文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

2013年11月

 新疆ウイグル自治区では、昨年1年間に200件近くの「テロ事件」が発生したという。侵略され、弾圧されてきたウイグル人。ウイグル人に起きたことは、日本人にとって今や他人事ではない。

 何しろ近頃、侵略好きの中国は見境がなくなってきたからだ。中国が東シナ海空域に設定した防空識別圏はそれを示す一例で、日本はそれに対して行動で異議あり、と唱えることは難しい。アメリカ頼みしかない現状だ。

 過日の国会中継を見ていたら、民主政権時に売国ぶりをさらけ出して国会で追及されていた面々が当たり前のような顔をして座っていたり、強い口調で質問したりしていた。そんな彼らに後生大事にされる憲法9条は可哀想である。

 中国がしきりに威嚇してくるこの時こそ、彼らの信仰する憲法9条が実力を発揮するべきときではあるまいか? 水戸黄門の印籠のように効果絶大であることが証明されれば、彼らも少しは日本のことを考えてくれていたのだと思えるかもしれない。

 しかし、水戸黄門の印籠が水戸黄門という物語の中の日本でしか通用しないように、憲法9条にも対外的な効果を、それも中国のような軍事力増強路線をとっている一党独裁国家に対して期待するのは愚かというものではないだろうか。

 平和というものが自分だけの思い込みでは維持できないことを、わたしは体験的に知った。いっそ米ソ冷戦時代のような米中冷戦状態が形成され、それが続いてくれれば……などと考えたりもしてみるが、うまく想い描けない。

 以下の記事の中身はニュースです。

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 アマゾンのキンドルストアで販売中の電子書籍『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』の表紙を作り直しました。

 表紙がごちゃごちゃしている感じがして気になっていたのでした。

 商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」で写真素材をお借りし、フリーで使える高機能なグラフィックソフト「GIMP」で何か面白い加工ができないかとあれこれやっていたら、「フィルター→下塗り(R)→パターン→ジグソーパズル」でジグソーパズルのように加工できることがわかり、やってみました。1ピース背景色に塗り、出来上がり。

 夫に見せると、前の表紙画像よりこちらのほうがタイトルに合うといってくれたので、こちらに決めました。宣伝文句を入れなかったぶん、すっきりとなりました。またそのうち、作り直したくなるかもしれませんが。

 前に「足成」からお借りしていた写真素材もそうですが、どの写真にも物語が秘められているようで、閲覧するだけで楽しくなります。稚拙な技術力なのにお借りするのは申し訳ない気がします。写真素材を提供してくださっている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 内容は同じです。

 この作品は当ブログで一部を公開してしまっているので、KDPセレクトに登録できず、無料キャンペーンができません。

 で、表紙を新しくしたこの機会に、既に過去記事で紹介済みではありますが、「はじめに」「あとがき」「第二版のあとがき」を以下に紹介しておきます。

 これらを書いた時期は異なっています(早い日付順)。

 これらに加えて、基幹ブログ「マダムNの覚書」で予告した新しい本『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』の「はじめに」を合わせて読んでいただければ、34年のあいだに著者――直塚万季――が村上春樹に関する情報をどう更新していったかが、おわかりいただけるかと思います。わが国の状況、文学界がどう変わっていったかも、大まかなところは。

 サンプルをダウンロードできます。
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「はじめに」


 本書のもととなった作品は、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれ、村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだった二〇〇九年に執筆したものでした。文芸同人雑誌『日田文学 57号』(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、二〇〇九年五月)に掲載していただいたもので、本書ではそれに加筆・訂正を行っています。

 作品の冒頭で、わたしはブログ「マダムNの覚書」に公開中の小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」の二〇〇六年から二〇〇九年まで続いているヒットに驚いているのですが、この「はじめに」を書いている時点――二〇一二年四月――でも依然として、「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」は異常なアクセス数を誇っています。ただこれには、名もない、あまり宣伝もしていない個人のブログにしては……という但し書きをつけなくてはなりませんが。

 ところで、わたしは比較的最近になって、児童文学に関する研究を行うようになりました。その中で、心理学者、元文化庁長官であった河合隼雄の村上春樹に対する影響を考えないわけにはいかなくなりました。河合の影響は、村上春樹、小川洋子、吉本ばなな、梨木香歩といった作家たちに強く及んでいるばかりか、精神医療、教育、児童文学――ファンタジー――への影響の大きさ、また雇用の創出力という点においても、河合には一専門家とか一文化人という言葉では括ることのできない桁外れなところがあると感じさせられました。
 河合のことを調べていて特に注意を惹かれたのは、教育界への影響として「心のノート」問題、精神医学界への影響として「臨床心理士」資格問題でした。調べれば調べるほど、河合隼雄には疑問点が出てくるのですが、それにもかかわらず――いや、それだからこそ、というべきでしょうか――河合が日本人の精神をある時期、意のままにした怪物的存在であったことは間違いありません。
 河合隼雄についても、いつか書かなければならないと考えています。

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「あとがき」                 

「はじめに」を書いたときから、さらに一年近い時が流れました。その間に、アマゾン キンドルの日本進出があり、わたしのようなアマチュア・ライターにも、セルフ・パブリッシングの機会が訪れました。
 作品を同人雑誌に発表したときからすると、四年もの歳月が流れたことになりますが、内容的にはまだ有効と思われましたので、この度の電子出版と相成ったわけでした。
 アマゾン キンドル、無料で写真素材を提供してくださっているサイト「足成」、ブログ「マダムNの覚書」を開設させてくださったココログ、そして二〇〇六年四月十二日の開設の頃からブログをご訪問くださっている方々に、深く感謝を申し上げます。

  二〇一三年三月十五日

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「第二版のあとがき」


 第二版では、誤字脱字の修正、表紙画像とフォントサイズの変更、奥付の作成などを行いました。「あとがき」を書いたときから半年が過ぎ、その間また一つ、村上春樹に関して意識に上ってきた事柄がありました。
 本文で書いているように、村上春樹の人気には色々と引っかかるところがあったのですが、もう一つ、わたしの中で解けない謎があったのです。アメリカで売れているというのもわたしには意外ではあったのですが、言論統制が行われている中国、韓国で大ヒットしている理由となると、もっとわかりませんでした。韓国では軍隊でも大層人気があるようですし、またロシアでも人気があるようです。
 アメリカ、中国、韓国、ロシア。
 その謎が、最近の緊迫した中国、韓国との関係や、それと関係のある慰安婦問題、南京事件について調べる中で、いくらか解けました。言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずです。その国々の人々が無邪気に楽しむだけであろうと、国家の戦略的視点は別なのです。
『海辺のカフカ』には第二次大戦中に心的障害を負ったナカタという人物、『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件が出てきたはずだと思い、再読してみました。以前読んだときは戦争がエンターテイメント的に利用された軽い小説だと考えたのですが、いやいや思いのほか著者の政治思想が読みとれる二作品ではありませんか。
 戦争がエンターテイメント的に利用されているというよりは、著者の思想の正当性を裏付けるために、南京事件やノモンハン事件が利用されていると感じられました。村上春樹の小説は心地よい、ムーディーな一面を持っていますが、その本質は存外に硬質で、イデオロギー色の濃い社会主義思想なのではないでしょうか。
 作家としての村上春樹の問題点は、一九三八年に発表された石川達三の『生きている兵隊』などと比較してみた場合によりはっきりしてきます。
『生きている兵隊』は南京事件に関与したとされる第十六師団三十三連隊に取材して書かれたものですが、フィクションとはいえ、全てが歴史的事実であったのかと思わされるくらい、よく調べて書かれています。戦争の諸相が暗いトーンで描かれており、残酷な場面も数々出てくるのですが、全体から石川のバランス感覚が読みとれ、各場面の隅々まで、著者の神経の行き渡っているのが感じられます。
 しかし、村上春樹の『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニカル』では全体にどこか抽象的で、主人公と著者との間に距離感がなく、他の登場人物は狂言廻し的です。悪や暴力を描くためにノモンハン事件や南京事件が利用されたという印象を拭えません。それも無造作にです。春樹には、色々な本からお気に入りの断片を拾ってきてアクセサリーのように利用する癖があることを、わたしは本文中で指摘しました。そのように気ままに拾われて挿入された断片は、本来の性質をとどめていず、著者自身の断片でしかないのですが、ノモンハン事件であろうと、南京事件であろうと、同じやり方で利用されたのです。
 村上春樹は作中の主人公となって、架空の敵と戦っています。その架空の敵とは、旧日本軍であり、天皇制であり、大東亜共栄圏という思想であり、戦争そのものであり、端的に暴力であり、究極の悪なのです。これらは皆一緒くたとされてしまっています。
 これでは子供のチャンバラごっこと何ら変わりないのですが、当の著者、ファンたち、評論家でさえ、そのことに気づいていないらしいことに戦慄を覚えざるをえません。日本人作家自らが得々として自虐史観を散りばめた小説……中国、韓国、ロシア、またアメリカにも、村上春樹を歓迎する理由がありましょう。
 こうして見ていくと、村上春樹の小説には、戦後日本人の精神的な歩みがまるごと刻まれているといっても過言ではありません。当然ながらその歩みは、世界的な思想の潮流と無関係ではありません。
「はじめに」で書いた河合隼雄との関係をファンタジーへの影響という観点から探っていくと、河合隼雄独特の恣意的なユング解釈が第一の問題点として目につきますが、河合を名誉会長とした「絵本・児童文学研究センター」理事長兼所長をつとめる工藤左千夫の重要視するシュタイナーの影響なども――ニューエイジ・ムーヴメントの分析と併せ――第二の問題点として調査する必要が出てきます。まあ、このあたりになりますと、わたしの専門領域となります。

 不安定な健康状態と何とか折り合いをつけながら続編を書きあげたいと思っていますが、相当に時間がかかりそうなので、以上続編でアプローチしたい事柄をざっと挙げてみました。

  二〇一三年九月二十九日
                                                                        直塚万季

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後日:申し訳ありませんが、無料キャンペーンは行わないことにしました

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 アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『台風』の無料キャンペーン、題して備えあればキャンペーンを実施します。

 無料キャンペーン期間は、太平洋標準時11月14日~18日(日本時間11月14日午後5時ごろ~19日午後5時ごろ)の5日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。

 日本列島が台風に見舞われていた時期には、かえって『台風』の無料キャンペーンが気持ち的にできませんでした。

 気候変動で、日本にいても、海外にいても、台風に遭遇することが以前より多くなりました。小説を通して台風のことを知っていただければと思います。

 台風被害に遭った実体験をもとに執筆した小説で、これを読んでいただければ、風雨が強まってから避難することの困難さがおわかりいただけるかと思います。

 といっても、この小説は台風自体がテーマというわけではなく、台風に遭遇した一家族の物語です。第22回織田作之助賞最終候補になった作品です〔選考委員は川上弘美、杉山平一、辻村登の各氏。結果発表誌は「文学界」5月号(文藝春秋、平成18年)〕。

 この『台風』でアマゾン キンドルの新しい販促ツールKindle Countdown Dealsを試したいと思い、登録を済ませてホッとしたあとで、そういえば、これ、アメリカとイギリスのアマゾンでしか使えなかったのではなかったかしら……と思い出し、確認したところ、やはりそうでした。

 思い出さなければ、カウントダウン・キャンペーンがいつまでも始まらないことに、不安を募らせたことでしょうね(アメリカとイギリスのアマゾンでは始まったでしょうが)。

 早く日本でも使えるようになればいいのに、と思いながら、Kindle Countdown Dealsの登録を削除し、新しく、いつもの無料キャンペーンを登録しました。

『台風』では過去に5月、7月と無料キャンペーンを実施していて、今回は11月と間が空きましたが、今後も無料キャンペーンを行うかどうかはわからないので、読んでみたいという方には、この機会にダウンロードなさることをおすすめします。

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 初の歴史小説に取り組んでいるところですが、果たして小説という形にできるのかどうか、今はまだ何ともいえない状況です。純文学小説なら書き慣れていて、すぐに文章が出てくるのですが、では現代が舞台であれば、いつもスムーズにいくかといえば、児童小説を書き始めてしばらくはとても苦労しました。

 そのときと同じ状況にある気がします。異なるジャンルにチャレンジしたときは、大抵初めは苦労します。そんな思いがあったせいか、問題が解けずにひどく焦っている夢を見ました。

 公文教室に子供たちを迎えに行ったはずが、なぜかわたしが生徒になってしまいます。先生はドラマで見た記憶のある俳優でした。わたしは体験学習をしているようでもあります。

 小学1年生がするような問題から、複雑そうな文章題まで20枚くらいありました。公文教室では時間を計らなくてはならないので時計をみようとするのですが(ストップウォッチではありませんでした)、まるで乱視になったように時間がわかりません。

 そして、時間を見ようとしている間にプリントがなくなってしまいます。周囲の生徒さんたちは親切で一緒に探してくれるのですが、見つからず、諦めて席に戻ると、机に置いた上着の下になっていることがわかりました。

 やれやれと思い、プリントを始めます。分数が物凄く難解なので(分母も分子も数えきれないくらいの桁数です)、文章題からやろうと思い、問題を見ると、ブタの絵が描かれていて、どうやら5匹の仔ブタを育ててハムにする場合の複雑な計算のようでした。

 算数の問題というより、経営とか経済とか、そういった方面の問題であるようでしたが、それが小学3年生か4年生だかのやさしい問題らしいのです。

 わたしは「ああ、恥ずかしい! 独身時代に公文の助手をやっていたのに、全くできないことがばれてしまう! わたしには書かなくてはならない初の歴史小説があるから、こんなことばかりやってはいられない。公文はやめます、といおう」と思って顔を上げると、先生がこちらを見ています。

 やめるとしても、とにかくこの問題を終えなくては帰宅できないと焦っていると、小学生は教室からほとんどいなくなっていて、もっと大きな子たち――中高校生――が教室に入ってきていました。

 焦りが頂点に達したとき、わたしはふと思いました。「こんな馬鹿なことって、あるはずがない。そうよ、これはきっと夢よ。歴史小説を書くのがどんなに難しくても、こんな奇怪な問題を解くよりはましだわ。夢から覚めさえしたら、恐れずに歴史小説を書こう!  そうだ、参考のために『樅ノ木は残った』を読もう!」と夢の中で思ったら、目が覚めました。

 目が覚めてホッとしましたが、『樅ノ木は残った』って何でしょう? いえ、それが山本周五郎の歴史小説であることは昔ドラマで観た記憶がぼんやりとあるので知っているのですが、なぜ夢に?

 ウィキペディアには「江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動『伊達騒動』を題材にしている」とありました。萬子媛は江戸時代前期の人ですから、何か参考になるかもしれませんね。

 何にしても、歴史小説には時間がかかりそうなので、気分転換に短い児童小説を書いたり、電子書籍を出したりしたいと考えています。『地味な人』には時間がかかりそうなので、クリスマスに合う気のする『どこか別の美しい街』を先に出すことになりそうです。

 『どこか別の美しい街』は、既に出ている『ぼくが病院で見た夢』と響き合う小説です。同じ病気の赤ん坊が出てくるのです。

 また、時々芥川賞受賞作品の感想を書いてきましたが、この辺りで本にしておこうと思います。

 芥川賞には興味がなくなるばかりなので、②はないかもしれませんが、世相を映している面があるので、なるべく読んでいくためにも①を出しておくことにしました。例によって、表紙が先にできました。
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 初の歴史小説(13)の中の追記(基幹ブログ「マダムNの覚書」)の続き。 

  • 今東光と瀬戸内寂聴
  • 河合隼雄と村上春樹
  • 稲垣史生と杉浦日向子

 先生からしてちと怪しい……恣意的といおうか、アバウトといおうか。頭痛がしてきた……うーん。

 瀬戸内寂聴はかの子伝を書いていたときに、かの子に睨まれてるような怪異現象が起きたみたいだし、春樹もノモンハンの戦場跡を取材した夜中、ホテルでいわゆるポルターガイストと呼ばれるような現象を体験したらしい。杉浦日向子も霊体験をよくするタイプであったようなことを中島梓だったかが雑誌に書いていた。

 この三者のタイプと創作姿勢、そして師弟関係が似ているような気がする。圧倒的な大衆の支持を受けているところも共通している(この三者が現代風俗を形成した功労者であることは間違いない)。

 だが、著作には信頼のおけないところがある。

 杉浦日向子に関しては、まだ調査に着手すらしていない段階なので、研究家であるにも拘わらず、引用・参考文献が文庫版に明記されていなかったという点での違和感にすぎないのだが(新潮文庫版『お江戸でござる』、ちくま文庫版『江戸へようこそ』)、器用にあちこちから採ってきているというよりは盗ってきている印象を拭えない。

 杉浦日向子の江戸観に引っかかるもう一つの理由は、わたしが自分でも気づかないところで江戸文化に触れていたと気づかされたところから出てきている。

 歌舞伎、浄瑠璃に熱中した時期があった。今はお金がないので、観に行けないだけだ。西鶴、近松門左衛門、上田秋成にはまった時期もあった。浮世絵、特に北斎、広重が大好きである。江戸文化について書いた円地文子の著作を愛読している。

 歌舞伎、浄瑠璃、西鶴、近松門左衛門、浮世絵が江戸文化でなくて何であろう? わたしはかくも江戸文化を愛していたのに、そのことをすっかり忘れ、江戸に対して苦手意識があった。萬子媛をモデルとした歴史小説に着手することが億劫でならなかった。西鶴と萬子媛は同時代の人なのに。 

 しかし、なぜか杉浦日向子は、これら江戸文化とは切っても切れない類のものをちくま文庫版『江戸へようこそ』の「前口上」でやんわりと切って捨てている。

 歌舞伎とか落語は――彼女も好きだそうだが――、「それを通して江戸を見るということになると、現在までの年月の積み重ねによる『芸』としての成長、あるいは変質がジャマであり、あまり良い方法には思えません」というのが理由だそうだ。

 わたしは何度読み返してもここの文意が掴めない。江戸をクリアーに見すえるために江戸趣味、ノスタルジーを否定するのだそうだが、これは彼女が江戸に詳しい人間を排除したいからではないのか? 

 自分好みの江戸観に共鳴する取り巻きを集めて愉しみたかったからだとしか思えない。それが江戸趣味、ノスタルジーでなくて何であろう。尤も、わたしはそれがいけないとは思わない。

 江戸時代といっても長いので、歌舞伎、落語に限らず、変質をジャマもの扱いしたところで、仕方がないのではないだろうか。むしろ江戸時代にそれらがどんな風に変質し、さらに現代までに如何なる変質を遂げたかを調査するのが研究家といったものではなかろうか。

 いずれにしても、わたしのこの記事では無責任なので、時間があるときに(かなり先になりそうだが)疑問点を調べてみたい。

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有料ですが、サンプルをダウンロードできます。

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 忌川さんのブログはキンドル情報サイトで、キンドルに関するあれこれ、キンドル作家、キンドル本のことなどが紹介されています。

 以下のリストは凄いですね。

 カタログなんてのもあって……

 わたしのキンドル本のカタログもありました。

 以下は、アマゾン キンドルストアに出ている忌川さんの『ひとりぼっちのグルメ』。無料で読む方法もあるようです。詳しくは忌川さんのブログのこのページ

 飄々とした、不思議な味わいのある物語。読んでいると、おなかが空いてきますよ。

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