文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

2015年07月

ブログ「マダムNの覚書」に7月29日午後、投稿した記事の再掲です。
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キョロキョロと落ち着かない、視聴者を味方に引き込もうとするパフォーマンスが滑稽な、誘導尋問のような質疑スタイルで、弾道ミサイルが原子力施設に飛んできたらどうするか、被害はどんなものになるかに粘着して質問。

「安倍総理の規制委員会への責任転嫁でこの質問は終わりたいと思います」と勝手に判決を下して、「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎議員の質疑は終わった。

国会中継を見慣れたわたしの目には、「戦争反対、原発止めろ!」をそのまま、国会に持ってきたかのような違和感のある質疑だった。

原発の再稼働……裕福であれば、再稼働に反対できるのだろうか。裕福でないから、わからない。賛成も反対もできず、冬場の電気代が安くなることを祈るだけ。

冬、娘の職場の人も「こんな電気代が続けば、やっていけなくなるなあ」といっていたそうだから、うちだけが高いと感じているわけではないのだろう。

気候は厳しくなるばかり。弾道ミサイルが飛んでくる前に、貧困で死んでしまわないか、心配だ。

山本議員の話を聞いていると怖くてたまらなくなり、日本はこのままでは甘すぎる、防衛に死力を尽くすべきではないかと思ってしまうが、山本議員は原発さえ止まれば、全てまるく治まると考えているかのよう。

2012年5月5日、1970年以来42年ぶりに全原発が止まった(その後、福井県にある大飯原発の3号機と4号機は7月、運転を再開したが、2013年9月16日原子炉を停止)。

止まっていた間に何かが解決したのかな、思い出せない。

防衛予算のことを考えると、一国でできることには限界があり、集団的自衛権しかないと考えてしまうが、山本議員は原発施設への攻撃の話題から出なかった。

YouTubeに山本議員の質疑の動画がアップされていた。以下にリンクしておく。

 

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ブログ「マダムNの覚書」に7月29日午後、投稿した記事の再掲です。
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次世代の党の和田政宗議員が、中国共産党が行っている残虐行為、侵略行為に堂々と言及しました。

そして、その中国に対して何の対策もとらないことはわが国を危険に晒すことだと述べました。

国際情勢を日本の立場で見たとき、これはごく当たり前の認識でしょうが、どなたも中国関係のことには腫れ物に触るようにして遠慮がちに触れるか、見て見ぬふりをするかで、本当に変ですよね。このこと自体がわが国の危機的状況を物語っているように思えます。

上記状況からすれば、勇敢で、胸がすくような発言でした。

安全保障関連法案にかんする具体的で、貴重な質疑を続行中。

この重要な発言、果たして報道されるでしょうか? 

YouTubeにアップされていた動画へリンクしておきます。
 
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ブログ「マダムNの覚書」に7月28日、投稿した記事の再掲です。

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安倍首相は「米国から要請があったからといって、拒否できないということはありません。米国の戦争に自衛隊が参戦するようなことはありません」と明言。

さらに、「外交を通じて平和を守るという方針は今後も変わりません。その上での万が一の備えを行う必要がありますが、それが安全保障法制の整備です」と、丁寧に――省略しますが――説明。

   ここで国会中継が終わりました。洗濯物をとり込むために中断。

旧日本軍の軍靴の足音が聴こえるか、中国共産党の軍靴の足音が聴こえるかで、国民を二分するような報道が多いですが、二分しようとするマスコミのほうが間違っているように思えます。

ことさらに対立構造を煽ろうとする意図は何ですか?

安倍首相はタカ派だといわれ、そう思っていましたが、首相の外交努力を見ていると、平和をシンボライズするハトにも思えてきました。

6月27日の過去記事を書くとき、わたしは安倍首相がどんな国々に平和主義を説き、集団的自衛権について説明したかを調べかけたのですが、会談した首脳のあまりの多さに途中でやめてしまいました。

それでも、調べた分はその記事で紹介しています。

他の首相――例えば野田前首相――の会談内容と比較してみると、安倍首相の会談の充実した内容がわかります。経済、文化交流、その他の分野における協力関係と一体となった、平和主義の現実的な構築です。

一部マスコミの偏りがひどいので、わたしはバランスをとるために保守層にぐっと食い込みましたが、世界の常識からすれば、これで普通でしょう。

政治関係の記事を書くことが多かったために、創作へ回す時間が少なくなっていました。創作のための時間を増やしたいと考えています。勿論、必要を感じれば、書きます。

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ブログ「マダムNの覚書」に7月21日、投稿した記事の再掲です。lgp01a201308310500
Caspar David Friedrich,Woman before the Rising Sun (Woman before the Setting Sun) 


昨日、唐突に小説の構想が浮かび、それを書いても世に出られぬ身、書いてどうなるだろう、初の歴史小説もあるし……と思いながらも書き始め、徹夜してしまった。

若いころは、1~2時間の仮眠をとれば、3晩はいけた。今はだめで、朝になると、1時間だけと思いつつ、爆睡。

そして、何と本当に1時間で目が覚めた。「今日はママ、だめ。何も用意できないかもしれないから、早く起きて自分でやって」といって、早めに娘を起こした。

その娘は、まだシャワーを浴びていた。たっぷりとはいえなかったが、時間はまだあり、すばらしい幸福感に包まれていたお陰で、わたしは徹夜したにも関わらず、朝から元気いっぱい、目はぱっちり。

義祖父(夫の父方のおじいさん)の夢を見ていたのだった。わずか1時間の間に、とても長く感じる充実した夢だった。

夢の中で、わたしが義祖父を発見したのだった。義祖父はずいぶん長い間、部屋の隅で寝ていたらしい。まるでミイラになったみたいに。

誰もそれに気づかず、義父母なんかは薄情にも死んだことにしてしまって、しかも、親を亡くしたことすら忘れ、思い出しもしなかったようだ。

しかし、発見者のわたしも、自分の見つけた老人が、夫の父方のおじいさんなのか、母方のおじいさんなのか、区別がなく、ただ、おじいさんだと思っていた。正体がわかるまでは、怖かった。

夢の中で、おじいさんと一緒にいるうちに、わたしはおじいさんのことを大好きになった。

夢であろうとなかろうと、あんなに優しい人をわたしは未だ知らない。目覚めてから夫に尋ねると、優しい人だったそうだ。前にも夫はそういったが、わたしには信じられなかった。

本来が優しかったところへ、成仏して菩薩のような優しさが加わっていたのだろう。

この世の人で、あれほど無条件に優しい人はいない、この世の人の過剰な優しさは欠落を感じさせるが、充実した、実りのような優しさだった(うまく表現できない)。

そして、現実には義祖父を写真で観て、義祖父が夫にも夫のおとうさん(舅)にも似ていないと思っていたのだが、夢で会った義祖父には舅を想わせるところと、夫を想わせるところがあり、自然の造形の妙に打たれた。

わたしは夢の中で夫と喧嘩して、義祖父の背中の後ろに隠れ、義祖父に甘えたりした。

「おじいさんがもっと早く目を覚ましてくれていたら、わたしは婚家でいじめられることも、夫と喧嘩することもなかったのに。おじいさん、おじいさん、大好き……」と、わたしは夢の中で、おじいさんにそういったようでもあり、思っていただけのようでもあった。

どうして、長くあんなところで眠っていたのだろう、とわたしは不思議だった。わたしの知らない親戚の人々――現実に会ったことのある夫の親戚の人々とは異なる、知らない人々――がいて、皆で何となく御祝いをしようとしていた。

わたしはただ、おじいさんの優しい雰囲気にうっとりとし、甘えていた。

結婚して34年になるが、新婚時代から、わたしはこの義祖父の成仏を願ってきた。成仏していないと確信していた。

想像の義祖父に反発したり、悪霊扱いしたり、妄想だろうか、とわが脳味噌を疑ったりしながら。

これが、わたしの今生の課題の一つだと感じていた。

おじいさんの夢は、雑念が作り出した条件反射的、生理的な夢ではなく、霊的な夢だと感じている。おじいさんは成仏したのだ。この世に囚われていたために、あの世の人としては昏睡状態にあったのだと思う。

自分の生きているうちに、義祖父を成仏させることに成功しなければ、わたしは自分が死ぬときに彼を連れて行くつもりだった。もし、それに失敗して、自分も成仏できなかったらと思うと、怖かった。そこまでつき合うつもりはないが、何せあの世の細かいことはもう一度死んでみなくてはわからない。

毎日ではないけれど、心の中で語りかけたり、あの世の魅力を語ったり、夫の嗜好に依存(憑依)しないよう、夫の依存体質を改善しようと、いろいろやってみたが、どうもおじいさんが成仏できたようには思えなかった。

義祖父が幸福でいるという感じが伝わってこなかった。

義祖父は酒好き、遊び好きな人であったという。映画や競輪が好きで、蛍狩りにも夫は連れて行って貰った。

あの世はもっと壮大な遊び場であることを、わたしは義祖父に心の中で説いた。死んだばかりの人のために、あの世にもお酒に似たものはあると思うと語りかけた。

孫を愛するあまり、心配してくれているのだとしたら、あの世からのほうがもっと効果的に見守れるはず、といって安心させようとした。

義祖父の成仏を確信できないまま、何年も経ったが、今日、確信した。

たぶん、義祖父は成仏した。おめでとう!

義祖父の夢を見たのは初めてだった。

まあ、全てがわたしの妄想と思っていただいたらよいと思う。本当にこれまでのわたしの努力は妄想の中で行われ、すばらしい夢もただの夢だったのかもしれないので。

ただ、わたしは神秘主義者で、神智学協会の会員でもある。きちんと書き残しておきたいと思うのだ。

またわたしは自称作家でもあるので、結末が決まらないまま、義祖父をモデルに小説を書き始めていた。執筆計画が充分でないまま書き始めたものなので、つまらない冒頭となっている。いずれ、書き直すつもり。


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ブログ「マダムNの覚書」に7月19日、投稿した記事の再掲です。
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Simon Vouet,The Muses Urania and Calliope 

又吉直樹『火花』を図書館から借りようとしたら、予約者が60人以上いた。順番が回ってくるころには、次の芥川賞が決定していそうだ。

仕方なく、「文藝春秋 BOOKS」で立ち読みした。

冒頭は文章がおかしいと思ったが、そのあとは、内容が充実していくと共に、文章はまともになっていく(のではないかと思う。老眼には字が小さすぎてつらい)。

老眼のせいもあるかもしれないが、立ち読みを終えるころには、漫才界の裏話が読めそうな期待感も薄れ、小説自体がどうでもよくなってしまった。

その中に深刻な文学的テーマも美醜も、あるいはユーモアもあるのだろうが、荒れた環境、荒れた場面、荒れた言葉遣い、荒れた変な登場人物。

こうした荒れた世界を舞台にした、しかし、その世界をもう一つ包括的には捉えきれていない、それほど知的とはいえない作品ばかり、読まされてきて、日本中が今や荒れた世界になってしまったかのようで、何のための文学か、わからなくなってくる。

というと、立ち読みで作者を否定しているかのように誤解されてしまいそうだが、立ち読みしただけの直観では、西村賢太と同じくらい才能を秘めた人物だろうとは思う。

西村賢太と同じように、美しいものを内面に湛えている人物であることが窺える。作家の資格として、それ以上に大事なものはない。

『火花』の冒頭の文章がおかしいと書いたが、それについて少し。

以下『火花』より、冒頭部分の抜粋。

 大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。

文章がくどい。野暮ったい。頭の中にすっと入ってこない。そうした場合、表現が不適切、不正確であるとか、文法的に間違っているといったことが原因となっている場合が多い。

最初の行で疑問に思ったのは、笛の音が単数か複数かということだ。単数の笛の音が(和太鼓の律動に)働きかけているのか、複数の笛の音が重なり合って(和太鼓の律動に)働きかけているのか?

「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。」
の読点の位置を変えて、「大地を震わす和太鼓の律動に甲高く鋭い笛の音が重なり、響いていた。」とすると、単数の笛の音が思い浮かぶ。

複数の笛の音であることを強調したければ、
「大地を震わす和太鼓の律動に、重なり合う甲高く鋭い笛の音が響いていた。」

ただ、音と律動(リズム)は同じ意味ではないから、律動に音が重なるという無造作な表現にも違和感がある。

和太鼓の律動、笛の律動。和太鼓の音、笛の音。作者にとって、和太鼓の場合は律動が、笛の場合は音の甲高さが印象的だったのだろう。

「甲高い」は、調子が高く、鋭いことを意味するから、「鋭い」は不要。「鋭い」と重ねることで、むしろ印象を弱める。

2行目は、文章に構造的欠陥がある。

「熱海湾に面した沿道~草履に踏ませながら」までは擬人法が使われている。そのあと、そうではなくなっている。

ここは「草履に踏ませながら賑わしている」とでもなるのかな。

あくまで擬人法にこだわりたいのであれば、わたしなら、こう書く。
「熱海湾に面した沿道は、白昼のほてりを夜気で鎮めて、浴衣姿のカップルや家族連れの草履に踏まれるまま、喧騒に身を任せている。」

「浴衣姿の男女や家族連れ」の「男女」を「カップル」に換えたのは、家族連れも男女(混合)であることが多いから。

作家の卵40年のわたしも未だ日本語に詳しいほうではないが、芥川賞を受賞した作品は教材に使われてもおかしくないだけの文学的名声を授かる。

教科書に載るかもしれないと考えると、『火花』は内容以前の文章的問題を抱えている気がする。

芥川賞は日本語を壊すために存在しているのだろうか、と疑いたくなるほどだ。ひじょうに不注意な書き方である。

編集者は何のためにいるのだろう? 

編集者がしっかりしていなければ、作家が恥をかく。作家に恥をかかせる編集者は、編集者として失格といえる。

アンドレ・バーナード編集『まことに残念ですが・・・ 不朽の名作への「不採用通知」160選』(木原武一監修、中原裕子訳、徳間文庫、2004年)に、ミステリー作家ジョゼフ・ハンセンの次のような言葉がある。

もしきみが確固たる信念を持っていれば、そのうち確固たる信念を持った編集者とめぐりあうだろう。何年もかかるかもしれないが、決してあきらめるな。

ハンセンのこの言葉をわたしは幾度となく読み返してきた。作家にとって、理想的な編集者にめぐりあう歓びほど、大きなものがあるだろうか?

どんなに優秀な作家でも、完璧な日本語を常に駆使することは難しいに違いない。おかしな文章はあとで編集者が指摘してくれる――という安心感があれば、作家の筆遣いは格段に伸びやかになるだろう。

それとも、これは編集者の指導や助言の結果なのか?

よく文学賞では最初の1行で決まるといわれるが、壊れた日本語で冒頭を飾らないと受賞できないということなのか。文学賞は何のためにあるのか……深く考えると、日本人として何とはなしにある疑いが首をもたげ、空怖ろしくなる。いや、これはわたしの妄想だろう。そう願いたい。

読了したら感想を書こうと思っているが、その時間はとれないかもしれない。

何しろ、初の歴史小説が待っているというのに、図書館からゾラの『ルーゴン家の誕生』『夢想』『パスカル博士』(総論社)、レオ・ペルッツ『世界幻想文学大系 第37巻 第三の魔弾』(国書刊行会)を借りてきたのだ!

ゾラの『夢想』には『黄金伝説』が出てくるようだ。

『黄金伝説』とマグダラのマリア伝説とは切り離せないが、『黄金伝説』にはいろいろな伝説が集められている。その中のどの伝説が作品にどう絡むのか、楽しみだ。

わたしの児童小説『不思議な接着剤』のために、黄金伝説とマグダラのマリア伝説にかんするノートがあるので、紹介しておく。

以下、同ブログの#44、50、51、55、62、80。

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ブログ「マダムNの覚書」に7月18日、投稿した記事の再掲です。

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月曜日、久しぶりに書店に行きました。本の香り……どんなフレグランスよりもわたしにはすばらしい香りです。

持っていなかったタブッキの『逆さまゲーム』を1冊、購入しました。アマゾンには現在、中古しか出ていないようです。

タブッキの本で、女性におすすめしたいのは『いつも手遅れ』。大人っぽさを感じさせる、お洒落なムードが漂っていて、ベッドの中で読むのによさそう。シックな男性にもおすすめです。

いつも手遅れ
アントニオ・タブッキ (著), 和田 忠彦 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2013/9/26)

わたしのタブッキ研究は中断中……

孤独感を、ほどよく沈鬱な、落ち着いたムードで和らげてくれる『ペンギンの憂鬱』。

ペンギンの憂鬱  (新潮クレスト・ブックス)
アンドレイ・クルコフ (著), 沼野 恭子 (翻訳)
出版社: 新潮社 (2004/9/29)

孤独感を、圧倒的な存在感で吹き飛ばしてくれる『冬の犬』。

冬の犬  (新潮クレスト・ブックス)
アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳)
出版社: 新潮社 (2004/1/30)

過去記事でレビューを書きました。

そのうち図書館から借りて読みたいと思ったのは、以下の本。

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)
ゾラ (著), 國分 俊宏 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/6/11)

ルーゴン・マッカール叢書で有名なゾラですが、上記2編の作品タイトルは初めて見ました。

地上界を中心に、地獄界から天上界まで描き尽くした感のあるバルザックほどの満足感は望めませんが、ゾラの綿密な取材に裏打ちされた、人間社会の断面図をまざまざと見せてくれるエネルギッシュな諸作品は、これまで読んだどの作品も重量感ある見事な出来映えでした。

これまでに読んだゾラの作品の中では、『制作』『ボヌール・デ・ダム百貨店』が印象的でした。

制作 (上) (岩波文庫)
エミール・ゾラ (著), 清水 正和 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1999/9/16)

制作 (下) (岩波文庫)
エミール・ゾラ (著), 清水 正和 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1999/9/16)

印象派が世に出ようと苦闘していたころのフランス美術界を連想させる迫力のある作品で、芸術の深淵とその怖ろしさをも印象づけられ、読後呆然となりました。

ただ芸術を描いたにしては、この作品には肝心のものが欠けている気もします。

バルザックがペンで捉えることに成功した高級霊性とそこから来る恩恵ともいうべき芸術の醍醐味そのものがきれいに抜け落ちているために、芸術家の真摯な苦闘もどこか馬鹿馬鹿しい徒労としか映らず、戯画的にしか読めない物足りなさがあるのです。

ここのところがゾラの限界を感じさせるところでもあるように、わたしには思えます。

ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)
エミール ゾラ (著), 吉田 典子 (翻訳)
出版社: 藤原書店 (2004/02)

デパートの魅惑的かつ危険な生態(?)を見事に捉えた作品。

1883年(明治16年)もの昔に発表されたとは思えない新しさを感じさせる作品です。このときゾラは既に、資本主義社会の問題点を分析し尽くしていたのですね。

ところで、わたしが学生だったころ、シュールレアリズムはまだ人気がありました。モラヴィアは読んだことがありませんが、タイトルに惹かれ、読んでみたくなりました。

薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集 (光文社古典新訳文庫)
モラヴィア (著), 関口 英子 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/5/12)

第三の魔弾 (白水Uブックス)
レオ・ペルッツ (著), 前川 道介 (翻訳)
出版社: 白水社 (2015/7/8)

『第三の魔弾』の商品紹介には「16世紀のアステカ王国、コルテス率いる侵略軍に三発の弾丸で立ち向かう暴れ伯グルムバッハ。騙し絵のように変転する幻想歴史小説」とあって、激しく好奇心をそそられます。

オルハン・パムクが文庫で出ていますね。高校生くらいから読めると思うので、過去記事でもオススメしましたが、重厚感があり、ミステリー仕立ての面白さもあるので、読書感想文によいと思います。

イスラム芸術の絢爛豪華な世界に迷い込んで、エキゾチックな感覚を存分に味わいながら、細密画の制作に従事する人々の生々しい生きざまに触れることができますよ。

勿論、大人のかたにもオススメです。

わたしの名は赤〔新訳版〕(上)  (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク (著), 宮下 遼 (翻訳) 
出版社: 早川書房; 新訳版 (2012/1/25)

わたしの名は赤〔新訳版〕(下)  (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク (著), 宮下 遼 (翻訳)
出版社: 早川書房; 新訳版 (2012/1/25)

子供のころに魅了された本が、岩波少年文庫から出ていました。『ジャングル・ブック』と『バンビ――森の、ある一生の物語』です。どちらも、「小学5・6年より」とあります。

岩波少年文庫の本は、単行本に比べると、リーズナブルですし、持ち運びにも便利ですよね。

ジャングル・ブック  (岩波少年文庫)
ラドヤード・キプリング (著),  五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/5/16)

バンビ――森の、ある一生の物語 (岩波少年文庫)
フェーリクス・ザルテン (著),  ハンス・ベルトレ (イラスト), 上田 真而子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2010/10/16)

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ブログ「マダムNの覚書」に7月15日、投稿した記事の再掲です。
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本日午後の衆院・特別委員会において、安全保障関連法案が可決しました。

議場で議員たちがデモするって……どういうことでしょうか。以下の動画を視聴して、唖然。

戦争法案って騒ぐけれど、安倍首相はその下準備としての外交を入念にやっていますよ。

反対しているのは中国と韓国くらい。あのロシアですら、日本がそう馬鹿なことはしないとわかっているからか、様子見です。

中国の軍拡や、世界中どこにでも日本人がいるようになった現状を考えると、妥当な措置ではないでしょうか。日本だけの力では足りないということでもあります。

すぐに憲法改正というわけにはいかず、しかし、何とかしなければならない状況であることは、日本国の存続ということを真剣に考えれば、明らかでしょう。

小川和久教授が以下の動画で集団的自衛権の必要性を明晰に説いているので、紹介します。

以下の動画は、この安全保障関連の動画を探しているときに、偶然出合った動画です。地雷探知、結核の検出のために働いているネズミの動画です。

デカいネズミ、でも賢く、かわゆい。人命救助ネズミは体が軽いので、地雷に乗っても爆発することはなく、1匹の犠牲者も出ていないそうです。お仕事のあとのご褒美のバナナやピーナッツが楽しみのようです。人間のために、ありがとう、本当にご苦労様!

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ブログ「マダムNの覚書」に7月11日、投稿した記事の再掲です。
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インターネットで活動する保守の世界で、7月9日がある焦点となっていた。

在留外国人は、期限までに身分証である「在留カード」又は「特別永住者証明書」への切り替えが必要となった。期限が2015年7月8日までとなっている人が多い。それまでに切り替えを済ませていない人は処罰の対象となる。

渡邉氏が新しい在留管理制度のメリットをツイッターで解説している。
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入国管理局のホームページには、「我が国には推定約9~10万人前後(平成23年1月1日現在)の外国人が不法滞在」しているとあり、不法残留者に関する情報提供を呼びかけている。

そうしたことから、9日からは不法残留者となる外国人を見つけて入国管理局に電話やメールで通報し、本国に強制送還してやろう。それによって日本で悪いことをする人が減り、環境はもっとよいものになるだう。通報が成功すれば、報奨金も貰えるよ。日本を守るために皆で頑張ろう――といった、不法在留者通報運動ともいうべき機運が盛り上がっていたのだ。

そのリーダー役となっていたのが、ネットの世界では有名な以下のサイトだった。

その盛り上がりを傍観しながら、どうなることかと気が気でなかった。

わたしは物書きなので、どうしても「在留カード」又は「特別永住者証明書」に切り替えたくても、何らかの――疚しい――事情でそれができない人物に自分を重ねてみたりする。

この社会現象には、どことなくナチスの密告制度を連想させるところがあった。半面、そうした(若い?)ネット民の動きには、あの怖ろしい事件で気が滅入っていたときにク*コラグランプリを知ったときのような、ちょっと新鮮な驚きがあった。

不法残留者が他の犯罪を起こしやすいことは間違いなく、もはや真っ当には生きられない、日の当たらない世界で悲惨な最後を遂げるより、わが国の入管がその人を本国に送り届けてくれるというのであれば、むしろそのほうがいいのではないか、と思った。

何にしても、ナチスがユダヤ人をガス室に送るのとは訳が違う。送り先はその人の本国なのだから。

ハラハラしているところへ、Yahoo!ニュースに次のような記事があらわれた。

記事の執筆者・韓東賢氏は、保守ネット民を排外主義者、行動原理となった情報をデマと決め付けている。タイトル及び内容において、情報の歪曲、矮小化が行われている。

しかし、渡邉氏がお書きになっているように、これはデマではない。
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また、保守ネット民がやりすぎているとは思ったが、あのク*コラグランプリのときに感じたように、動機は一律ではない気がした。

在日外国人の犯罪の多さを憂慮する純粋な正義感から行動している者もあれば、単なる報奨金目当てもいるようだし、あるいは冷酷な感情を印象づける者もあった。

しかし、一番感じられるのは、長く日本人が忘れていた愛国心であるように思った。危ういような愛国心ではあるけれど……。

韓東賢氏は日本映画大学の准教授。大学教員がダブついている昨今、准教授の地位を獲得できたことは恵まれた話であるのだから、その立場を自覚したもう少し高級な内容を望みたい気がする。入管行政に対する批判には呆れた。

低次元の応酬に終始していないで、在留外国人にも役立ちそうな記事を書いてほしい。

在留カードについては解説がいろいろと出てくる。就職時、離婚時など、手続きの怠りから、在留資格の取り消しの対象とならないよう、注意が必要だろう。

J-CASTニュースの「『在日韓国人が7月9日に在留資格失い、強制送還』 デマの拡散で入管に不法滞在通報相次ぐ」というタイトルの記事もあらわれた。

これも、ネット民の指針となった情報を歪めて要約したものだが(前掲ブログのブログ紹介に、妄想時事日記とあることに注意したい。ブログのありかたとしての是非はともかく、その内容が単純でも低レベルでもないことは確かである)、情報がデマではなかったらしく、通報し、報奨金を得た人も出たようだ。

7月9日を焦点として発生した社会現象には、わが国特有の資格を有した「特別永住者」問題が根底に横たわっている気がする。

この資格は本来、用済みにすべきものだったと思う。急には無理だろうが、なくす方向へ行くしかないのではないだろうか。国籍的に宙吊り状態であることが、よいとは思えない。

特別永住者について、部分的にウィキペディアから引用してみる。

特別永住者:Wikipedia

特別永住者(とくべつえいじゅうしゃ)とは、平成3年(1991年)11月1日に施行された日本の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」により定められた在留の資格のこと、または当該資格を有する者をいう。

平成25年(2013年)末時点での特別永住者の実数は、37万3221人であり、国籍別では「韓国・朝鮮」が36万9249人と99%を占める。

終戦直後にはおよそ200万人の朝鮮人が居住していたとされるが、そのうちの150万人前後は1946年3月までに日本政府の手配で帰還している(うち、徴用で来日したものは245人が残留)。

特別永住者資格の法律では「戦前から日本に居住しているかつて日本国民だった旧統合地の人々で、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を失った人々」であることが前提要件となっている。

が、実際には戦後、済州島四・三事件や朝鮮戦争の戦火から逃れるために、生活の糧を求めて出稼ぎのために、荒廃した朝鮮半島より学問の進んだ日本の学校で学ぶために、中には政治的目的のために、数多くの韓国・朝鮮人が日本へ密航し日本国内の混乱に乗じて永住権(のちの特別永住資格)を得た。

韓国政府は、日本の要請があっても在日韓国・朝鮮人の送還を拒否している。

1965年、日韓基本条約締結に伴い締結された在日韓国人の法的地位(協定永住)について定めた日韓両国政府間の協定(日韓法的地位協定)により在日韓国人に「協定永住」という在留資格が認められた。

資格は「2代目まで継承できることとし、3代目以降については25年後に再協議することとした」が、その後、民団主導の運動が盛り上がり、「1991年、入管特例法により3代目以降にも同様の永住許可を行いつつ、同時に韓国人のみが対象となっていた協定永住が朝鮮籍、台湾籍の永住者も合わせて特別永住許可として一本化された」。


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ブログ「マダムNの覚書」に7月5日、投稿した記事の再掲です。

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。


YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(失敗したようだ)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

追記:

日本グランドロッジ傘下「スクエア&コンパスNo.3ロッジ」のホームページhttp://number-3.net/jp/」を閲覧したところ、入会の手引きに「国やロッジにおいては女性をメンバーとして受け入れている場合はあります」とあるので、現在では女性のフリーメイソン(フリーメイソンリー会員)も存在するようである。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

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