文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

2015年04月

ブログ「マダムNの覚書」に4月27日、投稿した記事の再掲です。
pamukkale-14967_640

ブログ散策をしていると、イリュミナティやフリーメイソンの陰謀論が飛び交っている。この現象に気づいたのは数年前だった。左派系と思われる人々のブログでこれらに触れているケースが多い気がしていた。

昔、学研のオカルト雑誌「ムー」で、フリーメーソンの陰謀論をよく読んだ気がするが、一般の読者は日本とは関係のない国のお話として無責任に面白がっているだけだったのではないかと思う。

ところが、いつごろからかネット上で拡散しているイリュミナティやフリーメイソンの陰謀論は、もっと執拗で陰湿な感じがある。これは何だろう、とずっと不審に思ってきた。

左派のプロパガンダに利用されているのだろうか。イリュミナティなんて、今もあるのかしら?

イリュミナティ<フリーメイソン<アメリカという図式が成り立っているようだ。しかし、ソースが発見できない。ほとんど彼らの妄想のような雰囲気が漂っている。至って真剣だから、尚更。

メーソンとは石工のことで、フリーメーソンは1723年、ロンドンで設立されたといわれる。神秘主義的な秘密結社だが、反教会的、世界主義的な傾向から、キリスト教社会では秘密結社とならざるをえなかったのではないだろうか。

Kindle版『平凡なフリーメイソンの非凡な歴史』(檀原照和著、スタジオ天神橋、2013年)を読むと、地味な(?)日本のフリーメーソンについて知識を深めることができる。

平凡なフリーメイソンの非凡な歴史

また、マンリー・P・ホールの象徴哲学大系は、神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。第Ⅲ巻『カバラと薔薇十字団』に「フリーメーソンの象徴体系」という章がある。

新版 古代の密儀 (象徴哲学大系)

新版 秘密の博物誌 (象徴哲学大系)

カバラと薔薇十字団 【新版】 (象徴哲学大系)

錬金術 【新版】 (象徴哲学大系)

わたしは旧版を、『錬金術』以外は持っている。錬金術に関しては、ヤコブ・ベーメのあまりにも難解で、さっぱりわからない著作を読み――というより眺め――、たちまち満量に達し、当時、錬金術関係の本はもう沢山だと思ったのだ。

同じ著者に『フリーメーソンの失われた鍵』(マンリー・P・ホール著、吉村正和訳、人文書院、1992年)というのがあるので、初の歴史小説の下調べの合間に読もうと思い、図書館から借りてきた。『錬金術』も借りた。

『カバラと薔薇十字団』の「フリーメーソンの象徴体系」はわたしには難解な象徴体系だが、この体系から感じられる高級感と日本で流布している低俗な印象を受ける陰謀論とがどうにも結びつかない。

いずれにしても、神秘主義関係の事柄は毀誉褒貶に晒されやすい。

一つには、本物の神秘主義者が少ないため、当然ながら神秘主義の薫り高い世界を書く人はもっと少なく、偽物の神秘主義的世界観が拡がってしまうからだろう。

日本のファンタジーには神秘主義からの借り物が様々に登場するが、ひどい使い方をされていることが多くて、心が痛む。

『錬金術』(マンリー・P・ホール著、大沼忠弘&山田耕士&吉村正和訳、人文書院、1992年)のカバーの折り返し部分に、著者の写真が載っている。ハンサムな紳士という容貌。訳者後書きに、見事に描写されている。

左横顔を撮ったもので、黒白による光のコントラストが生きている。髪は撫でられ、耳は比較的大きく、額は高く秀で、鼻筋が通り、手入れの行き届いた口髭を生やし、唇は堅く結んでいる。隙のない、端正で、理知的な顔だ。
 特に印象深いのは、長い睫毛の奥の大きな、鋭い目である。それは一見すると冷徹な感じを与えそうだが、よく見ると、深い愛情を秘めているように思われる。やや伏目がちな目で、ホールは、一体、何を見ているのであろうか。
(p.266)

日本の読者に宛てて、ホールは日本に訪れたときのことに触れ、寺院、日本庭園、茶の湯、生け花、日本民芸館を例にとり、「今日の世界において、象徴体系を学ぶ者がその研究を進めるためにこれほど多くの機会を見出すことができる場所は他にはない」(p.265)と書いている。

『フリーメーソンの失われた鍵』をホールが書いたのは、何と21歳の誕生日を過ぎたばかりのときという。彼はまだメーソンではなかった。

ホールは1901年、カナダに生まれている。『古代の密儀』(マンリー・P・ホール著、大沼忠弘&山田耕士&吉村正和訳、人文書院、1993年)によると、ホールはマックス・ハイデルの愛弟子という。

マックス・ハイデルは、ルドルフ・シュタイナー(神智学協会から独立し、アントロポゾフィー創設)の影響を受けた後、キャサリン・ティングリーの主宰する神智学の一分派に加わり、その後、「カリフォルニア薔薇十字協会」を創設した(p.312)。

師ハイデルが亡くなるとき、「カリフォルニア薔薇十字協会」の後継者に20歳に満たないホールを指名したが、それを不満とした人々が出て協会は分裂。ホールが「ヨーロッパ数千年の秘教教義の伝統を集大成する」という象徴哲学大系の執筆に協力者たちと共にとりかかったのは、このような困難な時期だった。1936年、ホールはロサンゼルスに「哲学探求協会」を創設する。(p.313)

『フリーメーソンの失われた鍵』によると、ホールがメーソンになったのは、1954年のことだった。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。(p.16)

関連記事:

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

nature-185039_640

基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開してきた記事の中から、神秘主義者としての体験が映し出された記事をセレクトしたエッセー集の電子出版を計画しています。

このようなエッセー集は他にいくらでもありそうで、案外ないのではないかと思います。

ところで、表紙に使うロゴを作ってみようと思ったまではよかったのですが、GIMPで何気なく使っていたフォントにもライセンスの問題があることを知り、慌ててしまいました。

わたしのお気に入りで、ロゴに使用しようとしたフォントは、どうやら自由に使ってはいけないらしいことがわかりました。他のフォントを使おうとして調べても、よくわからないことが多く……

仕方がないので、商用利用可との確認ができたフリーフォントをGIMP――を構成しているファイルのうち、フォントのファイル――にダウンロードして使うことにしました。

ググってみると、参考になりそうな記事が出てきました。


フォントって、オリジナルを作るのは大変でしょうね。美しいフォントを見ると、感嘆のため息が洩れます。

前掲の記事の最初に紹介されていたのが、サイト「ドットコロン」の「Aileron」というフォントでした。

  • ドットコロン
    http://dotcolon.net/
    ドットコロンのフォントは CC0ライセンスの元、OpenType形式のファイルで公開しています。Webサイトや印刷物、ロゴタイプなどへの使用はもちろん、改変・再配布等も自由に行って頂いてかまいません。商標登録が必要なものに関しても同様です。

と書かれていて、わあ、ありがたいと思いました。さっそく使用させていただき、作ってみました。

e1

ノワ出版のノワはNOIXです。

フランス語で、胡桃という意味です。わたしは子供のころから自覚のあった神秘主義者でしたが、オーラが見え始めたのはだいたい『枕許からのレポート』の体験後(「マダムNの覚書」サイドバーに記事へのリンクがあります)でした。

枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)


人間が光でできた球体――卵の形そっくりです――のなかに生きているという神秘的な現象は、真善美の実在を感じさせるだけの気品を伴っています。

最初は全体を黄色にしていたのですが、空の色でもあり、霊的な太陽の色でもある――太陽の色は神秘主義的には青色です――青にして、文字を包み込ませました。

Oの中の黄身のように見える黄色が人間です。Oの白色は清らかな意識状態のときに放射される白色のオーラを表しています。Nの菫色はナイーヴで愛を求めずにいられない心を、Iの赤はプラスにもマイナスにも働く情熱や欲求を、茶色のXは煩悩や人間の苦悩、あがきを表しています。

黄身のような、点のような人間はやがて育ち、大きく羽ばたいていくのでしょう。

実は半分以上後付けなのですが、卵型は最初から考えていました。それから、なぜ胡桃が出てきたかというと、胡桃はわたしの好物だからですが、あの外観が何となく脳味噌を連想させるからです。そこから、知性をシンボライズする食べ物に見えるのですね。

k6

表紙に埋め込むと、こんなにちっちゃくなります。

タイトルなどに使用させていただいたのは、商用利用も可能のフリーフォント「ほのか丸ゴシック」です。


「マダムNの覚書」を始めたのは、2006年4月です。記事数は19日の記事で4,970本になりました。

ブログに記事を公開することで、書く技術を磨き、自身の体験を客観視する姿勢が保たれていると思います。

当ブログは「マダムNの覚書」から主に文学関係の記事をセレクトしたまとめブログですが、ご訪問くださるあなた様には感謝の気持ちでいっぱいです。

今後共、マダムNのサイト、直塚万季の電子書籍をどうかお見守りくださいますよう、お願い申し上げます。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログ「マダムNの覚書」に4月12日、投稿した記事の再掲です。

prairie-679014_640

アメリカ哲学の創始者といわれ、その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされるウィリアム・ジェームズ。

こうした評判の高い人物とブラヴァツキーを苦しめた心霊現象研究協会(SPR)とがわたしの中で結びつかず、歴史小説執筆のために漱石研究を棚上げしようとしたまさにそのとき、気づいた。

そして、夏目漱石の研究からウイリアム・ジェームズの哲学プラグマティズム、さらにSPRに辿り着いたことで、SPRが異様なまでに権威を帯びた団体であったことを知った。

心霊現象研究会:Wikipedia

心霊現象研究協会(しんれいげんしょうけんきゅうきょうかい、英: The Society for Psychical Research)は、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって設立された非営利団体である。この組織は頭文字をとって SPR と略称される。
「心霊研究協会」と訳されることも少なくないが、本来科学的研究を意味する Psychical Research(心霊現象研究)と、元はその訳語でありながら日本独自に心霊主義的に発展した「心霊研究」とは異なる。

概要
初代会長は哲学・倫理学者でもあったヘンリー・シジウィック教授である。一般に、これをもって超心理学元年と目されている。
協会の目的は、心霊現象や超常現象の真相を究明するための科学的研究を促進することであった。当初、研究は6つの領野に向けられていた。すなわち、テレパシー、催眠術とそれに類似の現象、霊媒、幽霊、降霊術に関係した心霊現象、そしてこれら全ての現象の歴史である。
1885年にはアメリカ合衆国でもウィリアム・ジェームズらによって米国心霊現象研究協会(英語版) (ASPR) が設立されて、1890年には元祖 SPR の支部になった。有名な支持者には、アルフレッド・テニスン、マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、J・B・ライン、アーサー・コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなどである。
協会は、1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴き(後にこれは協会手続上の瑕疵により、協会としての行動ではなかったと表明)で名をあげ、設立後30年間とりわけ活動的だったが、霊媒のトリックを次々に暴いたりしたため、アーサー・コナン・ドイルなど心霊派の人々が大挙して脱退したこともあった。

主な歴代会長のリスト
1882-1884 ヘンリー・シジウィック、哲学者
1892-1894 A・J・バルフォア、イギリスの首相、バルフォア宣言で有名
1894-1895 ウィリアム・ジェイムズ、心理学者、哲学者
1896-1897 ウィリアム・クルックス卿、物理学者、化学者
1900 F・W・H・マイヤース、古典学者、哲学者
1901-1903 オリバー・ロッジ卿、物理学者
1904 ウィリアム・フレッチャー・バレット、物理学者
1905 シャルル・リシェ、ノーベル賞受賞生理学者
1906-1907 ジェラルド・バルフォア、政治家
1908-1909 エレノア・シジウィック、超心理学者
1913 アンリ・ベルクソン、哲学者、1927年にノーベル文学賞受賞
1915-1916 ギルバート・マリー、古典文学者
1919 レイリー公、物理学者、1904年にノーベル賞受賞
1923 カミーユ・フラマリオン、天文学者
1926-1927 ハンス・ドリーシュ、ドイツの生物学者、哲学者
1935-1936 C・D・ブロード、哲学者
1939-1941 H・H・プライス、哲学者
1965-1969 アリスター・ハーディ卿、動物学者
1980 J・B・ライン、超心理学者
1999-2004 バーナード・カー、ロンドン大学の数学、天文学の教授

歴代会長のリストを見ると、錚々たる顔ぶれだ。イギリスの首相に、ノーベル賞受賞者が3人もいる。こんな仰々しい連中をブラヴァツキーは相手にしていたわけである! 

病身に鞭打って、寸暇を惜しみ執筆していた無抵抗なブラヴァツキーをSPRは猫が鼠を狙うように狙い、追い詰めた。さすがは植民地大帝国を築いだけのことはある、執拗さ、残酷さで。

ウィリアム・ジェームズはブラヴァツキーが1891年に亡くなったあとの1894年から1895年にかけて会長を務めている。

偏見抜きでW・ジェームズの代表作『プラグマティズム』を読むことができて、幸いだった。SPRとブラヴァツキーの間で起きたいざこざを、わたしは心情的にどうしてもブラヴァツキーの側から見てしまうからである。

そして、プラグマティズムに興味を持つこともないまま、ブラヴァツキーがどんな人々と、どんな風潮と闘っていたかを把握できず、またそうする必要性にも気づかなかっただろう。

欧米諸国や日本が経済的物質主義に染まってしまう前に、SPRとブラヴァツキーの一騎打ちがあった。それはブラヴァツキーからすれば、相手側の陣中に引き摺り込まれた不利、不当な戦いだった。

それは、SPRの一方的な勝利宣言に終わり、やがてSPRに象徴されるような唯物論の潮流は、一気に神秘主義の砦ともいえた――「霊的な意味での唯物論」*1を展開する――神智学協会を押し流した。

 *1 『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説「唯物論」(pp.275-276)を参照。

 唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(pp.275-276)

 物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない。(p.275)

尤も、SPR事件を境として神智学協会が衰退したわけではなかった。実際には、ブラヴァツキーの死後も1920年代までは、神智学協会の強い影響力は洋の東西を問わず及んだ*2

*2 以下のオンライン論文を参照。
2010 杉本良男「比較による真理の追求―マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」出口顯・三尾稔(編)『人類学的比較再考』(国立民族学博物館調査報告90): 173-226
URL:http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4459/1/SER90_009.pdf(最終確認日:2015年4月12日)

神智学協会第2代会長アニー・ベザントの死後、協会から活気が失せたのには協会内部の問題もあったのだろうが、第二次世界大戦やマルクシズムの影響など、外部的な要因も無視できないのではないだろうか。

前掲の杉本論文(2010)に、参考資料として「神智協会の目的 Objects の変遷[Ransom 1938: 545‒553]」が挙げられ、三つの目的のうち、2番目の英文の邦語訳について注意が促されている。

2 .比較科学[ママ],比較哲学,比較科学の研究を促進すること。(比較宗教,哲学,科学の研究を促進すること)。
  To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.

 邦語訳については現行の「神智学協会ニッポン・ロッジ」の邦語訳をかかげるが,訳自体2種類あるので,タイトル・ページにかかげられている訳を初めにあげ,括弧内に入会案内のページでの訳をかかげておいた。個人的には後者の方がこなれた訳のように思う。それはともかく,第2項の「比較omparative」が,この訳のように哲学,科学までかかるのか,宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には,1896年時点で比較哲学,比較科学という概念はありえないようであるが,協会自体も明確ではないようである。(……)[杉本 2010]

翻訳技術上の問題もあるだろうが、まずは内容から「比較omparative」が哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのか、ブラヴァツキーの主要著作『The Secret Doctrine シークレット・ドクトリン』『Isis Unveiled ベールをとったイシス』ぐらいはざっとでも読んで、判断してみようとするのが常識ではないのかと学術的慣わしに無知なわたしなどは思ってしまう。

英語が堪能で羨ましいが、その英語力を駆使しながら肝心のものを読まないという姿勢がよくわからない。

ブラヴァツキーの代表作を読まずしてブラヴァツキーを語ろうとする人々による、ブラヴァツキー批判の無責任な孫引きが執拗に繰り返されて、彼女の畢生の大作は泥だらけにされたのだ。

内容からすれば、比較宗教、比較哲学、比較科学でいいんじゃないかと個人的に考える。

オカルトブームやニューエイジムーブメントの先駆者としてブラヴァツキーの名が挙がることはよくあるが、そこには概ね、蔑視的、批判的な意味合いが籠められている。

そして、その根拠としてSPR事件がよく使われるのである。

具体的にどのようなことが起きたかというと、SPRは、神智学協会の結成とブラヴァツキーの執筆がアデプト*3と呼ばれる――マハトマ、マスターと呼ばれることもある――方々の直接的な指導下で行われたという評判やブラヴァツキーが大衆向きに披露したサイキックな実験などについて調査し、否定的な報告書を作成して、それを公表したのだった。

 *3 H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説(用語解説p.14)を参照。

 アデプト(Adept:Adepts,羅) オカルティズムでいうアデプトは、イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す。(用語解説p.14)

ブラヴァツキーを詐欺師に仕立てて、神智学協会の評判を失墜させたSPRは、1986年になって、その原因をつくったホジソン・リポートはSPRの正式な手続きに基づくものではないことを表明したそうだ(ヘレナ・P・ブラヴァツキー:Wikipedia)。

SPRによってブラヴァツキーの名誉回復が図られたともいえるが、あまりに遅すぎた。

『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)を再読し、神智学協会の創立者たちは純真で、お人好しすぎた、との印象が残った。一般に形成されてしまったイメージとは対照的である。

神智学協会にサイキック調査の希望を申し出たSPRに対するブラヴァツキーの協力者たちは、次に引用するような反応を示した。

 一般にインド人達は、秘伝をうけた僅かな人達だけに、秘教的知識を限定した方がよいと思っていましたが、モヒニは創立者達が望んでいた通りにしようとしました。シネットは神智学というものは大衆のためのものではなく、知性的な人達の学ぶものと考えていましたので、サイキック研究会(S・P・R)の学者や科学者と協力するのを大変、幸福だと思いました。心の広いアメリカ人の大佐はいつも自分の発見したよいものを誰とでも頒ち合おうとしていました。事実、彼はその研究をすばらしい万全の機会だと思いました。S・P・Rは「学者の団体」という高い基準を維持することを目ざしていました。もしもこの団体が研究の末、神智学現象の真正さを公言できたなら――その筈だと大佐は考えていました――西洋の物質的思考形式に完全な革命をもたらすことでしょう。大佐は一生懸命、協力しました。(p.266)

SPRの申し出を拒絶するどころか、期待さえ寄せる協力者たちに対して、さすがにブラヴァツキーには懸念があった。

 HPBの考えでは、大佐は熱心なあまり、研究員達の懐疑的な慎重な心に、自分の奇跡的な体験をあまりに押しつけすぎていました。彼女はこの研究全体に懸念をいだいていました。S・P・Rの高慢な英国の知識人達は現象の背後にある人間についての深いヴェーダの考え方については何も知りませんし、自分の徳性の全傾向を変える放棄のヨガや自己放棄については何も知りませんでした。彼等にとっては、推理的な心が最高の神でした。彼等の心は非常に訓練されていたかもしれませんが、制限されており彼等がつかもうとしている超メンタル界にはとても及ばぬものでした。――間違った角度から本質的な謙虚さもなくとらえようとしていたのです。(pp..266-267)

SPRを疑っているように見られたくなかったブラヴァツキーは拒絶できなかった。それが1883年のことだった。そして、1885年12月31日の大晦日に、最悪の打撃がブラヴァツキーにふりかかった。

 伯爵夫人は次のように書いています。「一言の警告もなしに、サイキック調査に関する協会の報告の写しを、HPBは速達便で受け取りました。その日のことも、彼女が私を見た、生気のない石のような絶望のまなざしも、私は決して忘れることは出来ません。私が居間にはいると、彼女は手に開いた本を持っていました。『私はこの時代の最大の詐欺師で、おまけにロシアのスパイだと言われてしまいました。これでは誰が私の言うことを聞き、シークレット ドクトリンを読んでくれるでしょう?』と彼女は嘆きました」(p.312)

よりによって大晦日に、何て礼儀知らずな連中だろう! 一体、どんな権利があって、そんなことができたのかと呆れる。まるで、魔女裁判のようではないか。 自分たちは恵まれた環境で、ぬくぬくと新年を迎えたに違いないと想像する。

わたしはつい自分の身に置き換えて、頭がおかしくなった父夫婦の訴えにより、地裁から訴状が届いた日の衝撃を連想してしまった。

訴状には、認めるか争うしか選択肢がないとあった。答弁書を提出せず、かつ、定められた期日に法廷に出てこられないときは、訴状に記載されていることをこちらが認めたものとして、即日、原告の請求通りの判決がされることがあるとあった。さらに、地裁では、弁護士以外の者を代理人とすることはできないとあった。

無視する手段もあったことをあとで知ったが、訴状の内容に何の覚えもなかったわたしにとって、その訴状はまさに青天の霹靂であり、ひどいダメージを受けた。

弁護士をつける金銭的な余裕などなく、大学は法学部だったといっても、答弁書を作成しようにももう法律的なことなど何も覚えていず、そもそもそのような実際的なことは学んだ覚えがなかった。

再婚したときから少し異常を感じさせた奥さんの影響があったとはいえ、父があそこまでおかしくなったのには加齢もあるだろうが、何より長年の飲酒癖にあった気がしている。外国航路の船員だった父の飲酒は豪快そのもので、吸っていた煙草も缶ピースだった。

日中は常に完全にしらふだったから、アルコール中毒を疑ったことはなかったけれど、脳に悪影響がなかったはずはない。それより、わたしは父が霊媒体質になってしまっているのではないかと疑っており、その原因がわからなかったが、それも飲酒の影響である可能性が大きいように今は思う。

父夫婦を案じてはいても、わたしにはどうしてあげることもできない。時々入ってくる情報によると、相変わらずのようだが、この先どうなるのかと思えば、心配で胸が痛くなってくる。

ブラヴァツキーの協力者たちの多くは神秘主義的能力の持ち主で、彼ら特有の世界を形作っていたといえるのかもしれない。それが当たり前の人間にとっては、ブラヴァツキーがそうした能力を最高度に発揮するのを目撃したからといって、特殊なことだとは思わないだろう。

心が綺麗でないと神秘主義的な、高級な能力は目覚めないから、ある意味で彼らは赤ん坊のように騙されやすい一面を持っている。自分を騙そうとしている相手の奥底にも美を透かし見てしまうから、その美の印象深さのためについ信じたくなり、結果的に騙されてしまう。

全てにおいてスケールの大きなブラヴァツキーは、騙され方や傷つき方も、半端ではなかったのだ。

ブラヴァツキーの伝記を読むと、若いころからアデプトと接触がありながら、試行錯誤し、実験を試み、幾度も試練に遭い、そうした体験の中で彼女が訓練され、磨かれ、霊的に開花していったことがわかる。それこそ、ブラヴァツキーが霊媒でなかった証拠である。

もちろん、霊媒になってしまう危険性はあっただろう。それは霊的に目覚めている人間にも、そうでない人間にも、どんな人間にも起こりうることである。

自分たちは霊媒性質とは無関係だと思っている、霊媒の定義すらブラヴァツキーの本で学んでいない人々は、霊媒、霊媒とブラヴァツキーを馬鹿にしてうるさいが、わたしが見る限り、世間は霊媒だらけで、彼らの吐く息で大気汚染がひどく、とかくに人の世は住みにくい(いけない、これ漱石の小説に出てくる言葉だった)。

父のことで前述したように、アルコール好きは自分で霊媒体質を作り出しているといえる。アルコールは脳や肝臓に悪いだけではないのだ。まともな宗教の教えに、飲酒をすすめるものなどない。

ブラヴァツキーの卓抜な神秘主義的な能力は前世までに得られたものであったに違いないが、生まれ変わる度に、その能力は再獲得されなければならない。それは本当につらい体験を伴う。

わたしにもいくらかは前世までに獲得した神秘主義的能力があって、それを今生で目覚めさせるのはそれなりに大変だった。今も試行錯誤や実験の最中であり、これはとりあえず死ぬまで続くのだろう。こうした能力は、どんな人間にもいつかは目覚める能力であるはずだ。

自分より遙かに進んでいるように思えるブラヴァツキーがわたしには霊媒、詐欺師に見えるどころか、輝かしく見えることは当然である。素晴らしい大先輩だと思う。この道をもっと進めばあんな試練が待っているのかと思うと、戦慄を禁じ得ないが……

ブラヴァツキーとSPR との間に起きた詳細は『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年第3版)中、「『シークレット・ドクトリン』の沿革」に書かれている。

『シークレット・ドクトリン』の執筆中、ブラヴァツキーと共に住んだコンスタンス・ワクトマイスターによると、『シークレット・ドクトリン』執筆に際し、ブラヴァツキーはかなりな透視力を用いていたように見受けられたという。
w2
神秘主義的能力の持ち主だったワクトマイスターは、アデプトが精妙体で出現するのを度々見、言葉を聴くこともあったという。

このように『シークレット・ドクトリン』が複数のアデプトとの共作だったからこそ、ブラヴァツキーははしがきで、「今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである」と、率直に書いたのだ。

ウィリアム・ジェームズは超常現象にかんして、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言し、コリン・ウィルソンはこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけたそうだ(ウィリアム・ジェームズ:Wikipedia)。

このウィリアム・ジェームズの法則、わたしには意味がわからない。

信じるとか信じないといったことが、事の真偽に何の関係があるのだろう? W・ジェームズのこの言葉は、おそらく正しくは次のような意味である。「盲信したい人には盲信するに足る材料を与えてくれるけれど、(……)」

端から超常現象を馬鹿にしている言葉ではないか。この男はいつもこんな風だ。まず先入観ありきなのだ。神秘主義者のわたしは、この世界の物質レベルを超えた現象をこの世界の物質レベルの装置を使って証明したり、この世界の物質レベルの能力しか持たない人間にわからせることは不可能ではないかと思うだけだ。

そして、わからないことを端から色眼鏡で見たり、否定したりする態度が科学的だとはわたしには思えない。わかるときまで、仮説として、置いておけばいいことではないか。

ブラヴァツキーを誹謗中傷する人々はコリン・ウィルソンの著作の影響を受けたり、引用していることが多い。

わたしが怪訝に思うのは、ウィリアム・ジェームズのような哲学者を会員として持ちながら、なぜSPRはブラヴァツキーの著作について学術的な論文を書かなかったのかということである。

尤も、『ブラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波書店[岩波文庫]、2010年改版)で「プラトン、ロック、スピノザ、ミル、ケアード、ヘーゲル――もっと身近な人々の名前をあげることは遠慮する――これらの名前は、わが聴講者諸君の多くには、それだけの数の奇妙なそれぞれのやりそこない方を憶[おも]い出させるに過ぎないと私は確信する。もしそういう宇宙の解釈がほんとうに真理であるとしたら、それこそ明らかな不条理であろう」(p.45-46)と、大哲学者たちをまず否定してかかることを何とも思わないW・ジェームズが、ちゃんと読む以前にブラヴァツキーの著作を否定したことは充分考えられる。

聴衆や読者に先入観を植え付けるような態度が哲学的な態度でないことは、いうまでもない。

また、神秘主義者によって拓かれた心理学の分野*4がウィリアム・ジェームズのような唯物主義的、実利的な人物の影響を受けたことと、現在の精神医療が薬物過剰となっていることとは当然、無関係とはいえまい。

 *4 上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社、1998年)参照。

ところで、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)に、次のように書かれている。

 科学が原子は分割出来るということを確認した時より三年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の真正な息によって生気を吹きこまれるものである。(p.405)

わたしは昔、物理学においてクォークを物質の最小単位とする説をわかりやすく紹介した本を読んだとき*5、神秘主義の理論に立てば、クォークが物質の最小単位だなんて、そんなはずはなく、それより小さな粒子が見つかるだろうと思った。

ブラヴァツキーの言葉は、神秘主義の理論を明快に要約したものだ。

 *5 そのとき読んだ本は、南部陽一郎『クォーク―素粒子物理の最前線』(講談社、1981年)だったと思う。『クォーク―素粒子物理の最前線』の第2版に当たる『クォーク第2版: 素粒子物理はどこまで進んできたか』が1998年に上梓されている。

「『標準模型の"基本的な"粒子のいくつか、あるいはすべては、実はさらに分割できるのではないか』と考える理論もある」(基本粒子:Wikipedia)そうだが、『クォーク―素粒子物理の最前線』では、そのようなことも示唆されていたような気がする。

物理学には全く無知ながら、ブレーン宇宙論(ブレーンワールド:Wikipedia)にも興味がある。『シークレット・ドクトリン』の中の記述を連想させるからだが、そのうち息子にブレーン宇宙論について講義して貰おう。畑違いかもしれない。

これは有名な話だが、アインシュタインは『シークレット・ドクトリン』を愛読していたそうだ。

ところで、わたしは神智学の影響を受けた作家、詩人にかんする研究に着手したが、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』の再読で、ブラヴァツキーの時代に影響を受けた詩人にロバート・ブラウニング、作家にイェーツがいたことを再確認した。

前掲の杉本論文にも、1920年ごろまで協会の影響を受けた欧米の知識人の例が引用されていて、参考になる。ウィリアム・ジェームズの名のあるのが解せないけれど。

ラビンドラナート・タゴールと神智学の関係については、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて - 新教育連盟と神智学協会 - 』(学苑社、2008年)第4章「インド新教育運動の源流―R・タゴールの教育思想と事業を中心に」に詳しい。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログ「マダムNの覚書」に4月2日、投稿した記事の再掲です。
beautiful-701678_640

W・ジェームズの『プラグマティズム』( 桝田啓三郎訳、岩波文庫、2010年改版)を読んでいると、過去の哲学が最新科学ではないといって非難しているかのようだ。

プラグマティズムが何であるかは、以下の引用にいい表されていると思う。

「一つの観念ないし信念が真であると認めると、その真であることからわれわれの現実生活においていかなる具体的な差異が生じてくるであろうか? その真理はいかに実現されるであろうか? 信念が間違っている場合に得られる経験とどのような経験の異なりがでてくるであろうか? つづめて言えば、経験界の通貨にしてその真理の現金価値はどれだけなのか?」
 プラグマティズムは、この疑問を発するや否や、こう考える。真の観念とはわれわれが同化し、努力あらしめ、確認しそして験証することのできる観念である。偽なる観念とはそうできない観念である。これが真の観念をもつことからわれわれに生ずる実際的な差異である。したがってそれが真理の意味である。それが真理が真理として知られるすべてであるからである。
(pp.199-200)

現金価値という言葉が出てくるあたり、アメリカの哲学らしいといえばそうだが、わたしにはW・ジェームズが馬脚を露わしたように感じられた。

神秘主義者は、神秘主義的知識の有無で、この世でもそうだが、より一層死後の世界であるあの世での「現実生活」においていかなる具体的な差異が生じてくるかのデータを集めてきた。

かくいうわたしもほんの少しだが、今生でこれまでに少しは集めた。そのための装置作りをつらい体験によって今生でやり直さなければならなかった(その頂点というべき体験を『枕許からのレポート』で書いた)。この世的にそれを証明できないのが残念であるが。

2007年9月30日 (日)
手記『枕許からのレポート』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/09/post_e32f.html

※Kindle版もあります。
枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)

験証とは、検証、実験の結果に照らして仮説の真偽を確かめることだが、最新の実験装置で験証できる観念だけが真の観念である、とW・ジェームズはいっていることになる。

つまりそのときの科学で解明できることだけが真で、それ以外の仮説は全て偽ということになるわけだ。神秘主義者はそうやって切り捨てられたりするわけだが、それはつまり、哲学を科学に限定してしまうという話になるのではないだろうか。

だが、科学の進歩を考えれば、現代のプラグマティストによって偽と見なされた観念も、未来のプラグマティストには真の観念と見なされることもありうるということになるのではないだろうか。

神秘主義がなぜ生き延びてきたのかというと、神秘主義がその方法論において無秩序ではなく、一つのスタイルを遵守してきたからだと考えられる。

H・P・ブラヴァツキー『実践的オカルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年)序文で、それがどんなものかが説明されているので、引用してみよう。

 ブラヴァツキーの言っている「オカルティズム」は当然、心霊現象や「超自然的なこと」を漠然と指す現代の「オカルティズム」とは全く違う意味である。夫人のいうオカルティズムは、人類と同じくらい古い「科学中の科学」で、人間の最高の成就である。神聖な科学は近代科学と同様に、普遍的真理を探求するために厳密な方法を用いるので、科学と言える。しかし、道具と教育と動機という面において、神聖な科学と世俗的な近代科学は大いに異なる。
 物理的な観察をするために近代科学は様々な装置に頼るが、神聖な科学は物理的及び非物理的な観察をするには、主に、清められた人間の心の認識に頼る。(一人の観察は幾代もの先輩達の観察と照らし合わせて真正さが確かめられる。)

今ある物理的な装置で験証できないことを全て偽とする態度が哲学的とは、わたしには思えない。験証できない仮説は仮説のままにしておくほうが愛智者にふさわしい態度に思えるし、そもそもそうでなければ――哲学の仮説がなければ――、哲学が科学の進歩に寄与する機会も乏しくなるのではあるまいか。

だからこそカントは、『純粋理性批判』の中で「どうか理念(イデー)という語をその原義に即して保存されることをお願いしたい」(『純粋理性批判(中)』篠田英雄訳、岩波文庫、1961年、p.37)といって、仮説は仮説のままの純粋さに置いておこうとした。

また、カントはプラトンの「イデア」とアリストテレスのいう「イデア」との違いについて書いている。

プラトンは、イデアという語を用いた。そして彼がこの語を、感覚から採らなかったばかりでなく、アリストテレスの論じた悟性概念を遙かに超出するものと解したことは明らかである。経験のなかには、これと合致するようなものはまったく見出せないからである。[……]表現の行き過ぎということを別にすれば、この哲学者が、世界秩序における自然的なものを理念の不完全な模写と見なすことから始めて、目的即ちイデアに従ってこの世界秩序の建築的〔体系的〕結合へ上昇していく精神の飛翔は、我々の尊敬と追従に値する努力である。また道徳、立法および宗教の原理に関するところのものについて言えば、イデアが経験において完全に実現されることは不可能であるにせよ、しかし(善の)経験を初めて可能にするのは、やはりイデアそのものなのである。従ってイデアは、これらの領域において実に独自の功績を有する。それだのにこの功績を認めないのは、かかる功績がまったく経験的規則によって判定されるためであるが、しかし原理としての経験的規則の妥当性は、当然イデアによって無効にせられた筈である。自然に関しては、我々に規則を与えるものは経験であり、経験が真理の源である。しかし道徳に関しては、経験は(残念ながら!)仮像を産む母であり、私がなすべきところのものに関する法則を、なされるところのものに求めようとし、或いは後者によって前者に制限を加えようとすることは、まことに以てのほかの沙汰である。 (『純粋理性批判(中)』pp.32-37)

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログ「マダムNの覚書」に4月7日、投稿した記事の再掲です。
chess-602009_640

中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が話題になっている。

AIIBへの参加表明国は3月31日までに51か国に上り、アジアの途上国だけではなく、ヨーロッパからの参加表明も目立つ。

アジアインフラ投資銀行:Wikipedia

アジアインフラ投資銀行(アジアインフラとうしぎんこう、英: Asian Infrastructure Investment Bank, AIIB)とは、中華人民共和国が提唱し主導する形で設立を目指している、アジア向けの国際開発金融機関。2015年の業務開始を予定している。

概略
日米が主導するアジア開発銀行(ADB)では賄いきれない増大するアジアにおけるインフラ整備のための資金ニーズに、代替・補完的に応えるということを目的として、中国が設立を提唱した。
当初は東アジア、東南アジア以外の国の参加はないと観測されていたが、実際には創設メンバーとなるための期限である2015年3月31日までに、イギリス、ドイツ、フランス等ヨーロッパの主要国を含む5大陸51の国と地域が参加を表明した。一方、AIIBと業務内容が一部重複するADB(中国はAIIBはインフラ整備に資金供給を行なう一方で貧困削減は世界銀行やADBの仕事だとしている)の筆頭出資国でもあるアメリカと日本は、ガバナンスがない、出資の透明性に欠ける、国際金融機関が融資先に対して課しているのと同様の高い基準の確保に関して疑問がある、などとして参加を見送った。 AIIBにはガバナンスがなく、中国は半分の資本を拠出するのみで、みずからが好む国にインフラ支援を、二国間支援に比しておよそ2倍のレバレッジを効かせて行えることとなり、中国は援助予算総額を増やすことなく援助効果の倍増、またAIIBを対アジア外交強化に用いることが可能となるともされるが、日米不在の現状のままでは資金に莫大な不足を抱えたままの開始となり、中国が巨額損害を被りAIIB自体が失速する可能性があるともされる。申請期限切れを間近に控えた2015年3月20日、中国は日本とアメリカについては申請期限後も参加を待ち続けると表明している。

うーん、中国主導というのが引っかかる。

何よりの問題として、中国が中国共産党による一党独裁体制だというところ。どう主導するつもりなのか、甚だ不安。

しかも、中国は国内での政治的な混乱が伝えられ、対外的には侵略、威嚇行為を続けており、大気汚染原因物質PM2.5をはじめとする環境汚染、食品汚染問題を国内外に向けて撒き散らしている最中。また、日本にとっては、尖閣、南京、慰安婦といった問題で困らされてきた相手でもある。

日本が参加を見送ったことで、政府にブーイングが浴びせられているが、耳を澄ませると、例によってブーイングは中韓贔屓の左派から、不参加を賢明だったと賞賛する声は主に保守派から聴こえてくる。

テレビをつけていると、いつもながら左派の声ばかりが――少数派のはずなのに――聴こえる。まあ自民党には中国贔屓も結構いるので、それらの声も混じってはいるが。

嫌でも左派節は耳に入ってくるので、インターネットでなければ接する機会の少ない、不参加を賢明と評価する声を動画から集めてみた(保守派の声のほうが小さいというのは、本当にどう考えても変)。

麻生財務相がAIIBに血税を投入しない理由、「AIIBは審査の甘いカードローン」と明快に解説する上念司氏、中国の投資の仕方がどんなものであるかの実態を語る渡部陽一氏の声は貴重に思われる。また、なぜヨーロッパの国々からの参加が相次いだのか、動画は語っている。

麻生太郎財務相
https://youtu.be/IiyoqyuyEXo 

 
上念司(経済評論家)
https://youtu.be/I1S7Xt-YDy8
 
渡部陽一(戦場カメラマン)
https://youtu.be/gMPDrTkzFfo



小山和伸
(経済学者)
https://youtu.be/BWH7m1MvubM

青山繁晴(シンクタンク経営者)
https://youtu.be/BvYB1SySNMA

三橋貴明(経済評論家)
https://youtu.be/JpuADz69XmY

クライン孝子(ノンフィクション作家)
https://youtu.be/2tOvdNmDcKA

櫻井よしこ(ジャーナリスト)
https://youtu.be/H5QYVJA__H4

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログ「マダムNの覚書」に3月29日、投稿した記事の再掲です。
milk-518067_640

タブッキのファンで、わたしにタブッキのことを教えてくれた娘が炬燵テーブルのわたしの場所に、何気なくその本を置いていた。

tabu8
イザベルに: ある曼荼羅

勿論、娘は自分のためにその本を買ったのだが、わたしと喜びを共にしたいのだ。

娘に教えられてタブッキを読むようになり、魅了されるまでに時間はかからなかった。

それだけではなく、タブッキの作風に、神智学徒として神智学の影響を感じないわけにはいかないので、その方面から研究したいと思うようになった(わたしの家族は神智学にも神智学協会にも関心がないが、わたしが毎年神智学協会の会費を払って――年会費が4,500円から5,000円に上がった――インドのアディヤールにある神智学協会国際本部の会員名簿に登録された自分の名前が抹消されないよう、更新していることは知っている)。

文学関係では他に待っていることが山ほどあるので、とりあえず当ブログにノートだけでもと思い、カテゴリー「Notes:アントニオ・タブッキ」を設置したのだった。

そして、図書館からこれまでに邦訳・上梓されたタブッキの本は全部借りて、だいたいの傾向は掴んだものの、ノートのほうはあまり進んでいない。

最近では夏目漱石の作品にふと疑問を覚え、深入りする気のないままに調べているうち、漱石との関連で出てきた鈴木大拙が神智学協会の会員だったことを知り、『神秘主義』『日本的霊性』を読んだら、これまたカテゴリー「Notes:夏目漱石」を設置せざるをえなくなった。

漱石や彼と対照的な生きかたをした鈴木大拙の作品を読み、調べるのも、まだまだこれからだが、大拙の『神秘主義』『日本的霊性』を読む限り、それらには神智学徒ならではの視野の広さや偏見を排した厳密さがあって、神智学協会の目的(以下に引用)を連想させられるところがある。

神智学協会の目的
1)人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類愛の中核となること。
2)比較宗教、比較哲学、比較科学の研究を促進すること。
3)未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を調査研究すること。

アントニオ・タブッキの新刊『イザベルに:ある曼荼羅』の原題は Per Isabel: Un mandala と解説にあり、邦題は原題そのままであることがわかる。

うっとりするくらい、綺麗な本……

tabu6
目次からして魅力的だ。「第一円 モニカ リスボン 想起」と始まって、これが第九円まである。目次の最後は「『レクイエム』から『イザベルに』へ 夢うつつのはざまで」だが、これは訳者による解説となっている。

この作品は『レクイエム』に重なるところがあるらしいので、図書館から再度借りた。傾向を見るために借りただけで、読了していなかったから。
re3
 ウィキペディアに「イタリアは1985年までカトリックが国教だったが、廃止によって信者が激減している」とあるが、『インド夜想曲』は1984年に発表されているから、その時点ではイタリアはまだカトリックを国教としていたということだ。

『レクイエム Requiem』の発表は1992年。そして、この『イザベルに ある曼荼羅』という本の誕生に関して註に、以下のような興味深いエピソードが紹介されている。

 この書物についてアントニオ・タブッキの〈出版許可〉は存在しない。それゆえ作家の作品としては歿後に出版される未刊の遺作第一号ということになる。(……)作品全体は一九九六年、ヴェッキアーノで口述された。(……)ほかの作品の執筆に取り掛かっているうちに、方向もいろいろ変わっていった。旅を重ね、国境を越えていくなかで、この作品をある親友の女性に預けることにしたのだ。ようやく預けた作品を、読み直したいから返してほしいと言ったときには、おそらく出版する意志が固まっていたのだろう。だが、それは二〇一一年のことだった。そしてその秋には病を得ていた。(pp.177-178)

曼荼羅を知らない日本人は少ないと思うが、1996年当時、イタリアで曼荼羅はポピュラーなものだったのだろうか?

過去記事で書いたが、フィレンツェの書店主さんとメール交換している娘によると、書店主さんは邦訳版の源氏物語をお読みになるくらいの読書家なのだが、タブッキはお読みになったことがない。

自国の作家ではルイージ・ピランデッロ、ディーノ・ブッツァーティ、イタロ・カルヴィーノがお好きだそうだ。最近、娘は書店主さんの文学や演劇の話についていけなくなり、中断中。短期間だけ、やはり娘のメル友だったイタリアの地震学者はタブッキがお好きとのことだった。

娘は目下、イタリア語講座の家族的雰囲気に満足していて、そこでイタリアへのあこがれがかなり満たされている様子。年輩の人が多いが、とっても楽しそう(わたしも娘につき合って体験学習した)。それで、メール交換のほうがなおざりになっているようだ。

話が横道に逸れてしまった。

『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水社、1996年)を何気なく開いた頁に、スピノザが出てきた。

実は漱石ノートに追記を書くつもりだったが、それがアリストテレスとスピノザのことだった。

娘がカルヴィーノのタロット・カードをテーマにした作品を話題に出したので(河出文庫版『宿命の交わる城』)、本棚を漁っていたら、なくなったと思っていたアリストテレスの本『形而上学』と、「世界の名著」シリーズに入っていた1冊しか持っていないと思い込んでいたスピノザの文庫版が何冊も出てきた。

それらを読み返して書き留めたくなったことが出てきたため、今日はそれについて書くはずが、なぜか今、タブッキについて書いている。鈴木大拙にしても、タブッキにしても、作品に触れると、「この神智学徒め!」と歓喜の声をあげたくなる。

わたしの好きな本、関心を持った本がよく出てくるし、何しろ内容に共鳴できて、心地よいからだ。

神智学徒という呼びかたは不用意にすぎるかもしれない。タブッキに関しては、神智学協会と関わりがあったかどうかは知らない。「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ④」で書いたように、その作風から神智学の徒といったにすぎない。

タブッキに覚えたのと同じ親しみを期待して、ペソアの本を繙いたのだった。ところが、ペソアの本は見知らぬ思索者の本として存在していた。

流派の違いをはっきりと感じ、改めてアントニオ・タブッキが神智学という思想、思考法と如何に関係の深い人であるかがわかった気がした。タブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないが、彼の諸作品は神智学の芳香を放っている。

『白水Uブックス 99 インド夜想曲』(須賀敦子訳、白水社、1993年)に次のようなくだりがある。

「おねがいだから」僕は言った。「思い出してよ。協会っていったいなんの協会なの」
「わかりません。学問の集まりじゃないかしら。たぶん。でも、わかりません」(……)なにか思い出したようだった。「神智学協会です」そう言って、彼女は初めてにっこりした。
(p.22)

「彼が神智学協会の会員だったかどうか、僕は知りたいのですが」僕は言った。
会長はじっと僕を見つめ、「メンバーではありませんでした」と小さく否定した。
「でも、あなたと文通をしていたでしょう?」僕は言った。
「そうでしたかな」彼は言った。「たとえそうだとしても、個人的な文通でしたら、内容を申しあげるわけにはいきません
(pp.70-71)

「でも、どうしてゴアに行ったんだろう。もし、なにかごぞんじでしたら、おっしゃってください」
 彼はひざのうえで手を組みあわせ、おだやかに言った。「存じません。あなたのお友だちが具体的にどんな生活をしておられたか、私は知らないのです。お手伝いはできません。残念ですが。いろいろな偶然がうまく噛み合わなかったか、それともご自分の選択でそうされたのか。他人の仮の姿にあまり干渉するのはよくありません」(
pp.79)

インドで失踪した友人を探して神智学協会を訪ねた主人公に、協会の会長は主人公をじらすような、意味深な態度をとるが、確かに協会には誰が会員であるとかないとかといったことを穿鑿したり、アピールしたりする習慣がない。

よく宗教団体にあるような、有名人を広告塔にする習慣でもあれば、神智学の影響を受けた作家について調べ始めたわたしのような人間には好都合なのだが――。

このようなことをプライベートなこととして干渉しないのは、最初の引用で女性がいうように、神智学協会が宗教の集まりではなく、学問の集まりだからだろう。

ところで、『レクイエム』の訳者あとがきで、主人公が会おうとする相手は「詩人」「食事相手」としか呼ばせていないが、ペソアであると名前を明かしてある。

タブッキがペソアに強く惹きつけられたのも、心情的によくわかる。ペソアは神秘主義者ではない。形而上学徒だと思う。

神智学徒には神秘主義者が多いと思うが、神秘主義者は形而上学徒に惹かれる傾向があるのかもしれない。

偶然にも、わたしには「詩人」と呼んだ女友達がかつていて、追悼短編小説まで書いたのだが、彼女は形而上学徒だった(当人にその自覚はなかっただろう)。

詩人の死

ウィキペディアによると、曼荼羅はサンスクリット語の言葉を漢字によって音訳したもので、マンダラには丸いという意味があり、円には完全・円満などの意味があることから、これが語源だろうという。

神秘主義は丸く、形而上学は直線だから、違いは一目瞭然なのだ。

違いがわかっていても(わかっているからこそというべきか)、何しろこちらは丸いので、包容せずにいられないというわけである。

W・Q・ジャッジ『オカルティズム対話集』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年)に以下のような問答がある。

学徒 オカルティズムとは何ですか?
師匠 卵の形で宇宙を現そうとする知識の分野です。(pp.44-45)

たぶん『レクイエム』『イザベルに ある曼荼羅』は近いうちに読了すると思うが、タブッキノートを更新できるかどうかはわからない。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログ「マダムNの覚書」に3月27日、投稿した記事の再掲です。
sphere-405776_640

第八講まである『プラグマティズム』のうち、わたしには第一講も第二講も疑問が噴出したが、第三講になってスコラ哲学やロックが出てきたとき、わたしの疑問はいよいよ大噴火を起こすに至った。

というのも、わたしは大学時代、『プラグマティズム』に出てくる哲学者や宗教家ヴィヴェーカーナンダの著作をいくらか読んだことがあり、どんな内容だったかはほとんど記憶が失せている今も、その残り香のようなものは忘れがたい印象として残っているので、ウィリアム・ジェームズの要約に甚だ違和感が生じたのだった。

まだちゃんと『プラグマティズム』を読んだわけではないので、再読時に考えが変わるかもしれないが、そのためにざっと疑問点をメモしておくことにしよう。

第三講の冒頭で、W・ジェームズは「私はいまプラグマティズムの方法を特殊な問題に適用した実例を二つ三つ挙げてこの方法をいっそう諸君になじみ深いものにしたいと思う。私はまずはじめにごく無味乾燥なもの、すなわち実体の問題を取り上げることにしよう」と切り出す。

ここで早くもW・ジェームズは実体=ごく無味乾燥なもの、と定義づけている。第一講と第二講にそう定義づけるに至った根拠が書かれていたっけと思い、目を皿のようにして読み返してみたが、実体という哲学用語はまだ出てきていなかった。

とすれば、この第三講でその根拠が示されるに違いない。そうでなければ、おかしい。

実体という用語は、哲学作品にはよく出てくる。アリストテレスは家にはないが、アリストテレスの哲学では重要な用語だったはずだ。

アリストテレスが嫌いだからといって、アリストテレスくらいは家に置いておくべきだと後悔している。

W・ジェームズが3頁に渡って実体について述べていることはアリストテレスの哲学作品『カテゴリー論』のW・ジェームズ的要約ではないかと思うが、おぼろげな記憶しかないので、あとで確認しておきたい。

ひとまず、ウィキペディアのウーシア「実体」から、アリストテレスによる実体の定義を引用しておこう。

ウーシア:Wikipedia
ウーシア(希: οὐσία, 英: ousia)とは、「実体」(英: substance)や「本質」(英: essence)を意味するギリシャ語の言葉。ラテン語に翻訳される際に、この語には「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なる二語が当てられたため、このような語彙の使い分けが生じた。

アリストテレスによる定義

この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)という語に、「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なるラテン語の二語が当てられるようになったのは、偶然ではなく、アリストテレスによる多様な定義・用法に由来している。

『範疇論』

アリストテレスは、『オルガノン』の第一書である『範疇論』にて、実体概念を、
第一実体 : 個物 --- 主語になる
第二実体 : 種・類の概念 --- 述語になる

の2つに分割している。

アリストテレスは、「イデア」こそが本質存在だと考えた師プラトンとは逆に、「個物」こそが第一の実体だと考えた。

こうして実体概念はまず2つに大きく分割された。

『形而上学』

アリストテレスの『形而上学』中のΖ(第7巻)では、アリストテレスの実体観がより詳細に述べられている。

そこではアリストテレスは、第一実体としての「個物」は、「質料」(基体)と「形相」(本質)の「結合体」であり、また真の実体は「形相」(本質)であると述べている。
第一実体 : 「個物」(結合体) --- 主語になる 「質料」(基体)
「形相」(本質)

第二実体 : 種・類の概念 --- 普遍 --- 述語になる

また、用語集である第五巻(Δ巻)第8章においては、この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、
1.単純物体。土、火、水のような物体や、それによる構成物、及びその部分。述語(属性)にはならず、主語(基体)となるもの。
2.1のような諸実体に内在している、そのように存在している原因となるもの。例えば、生物における霊魂。
3.1のような諸実体の中に部分として内在し、それぞれの個別性を限定・指示するもの。これが無くなれば、全体も無くなるに至るような部分。例えば、物体における面、面における線、あるいは全存在における数など。
4.そのものの本質が何であるかの定義を言い表す説明方式(ロゴス)それ自体。

といった列挙の後、
1.(上記の1より)他の主語(基体)の述語(属性)にはならない、窮極(究極)の基体(個物)。
2.(上記の2・3・4より)指示されうる存在であり、離れて存在しうるもの。型式(モルフェー)、形相(エイドス)。

の2つの意味を持つ語として、定義されている。

このように、「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、今日における
「物理的実体」「物質」(physical substance)
「化学的実体」「化学物質」(chemical substance)

それも「究極基体的な物質」(今日の水準で言えばちょうど「素粒子」(elementary particle)に相当する)を含む、「実質」(substance)という意味から、それをそれたらしめていると、人間が認識・了解できる限りでの側面を強調した(観念的・概念的・言語的な面も含む)「本質」(essence)という意味までを孕んだ、多義的な語であった。

アリストテレスのいう実体がこうした複雑なニュアンスを含んでいるとなると、第三講でW・ジェームズがまず取り上げるという実体を、彼が最初から「ごく無味乾燥なもの」と安直にいい切る姿勢に、これから哲学的なお話が深まっていくとは思えない違和感を覚えるのだ。

この人の哲学はまず先入観を聴衆や読者に植え付けることから始まるのか、とすら疑ってしまう。

アリストテレスにおける実体と関係がありそうな説明に続けて、W・ジェームズは「スコラ哲学は実体の考えを常識から採り入れて、それを甚だ専門的な理路整然たるものに仕上げた。ここで言う実体ほどわれわれにとってプラグマティックな効果の乏しいものはあまり見あたらないであろう」(p.93)という。

スコラ哲学の代表的神学者といえば、トマス・アクィナスである。

トマス・アクィナスは特にアリストテレスを神学に導入しようとして苦慮した人(カトリック教会と聖公会では聖人)であったので、アリストテレス主義者といわれたりもするが、『神学大全』には様々な哲学者の説が出てくるし、アリストテレスが批判したプラトンのイデアについてもトマスは一章(第一部、第十五問)を割いて神学に採り入れようと頑張っている。イデアは神の精神のうちに存在する――と結論づけて、トマスはホッとしたようである。

『世界の名著 続5  トマス・アクィナス』(責任編集 山田晶、中央公論社、昭和53年再版)の注にトマスが実体という名称を――第三問第五項で――どんな意味に用いているのかが注でわかりやすく解説されているので、引用しておく。

「実体」substantiaという名称は二つの意味で用いられる。一つは「自体的独立的な存在者」ens per se substennsである。この意味では神は最高度に実体的であるといえる。一つは、「独立に存在することがそれに適合する本質」essentia cui competit per se esseを意味する。いま問題とされる「顔」としての実体はこれである。かかる類としての実体であるものは、その本質と存在とが区別されたものでなければならない。しかるに神においては、本質と存在とは同一である。ゆえに神は第一の意味では実体といってよいが、だからといって「実体」の類のうちに含まれるとはいえない。

W・ジェームズの「実体」とトマス・アクィナスの「実体」が別物であることは明らかで、W・ジェームズのスコラ哲学の要約や解説は、スコラ哲学の理解に役立つよりは、ジェームズのスコラ哲学に対する蔑視を聴衆や読者に印象づける。

権威に依存しやすい単純な人間には偏見を植え付けて、スコラ哲学は知るに値しないと思わせるだろうし、わたしのように疑い深い人間にはジェームズ本人に対する警戒心を起こさせる。

このような独断的な要約や解説からなるW・ジェームズの哲学が、プラグマティックな価値はともかく、どのような学問的価値を持つのか、わたしは疑う。 

ちなみに、本棚からデカルト(1596年 - 1650年)、スピノザ(1632年 - 1677年)、ライプニッツ(1646年 - 1716年)、カント(1724年 - 1804年)を引っ張り出して開いてみると、どれにも「実体」が頻繁に出てくる。

スピノザの『エティカ』では第一部が「神について」(『中公バックス 世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』責任編集 下村寅太郎、中央公論社、1980年)となっており、三で「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである」、六で「神とは、絶対無限の存在者、言いかえれば、そのおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成り立つ実体のことである」と定義づけられている。そこからのスタートである。

『エティカ』の中で実体という用語は「それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである」という意味で使われるのであって、「実体」という用語自体に、「ごく無味乾燥なもの」という意味合いは与えられていない。

ライプニッツの『モナドロジー』は、「一 これからお話するモナドとは、複合体をつくっている、単一な実体のことである。単一とは、部分がないという意味である」と始まる。

実体という用語が出てくるが、これも「ごく無味乾燥なもの」という意味合いは含んでいないと思われる。

「実体」一つとっても、W・ジェームズと他の哲学者たちとではニュアンスが異なる。

それにも拘わらず、何の説明もないまま、ジェームズは好き勝手なところから、好き勝手な方向へ話をどんどん進めて平気である。

W・ジェイムズ『プラグマティズム』で、 哲学者およびその作品に対して「えっ?」と驚くようなことが書かれているので、本棚から哲学書を引っ張り出して読んでいるうちに、2~3日があっという間に潰えた。
bo1
これらを読んだ当時、どこまで理解できていたのか怪しいながら、『プラグマティズム』でひどい書かれ方をしている哲学者の本を引っ張り出して、再読してみなくてはならなかったのだ。

読んだが、家にはない哲学者の本も結構ある。図書館から借りて読んだロックは、好きになったので買いたかったが、当時お金がなく買わなかった。買っておけばよかった。ヴィヴェーカーナンダの評伝は探せば、出てくるのではないかと思う。ヴィヴェーカーナンダの先生だったラーマクリシュナの本は今もたまに読む。

尤も、今でもよく読んでいるプラトンの著作は別として、詳しい内容までは拾い読みしたくらいでは思い出せないのだが、本のあちこちに引いている線や書き込みを読んでいると、当時の高揚感が甦ってくる。

スコラ哲学の代表的神学者、トマス・アクィナスの本は2冊持っている。一冊は中央公論社の「世界の名著」シリーズの中の一冊で、『世界の名著 続5  トマス・アクィナス』(責任編集 山田晶、中央公論社、昭和53年再版)。 

トマス・アクィナスと『神学大全』の解説に続いて、『神学大全』の一部分が訳出されている。

全体は膨大なものらしい。

  • 第一部「神」
    聖なる教
    一なる本質
    三位一体
    創造
  • 第二部「人間の神への運動」
    第二・一部 一般倫理
    第二・二部 特殊倫理
  • 第三部「神に向かうための道なるキリスト」
    御言の受肉
    キリストの誕生・生涯・受難・復活・昇天
    秘跡――洗礼・堅信・聖体・告解
    〔補遺〕

問答形式で書かれていて、第一問から第六十九問まで存在する。訳出されているのは、第一部「神」の「神の至福」(第一問から第二十六問)まで。

大から中タイトルまで紹介したが、小タイトルは小、小小、小小小タイトルまである。タイトルだけ見ていても楽しい。

例えば「一なる本質」の中の「神のはたらき」には「知性」「意志」「能力」とあって、「知性」には「神の知」「イデア・真・偽」とあるのだが、プラトン好きのわたしはイデアとあるのを見て、まず好奇心をそそられた。

また、「創造」の中の「被造物の区別」には「天使」「物体」「人間」という不思議な分類が示されていて、わたしは特に「天使」についてどう書かれているのか読んでみたかった。

第三部の〔補遺〕にある「終末――復活と審判」なんかも、如何にも面白そうに思えた。そのとき、ちょうど20歳。

それで翌21歳のときに『人類の知的遺産  20  トマス・アクィナス』(稲垣良典著、講談社、昭和54年)を買ったのではなかったか。

この本ではトマスの思想、生涯の紹介に多くの頁が割かれている。そしてトマスの著作については、著作の分類と解説、トマス著作抄となっている。全体が鳥瞰できる親切な構成になっていたが、一番読みたかった天使については、読めないままだった。

他にも多くの本を読んでいたので、わたしの トマス・アクィナスへの関心はそれきりになってしまった。トマスの著作が他の哲学作品への関心をそそったということもあった。

優れた著作というのは、そうだ。架け橋の役目を果たしているものなのだ。

昨年ローマに出張した息子が、お金を出してやるからローマを一度見てくるといい、と過日、あまりにも嬉しい、ありえないようなことをいってくれたが、息子が圧倒されたという大聖堂を、わたしは大学時代にトマス・アクィナスの『神学大全』を通して見ていたといってもいい。

壮麗な哲学大系に、文字通り圧倒されたのだった。その哲学には当然ながらキリスト教という制限があったが、そこにはギリシア哲学が豊かに流れ込んでもいた。

哲学のテーマはどうしても時代の制約を伴っている。しかし、「神は細部に宿る」という言葉があるように、哲学の美しさ、豊かさ、魅力は細部に宿っているとわたしは思う。要約してしまえば、その全てが損なわれてしまう気がする。

「神は細部に宿る」という言葉で有名なライプニッツについて、引用の少ないW・ジェームズにしては第一講で3頁も使って『弁神論』から引用し、「楽観主義的」「現実把握の薄弱なことはあまりにも明白」「冷やかな文筆の遊戯」と手厳しい。

それが批判的というよりは誹謗中傷的に響くのは、『弁神論』がどんな作品なのか、まともな紹介がなされていないからだろう。

中公バックス『世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』に『弁神論』は収録されていないから、その批判については、引用文を読んだだけでは何ともいえないが、『モナドロジー』を読んだとき、自分の身の周りに宇宙が拡がるような錯覚を覚えた。いや、現にわたしも宇宙のただなかに棲まっているのだろうが、星雲のきらめく宇宙が映像として見える錯覚を覚えたのだった。

ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説によると、ラテン語のモナドはギリシア語のモナスからきた言葉で、「単一なるもの」であり、単元を意味する。ピタゴラスの体系ではモナスは第一原因である。

『シークレット・ドクトリン』ではライプニッツのモナドについて触れられ、神秘主義ではモナドという言葉をそれとは違った使い方をしているとの説明がなされている。

西洋の哲学、哲学論には、何か単純な価値観で、哲学は進歩するという暗黙の了解を含む一つの流れがある気がするが、そうした考え方自体がキリスト教進歩史観に基づいた考え方ではないだろうか。

昔書かれた哲学作品に対するW・ジェームズの何か不遜ともいえるような姿勢に、それを感じてしまう(今ではW・ジェームズも昔の人となっているが)。

バロック音楽は古いからつまらないと思う人は思うだろうが、不断の新しさを感じさせる、みずみずしい音楽だと感動を覚える人も少なくないだろう。哲学作品もそれと同じで、書かれた当時の時代背景を感じさせられながらも、作品の本質は少しも古びていないと感動させられるものは多い。

スピノザなども、悲しいときに読んでいると、ちょっと楽しくなってくるほどだ。

喜びとは、人間がより小さな完全性からより大きな完全性へ移行することである。
悲しみとは、人間がより大きな完全性からより小さな完全性へ移行することである。(『世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』p.245)

漱石はW・ジェームズに似ているような気がしてきた。影響を受けたといえるのかもしれないし、性格が似ているために共鳴したといえるのかもしれない。そこのところは、もう少し調べてみないと、わからない。 

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ