心の中でつぶやいたものの、上下巻の重厚そうな本の雰囲気に、「また今度にしよう」と思い、上の階の児童文学のコーナーに行ったのだった。

 ジュンク堂を出ながら携帯でネットニュースを見て、バルガス・リョサにノーベル賞が授与されることを知った。たった今、彼の本を見たばかりだったというのに、買い損なったと思い、悔しくなった。

 書店勤務の娘にいわせると、「どうせ、そんなには売れないから大丈夫だと思うよ、急がなくたって」といったが、売り切れるのを心配したのではなく、すれ違った感覚の残るのが嫌だったのだ。ジュンク堂はもう閉まってしまった。

 家族で中心街に来ていたので、夫に明林堂に回って貰い、岩波文庫版『緑の家』上下巻を購入した。読まなければならない作家という思いは、ずっと以前からあった。この機会に読んでおきたい。

 よくも悪くも甘さの見られない作品であるような予感がして、気が乗らなかったのだが、実際に読んでどう感じるかはわからない。

 そのうち、感想を公開する予定(という気分で今はいる)。

マダムN 2010年10月 7日 (木)

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