鈴木大拙の自国の歴史観、宗教観には伝統の輝きがあり、それを継承せんとする意志が感じられる。
知的な把握なしではできないことで、そうすることで西洋など他国の歴史観、宗教観との比較も可能となる。悪戯に自国や自らを卑下したり、悲観したりといったことの以前に、自国の文化に、また他国の文化に興味を湧かせる生き方である。
一方、漱石の場合は、伝統や風土といったものが鋭い感性と観察眼によって捉えられ、魅力的な造形の一要素となっているものの、伝統や風土を形作る歴史や宗教が知的に捉えられた形跡というのは、あまり見られない。
『門』を例にとると、漱石は主人公に参禅させるが、主人公が禅を知り初めようとする段階で禅との関わりを早々に打ち切り、面倒臭そうに、禅あるいは宗教を否定してしまっている。
地の文に、禅や、当時の宗教界の動きなどに関する解説的、解釈的なものはない。一般の読者はそうした作者の心理や動機を分析したりはしないだろうから、文豪漱石の宗教観に容易に感染するだろう。
そして、主人公に、①で引用したような、暗殺された伊藤博文に対して暴言を吐かせているが、地の文で、主人公の口吻に関する解説的、解釈的なものは見られず、読者は当時の日本が置かれた政治状況をこの作品から知ることはできない。
巷間の雰囲気を反映させた言動であるのか、主人公の特殊な言動であるのか、わからない。
主人公の言葉だけとれば、井戸端会議における誹謗中傷と変わりないともいえるわけであるが、それが風俗描写としての役割を持たせたものであるのか、作者の一方的な印象操作に終始した洗脳めいたものであるのかは、よく分析されなければならないところである。
いずれにしても、ここでも読者は、文豪漱石の歴史観に容易に感染してしまうわけである。
漱石の小説は、知的好奇心を陽気に、若々しく刺激してくるバルザックのような書き方とは、対照的な書き方なのだ。
漱石は、神格化されているといってもいいすぎではない。
学校で盛んに読まされ、書店で途切れることなく目にする漱石の諸著は、当然ながら日本人の考える指針、生きる指針となってきたわけだが、前掲のような漱石の作品の傾向からは、よく知り、深く考えようとすることには無精な、考え方や歴史観に偏りのある人間を作り出す畏れがあるばかりか、原因のはっきりしない虚無感を植え付けられてしまう懸念がありはしないだろうか。
このノートは、そのうち非公開にする予定の覚え書きにすぎないので、ここでこうした懸念の裏付けを丹念に行うつもりはない。
漱石には共産主義思想の影響があるようだが、それがどの程度の影響であるのか、それが彼に知的な抑圧として働いていないかを、よく調べる必要があるだろう。
鈴木大拙は小説家ではなく、仏教学者(文学博士)であるが、同じ文化の担い手として、鈴木大拙にあって漱石にないのは、文化の継承者としての責任感と、自国そして東洋の思想の特色や優れたところを海外に伝えると同時に、海外から伝えられたものを理解、了解して、調和的に共存せんとする情熱である。
鈴木大拙は神智学協会の会員だったようだが、折口信夫(釈迢空)も神智学協会の影響を受けているようだ。
鈴木大拙について、ウキペディアから拾ってみる。
鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。〔……〕
来歴
石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。
第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より大拙の居士号を受ける(「大巧は拙なるに似たり」)。
1897年に釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。〔……〕
YouTubeに、鈴木大拙の動画があった。講演「最も東洋的なるもの」が1~4に分けて公開されている。
- https://www.youtube.com/watch?v=ULx4nJW5cXE&list=PL0184DE05416B2F19
- https://www.youtube.com/watch?list=PL0184DE05416B2F19&feature=player_detailpage&v=g8PxChBnTBU
- https://www.youtube.com/watch?v=-P419xY06E8&list=PL0184DE05416B2F19
- https://www.youtube.com/watch?v=M2QXF7qqzKg&list=PL0184DE05416B2F19
1の明治のころの悠長な日本の話、英語と日本語の違いの話が白い。西洋的な自由と東洋的な自由――の違い――について述べられた4は、圧巻。
鈴木大拙に影響を与えた神智学協会について、また明治期の宗教界の動きについて知る助けとなりそうなオンライン論文に、以下のようなものがあった。
- 「近代日本における知識人宗教運動の言説空間
―『新佛教』の思想史・文化史的研究」
The Discursive Space of an Intellectual Religious Movement in Modern
Japan : a Study of the "Shin Bukkyo" Journal from the viewpoint of the
History of Culture and Thought
科学研究費補助金基盤研究B 研究課題番号 20320016
2008 年度~2011 年度代表
吉永進一(舞鶴工業高等専門学校)
http://www.maizuru-ct.ac.jp/human/yosinaga/shinbukkyo_report.pdf - 出口顯・三尾稔編『人類学的比較再考』
国立民族学博物館調査報告 90:173‒226(2010)
比較による真理の追求
― マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー―
杉本 良男
国立民族学博物館民族社会研究部
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4459/1/SER90_009.pdf - 国際社会文化研究所紀要第13号(2011年)
シカゴ万国宗教会議と明治初期の日本仏教界
一一島地黙雷と八淵播龍の動向をとおして一一
嵩満也
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1458/1/r-sbk-ky_013_016.pdf - 明治思想における戦争倫理
日露戦争に従軍した釈宗演をめぐって
中川雅博
エティカ
5pp.101 - 118 , 2012 , 慶應義塾大学倫理学研究会
ISSN:18830528
慶應義塾大学倫理学研究会
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA12362999-20120000-0101.pdf?file_id=68027
過去記事で紹介した以下の本も、参考になる。
ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会
岩間 浩 (著)
出版社: 学苑社 (2008/08)